手を繋がなくても、今日も愛おしい

 波喜は大学進学で東京に出てきた。
 実家は九州で年に一回帰省する程度でずっと一人暮らしのマンションに籠っている。
 古藤と波喜が付き合いだすと、実家住まいの古藤は波喜の家に行くようになるが、当初の想定よりもその回数は少なかった。
 波喜は一人でいる時間を好む。これはわかっていたことではなるが、恋人でさえその時間を共有されることはなかった。
 古藤はもっと波喜と一緒に過ごしたかった。未だ、SEXもしていない。
 大学に行かない時間も、バイトが無い時間も、時間が空いていれば寝る間も惜しんで波喜を愛したかったが、波喜はそれを望んではいなかった。
 波喜のプライベートを恋人だからといって浸食するわけにはいかない。
 理屈ではわかっていても性的な欲求も相まって、どこまで自分が耐えられるかわからなかった。

「今夜、泊りに行ってもいいか? 明日の午前休講になったんだよ」
「んー。ちょっと無理かも。ごめん」
「……俺はお前とヤリたい」
「ハッキリ言うね。でも、ダメ」

 波喜は古藤にハッキリ言われ少し焦る。
 これだけ一緒に居ても自分のペースを崩すのは容易なことではなかったが、それを古藤に理解させるのは難しいだろうとも思っていた。
 全ては古藤の優しさと忍耐でこの関係が続いているのかもとも思い、申し訳ない気持ちがあるもののなかなか自分を変えることが出来なかった。
 唐突に古藤は波喜にキスをする。
 ここは最初にキスをしたキャンバス内のベンチだ。
 それほど人の行き来がない場所だがそれでも誰が見ているかわからない。
 そんなリスクを考える余裕が今の古藤にはなかった。

「ちょ、古藤。誰かに見られるから」

 波喜はそう言いながらも決して強く古藤に抗うことはしない。

「来週は一緒に居られるじゃん。それじゃダメ?」

 古藤は波喜にそう言われ、イラ立つ気持ちが少し緩和した。
 そうだ、GWは館山に二泊で行く予定だ。
 古藤が大学一年の夏休みにリゾートバイトをした時に格安で泊まれる別荘のことを知り、そこを予約した。誰にも邪魔されずに二人だけで過ごせる。
 思わず顔がニヤけてしまう。

「古藤、心の声が顔に出ているよ」

 古藤のニヤけた顔を見て何を考えているか想像できてしまい波喜は声を出して笑った。
 古藤はこんな楽しそうな波喜が見られるなら、あいつの気持ちに寄り添おう、もっと尽くしてやろうと思っていた。

 🔸🔸🔸

 今年のGWは連休が続き、学生でも授業をサボらずに休むことが出来た。古藤と波喜は古藤の車で館山まで繰り出した。
 借りる別荘は食事が出るわけでもないため途中のスーパーで食料を調達した。
 古藤は実家暮らしのため料理は全くやったことがないが、一人暮らしが長い波喜は簡単な料理は出来るとパスタや牛肉をカゴに入れた。
 古藤は念のためゴムとローションも持参していた。波喜が初めてなのかどうかは聞いていないが彼自身が用意してくるとは到底思えなかったためだ。
 もう一歩前進したい。古藤の気持ちが波喜に届くのかはわからなかった。

 「年季が入ってそうだけど広くていいね」

 ログハウス調の別荘の居間はソファとテレビしかなく、がらんとしている。
 他にはキッチンとダブルベッドがある寝室のみのシンプルな造りだ。
 古藤は物珍しそうに各部屋を回る波喜の後を付いていき、寝室に足を踏み入れるとバックハグをした。

「どう? 気に入った?」

 波喜の首に鼻をつけるといつものウッディな香水の匂いがした。

「いい匂い……波喜の匂いだ」

 そのまま首筋に唇を這わす。波喜は受け入れている。古藤は波喜の腰に回していた手を股間のあたりに伸ばす。まさぐろうとすると、波喜の手が止めた。

「イヤだ。今はイヤ」

 そう言うと向きを変え、古藤の唇に自分の唇を重ねる。古藤はいつになく激しく舌を絡めてくる波喜に驚きつつ、その勢いに負けじとかぶり付く様に応える。
 これほど積極的なのにどうしてSEXは拒否するんだ……古藤は一人で悶々としていた。

 近くの海岸に出掛けた。まだ海に入るには寒いため砂浜をただ歩いた。
 日差しが気持ちよく癒される。
 波喜は古藤の手を取ると当然のように恋人繋ぎをした。
  周りに人がいないのもあるが、こういう部分は大胆で古藤は不思議に思う。
 思わず繋いだ手に目をやっていると波喜が気づく。

「こういう場所で手を繋ぐのはイヤか?」
「いや、人もいないし。全然」
「人がいたらイヤか?」
「え……っていうかお前は平気なの?」
「うん。全然気にしないよ。だって当人同士が愛し合っていれば周りのことなんて関係ないじゃん」

