親不孝者35歳、黒猫と暮らす

お父さんは退院してから、ずっと家にいるけれど……幸いなことに再発することはなかった。僕は1回留年してしまったことが影響したのか、満足する会社には入社できなかったけれど、東京の田舎にある小さな半導体の会社に入社が決まった。

「こんな時代によ、働けるだけでも……有難いと思わないとな」
お父さんはこう言っていたけれど、最先端の研究……とは程遠い、下請けの会社だった。決められた設計の製品をずっと作り続ける。温度を初めとする品質管理が僕の主な業務になった。

「……別に誰でもできる仕事だろ。こんなの」
入社前からずっと不満を頂き続けながらも、春から僕は電車で2時間弱かけて会社へと出社し続けた。しかし、すべてのことに感謝もできず、不満しか抱き続けてこなかった僕には……ずっと続く生活ではなかった。

入社して1年。分かったことが色々とある。土曜と日曜が休みであること。ごく稀に土曜日出社の日もあるけれど、基本的には土日休み。半導体の企業としては珍しいらしい。そして勤務時間も、かなりホワイトなことだった。新入社員の僕に「早く帰りなさい」と、先輩達は口を揃えるかのように言う。

先輩達も同じく、勤務時間内にできるだけ仕事を終わらせることができるよう、頑張っていた。みんな、優しくて真面目なのだ。

今、振り返れば……こんな働きやすい職場はなかった。本当に先輩達も優しく、仕事内容もそこまでキツいものではなかった。

しかし……僕は1年が経って、「会社を辞めようか」と思うようになっていたのだ。

とにかく「通勤電車」が苦痛で仕方がなかった。それならば近場に引越しをすれば良いだけなのだけれど、仕事が「退屈」と思うようになっていた。

ずっと「家を早く出たい」と思っていた僕は……すぐに引越しをした。実家と会社の、ちょうど真ん中くらいの位置に。それでも「退屈だ」と思うことは増えていった。

ホワイトさを退屈とはき違える。物の考えがすべてにおいて甘い。子供の頃からお父さんに文句を言い……新しく来た母親ともろくに口も利いていない。自己破産したって大学まで通わせてくれた親に対して……感謝の念など、何一つない。引越しをする際だって、逃げるように家を出た。


僕は、最低だ。

「仕事辞めて、九州に行こうと思って」
2000年の冬。僕は実家に戻った時、お父さんに言った。

「そうか」
「いつからだよ」
反対されたり、意見をぶつけられると思っていた僕は少子抜けしたのを覚えている。

「なるべく早く行こうと思ってるけど」
深くは考えていない僕は、適当に返事をしておいた。一回気持ちを伝えておけば、後はどうでも良いだろうと思っていたから。

「逃げたい」
そう思っていた。

お父さん達のいる、東京から。
人が多すぎる、東京から。
これまでの人生が詰まっている、東京から。

「ゼロからやり直したい」
自分勝手な理由で会社も直ぐに辞めた。

そして僕は、縁もゆかりもない
長崎県にやってきた――