「そういえば、ネコ、いたよね。変なおじさんに連れて行かれたカフェの先で」
「あぁ、タクシーの!」
タクシーの運転手を「変なおじさん」呼ばわりするとは――と朋子は苦笑を浮かべる。
「モエちゃんが『歩きすぎて足が痛い~』って泣いていたら、おじさんが『格安だよ』って色々連れて行ってくれたのよね」
「泣いてないから。っていうか、何の警戒心もなく車に乗るんだもん。私からしたら二人の方が信じられなかったよ」
「警戒って……タクシーに警戒してどうするの」
「私、この容姿のせいで男には苦労してるんだよね。だから全ての男を警戒してる。だから女性限定のこのシェアハウスに来ましたー」
そういえば女性限定だったな、と朋子は思い出す。ニャイは……よかった、女の子だ。
「それにしてもモエちゃんがココに来た理由を初めて知ったわ。女性限定が良かったのね。若い子なのに、どうして今時のシェアハウスに住まないのかなって不思議だったのよ」
「今時のシェアハウスって、百人規模の男女が混在するアレだよね? いや、もう絶ーッ対イヤ。男女の色恋に興味ないんだよね。私が興味あるのは、」
「「「私の美だけだから」」」
朋子、モエナ、そして帰宅したまさ美の声が重なる。まさか声が揃うとは思わなかったモエナは「これはこれでキモイね」と、忌憚ないコメントをした。
「おかえり~まさ美ちゃん。どうだった?」
「心が洗われました。インタビューしていたので、つつがなく受けてきました」
「推しからインタビューを受けたの!? メンタル強!」
「でも……っ」
まさ美は肩を震わせる。
「推しと会えるどころか直接話が出来るなんて……感無量すぎて号泣しちゃって、一言も喋れませんでした」
たぶん私のシーンは全カットです――と落ち込むまさ美の目の前に、朋子がコトンとビールを置く。何かを感じ取ったのか、ニャイもまさ美の足元にすり寄った。
「ニャイ、慰めてくれるんですか……」
泣きながら、まさ美はニャイを抱き上げる。
小さくも温かな存在に癒される。まるで自分が、トーストの上で溶けるバターになった気分だ。
「そういえば沖縄でも泣いてたわよね。まさ美ちゃん」
「え、沖縄?」
椅子に座って、ビールのプルタブを開けるまさ美。缶を近づけた朋子と、無言の乾杯を交わす。その横でモエナが「そんな事あったねー」と、パンドラの蓋を開けた。
「タクシーのおじさんが『沖縄の有名な歌を歌ってあげるよ』ってさ。三味線で披露してくれた時、助手席にいたまさ美さん号泣だったじゃん」
「え、そうでしたっけ?」
「覚えてないの? 号泣したのに!?」
モエナの大きな声に驚いたニャイが、ネコタワーに逃げ込む。「あ、ごめんニャイ」とモエナにしては珍しく謝った。どうやらモエナは、人よりも動物に対しての方が素直に謝れるらしい。
「沖縄でタクシーのおじさんに会ったことまでは覚えてますが……私、泣いてました?」
「号泣だったよ。その姿を、私と朋さんがドン引きした目で後部座席から見てたんだよ」
「え、私を笑っていたんですか?」
「むしろ何かツライことあったのかな?って心配してたよ」
モエナがツッコミを入れると、朋子が小さな拍手を送る。
「モエちゃん、引っ越して早々沖縄に連れて行かれたのに、もうメンバーのことを心配してくれていたの? 優しい子ね」
「もちろん自分の心配もしたよ? こんなメンバーの中で生活して大丈夫なのかな?って」
「やだ~モエちゃん! 大丈夫に決まってるでしょ」
「そ、そうですよ! 大船に乗ったつもりで楽しんでくださいっ」
ビール片手にほろ酔い気分の朋子。
インタビューを引きずり、再び泣き出すまさ美。
二人を見て、モエナはため息をついた。埒が明かない、と再び動画の編集に戻る。
「あ、まさ美さん、コレ見て」
ちょいちょい、とモエナがまさ美を呼ぶ。まさ美がパソコンを覗きこむと……
≪こんにちは~【ゆしりん】でーす。早速ですが今日は、街灯インタビューを行います≫
「さっきの撮影、もう動画アップしたんだー。編集する暇なかったろうし、全シーン採用されてるんじゃない?」
「ってことは、号泣した私が写るってことですか?」
「且つ、推しと二人のツーショット!」
「うわぁ! 家宝にします……っ!」
グビグビ、ビールを喉の奥へ送るまさ美。パソコンの前には、いつの間にやら朋子、モエナ、まさ美、そしてニャイの全員が集まっていた。
≪今日はどちらから来たんですかー?≫
≪う、ううう、ゆしりん~……!≫
≪おっと新手の反応! 名付けて号泣!≫
「めっちゃいじられてるじゃん」
「これはこれで『オイシイ』って事なのよね?」
「私、推しの取れ高に貢献できてるんですか?」
≪っていうか君、俺が見てるVチューバ―の声とすごい似てるね。その子のこと最近知ったんだけどさ、良い声なんだよ~≫
≪うぅ、ゆすりん~≫
≪ちょっと? 俺の名前が違うから!≫
「「「……」」」
ん?
