ある日、お父さんは熱を出した。団地の1階には内科が入っていて、お父さんと母親は風邪だと思い、病院に向かった。
お父さんはこの年の春、長年勤め上げた会社を定年退職していた。「一気にやることがなくなって……疲れでも出たんだろう」くらいに思っていた。
「夏風邪、引いちまったな……」
昼過ぎに病院から帰ってきたお父さんは、そのまま部屋で寝た。僕は「風邪か」くらいにしか思っておらず、特に気にすることなく、いつも生活を送る。
しかし、お父さんの夏風邪は、3日経っても4日経っても調子が良くならず、1週間経ってもキツそうだった。
「もう一回、病院行こう」
そう言って母親は、お父さんを病院へ再度連れて行く。
同じく昼過ぎに病院から戻ってきたお父さんと母親の表情は……これまでに見たことのないものだった。
「何。どうだったの」
スマホをいじりながら、帰ってきたお父さんに声をかける。
「いや、何かガンみてぇなんだよな」
現実をそむけるかのように、半笑でお父さんは答えた。母親は隣で静かに泣いていた。その場で確定したわけではなく、「極めて可能性が高い」ような感じだったらしく、大きな病院で細かく検査をしなくてはいけなくなったらしい。手には紹介状が入った封筒を持っていた。
「レントゲン撮ってもらったんだけどな」
「影があるみてぇなんだよ」
確か、こんなことを言っていたような気がする。
この日からみんなの顔から生気がなくなり、より一層家の中が静まり返るようになった。
大学に向かう電車の中で、僕はお父さんのことで涙を流した。初めてだった。
まだ検査もこれから。本当にガンなのかはその段階では何も分かってはいなかったけれど……「この世から消えてしまう」。こう思うだけで……僕は涙が止まらなかった。空いていたとはいえ、電車の中に人はいたけれど……どんどん涙が溢れ、止まらなかった。
あれだけ嫌いで、同じ家の中にいることさえ不愉快だったお父さんだったけれど……「いなくなる」と考えた途端、顔を覆うほどの涙が出るのだった。あれだけ涙を流したのは、最初で最後だと思う。
別にお父さんへの接し方が変わったわけではない。でも、少し会話をするように……この頃から変化をしていった気がする。
それから1ケ月ほど経ち、無事にお父さんの手術も終わった。ステージが何とか……と言っていた気がするけれど、あまり覚えていない。病院にお見舞いにも行ったし、話も聞いたけれど……不思議なもので、記憶にあまり残っていない。
「強いストレスがかかると、シャットアウトする」と以前どこかで聞いたことがあるけれど、もしかするとそれなのかも知れない。退院後、自宅で療養することとなった。僕の生活も特段何も変わることはなく、いつも通りに大学へ通う日々が続く。
唯一変わったことと言えば……さっきも言った通りで、少しお父さんと会話をするようになり始めたこと。「大切にしよう」という意思表示ではない。何となく。何となく……「会話をしよう」と思っただけだった。
お父さんはこの年の春、長年勤め上げた会社を定年退職していた。「一気にやることがなくなって……疲れでも出たんだろう」くらいに思っていた。
「夏風邪、引いちまったな……」
昼過ぎに病院から帰ってきたお父さんは、そのまま部屋で寝た。僕は「風邪か」くらいにしか思っておらず、特に気にすることなく、いつも生活を送る。
しかし、お父さんの夏風邪は、3日経っても4日経っても調子が良くならず、1週間経ってもキツそうだった。
「もう一回、病院行こう」
そう言って母親は、お父さんを病院へ再度連れて行く。
同じく昼過ぎに病院から戻ってきたお父さんと母親の表情は……これまでに見たことのないものだった。
「何。どうだったの」
スマホをいじりながら、帰ってきたお父さんに声をかける。
「いや、何かガンみてぇなんだよな」
現実をそむけるかのように、半笑でお父さんは答えた。母親は隣で静かに泣いていた。その場で確定したわけではなく、「極めて可能性が高い」ような感じだったらしく、大きな病院で細かく検査をしなくてはいけなくなったらしい。手には紹介状が入った封筒を持っていた。
「レントゲン撮ってもらったんだけどな」
「影があるみてぇなんだよ」
確か、こんなことを言っていたような気がする。
この日からみんなの顔から生気がなくなり、より一層家の中が静まり返るようになった。
大学に向かう電車の中で、僕はお父さんのことで涙を流した。初めてだった。
まだ検査もこれから。本当にガンなのかはその段階では何も分かってはいなかったけれど……「この世から消えてしまう」。こう思うだけで……僕は涙が止まらなかった。空いていたとはいえ、電車の中に人はいたけれど……どんどん涙が溢れ、止まらなかった。
あれだけ嫌いで、同じ家の中にいることさえ不愉快だったお父さんだったけれど……「いなくなる」と考えた途端、顔を覆うほどの涙が出るのだった。あれだけ涙を流したのは、最初で最後だと思う。
別にお父さんへの接し方が変わったわけではない。でも、少し会話をするように……この頃から変化をしていった気がする。
それから1ケ月ほど経ち、無事にお父さんの手術も終わった。ステージが何とか……と言っていた気がするけれど、あまり覚えていない。病院にお見舞いにも行ったし、話も聞いたけれど……不思議なもので、記憶にあまり残っていない。
「強いストレスがかかると、シャットアウトする」と以前どこかで聞いたことがあるけれど、もしかするとそれなのかも知れない。退院後、自宅で療養することとなった。僕の生活も特段何も変わることはなく、いつも通りに大学へ通う日々が続く。
唯一変わったことと言えば……さっきも言った通りで、少しお父さんと会話をするようになり始めたこと。「大切にしよう」という意思表示ではない。何となく。何となく……「会話をしよう」と思っただけだった。



