「じゃ、またな」
閉じられたドアを見つめる。
「なんでそんなに淡泊なんだよ……」
古藤はついつい愚痴を吐いてしまう。
波喜の気が変わってこのドアを開けて自分の手を取り引き込んでくれるかもしれない。あり得ない希望を常に胸に抱いている。
「これでも付き合っているんだよな、俺たち」
そう口にしないと不安で押しつぶされそうになる。
🔸🔸🔸
古藤郁と波喜大地は大学三年のゼミで知り合った。それまで同じ選択科目を受講していたこともあったが、顔見知り程度で言葉を交わしたことはなかった。
『英国現代演劇論』という英国の戯曲を分析するゼミで三年生も四年生も女子生徒が大半を占める中、男子生徒は四年生の一人と彼ら二人だけだった。
古藤は役者や演出家、脚本家になるわけでもないのに何故このゼミなんだと友人たちにはからかわれた。
決して就職先が良いわけではない文学部を選んだ時点で、自分の将来は平凡な道を辿ると悟っていて、であればこの先の人生には全く関係のない世界を二年かけて研究してもいいではないかと開き直った部分もある。
というのは建前で、当初入りたかったゼミに今後人生で二度と関わりたくない人が居たため、他に選択肢が無かったというのが本当のところだ。
『お前の執着心にはウンザリだよ。別れよ、郁』
愛し合ったベッドの中で突然一方的に別れを告げられた。ヤルだけヤって、尽くすだけ尽くした挙句に捨てられる。そんな薄幸のヒロインのような立場にまさか自分がなるとは思ってもいなかった。
古藤は自分を捨てた男である伊佐山と同じゼミを取る気にはならなかった。
「古藤くん、帰りスタバ寄ってかない? 波喜くんは行くんだけど」
古藤はゼミ終わりに何人かの子に声を掛けられる。
「行く、行く。新作出ていたよなー?」
「そうそう、それ狙い。波喜くんも同じこと言っていた」
「モバイルオーダーしておこうか? 待つのも面倒だし」
「波喜くん、ホント気が利くよね、絶対モテるでしょ」
「それ、女子から男子に言うのも今だとセクハラになるよ」
「え、意外と言うこと硬いよねー波喜くん」
波喜は人当たりがよく、常に誰に対しても笑顔で接する。背が高く色白で端正な佇まいが、人によっては人気取りと穿った見方をされそうだが、自然な立ち振る舞いがゆえに、嫌な印象を与えない。
古藤はそんな波喜の態度を不思議に思っていた。あれだけ非の打ちどころのないビジュアルをしているならもっと傲慢になっても良いのに。実は裏の顔があるのではないか? そんな意地悪な考え方をしている自分に嫌気が指しつつも、波喜のことが気になって仕方がなかった。
「で、古藤は何にするの? 決まった?」
ぼんやりと波喜の行動を見ていた古藤は、いきなり話しかけられて驚く。
「あ、ああ、サクラの何とか……えーと、なんとかフラペチーノ」
「なんとかって何だよ。俺と一緒のコレでいい?」
波喜はそう言いながら古藤の横に並びスマホの画面を見せる。太陽の光の反射で画面が見づらく顔を近づけた際に、思いがけず横に並ぶ波喜のほほに古藤のほほを寄せる形になった。
「あ……」
思わず古藤が声を上げると
「うわー何してるの二人で! BLかと思っちゃうじゃん。スマホの画面見るのに顔近づけ過ぎだから」
周りの女子が面白半分で騒ぎ出した。古藤はごまかすためにわざと大声を出す。
「波喜のほほ、スベスベ。すげーな、どんな化粧水つけているんだよ!」
「え、知りたい! 知りたい! 私も前々から肌キレイだなって思っていたの。波喜くん教えて」
古藤の思惑通り、話の中心は波喜の肌の美しさに変わった。波喜には申し訳なく思いつつ、予想以上に自分自身がドキドキしているのを感じる。
『あいつはヘテロだろ……』
女子に囲まれながら笑顔で答える波喜を複雑な気持ちで見つめていると、輪の中にいる波喜が顔を上げ古藤に視線を向けた。