三人+一匹は、顔を見合わせる。
「気のせいじゃなければ、【ゆしりん】が私たちの動画を見てる?」
「最近しったVチューバ―って……私のことですか!?」
「え~!やだ【ゆしりん】サイコーじゃん!」
決めた!私もまさ美と一緒に【ゆしりん】を推す!――と朋子。
いつもはツッコミを入れるモエナも、これには何度も頷いた。
「私の動画でしょうか?って非公開メッセ送るね!
してもいいよね!? ってかするから!
上手くいけば【ゆしりん】とコラボできるかもしれないよ!」
っていうかVチューバ―って中の人がいない設定が鉄板なんだけどね!と、チクリと【ゆしりん】の発言にダメ出しをした後。モエナは素早く手を動かした。三秒後には「送った!」と、ガッツポーズをきめる。
「推しに認知されてるって……現実ですか!?」
「ゆ・し・りん! イ・ケ・メン!」
「コ・ラ・ボ! コ・ラ・ボ!」
カシュッと、二本目のビールを開ける朋子。この場を空気を悟ったニャイも「ニャア」と鳴き、どこか嬉しそうに三人を見上げる。
あまりの感動に力の抜けたまさ美が、その場に崩れ落ちるように座り込む。すかさずニャイが、太ももの上にやってきた。
「私……キレイ好きって言ったじゃないですか」
「ん? あぁ、ごめん。ニャイもらうわね?」
遠回しに「ニャイを遠ざけてくれ」と言ったのかと、気を利かせた朋子はニャイを退けようとした。だけどまさ美がニャイを抱き留め、その手を阻止する。
「私は確かにキレイ好きです。でも一人で住むのは嫌だったんです。誰かと交流を図りたかった。誰かと過ごせば、今までの『何もない自分』から脱却できる気がして……」
優しい手つきで撫でられ、ニャイは目を細める。そんなニャイを見て、まさ美も、涙をためた瞳をキュッと細めた。
「勇気を出して良かった。一歩踏み出してよかった。推しが出来たし、友達もできたっ」
「え~そんな可愛いこと言ってくれるのー! まさ美ちゃーん!」
「バターの新しい塗り方も知れたしね、って言わせるなバカー。私こういう空気に弱いんだよ~っ」
泣いたら目が腫れるじゃん、と。こんな時まで自分の美を追求するモエナが「実は優しい」と知っているまさ美は、涙をこぼしながら笑みを浮かべる。「私に新しい趣味を与えてくれてありがとうございます」と、感謝を述べながら。
「どんなバターの塗り方も楽しくて面白くて、幸せなんですね。ここに住んでいなきゃ私、自分の塗り方が一番だって妄信し続けていました。正解は一つじゃない、色んな塗り方を楽しんでいい。そんな当たり前のことに、やっと気づけました」
「色んな味や人生を楽しめるのが、シェアハウスのいいところよね」
「ほんとだねぇ。最初はどんな人たちだよって思ったけど、今は後悔もないし、私もココに来てよかったよ」
モエナが、自分の分のビールを持って来た。珍しいことに、飲むらしい。
「今後もよろしく、って事で、乾杯しよーよー」
「いいわねぇ、モエちゃん! さいこー!」
モエナがプルタブを押しやると、炭酸が細かな粒となって四方へ弾ける。「ヤバ」と、モエナは綺麗好きのまさ美へ視線を送るが、本人は何のその。今までのまさ美なら「すぐ拭いてください」と言っていたが……今、まさ美の目には不思議と、炭酸の粒が光って見えた。キラキラと輝いて見えるのだ。
その光輝く粒が教えてくれる。
今、自分は幸せなのだと――
「これからも私の推し共々、よろしくお願いしますっ」
「『私の』じゃなくて、『私たちの推し』ね!」
「且つ、配信者同士『ライバル』としてッ」
三人が腕をあげる。まるで着の身着のまま体当たりするように、勢いよく缶がぶつかった。それが等身大の自分たちを表しているようで、良い意味で無遠慮になった三人は、それぞれ笑みを浮かべた。
「「「これからもよろしく、カンパーイ!」」」
三人がカチンと缶をぶつけ合った後。細くて白い毛に覆われた手が、厳重に保管してあったはずのニャイ専用のデンタルガムをつかんでいる。そのガムと缶がぶつかるように、腕はどんどん上がっていく。
そして、いざ缶と当たった時、
「にゃんぱーい」
この場に聞き慣れない声が響いた。
突然の声に、まさ美もモエナも朋子も顔を見合わせる。互いに指をさし「今喋ったの誰?」と犯人捜しを始める。そこへカリカリと、固い物を食べる音が響く。見ると、ニャイがデンタルガムを味わいながら噛んでいた。
「まだ子供だから、ガムは食べにくいにゃ」
ニャイが喋った。
きっと、さっき「にゃんぱい」と言ったのも、ニャイだ。
クッションに背を預けながら人間のように座り、だらんと足を伸ばしている。まるで酒を片手に、つまみをかじるおじさんだ。ニャイは子猫なのに、どうしてか貫禄があるように見える。ついこの前、親に捨てられて、寂しそうに泣いていたというのに。いや、そもそもなぜ言葉を喋れる?
