それから一ヶ月が経った。
今年は例年より早い梅雨明けで、七月に入った途端にぐっと気温が上がった。うちの学校は教室に冷房があるから、勉強に支障はない。
設置した当初はこんなに早い時期から稼働させることはなかったのに、と先生が苦笑していて、たった数年でこんなに気温が上がったなら、これから先どうなるんだろう? と心配になる。
岡本とそんな話をしながら次の教室に移動していると、渡り廊下の向こうから、理央とクラスメイトたちが歩いて来ていた。その中の一人が、みんなにスマホの画面を見せている。
「日曜にこの神社のお祭り行かん?」
「ライトアップ綺麗〜。理央君、ここで写真撮ろー」
「人混みだるい」
「とか言って、坂口センパイとは行くくせにー」
「それは当然」
理央の顔は見るからに気怠そうで、でもクラスメイトは気にする素振りもない。積極的に交流する気がないのは少し心配だけど……そんな理央がみんなに受け入れられてるならいいのかな。
俺に気付いた理央は、クラスメイトの輪の中心から出て俺のそばに駆け寄ってくる。
「凰ちゃん。日曜に、隣駅の神社のお祭りに行かない? ライトアップが綺麗なんだって」
ええっ、それさっき理央が誘われてなかった?
「センパーイ。理央が一緒に写真撮りたいらしいっす」
「思い出作りたいらしいよー」
クラスメイトたちは不快な顔もせず、行ってあげて、と笑顔で俺に言う。
「理央君、ここで写真撮って送ってよー」
「やだ」
「理央君とセンパイとか、バズりそうじゃん」
「凰ちゃんは俺のだから駄目」
「じゃあ、理央君だけ」
「俺は凰ちゃんのだから駄目」
「それは知ってたー」
あまりにテンポのいい会話。これって、理央、人見知り治ってるんじゃないか?
「理央、俺ら先行くな」
「凰ちゃんセンパイ、またねー」
「だから、呼ぶな」
ムッとする理央にクラスメイトたちは楽しげに笑って、廊下を歩いて行った。
「騒がしくてごめんね」
「楽しい人たちだね。理央が友達と仲良さそうで安心したよ」
「友達じゃないし仲良くもない」
「そう言えるところが仲いいんだって」
今の言葉を聞いても、彼らは気にしないんだろう。本当にいい人たちだと思う。
「でも、友達は理央と行きたくて誘ってたのに、良かったのかな……」
「大丈夫だよ。……多分あいつら、凰ちゃんに気付いててあの話したんだと思う」
「そっか。いい友達だね」
「情報提供は助かるけど友達ではない」
ツンとして言うから、ついクスリと笑ってしまった。理央が自然体でいられるほどの友達が出来て、本当に良かった。
「俺が凰ちゃんって呼ぶから真似するのかな」
理央は突然深刻な顔をする。
「凰太朗」
「っ……元の呼び方でいいよ」
まっすぐに見つめられたまま名前を呼ばれて、心臓が変な跳ね方をした。
「凰ちゃん、ドキッとしてくれた?」
「……まぁ、今のは」
「やった」
嬉しそうにする理央は、いつも通り可愛い。最近、時々大人っぽい顔をするから調子が狂うんだよなぁ……。
「えー、坂口君、平瀬君。そろそろ次の授業が始まりますよ」
「あ、本当だ。岡本、なんでそんな話し方?」
「親しげにすると、平瀬君が怖いのですよ」
「理央が?」
視線を向けても、理央は穏やかに微笑んでいる。
「俺はただのクラスメイトですよ。敵ではないので」
岡本は明るい奴だし、和ませようとしてくれてるのかな? 理央にとっては先輩だし、背も高くてちょっとマッチョだからな。
「あ。日曜、その神社の前で待ち合わせでもいい?」
「うん。ありがとう、凰ちゃん。お祭りの詳細、後で送るね」
パッと満面の笑みになる理央に見送られて、俺たちは次の教室に向かった。
◇◇◇
「凰ちゃん……綺麗」
お祭りの当日。せっかくだから、浴衣を着てみた。そしたら理央からの褒め言葉は、綺麗、だった。
今までの人生で一度も言われたことがない。なんの変哲もない紺色の浴衣だけど、これのことかな? でも、そういえば、再会した時にも同じことを言われたなと思い出す。
「浴衣を着て来てくれたの、俺のため?」
「そうだよ。理央が喜ぶかなと思って」
「嬉しい。感激。凰ちゃん、大好き」
写真撮っていい? とソワソワする姿に、俺まで嬉しくなる。
……ん? 喜ぶかなって、俺、自意識過剰じゃないか?
