大学生になると、アルバイトをかなり自由にできるようになったので、家にはまったく寄り付かなくなっていった。
夜の10時、11時までアルバイトをして……そのままバイト先の同期と朝まで過ごし、そのまま電車で大学に行くこともあった。
たまの日曜日に「今日は休みなんだ」と母親に話しかけられても、僕は「うん」と返してそれ以上のことは何一ついうことはなかった。
たった一度だけ「親孝行はしておいた方が良い」とどこかで聞きつけて、お父さんと母親に「今日はおごるよ」と、地元にある中華料理屋で僕が出したことがある。お父さん、そして母親と一緒に外出したのは、後にも先にもこの時だけ。
お父さんと一緒に外に出たのも、離婚して以来だったから……9年振りくらいだったはず。別に僕は何とも思っていなかった。
この頃の僕は……何を考え、何に向かって生きていたのだろう?まったく思い出すことができない。
授業が厳しいと評判の大学に入学していたけれど、僕はアルバイト入れてしまっていて、大切なテストをすっぽかしてしまう。わざとじゃなかった。「甘い」と言われれば受け入れるしかない。
お陰で僕は留年。授業料を1年間分、余計に払うことになってしまう。
黙っているわけにもいかず、報告の際には「親に言うの面倒くさいな」としか思っていなかった。
そんな「誰にも感謝することなく、惰性で大学に通っている日常」が大きく崩れ去る出来事が起こる。それは……僕が留年をしている時。大学1年生から2年生に上がることができなかった年の……8月くらいだったと思う。
夜の10時、11時までアルバイトをして……そのままバイト先の同期と朝まで過ごし、そのまま電車で大学に行くこともあった。
たまの日曜日に「今日は休みなんだ」と母親に話しかけられても、僕は「うん」と返してそれ以上のことは何一ついうことはなかった。
たった一度だけ「親孝行はしておいた方が良い」とどこかで聞きつけて、お父さんと母親に「今日はおごるよ」と、地元にある中華料理屋で僕が出したことがある。お父さん、そして母親と一緒に外出したのは、後にも先にもこの時だけ。
お父さんと一緒に外に出たのも、離婚して以来だったから……9年振りくらいだったはず。別に僕は何とも思っていなかった。
この頃の僕は……何を考え、何に向かって生きていたのだろう?まったく思い出すことができない。
授業が厳しいと評判の大学に入学していたけれど、僕はアルバイト入れてしまっていて、大切なテストをすっぽかしてしまう。わざとじゃなかった。「甘い」と言われれば受け入れるしかない。
お陰で僕は留年。授業料を1年間分、余計に払うことになってしまう。
黙っているわけにもいかず、報告の際には「親に言うの面倒くさいな」としか思っていなかった。
そんな「誰にも感謝することなく、惰性で大学に通っている日常」が大きく崩れ去る出来事が起こる。それは……僕が留年をしている時。大学1年生から2年生に上がることができなかった年の……8月くらいだったと思う。



