次の日。教室に入るなり、岡本(おかもと)がまっすぐに俺のところに来た。

坂口(さかぐち)……理央(りお)君ってなんかヤバくない? ヤンデレってか……」

 岡本はヒソヒソと俺に囁く。理央がヤンデレ……というには、病んでいる感じはないんだよな。あの態度には理由があるわけだし。

「理央君って呼ぶの怖いし、坂口弟って呼ぼ……」

 何が怖いのか、そんなことを言った。

「俺もあの態度には驚いたけど、理央って昔から人見知りだったんだよ」
「ん? それ関係なくない?」
「昔は小柄だったし、周りが大きくて怖かったのが、怖くなくなっただけかも。今も人見知りしてて上手く話せないだけかもしれない」
「いや、坂口、それは……」
「そうだよ。俺、(おう)ちゃん以外とは上手く話せないんだ」
「うわっ! 坂口弟!?」
「俺は弟じゃないので、平瀬(ひらせ)と呼んでください」
「お、おう、平瀬な……」

 岡本は乾いた笑いを返しながら、ススッと自分の席に戻って行った。

「凰ちゃん、俺の部屋にノート忘れてたよ。今日使うのかなと思って」
「え? ……本当だ。ありがとうな、理央。助かった」

 お礼を言うと、理央が頭を差し出してくる。今ここで? と思ったけど、理央がいいならと頭を撫でる。

「凰ちゃんのおかげで、今日一日頑張れそう。ありがと」
「それなら良かった。勉強頑張れよ」

 うん、と嬉しそうに笑って、理央は教室を出て行った。


「坂口弟って呼んだ方が怖かったわ……」
「なんかごめんな」

 ススッと俺のところに戻って来た岡本が、ぶるっと身体を震わせた。すると、その隣からクラスメイトが次々に顔を出す。

「坂口君っ、噂の新入生とどういう関係っ?」
「噂?」
「すごいイケメンが入ってきた、って噂だよっ」

 そんな噂が……立つだろうなぁ。俺も再会した時、モデルかスポーツ選手かって思ったし。

「幼馴染だよ」
「やっぱり! 友達にしてはタイプ違うなって思ってた!」

 そうだろうな。理央は芸能人で、俺は国語教師らしいから。制服のオシャレっぽい着こなしとか髪のセットとか、全然分からないもんな。

「平瀬君って彼女いるのっ?」
「……多分、いないと思う」
「やったぁ!」
「やったーって、アンタが付き合えるわけじゃないって」
「そんなのわかんないじゃん!」

 ごめん。いないと思ったけど、クラスメイトの中にいるかもしれない。次に会ったら聞いてみるよ。

「無理だと思うよ〜。坂口弟……じゃない、平瀬君って、坂口以外の奴はどうでもいいって言ってたし」

 ……岡本よ。何故そんな、自ら彼女たちの地雷を踏むようなことを。

「はぁ!? 岡本には聞いてないんだけど!?」
「坂口君って平瀬君とどんな関係!?」
「幼馴染だよ……」

 どうと言われても、それ以外にない。

「ただ、理央は人見知りだから、あまりグイグイいかないで欲しいんだけど……」

 荒れてた時代の名残らしい昨日の対応を見る限り大丈夫そうだけど、内心では怖がっているかもしれない。

「えっ、なにそれ可愛いっ」
「平瀬君、人見知りなんだぁ。じゃあ二人きりで話さなきゃ」

 また女子たちが騒ぎ始める。


『ごめん、理央。うちのクラスの女子たちが告白に行くかも……しばらくひとりにならないで』


 思わずそんなメッセージを送ったら、すぐに返信がきた。


『ありがとう、凰ちゃん。うちのクラスの女たち強いから、壁にするよ』


 女子ではなく、女たち。予測変換、間違えた?
 首を傾げたところで先生が来て、ごめん、のスタンプだけを送ってスマホをしまった。


◇◇◇


「凰ちゃんが謝ることないのに」

 放課後。理央が指定した待ち合わせ場所の体育館裏に着いた途端、不機嫌にそう言われた。

「凰ちゃんに謝らせた女たちに怒ってる」

 ……なんか、女子たちには悪いけど、拗ねた理央って本当に可愛いな……。つい理央の頭を撫でてしまう。

「それは本当に俺が悪いんだ。理央に彼女がいるかって聞かれた時に、いるって答えていたら良かったんだけど……彼女、いないよな?」
「彼女はいないけど、好きな人はいるよ」
「えっ……理央に聞いてみるよ、って答えれば良かった……」

 そしたらこんな、女子たちを避けて体育館裏で待ち合わせなんてさせなくて済んだのに。思わず溜め息をつくと、理央が俺のすぐ近くまで来る。

「凰ちゃんのことが、好き」
「は……」
「好きだよ」

 顔を上げると、真剣な眼差しが俺に注がれていた。
 理央の手が、俺の手を握る。昔とは違う、大きくて男らしい手。

「理央……?」

 好きって……どういうこと?
 俺たちは男同士だし、いつもの、懐いてくれている意味の好きだよな?

 でも……理央のこんな顔、見たことがない。
 もし本当だとして、俺は、どう返したらいい?

 見たことのない表情を前に、目を逸らすことも出来なくなる。


「俺……なんでも出来て、なんでも知ってて、優しくてかっこいい凰ちゃんにずっと憧れてたんだ。今も凰ちゃんのことが、大好き」

 手を離した理央は、再会した日のような可愛さのある笑顔を見せた。

「ごめん。凰ちゃんのことが好きすぎて、真剣な顔になっちゃった」

 眉を下げて笑う理央。懐いてくれている、憧れてくれている意味の、好きだったのか……。なんだ、そっか……。

「……まったく、お前は。その顔で見つめられたら、女子たちは勘違いするぞ。気を付けろよ?」
「しないよ。凰ちゃん以外の顔なんて見たくもない」

 いやそれ、爽やかに笑って言うことじゃない。でも、思っていることを言えずに遠慮していた頃に比べたら、いい方向に変わったんだ。喜ぶべきことだよな。

 理央なら、彼女が出来たら一途そうだし……そしたらこんな風に懐いてくれなくなるのかな……応援はするけど、ちょっと寂しい。


「凰ちゃんは?」
「ん?」
「彼女、いるの?」
「いないよ。受験生だし、そういうのは大学に入ってからかな」

 高一の時にいたのはいたけど、やっぱり友達のままがいいね、と言われて、俺もその方が居心地がいいと思ったから円満に別れた。彼女とはクラスが別になった今も、勉強や友人のことを相談し合える仲だ。

「……ても」
「ん?」
「大学生になっても、俺と毎日一緒にいて」

 理央の手が、俺の服を掴む。まるで捨て犬のように俺を見つめるから、愛おしくてたまらなくなる。

「ますます甘えん坊になったなぁ。毎日は難しいけど、卒業しても一緒にいるよ」

 思わず頭を撫でると、もう子供じゃないよ、と言いながらも心地よさそうに目を閉じた。