でも実際に理央は喜んでくれたし、ちょっとくらい自意識過剰になってもいいのかもしれない。まだ神社の入り口なのに、二人一緒の写真も撮った。理央がそれを待ち受け画面にしたいと言うから、いいよと言ったら、早速設定して嬉しそうに画面を見つめる。
その横顔が、本当に嬉しそうで……いとおしそうな表情をするから、俺の心臓はまた妙な感じに跳ねる。ドキドキするというか、きゅうっと締め付けられるような心地。
「……行こうか。焼きそば食べたいな」
「うん。屋台の焼きそばってどうしてあんなに美味しいんだろうね」
なんとなくソワソワしてしまって、理央に背を向けて屋台の方に向かう。理央は優しい声でそう言いながら、すぐに俺の隣まで追いついた。
「凰ちゃん、苺飴も好きそう」
「今の屋台って、林檎飴だけじゃなくて苺もあるのか」
「ブドウとか他の果物もあるよ」
「すごいなぁ。お祭りって、子供の頃に理央と行ったきりだから知らなかったよ」
「俺もだよ。今日のために、凰ちゃんの好きそうなところを色々調べたんだ」
「そっか。ありがとな」
いつも通りにお礼を言ったつもりなのに、妙にソワソワする。理央が俺のために調べてくれたことが、いつも以上に嬉しい。
ふと、待ち合わせ場所に着いた時のことを思い出す。
理央は、大学生くらいの綺麗な女性たちに囲まれていた。多分、彼女たちからナンパされていたんだろう。理央は大人っぽくて、すごくかっこいいから。ラフな格好でもモデルのように目立つことに改めて気付かされた。
クラスの女の子たちと一緒にいる時は微笑ましく思ったのに……きっとそれは、彼女たちが理央を自分のものにしようとしていなかったからだ。
「理央は俺のものじゃないのに……」
小さな呟きは、雑踏の中に消える。きっと聞こえても理央は、俺は凰ちゃんのものだよ、と答えるんだろう。でも、理央も、俺も、もう小さな子供じゃない。
「凰ちゃん、大丈夫?」
無意識に視線を落としていた俺の顔を、理央が心配そうに覗き込む。理央もこんなに大きくなった。そのうち彼女が出来て、俺から離れて行くんだろう。その時は、寂しがらずに手を離してやらなきゃな……。
「大丈夫だよ。ちょっと眼鏡の汚れが気になっただけ」
そう言って誤魔化すと、理央は俺の手を取って道の端に移動する。人にぶつからないように俺の前に立ってくれるから、紳士だなぁ、と冗談めかして笑ってみせた。
特に汚れていない眼鏡を外して眼鏡拭きでレンズを拭くと、理央が俺の顔を覗き込んでくる。
「凰ちゃんの顔、好きだな……」
「っ……そうか?」
「うん。綺麗で、好き」
また綺麗だと言って、間近で俺の顔を見つめる。
「眼鏡をしてても綺麗でかっこいいけど、少しでも隠したい」
「……かっこいい理央に言われても」
「ありがとう、凰ちゃん」
俺は動揺したのに、理央は爽やかに笑って礼を言う。この五年で、心までイケメンになったな……。
「眼鏡をかけても好きだよ」
俺が眼鏡をかけると、そんなことを言って俺の手を取る。そのまま歩き出そうとするから、この歳で手を繋ぐのは……と戸惑ったものの、嬉しそうな理央の顔を見ると、何も言えなくなってしまった。