この状況にいち早くパニックを起こしたのは、まさ美だった。
「ニャイは、化け猫……‼」
「ちょっとまさ美さん、しっかりしてよ!」
血の気が引いたまさ美は失神し、モエナは「大丈夫⁉」と、彼女の肩を必死に揺らした。一方の朋子はというと、騒ぐ二人は蚊帳の外。興味があるのか目を輝かせながら、ニャイと向き合って正座した。
「うちの子、天使を超えて天才だわ! 素晴らしい才能をもったネコ、ここに君臨する!」
自分で「よ、朋子屋!」と合いの手を入れた後、改めて「私は朋子です」とニャイに自己紹介をする。するとニャイは流ちょうに言葉を返す。
「拾ってくれたお礼に、毎日きみたちを癒すのがあたしの仕事にゃ。よろしくにゃ」
朋子はお布施を聞いたように「ははぁ」とかしこまって頭を下げた後。ニャイと二度目ましての「にゃんぱい」をし、ビールとデンタルガムを優しく当てるのだった。
【 完 】
「あぁ、タクシーの!」
タクシーの運転手を「変なおじさん」呼ばわりするとは――と朋子は苦笑を浮かべる。
「モエちゃんが『歩きすぎて足が痛い~』って泣いていたら、おじさんが『格安だよ』って色々連れて行ってくれたのよね」
「泣いてないから。っていうか、何の警戒心もなく車に乗るんだもん。私からしたら二人の方が信じられなかったよ」
「警戒って……タクシーに警戒してどうするの」
「私、この容姿のせいで男には苦労してるんだよね。だから全ての男を警戒してる。だから女性限定のこのシェアハウスに来ましたー」
そういえば女性限定だったな、と朋子は思い出す。ニャイは……よかった、女の子だ。
「それにしてもモエちゃんがココに来た理由を初めて知ったわ。女性限定が良かったのね。若い子なのに、どうして今時のシェアハウスに住まないのかなって不思議だったのよ」
「今時のシェアハウスって、百人規模の男女が混在するアレだよね? いや、もう絶ーッ対イヤ。男女の色恋に興味ないんだよね。私が興味あるのは、」
「「「私の美だけだから」」」
朋子、モエナ、そして帰宅したまさ美の声が重なる。まさか声が揃うとは思わなかったモエナは「これはこれでキモイね」と、忌憚ないコメントをした。
「おかえり~まさ美ちゃん。どうだった?」
「心が洗われました。インタビューしていたので、つつがなく受けてきました」
「推しからインタビューを受けたの!? メンタル強!」
「でも……っ」
まさ美は肩を震わせる。
「推しと会えるどころか直接話が出来るなんて……感無量すぎて号泣しちゃって、一言も喋れませんでした」
たぶん私のシーンは全カットです――と落ち込むまさ美の目の前に、朋子がコトンとビールを置く。何かを感じ取ったのか、ニャイもまさ美の足元にすり寄った。
「ニャイ、慰めてくれるんですか……」
泣きながら、まさ美はニャイを抱き上げる。
小さくも温かな存在に癒される。まるで自分が、トーストの上で溶けるバターになった気分だ。
「そういえば沖縄でも泣いてたわよね。まさ美ちゃん」
「え、沖縄?」
椅子に座って、ビールのプルタブを開けるまさ美。缶を近づけた朋子と、無言の乾杯を交わす。その横でモエナが「そんな事あったねー」と、パンドラの蓋を開けた。
