「理央っ?」
突然手を引っ張られて、慌てて理央について行く。
西陽の射し込む渡り廊下を通り、ひと気のない場所へ向かう。理央は周囲を見回して、空き教室に入った。
「いつから……?」
両手を握られて、まっすぐに見つめられる。思わず顔を背けたら、片手が俺の頬に触れて、理央の方を向けられた。
「いつから、俺にドキドキしてくれてたの?」
笑顔のない真剣な表情。紅い陽に照らされた理央の顔に、今まさにドキドキさせられているけど……それは、いつからだろう……?
お祭りで告白された時……その前の、二人で撮った写真を嬉しそうに見ている理央を見た時か?
お祭りに誘われた日、初めて『凰太朗』と呼ばれた時かもしれない。
いや、理央の散々なテスト結果を見た日に、逞しく成長した体躯にドキッとした気もする。
いや……体育館裏で手を繋がれて、今みたいな真剣な表情を向けられた時が最初かもしれない。あれは、理央と再会して、僅か二日後だった。
「……再会してから、わりと早い段階で」
言葉にするのも恥ずかしいほどに、初っ端だった。
「じゃあ、俺が告白した時、どうして頷いてくれなかったの?」
「それは………………ドキドキする理由が、恋心だとは思わなかったんだよ」
成長した理央に慣れないせいかと思っていた。だって、その瞬間以外の理央は可愛かったんだから。
理央は俺の頬から手を離して、その手で口元を覆った。
「凰ちゃん、鈍くて可愛い」
「いや、それ悪口だろ」
「違うよ。昔は上手く言葉に出来ない俺のことをなんでも分かってくれてたから、余計に愛しくて……そんな凰ちゃんも大好き」
感極まった様子の理央に、きつく抱き締められる。衝撃で眼鏡がずれて、理央の肩越しの景色が歪んだ。
「俺、凰ちゃんと両想いなんだよね」
「……そうだよ」
嬉しそうな理央の声。……でも、ここできちんと言っておきたいことがあった。
「これから先、理央に好きな人が出来たら、俺のことは気にせずに教えてくれていいからな」
「……なにそれ。絶対にないから」
「仮定の話だよ」
「絶対ありえないし。凰ちゃんって、昔からどんな時でも冷静だよね」
「冷静じゃないよ……。こめん。今のは、言い方が悪かった」
不服そうな声音に寂しさが混ざり、慌てて理央の背に腕を回した。昔のようにトントンと撫でながら、言葉を探す。
「俺は……理央にずっと好きでいて貰える自信がないんだ。俺は男だし、可愛い顔立ちでもないし、服のセンスもない。運動もゲームも苦手で、本当に勉強しか取り柄がないんだ」
たとえば、眼鏡をコンタクトにしたところで顔立ちは変わらず、服のセンスが良くなるわけでもない。勉強が得意でも、勉強嫌いな理央にとってはマイナスかもしれない。
言葉にすると、胸がじわじわと痛くなる。俺には本当に、理央を繋ぎ留められる要素がないんだな……。
「凰ちゃん、泣かないで……」
理央の指に触れられて、自分が泣いていることに気付く。無意識に涙が出るほど、俺は理央のことを好きだったんだ。
その時が来たら、理央を手放せるだろうか……理央の、未来のために。
「凰ちゃんの涙、初めて見た……綺麗」
眼鏡を外されて、理央の顔が見えなくなる。あったところで、涙で滲んで見えないから変わらないか。
「凰ちゃんは、世界一可愛いよ」
柔らかい声がそう告げる。
「俺も男だけど、凰ちゃんの家に婿入りすることが決まってるよね。服は俺が選んであげるから問題ないし、運動とゲームが苦手なのは、俺がかっこいいところを見せられるチャンスだから。勉強が出来るのは、それこそ一生尊敬しかない」
俺の不安を次々に論破して、他には? と優しい声音が問う。
「俺の未来に、凰ちゃんがいないなんて考えられないよ。俺は、凰ちゃんがいないと生きていけないんだから」