思いがけず目が合い焦る古藤に対し、今まで見たことがない笑みを浮かべる波喜。古藤はそれが何の意味を成しているのかわからなかった。ただ、その笑顔に惹かれている自分がいた。
🔸🔸🔸
波喜はまさか自分が取ったゼミで古藤と一緒になるとは想像もしていなかった。古藤と英国戯曲がまったくマッチしていなかったからだ。
『もっと現実的なゼミを取ると思っていた……』
波喜は常に音楽に夢中で自分で演奏するのも聴くのも人生の大半を占めていると言っても過言ではなかった。総合的に演劇を勉強することで少しは将来の仕事として音楽に携われるのではないかという気持ちでこのゼミを取った。
ただ、古藤はそもそもスポーツ選手で、ある意味とても戯曲などという地味な科目を専攻するようには思えなかった。そうは思いつつも波喜はこのチャンスを逃すつもりはなかった。大学一年の時からずっと目で追っていた人。
「で、古藤は何にするの? 決まった」
さりげなく古藤に話しかけるが内心はドッキドキで冷静に対応しようと努力した。
古藤がオーダーしたい物の名前がよくわからなかった為、波喜はスマホの画面を見せようとすると思いがけず古藤のほほと自分のほほが触れた。
「へっ……」
「あ……」
思わず出た波喜の声を古藤の声が上回った。焦る波喜をよそに女子たちが騒いだことによってなんとか気を落ち着かせることが出来た。その後、古藤が口にしたことにより波喜の周りに女子が集まり何故か化粧水の話をすることになってしまった。
波喜はほほが触れたことで古藤が嫌な気持ちになっていないかと顔を向けると目が合ってしまった。それが嬉しくて笑顔を向けてしまったが、古藤が目を逸らすことなく受け入れてくれたことが意外だった。
もしかしたら今がその時なのかもしれない。受け入れてもらえるかわからないし、今後無視されるかもしれない。でも言わずに後悔するなら伝えてしまいたい。
波喜は自分でも積極的になっていることが不思議だった。古藤は内向的な自分を変えられる、変えてくれる人かもしれない。
閉じられたドアを見つめる。
「なんでそんなに淡泊なんだよ……」
古藤はついつい愚痴を吐いてしまう。
波喜の気が変わってこのドアを開けて自分の手を取り引き込んでくれるかもしれない。あり得ない希望を常に胸に抱いている。
「これでも付き合っているんだよな、俺たち」
そう口にしないと不安で押しつぶされそうになる。
🔸🔸🔸
古藤郁と波喜大地は大学三年のゼミで知り合った。それまで同じ選択科目を受講していたこともあったが、顔見知り程度で言葉を交わしたことはなかった。
『英国現代演劇論』という英国の戯曲を分析するゼミで三年生も四年生も女子生徒が大半を占める中、男子生徒は四年生の一人と彼ら二人だけだった。
古藤は役者や演出家、脚本家になるわけでもないのに何故このゼミなんだと友人たちにはからかわれた。
決して就職先が良いわけではない文学部を選んだ時点で、自分の将来は平凡な道を辿ると悟っていて、であればこの先の人生には全く関係のない世界を二年かけて研究してもいいではないかと開き直った部分もある。
というのは建前で、当初入りたかったゼミに今後人生で二度と関わりたくない人が居たため、他に選択肢が無かったというのが本当のところだ。
『お前の執着心にはウンザリだよ。別れよ、郁』
愛し合ったベッドの中で突然一方的に別れを告げられた。ヤルだけヤって、尽くすだけ尽くした挙句に捨てられる。そんな薄幸のヒロインのような立場にまさか自分がなるとは思ってもいなかった。
古藤は自分を捨てた男である伊佐山と同じゼミを取る気にはならなかった。
「古藤くん、帰りスタバ寄ってかない? 波喜くんは行くんだけど」
古藤はゼミ終わりに何人かの子に声を掛けられる。
「行く、行く。新作出ていたよなー?」
「そうそう、それ狙い。波喜くんも同じこと言っていた」
「モバイルオーダーしておこうか? 待つのも面倒だし」
「波喜くん、ホント気が利くよね、絶対モテるでしょ」