「タクシーのおじさんが『沖縄の有名な歌を歌ってあげるよ』ってさ。三味線で披露してくれた時、助手席にいたまさ美さん号泣だったじゃん」
「え、そうでしたっけ?」
「覚えてないの? 号泣したのに!?」
モエナの大きな声に驚いたニャイが、ネコタワーに逃げ込む。「あ、ごめんニャイ」とモエナにしては珍しく謝った。どうやらモエナは、人よりも動物に対しての方が素直に謝れるらしい。
「沖縄でタクシーのおじさんに会ったことまでは覚えてますが……私、泣いてました?」
「号泣だったよ。その姿を、私と朋さんがドン引きした目で後部座席から見てたんだよ」
「え、私を笑っていたんですか?」
「むしろ何かツライことあったのかな?って心配してたよ」
モエナがツッコミを入れると、朋子が小さな拍手を送る。
「モエちゃん、引っ越して早々沖縄に連れて行かれたのに、もうメンバーのことを心配してくれていたの? 優しい子ね」
「もちろん自分の心配もしたよ? こんなメンバーの中で生活して大丈夫なのかな?って」
「やだ~モエちゃん! 大丈夫に決まってるでしょ」
「そ、そうですよ! 大船に乗ったつもりで楽しんでくださいっ」
ビール片手にほろ酔い気分の朋子。
インタビューを引きずり、再び泣き出すまさ美。
二人を見て、モエナはため息をついた。埒が明かない、と再び動画の編集に戻る。
「あ、まさ美さん、コレ見て」
ちょいちょい、とモエナがまさ美を呼ぶ。まさ美がパソコンを覗きこむと……
≪こんにちは~【ゆしりん】でーす。早速ですが今日は、街灯インタビューを行います≫
「さっきの撮影、もう動画アップしたんだー。編集する暇なかったろうし、全シーン採用されてるんじゃない?」
「ってことは、号泣した私が写るってことですか?」
「且つ、推しと二人のツーショット!」
「うわぁ! 家宝にします……っ!」
グビグビ、ビールを喉の奥へ送るまさ美。パソコンの前には、いつの間にやら朋子、モエナ、まさ美、そしてニャイの全員が集まっていた。
≪今日はどちらから来たんですかー?≫
≪う、ううう、ゆしりん~……!≫
≪おっと新手の反応! 名付けて号泣!≫
「めっちゃいじられてるじゃん」
「これはこれで『オイシイ』って事なのよね?」
「私、推しの取れ高に貢献できてるんですか?」
≪っていうか君、俺が見てるVチューバ―の声とすごい似てるね。その子のこと最近知ったんだけどさ、良い声なんだよ~≫
≪うぅ、ゆすりん~≫
≪ちょっと? 俺の名前が違うから!≫
「「「……」」」
ん?
三人+一匹は、顔を見合わせる。
「気のせいじゃなければ、【ゆしりん】が私たちの動画を見てる?」
「最近しったVチューバ―って……私のことですか!?」
「え~!やだ【ゆしりん】サイコーじゃん!」
決めた!私もまさ美と一緒に【ゆしりん】を推す!――と朋子。
いつもはツッコミを入れるモエナも、これには何度も頷いた。
「私の動画でしょうか?って非公開メッセ送るね!
してもいいよね!? ってかするから!
