親不孝者35歳、黒猫と暮らす

松野さんのフラワーアレンジ教室は、いつも盛況だった。参加者は女性ということもあり、喫茶「凪」を口コミで広げてもらうことも多い。お陰で、「うちも教室を開きたい」とお声がけしてもらうことも増えてきた。

「マスター、最近、肌艶良いですよね! 特に、顔!」
「ははっ……そうですかね」
「ですです。人生充実してる感じがしますもん」

そう言われてみると……本当に人生変わったなと思う。優しいお客さんに囲まれて、毎日穏やかに暮らすことができている。立派な外食とまではいかないけれど、何とか日々食べることもできる。

何より、これまでの人生と違って……充実感がある。上手く表現できないけれど、毎日が楽しいのだ。

「あー! 斎藤さん、思い出に浸ってますね?」
「泣きそうな顔してるじゃないですかー!」

わははっ!と笑い声が店内に響き渡って……「ここまで頑張って来て、本当に良かったな」と充実感に満たされている。

(……本当に。長かった)
(ようやくここまで来れた……)

「表情が穏やかになった」と言われるのが、何よりも嬉しい――

――

――

――

「あー……終わった! にゃーちゃん! お元気ですかー?」
「お部屋のパトロール。ありがとねぇー」
次の日の準備を終えて、2階へ上がる。先ずはにゃーちゃんに、2階を守ってくれていたことへの感謝から始まる。

「ご飯は? 食べた?」
器を覗き込むと、まだ少し残っていた。

「……なんだ、まだあるじゃん」
その間も、にゃーちゃんは、窓際にごろんと横になりながら、じっと僕を見つめる。

「……」
「何よ、にゃーちゃん」
「……」
いつも「にゃー!」「にゃー!」と遊んで欲しいだの、ご飯ちょうだいだの……良く鳴くにゃーちゃん。なぜかあまり鳴いてこない。

(……ん?)

「……何よ。どうしたの」
「……」
「調子でも悪い?」
僕はにゃーちゃんに近づいて、頭をよしよしする。僕を見つめる瞳は相変わらず大きくて、特に不調を訴えているような感じでもない。

(体調は……良さそうだなぁ……)
(……何だ? まぁ、良いか……)

にゃーちゃんから離れて、ふすまを開けようと手をかけた……その時だった。

「もう、良いかな」

どこからか声がした。
頭の中に響いてくるような……不思議な声

(え? 何か……聞こえた?)

狭い6畳の部屋をきょろきょろする僕。……どこにも人がいる気配はない。

「うっ……うん!」
わざと大きく咳払いをする。

「……ここだよ」
「えっ……?」
「こっち。にゃーちゃんよ? わたし」

(……!)

ばっと窓際に体を向けると……にゃーちゃんがじっと僕を見つめている。凛とした姿で。

「……にゃーちゃん?」
「そう。わたしがしゃべってるのよ」
「わあああーー!!!!」
思わず尻もちをついてしまった。

「あははっ……驚くよね……ごめんなさい。驚かせて」
「えっ……? えっ……?」
「パパ。いつもありがとう。優しくしてくれて」
驚く僕を落ち着かせるように……にゃーちゃんは優しく語り掛けてきた。

「……本当に? しゃべってるの……?」
「うん。まぁ……しゃべってるっていうか……直接『伝えてる』感じだけどね」
「……」
「もうそろそろ……しゃべっても良いかなって思って」

まだ信じられない……「にゃー!」と鳴いていた、にゃーちゃんが……しゃべっていることに。

「どうして? どうして突然……」
「うーん……」
にゃーちゃんはじっと畳を見つめて、考え込む。本当に人間の目をしているみたいに見える。

「色々と……伝えたいこともあるし」
「……伝えたいこと?」
「うん。私が喫茶店の入口で困ってた時……優しくしてくれたでしょ?」
「あ、あぁ……あの時」
まだ店を開いて間もない頃、ドアを開けていたら……にゃーちゃんは入口でずっと鳴いていたっけ……

「こうやって暖かいお部屋で……いつも遊んでくれて。感謝してるんだよ」
「……そう」
「そうだよ。ありがとね。いつも大切にしてくれて」
「い、いや……当たり前のことだから……」
「……当たり前のことなの? 優しくしてくれることが?」
「そりゃ……当たり前だろ」
にゃーちゃんは少し首をかしげて、きょとんとした目で僕を見ている。

「何?」
「そうなんだぁって思って」
「……どういうこと?」
「……」
「何さ」
「お父さんのところ。帰った方が良いと思うよ」
「えっ?」
「それもね、伝えたかったんだ。わたし」