「それ、女子から男子に言うのも今だとセクハラになるよ」
「え、意外と言うこと硬いよねー波喜くん」
波喜は人当たりがよく、常に誰に対しても笑顔で接する。背が高く色白で端正な佇まいが、人によっては人気取りと穿った見方をされそうだが、自然な立ち振る舞いがゆえに、嫌な印象を与えない。
古藤はそんな波喜の態度を不思議に思っていた。あれだけ非の打ちどころのないビジュアルをしているならもっと傲慢になっても良いのに。実は裏の顔があるのではないか? そんな意地悪な考え方をしている自分に嫌気が指しつつも、波喜のことが気になって仕方がなかった。
「で、古藤は何にするの? 決まった?」
ぼんやりと波喜の行動を見ていた古藤は、いきなり話しかけられて驚く。
「あ、ああ、サクラの何とか……えーと、なんとかフラペチーノ」
「なんとかって何だよ。俺と一緒のコレでいい?」
波喜はそう言いながら古藤の横に並びスマホの画面を見せる。太陽の光の反射で画面が見づらく顔を近づけた際に、思いがけず横に並ぶ波喜のほほに古藤のほほを寄せる形になった。
「あ……」
思わず古藤が声を上げると
「うわー何してるの二人で! BLかと思っちゃうじゃん。スマホの画面見るのに顔近づけ過ぎだから」
周りの女子が面白半分で騒ぎ出した。古藤はごまかすためにわざと大声を出す。
「波喜のほほ、スベスベ。すげーな、どんな化粧水つけているんだよ!」
「え、知りたい! 知りたい! 私も前々から肌キレイだなって思っていたの。波喜くん教えて」
古藤の思惑通り、話の中心は波喜の肌の美しさに変わった。波喜には申し訳なく思いつつ、予想以上に自分自身がドキドキしているのを感じる。
『あいつはヘテロだろ……』
女子に囲まれながら笑顔で答える波喜を複雑な気持ちで見つめていると、輪の中にいる波喜が顔を上げ古藤に視線を向けた。
思いがけず目が合い焦る古藤に対し、今まで見たことがない笑みを浮かべる波喜。古藤はそれが何の意味を成しているのかわからなかった。ただ、その笑顔に惹かれている自分がいた。
🔸🔸🔸
波喜はまさか自分が取ったゼミで古藤と一緒になるとは想像もしていなかった。古藤と英国戯曲がまったくマッチしていなかったからだ。
『もっと現実的なゼミを取ると思っていた……』
波喜は常に音楽に夢中で自分で演奏するのも聴くのも人生の大半を占めていると言っても過言ではなかった。総合的に演劇を勉強することで少しは将来の仕事として音楽に携われるのではないかという気持ちでこのゼミを取った。
ただ、古藤はそもそもスポーツ選手で、ある意味とても戯曲などという地味な科目を専攻するようには思えなかった。そうは思いつつも波喜はこのチャンスを逃すつもりはなかった。大学一年の時からずっと目で追っていた人。
「で、古藤は何にするの? 決まった」
さりげなく古藤に話しかけるが内心はドッキドキで冷静に対応しようと努力した。
古藤がオーダーしたい物の名前がよくわからなかった為、波喜はスマホの画面を見せようとすると思いがけず古藤のほほと自分のほほが触れた。
「へっ……」
「あ……」
思わず出た波喜の声を古藤の声が上回った。焦る波喜をよそに女子たちが騒いだことによってなんとか気を落ち着かせることが出来た。その後、古藤が口にしたことにより波喜の周りに女子が集まり何故か化粧水の話をすることになってしまった。
波喜はほほが触れたことで古藤が嫌な気持ちになっていないかと顔を向けると目が合ってしまった。それが嬉しくて笑顔を向けてしまったが、古藤が目を逸らすことなく受け入れてくれたことが意外だった。
もしかしたら今がその時なのかもしれない。受け入れてもらえるかわからないし、今後無視されるかもしれない。でも言わずに後悔するなら伝えてしまいたい。
波喜は自分でも積極的になっていることが不思議だった。古藤は内向的な自分を変えられる、変えてくれる人かもしれない。



