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「あ、……え、ちょっと!ちょっと!!」
「始まった」
「始まったわね」
ズズと、紅茶とコーヒーを飲むモエナと朋子の横で、まさ美が声にならない声を上げた。
「すぐ近くの駅で、推しが撮影しているらしいので行ってきます!」
ウキウキした顔で、素早く身支度をし玄関から飛び出したのはまさ美。「行ってらっしゃい」と振り向きざまに見たまさ美のキラキラした横顔に、朋子は口に弧を描く。
「ねぇ、だーれがさぁ、こんな事になるって予想できた?」
「きっと誰も予想出来なかったわね。まさか、まさ美ちゃんに『動画配信者の推し』が出来るなんて」
そう。
事の発端は、あの日、三人で会議した日まで遡る。
モエナに「Vチューバ―担当ね」と頼まれたまさ美は、真面目な性格から「Vチューバ―たるや」を学ぶために、動画を視聴し漁っていた。
そこで虜になったのが、イケメンなアバターを使う動画配信者。名前を【ゆしりん】。アバターの容姿はもちろんのこと、声を始めご本人に至るまでイケメンで、まさ美はチャンネル登録だけでなくSNSまでフォローし、引きこもりから追っかけを謳歌する「推し活人生」へと変貌を遂げたのだ。
「三十年間悩んでいた無趣味が、まさか、こんなにあっけなく開花するとは思わなかったよね」
「本当にそう。干物みたいな顔をしていたのに、今じゃ水を得た魚よ? すごい変化よ?」
「肌にも潤いが戻ったよねぇ、水だけに」
【ゆしりん】が「透明感のある子が好き」という情報を得てから、まさ美の美への探求心は一気に開花した。モエナから美の講座を受けるのはもちろんのこと、朋子の会社が販売する商品を買うなど、まさに「三日間でキレイになれる」を謳うnyai(ニャイ)の理想モデル様様なのだ。
「私、この数日で、あんなに変わる人を初めて見た」
「まさ美はのめり込むと、とことんって感じだからねぇ。
ね~? ニャイ。あとで写真撮影と、声を録音させてね~動画で使うから」
「ニャッ」
ニャイ――と呼ばれたのは、朋子の腕の中にいる真っ白な子猫。
そう、メンバーの皆でペットショップ屋に行ったあの日。朋子はついに、ネコをお迎えすることに成功したのだ。けれど出会いはペットショップではない。目的地へ向かう道すがら出会ったのだ。
道の端っこで一人さ迷っていたニャイは、か細い声でニャーニャーと泣いていた。しかし、待てど暮らせど親猫は来ない。きっと一人なんだと悟った三人は、道の真ん中で緊急会議を開いた。
『とりあえず、ネコを飼えるか否か、大家さんに聞いてみるわね』
『ちがうちがう』
『話が早い早い』
二人の静止を聞いた朋子は、寸でのところで通話ボタンを押す手を止める。次に見せたのは「これから雨が降ります」という天気予報の画面。
『この小さな体でこれから雨に打たれて、可哀そうにね』
『だーかーらぁ』
『そういうのを卑怯っていうんですよ……』
ガクンと二人が項垂れたのを見て、朋子は口角を上げる。そして「大家さんに電話してくる」と、ルンルンで通話を開始した。直後「え~いいんですかぁ」と朋子の猫なで声。その話し方を聞くに、どうやら「ペットOK」の許可が出たと踏んだ二人。これからの事に、各々が覚悟を決める。
『まさ美さん、私いったん家に戻るね』
『え、どうしてですか?』
『ネコちゃん来るなら、部屋を片付けておかないとじゃん?』
『なるほど……じゃあ飼う道具も一式必要ですね。私は、そっちの係ですか?』
『そういうことー。さすが話が分かる』
『もう半年の付き合いですから』
そこへニッコニコの笑みで朋子が戻って来る。「OKだって~!」とやっぱりの返答に、二人は開き直った。
『じゃあモエナちゃんと朋子さんは、家へ戻ってください。私がもろもろ一式を買ってくるので』
『まさ美ちゃん、ネコちゃん飼っていいの!?』
『朋さんは『話を聞かない人』って分かっていますから』
『や~ん、さすがお友達! あ、じゃあ待って!』
ネコを片手に、朋子は自身の財布をまさ美に差し出す。中のお札をとるよう促した。
『今日はネコちゃんお迎え祝いだから、パーッと買ってきてね! 道具を揃えるくらいのお金なら、現金で足りると思うから!』