 正論だった。でも、やはり男同士が堂々と手を繋いでいる状況は一般の視点からは違和感があるだろうと古藤は思ってしまう。
 波喜は古藤が初めて好きになった人であり、初めて付き合った人ではあるが、古藤の過去が知りたかった。

「古藤はずっと男の人とだけ付き合ってきたの?」
「あー。いや、高校の時は女子とも付き合ったけどなんか上手くいかなかったんだよな」
「部活のエースなら女子にモテモテだっただろ」

 波喜は好奇心だけで聞いてみた。

「でも俺って威圧感あるだろ。だから他のメンバーの方がモテてたよ。でもまあ、こういうのが好きな子もいるもんで」
「ふーん。で、その子とは手を繋いだりした?」
「え、いや全然。そういうの恥ずかしくて出来なかったな」
「じゃあ、伊佐山とは?」

 古藤は突然伊佐山の名前が出てきて驚く。

「なんで伊佐山?」
「だって直近の元カレじゃん」
「……あいつはこういうことはしないタイプだよ」

 古藤は伊佐山に手を繋いだことも肩を組んだことも、並んで歩いたことさえなかったことを思い出した。
 キスもSEXする時だけだった。二人で出掛けることがあっても目立つ古藤は伊佐山の後ろを歩かされた。今思い返しても理不尽な扱いをされていたと思う。
 それでも好きだった……

「嫌なこと思い出させるなよ」

 古藤はぶっきらぼうに言うと波喜と繋いでいた手を離した。
 その行為に驚いた波喜は触れてはいけないことに触れたと思い、顔を歪める。

「ごめん。俺、言い過ぎた」

 波喜が心底申し訳なさそうにしている姿を目にした古藤は自分の行為を恥ずかしく思いつつ取り繕う気にもならなかった。

「いいよ、別に。風が強いな、宿に戻ろう」

 そう言うと波喜の前を歩いて行く。波喜は離された自分の手を見つめながら古藤の後を追った。

 気まずい空気を感じながらも波喜は買ってきた食材で料理を始めた。
 古藤は手伝えることもなく身の置き場に困っていたが、料理を盛る食器を洗うことにした。
 互いに会話をせずに黙々と己の仕事に集中する。
 そもそも、古藤が話しかけなければ波喜は何時間でも黙っている。
 さっき、海岸で過去の恋人のことを聞いてきたことも、興味本位だとしても貴重なことだったと改めて古藤は思った。
 それを古藤自身が台無しにしたと今更後悔する。

「波喜、さっきはごめんな。あんな態度取ってなんだか恥ずかしい」

 食器を洗いながら波喜には顔を向けずに謝る。

「俺が悪いんだから。古藤は悪くない」

 パスタをゆでていた波喜は自分から謝るべきだったのに古藤が最初に口にしてくれたことを内心嬉しく思うが、顔を向けずに口にする。

「このパスタ食べたら仲直りだよ」

 タイマーが鳴り波喜はボコボコと沸いているお湯から黄金色に光るパスタをザルに上げる。
 湯気で波喜の周りが曇るが、その隙間から自分に向けた波喜の笑顔が見えて古藤はときめく。
 こんなにも波喜のことが好きなんだ……

「美味いな! え、このソース市販のものじゃないよな?」
「市販のものだよ。そこにちょっとアレンジしただけだから元々の味が良いんだよ」
「いやそんなことない! これは波喜の腕だよ」

 古藤がムキになってパスタを褒める姿を見て波喜は可笑しくなる。

「この程度で褒めてもらえるなら、やりがいが出るな。っていうか古藤は普段お母さんが作った飯食べているんだろ? 絶対そっちのほうが美味しいに決まっているけど」
「まあ、俺がずっと運動部だったこともあって質より量って感じでザ・男飯だったんだよ。だからパスタも作ってくれるけど、ミートソースどばぁーみたいな」
「だからそんなにデカくなったんだね」

 食料調達の際に酒類を買わなかったことを思い出す。
 古藤は図体に似合わず一滴もお酒は飲めないため、友人との飲み会ももっぱらソフトドリンクで済ましている。
 そういえば、波喜といわゆる飲み会というのに一緒に参加したことがない。
 ゼミの飲み会も女性陣が多いこともあって格安なイタリアンレストランだった。

「波喜はお酒飲まないのか? 家にも全然置いてないよな」
「うん、俺飲めない」
「お、俺と一緒」
「古藤が飲めないのが意外だったなー。どう見ても酒豪タイプじゃん」
「見掛け倒しって言われて早何年って感じかな。遺伝だよ。親父もおじいちゃんも下戸だし、母親の系列も全く」
「……酒飲みはイヤだな。人生損してないかな? 残らないものに金かけて」

 波喜が珍しく辛辣なことを口にする。

「酒で嫌な思い出でもあるのか?」
「ん? 別にないよ。買ってきたアイス食べようか」

 波喜のパワポには記載されていなかったことが聞けると思ったのに唐突に話を終わらせられた。
 古藤は波喜に対して無理強いはしない、じっくりと時間をかけて波喜が自分から話しやすくなるような関係を構築したいと思っていた。
 『恋愛は忍耐だ』誰が言ったのか知らないが正にそれを体現しようとしていた。