上手くいけば【ゆしりん】とコラボできるかもしれないよ!」
っていうかVチューバ―って中の人がいない設定が鉄板なんだけどね!と、チクリと【ゆしりん】の発言にダメ出しをした後。モエナは素早く手を動かした。三秒後には「送った!」と、ガッツポーズをきめる。
「推しに認知されてるって……現実ですか!?」
「ゆ・し・りん! イ・ケ・メン!」
「コ・ラ・ボ! コ・ラ・ボ!」
カシュッと、二本目のビールを開ける朋子。この場を空気を悟ったニャイも「ニャア」と鳴き、どこか嬉しそうに三人を見上げる。
あまりの感動に力の抜けたまさ美が、その場に崩れ落ちるように座り込む。すかさずニャイが、太ももの上にやってきた。
「私……キレイ好きって言ったじゃないですか」
「ん? あぁ、ごめん。ニャイもらうわね?」
遠回しに「ニャイを遠ざけてくれ」と言ったのかと、気を利かせた朋子はニャイを退けようとした。だけどまさ美がニャイを抱き留め、その手を阻止する。
「私は確かにキレイ好きです。でも一人で住むのは嫌だったんです。誰かと交流を図りたかった。誰かと過ごせば、今までの『何もない自分』から脱却できる気がして……」
優しい手つきで撫でられ、ニャイは目を細める。そんなニャイを見て、まさ美も、涙をためた瞳をキュッと細めた。
「勇気を出して良かった。一歩踏み出してよかった。推しが出来たし、友達もできたっ」
「え~そんな可愛いこと言ってくれるのー! まさ美ちゃーん!」
「バターの新しい塗り方も知れたしね、って言わせるなバカー。私こういう空気に弱いんだよ~っ」
泣いたら目が腫れるじゃん、と。こんな時まで自分の美を追求するモエナが「実は優しい」と知っているまさ美は、涙をこぼしながら笑みを浮かべる。「私に新しい趣味を与えてくれてありがとうございます」と、感謝を述べながら。
「どんなバターの塗り方も楽しくて面白くて、幸せなんですね。ここに住んでいなきゃ私、自分の塗り方が一番だって妄信し続けていました。正解は一つじゃない、色んな塗り方を楽しんでいい。そんな当たり前のことに、やっと気づけました」
「色んな味や人生を楽しめるのが、シェアハウスのいいところよね」
「ほんとだねぇ。最初はどんな人たちだよって思ったけど、今は後悔もないし、私もココに来てよかったよ」
モエナが、自分の分のビールを持って来た。珍しいことに、飲むらしい。
「今後もよろしく、って事で、乾杯しよーよー」
「いいわねぇ、モエちゃん! さいこー!」
モエナがプルタブを押しやると、炭酸が細かな粒となって四方へ弾ける。「ヤバ」と、モエナは綺麗好きのまさ美へ視線を送るが、本人は何のその。今までのまさ美なら「すぐ拭いてください」と言っていたが……今、まさ美の目には不思議と、炭酸の粒が光って見えた。キラキラと輝いて見えるのだ。
その光輝く粒が教えてくれる。
今、自分は幸せなのだと――
「これからも私の推し共々、よろしくお願いしますっ」
「『私の』じゃなくて、『私たちの推し』ね!」
「且つ、配信者同士『ライバル』としてッ」
三人が腕をあげる。まるで着の身着のまま体当たりするように、勢いよく缶がぶつかった。それが等身大の自分たちを表しているようで、良い意味で無遠慮になった三人は、それぞれ笑みを浮かべた。
「「「これからもよろしく、カンパーイ!」」」
三人がカチンと缶をぶつけ合った後。細くて白い毛に覆われた手が、厳重に保管してあったはずのニャイ専用のデンタルガムをつかんでいる。そのガムと缶がぶつかるように、腕はどんどん上がっていく。
そして、いざ缶と当たった時、
「にゃんぱーい」
この場に聞き慣れない声が響いた。
突然の声に、まさ美もモエナも朋子も顔を見合わせる。互いに指をさし「今喋ったの誰?」と犯人捜しを始める。そこへカリカリと、固い物を食べる音が響く。見ると、ニャイがデンタルガムを味わいながら噛んでいた。
「まだ子供だから、ガムは食べにくいにゃ」
ニャイが喋った。
きっと、さっき「にゃんぱい」と言ったのも、ニャイだ。
クッションに背を預けながら人間のように座り、だらんと足を伸ばしている。まるで酒を片手に、つまみをかじるおじさんだ。ニャイは子猫なのに、どうしてか貫禄があるように見える。ついこの前、親に捨てられて、寂しそうに泣いていたというのに。いや、そもそもなぜ言葉を喋れる?
この状況にいち早くパニックを起こしたのは、まさ美だった。
「ニャイは、化け猫……‼」
「ちょっとまさ美さん、しっかりしてよ!」
血の気が引いたまさ美は失神し、モエナは「大丈夫⁉」と、彼女の肩を必死に揺らした。一方の朋子はというと、騒ぐ二人は蚊帳の外。興味があるのか目を輝かせながら、ニャイと向き合って正座した。
「うちの子、天使を超えて天才だわ! 素晴らしい才能をもったネコ、ここに君臨する!」
自分で「よ、朋子屋!」と合いの手を入れた後、改めて「私は朋子です」とニャイに自己紹介をする。するとニャイは流ちょうに言葉を返す。
「拾ってくれたお礼に、毎日きみたちを癒すのがあたしの仕事にゃ。よろしくにゃ」
朋子はお布施を聞いたように「ははぁ」とかしこまって頭を下げた後。ニャイと二度目ましての「にゃんぱい」をし、ビールとデンタルガムを優しく当てるのだった。
【 完 】