『任せてください……!』
お札をシッカリ握ったまさ美は、そのままペットショップ屋へ急ぐ。
そしてメンバー四人のシェアハウスが始まったのだ。
――という経緯があり。
ネコことニャイが、シェアハウスに住み始めて三日。初日こそオドオドしていたものの、朋子の溺愛に陥落したのか、今ではニャイ自ら顔を摺り寄せている。そんなニャイに、朋子は終始、赤ちゃん言葉で対応している。
「あ~かわいいでちゅねぇ、ニャイは最高でちゅねぇ」
ニャイ――この名前に、モエナが片方の眉を上げる。
「よく自社の商品名をつけようと思ったよね」
「ぴったりじゃない? ニャイって」
「そうだけど、名前を呼ぶ度に仕事のこと思い出して嫌じゃない?」
「別に? 嫌じゃニャイ」
「……そう言えばこの人、鋼メンタルだった」
「んふふ~」
朋子がネコを可愛がる横で、モエナはパソコンを操作する。昨日撮った動画をアップするため、長い長い編集作業をしているのだ。
「昨日、まさ美ちゃんと二回目の撮影をしたんだっけ?」
「自分の存在を推しに認知してもらおうと、まさ美さんったら一気に火が付いてさ。今まで聞いたことない『きゅるるんな声』を出し惜しみなく披露してくれたよ」
初期の「マジカルキュンキュン、プインプイン」が嘘みたいだよね――と。緊張でカタコトになった、あの日のまさ美を再生する。
「でも、モエちゃんもまさ美ちゃんと一緒に【ゆしりん】の動画を見ているんでしょう?」
「怖。なんで知ってるの?」
「まさ美ちゃんが、『いつもモエナちゃんが一緒に動画を見てくれるんです』って嬉しがっていたから」
その言葉に、モエナは複雑な顔を浮かべた。「別に見たくて見てるわけじゃなくて勉強のためだよ」と、ため息を吐く。
「酌だけど【ゆしりん】って、すごい動画編集が上手いんだよねぇ。飽きないから、いつも最後まで見ちゃうの」
「最初はイヤイヤなのに?」
「最後はアハハ、みたいなね」
同じ配信者として、すごい嫉妬する、とモエナ。
「自分の糧にするために、歯を食いしばって見てる」
「推しを見てキラキラするまさ美と、敵を見て歯をギリギリさせるモエナ……」
想像したのか、朋子はプッと吹き出す。もちろんモエナの眉間にシワが寄ったのは、言うまでもない。
「趣味も推しも、一瞬で爆誕させるまさ美さん。
四日でキレイになる商品を、三日に縮めさせちゃう朋さん。
どっちもバケモノだわ。っていうか朋さんって営業だよね? なんで企画にも開発にも関わってんの?」
「そこは二十年の貫禄が、横にも縦にも斜めにも道を切り開いてるのよ」
「引っ張りだこってワケか、羨ましい~。ねー、ニャイ?」
モエナが呼びかけると、ニャイが「ニャ」と返事をする。編集に飽きたモエナが、おもちゃの猫じゃらしを取り出した。
朋子の腕を飛び出し、猫じゃらしを追って右へ左へ移動するニャイ。その姿を見て「まるで私みたい」と、モエナが呟く。
「モエちゃん、人生って右往左往するものなのよ?」
「なんのこと? ニャイの可愛さが、私ソックリって言っただけだよ?」
「あっそ」
カシュッとビールのプルタブを、朋子は奥へ押しやる。今日は休日で、お昼から飲んでも許される貴重な日だ。
「あ~美味しいー!
そういえば、沖縄で飲んだビールも美味しかったわねぇ」
「あぁ……あの『歓迎会と称した、ただ欲望のままに行動したプチ弾丸旅行』のことね」
「こら。言い方、言い方」
そう。実は、このメンバーで二泊三日の沖縄旅行をしたことがある。
シェアハウスに住み始めた順番は、朋子、まさ美、モエナ――最後の入居者、モエナが引っ越してきた当日。仕事で大口顧客を獲得しテンションがハイになっていた朋子は「旅行に行こう!」と、急きょ三人分の飛行機チケットを手に入れたのだ。
「初対面の人と旅行に行って、しかも泊まりだなんて。あんなの男子がやったら訴訟もんだよ」
「女同士だから問題なかったでしょ?」
「一般常識は問われるけどね」
「んふふ~。ニャイも一緒に来れたら良かったのにね~」
既に猫じゃらしをゲットしたニャイは、仰向けになったりうつ伏せになったりと、無邪気にじゃれている。その姿を見て、沖縄で見た「とある風景」をモエナは思い出した。