……そうだ。理央はずっと言葉で伝えてくれていた。それなのに俺は、自分に自信がないとか、理央の未来のためだとか思い込んで、自分が傷付くことを避けようとしていた。それが、理央を傷付けていたのに。
「凰ちゃんにも、俺がいないと生きていけないって思って貰えるような男になるから。だから……もう二度と、俺と別れるようなこと言わないで」
「っ……ごめん、理央っ」
「ごめんじゃなくて、好きって言って」
泣きそうだった声が、拗ねたようなものに変わる。
今までみたいに、可愛い言葉遣い。理央はいつでも、俺を不安にさせないようにしてくれていたんだ。
「……好き」
胸の奥から込み上げる想いが、溢れて、零れる。
「理央のことが、好きだ」
どうして今まで抑えておけたんだろう……こんなにも、溢れてしまうのに。
「俺も、凰ちゃんだけが好きだよ」
温かく力強い腕に抱き締められて、ますます想いも、涙も溢れて、止まらなかった。
◇◇◇
「平瀬君は、毎回臆せずに三年の教室に来るよな〜」
岡本がそう言って苦笑する。
恋人になった翌日から、理央は昼休みを俺の教室で過ごすようになった。最初の二日間は女子たちが理央に話しかけていたけど、あまりの塩対応に負けて諦めたみたいだ。
「凰ちゃんのいる場所が、俺の居場所なので」
俺に向かって微笑むと、女子たちがざわつく。否定的なものじゃなく、理央の笑顔に対する黄色い声だ。
「平瀬君、忠犬で愛しい〜っ」
「他の女に取られるよりはいいよね」
こんな感じで、俺に対する敵意も嫌悪もない。俺たちが恋人同士だと言ったらどうなるか分からないけど……でもそれはあえて告げることじゃないからと、理央にも口止めしていた。
「やだわぁ〜、平瀬君ってば、本当に忠犬〜」
「……この岡本って人、邪魔なんですけど」
「岡本先輩な〜?」
あんなに怖がっていたのに、今や岡本は、理央をからかうようになっていた。仲良くなってくれて嬉しいけど、理央が毎回岡本を睨むからちょっと申し訳ないんだよな。
「なんかごめんな、岡本」
「ほらほら、平瀬君のせいで坂口が謝ってるぞ~」
「ごめん、凰ちゃん……先輩もすみませんでした。邪魔だなんて本当のこと言って」
「謝る気ゼロで、いっそ清々しいな」
岡本は気にした様子もなく、明るく笑い飛ばした。
「あんまり他人に冷たい態度取ってると、明るくて優しい俺が坂口のこと奪っちゃうぞ〜?」
そんなことを言ってニヤニヤと笑う。もしかして岡本も、理央の社交性を心配してくれているのか?
そうだよな……俺は卒業するし、今の友達ともクラスが離れたら、理央は孤立するかも……。
「理央」
心配だから俺からも言おうとしたら、理央は……何故か、底冷えのする笑顔を浮かべていた。
「凰ちゃんに好きな人が出来たら絶対に阻止するから、覚悟してて」
え……覚悟って、何を……?
……と、言葉にしてはいけない気配を感じる。
そのうちに理央の顔が近付いてきて、額にキスをされた。
「理央っ……」
女子たちの叫びが響き渡る。みんなに言うつもりはないって言ったのに、今のでバレたじゃないかっ……。
「大丈夫だよ。俺が凰ちゃんのこと大好きなのは、みんな知ってるから」
「うわー、牽制えぐいって」
岡本が笑い飛ばしてくれたから、変な空気にならずに済んだ。でも、ホッとしたのも束の間。理央の目、笑ってないな……?
「凰ちゃん。ずっと俺のことだけ好きでいて」
俺の手を取り、理央は再会した当初のような甘えた仕草を見せる。
俺には、理央を引き留められる要素がない。理央はいつか離れていく。……なんて、まったくの杞憂なんじゃないか?
そう思い知らされた時、今度は理央の唇が、俺の左手の薬指にそっと触れた。
-END-
