手を繋がなくても、今日も愛おしい

 館山での旅行から戻っても、相変わらず波喜は自分のペースを守っている。
 ただ、古藤とSEXしてから以前の波喜とは別人のように古藤にじゃれ付いてくることが多くなった。
 古藤はそんな波喜が可愛くて仕方なく、より一層一緒に居たいと思うが、なかなか波喜のマイペースな牙城を崩すのは難しかった。

「波喜は俺と一分一秒も離れたくないって思わないのか?」
「え、思わないよ。なんで?」

 事も無げに否定されるのが悲しい。

「もちろん古藤と一緒に居るのは楽しいし、一緒に寝るのも嬉しい。けど、自分の時間も絶対欲しい。これって普通のことだろ?」

 波喜の普通の感覚が明らかに自分の普通の感覚とは違うことが課題だ。

「古藤と会わないからって浮気もしないし。他の奴と会うってこともないよ。ただ家で好きなことをしているだけ。だから心配するなよ」
「そういう話じゃない。お前が俺意外に親しい人間がいないのは重々承知しているし、浮気なんてできないほど内向的なのも知っている。だからさ、余計に俺しか一緒に居られる奴はいないだろ? だから」
「だから、会いたいときには会う。それじゃダメなのか?」

 古藤と波喜の話は常に平行線を辿り、結局古藤が受け入れて終わる。
 落ち込む古藤に波喜はキスをする。

「そうやって胡麻化すんだよな、お前は」
「じゃあ、今度からしないよ」
「いや、それはダメだ。しろ、俺がいっつも折れてやるんだからご褒美くれ」

 古藤が必死に頼む姿に大笑いする波喜。

「好きだよ、古藤。俺のことを尊重して大事にしてくれているのは痛いほど感じている。ありがとう」

 そう素直に言われると余計に古藤は受け入れざる得ない。
 こういうところも波喜はズルいと思う。

「じゃ、帰るよ」
「うん。気を付けて」

 あっさりとした会話で古藤は波喜の部屋を出た。まるで追い出されているみたいだが、波喜の気持ちを尊重したいのは事実だ。
『お前が浮気しなくても、俺が欲求不満でしちゃいそうだよ』閉まったドアに向かってつぶやく。

 🔸🔸🔸

「で、ロンドンに行く話はどうなった?」

 古藤は久々に掘立て小屋に梶田を訪ねた。四年生はすでに内定を取っている人間も多いというのに、梶田は十月のサークルでの公演にしか興味がない。

「やっぱり就職しないんすか?」
「しない。っていうか今更できないだろ。正直、卒論だって危ういよ」
「結局、何にしたんですか?」
「サム・シェパードの埋められた子供にした。教授には難しすぎるから止めろって言われたけどさ。しかも英国の戯曲じゃないしな。俺ってホントに天邪鬼だわ」

 古藤は豪快に笑う梶田を羨ましく思う。
 一般社会から逸脱しても自分の好きなことを貫く。少し波喜に似ている。

「あ、全然話してなかった。いや、無理っすよ現実的に。っていうか先輩は金あるんですか?」
「あ、俺。無い無い。十月公演も借金でやるしさ、だからこの際旅費も借金しちゃおうかなって思って」
「マジっすか! それって無謀過ぎですよ。返すあてだって無いんでしょ」

 世捨て人にも程がある。

「これでも俺ん家、わりと裕福なのよ。だから勘当覚悟で親から借金はアリ」
「え、そうなんすか。なんか心配して損した。じゃあ、俺たちの分も出してくださいよー。そしたら行けます」

 調子いいことを言って諦めさせようとする。

「ああ、いいよ。そうする? 三人合わせて八十万円もあれば御の字だな」
「マジっすか! え、いやそれは……」

 まさか梶田が本当にOKするとは思っていなかったため焦る。

「お前、マジっすか! って止めろ。バカっぽいよ。おう! マジだよ。なら行くな、絶対行くよな!」

 古藤はこの件について波喜には話をしていない。
 正直、忘れていたのだ。
 海外旅行に波喜と行くのは楽しそうだが、梶田と一緒な時点で自分たちが付き合っているということはバレないようにしなければならない。
 恐らく、波喜は隠し通せるだろうが、古藤は自信が無かった。
 一分一秒でも一緒に居たい願望に支配されている中、一緒に居るのに触れることが出来ない時点で地獄だ。

「いやーー無理! 絶対無理です! この話なかったことにしてください。じゃあ失礼します!」

 そう言い残すと転げるように掘立て小屋から出た。
 後ろで梶田が何か叫んでいるが聞く耳は持っていない。とにかくこの場から逃げることしか頭になかった。

 古藤はGW明けからバイトを止めた。元々暇だからバイトをしていたようなもので、正直金に困っているわけではなかった。バイトをしている時間を波喜と一緒に過ごしたいと思っていたが、うまくいかない。
 ただこの分だと夏休みも大半は一人で過ごすことになりそうだ。恋人がいるのに一緒に居る時間が少ないってどういうことだ。
 そんなことを考えながら大学内を歩いていると、後ろから声を掛けられた。
 一番会いたくない奴、伊佐山だった。無視して歩き続けると腕を引っ張られた。

「なんだよ」
「なんだよ、冷たいな。久しぶりに見かけたから声かけたんだけど」
「知らないやつから声掛けられて気持ち悪いな」

 古藤の態度に伊佐山は苦笑いするしかなかった。

「あれだけ愛し合ったのに? 俺はお前の体の隅々まで知っているよ」

 伊佐山のその言葉に古藤は顔が赤くなるのを感じ、その場から去ろうとする。

「待てよ。話そうよ。話がしたい。いいだろ?」

 頑なに誘ってくる伊佐山を信じられない目で見つめる古藤。
 何を考えているんだ?

「断らないなら行こう」

 古藤は伊佐山に腕を握られたまま駐車場まで連れて行かれた。そこには何年も助手席に座った伊佐山の車があった。

「乗れよ。未だに助手席はお前の足の長さに合わせたままだよ」

 190センチ近い身長に合わせて助手席のシートは運転席のシートよりも後ろに引いてある。

「誰も乗せてないって言いたいのかよ」
「ああ、事実だから」

 事も無げに言うと伊佐山は運転席に乗り込み、古藤が助手席に乗るまで待っている。
 古藤は乗るべきか、乗らないべきか逡巡していたが、常に駐車場に学生が行き来しているのを見て変に思われないために渋々乗り込んだ。

「シートベルトして。車出すから」
「ど、どこ行くんだよ」

 伊佐山は古藤の問いには答えず車を出した。