いつもの電車のいつもの車両にはブチしか居なかった。
良樹はこの電車を避けたのか、今日も休むのかわからない。
「おはよう。良樹から聞いたよ」
「うん」
「LINEだったから詳しく書かれてはいなかったけど、本当に引っ越すのか?」
ブチは俺の顔をチラチラと見ながら遠慮がちに話す。
俺に気を遣っていていつものブチの調子ではない。
「みたいだな……」
「まさか、俺が話していたことが現実になるとは思わなかった。大丈夫か?晴矢。昨日よりももっとげっそりしているぞ」
「大丈夫も何も、仕方ないだろ。親が決めたことなら」
「……ちゃんと良樹と話し合ったか?」
「……話は聞いた」
淡々と受け答えする俺にブチはこれ以上話しかけてはこなかった。
去年の今頃は、ブチとりっちゃんとの事で喧嘩していたことを思い出す。
「もう、衣替えだなー。ブレザーじゃ暑いや」
俺は電車の窓から流れる雲を見ながら独り言をつぶやいた。
🔸🔸🔸
教室に入ると既に良樹は席に座っていた。
やっぱり俺たちが乗っている電車を避けたのか。
「おはよう」
俺は普通に挨拶をする。
良樹は軽く頷き、来週から始まる中間テストに向けて休んだ一週間分を取り戻すためなのか教科書を広げている。
ブチはそんな俺と良樹を見て、わざとらしくお手上げのようなジェスチャーをしてみせる。
俺は苦笑いしか出てこなかった。
「良樹、テスト大丈夫か?先週分の授業まとめてやろうか?」
三時間目が始まる前、ブチは良樹の席にきて話している。
勉強に関してはブチの右に出る奴はいない。
俺も良樹も順位的には上位には入るが、三年間トップの座を譲らないブチとは比べ物にならない。
「わりいな。ブチのノート見やすいから助かる」
「いいって、いいって。俺が頼られるのって勉強ぐらいだし。お礼は何でもいいよ」
「ありがとう。何でも好きなもの奢ってやる」
ブチは満足そうに笑うと自分の席に戻って行った。
二人の会話を耳だけで聞いていた俺だが、良樹の視線が相変わらず俺に向いていることはわかっていた。
でも振り向いて話す気力はない。
昼休み、良樹の姿はなかった。
俺とブチが弁当を広げて待っていても戻ってくる気配はなく、俺は食べ始めた。
「晴矢、冷たいな。いつもなら俺が先に喰い始めるのに」
「喰えばいいじゃん」
「良樹が居ないのは気にならないのかよ?」
「今朝だって居なかったし、一緒に喰いたくないんだろ」
「お前ら喧嘩したの?それともお前だけが拗ねているの?どっち?」
「な……何の話だよ」
「だって不自然じゃん。超不自然じゃん。あいつが連絡できなかった理由もわかったし、この学校辞めるかもしれないことも知ったうえで、そういう態度取るか?っていうか、そういう態度でいいの?」
ブチの正論に反論するカロリーが無かった。
「時間無いぞ……本当に居なくなっちゃうぞ。あいつが居なくなっても俺に頼るなよ。俺には出来ることと出来ないことがあるからな!」
「昔からブチに頼ったことなんてないけど」
「そういう話じゃなくって!ああ、イライラする!」
「お前がイライラすることじゃないだろ」
「目のクマが日に日に濃くなるほど思い悩んでいた奴がこうも開き直れるものなのか?俺には理解できない!」
「じゃあ、お前がすがればいいじゃないか!良樹にそう言えばいいだろ!」
「お前がすがりたいんだよな!すがって、懇願して行かないでって本当は言いたいんだよな!」
「……」
「素直になれよ、晴矢―。すがるなんて俺一言も言ってないし、そんな単語まるで頭に浮かばなかったよ……だって良樹は親友だけど、俺がすがりたい相手じゃないからさ。お前の本心が出たんだよ。心に蓋をするのは止めてさあ、自分の気持ちを良樹にぶつけろよ」
ブチは昔からそうだ。
誰よりも早く真実に到達する。
俺が悩んでいる時、迷っている時、最終的に背中を押してくれるのはいつもブチだった。
俺は涙が出そうになるのを必死で抑えた。
顔を上げることが出来ずに黙々と箸を動かす。
ブチは俺の頭をコツンと叩くと弁当を食べ始めた。
🔸🔸🔸
中間テストを一週間後に控えて部活は休みだ。
良樹はさっさと席を立つと帰って行った。
俺は追いかけることをせずに、職員室に向かった。
担任に良樹が本当に学校を辞めるのか確認したくて。
「ああ、手島か。先野は仲良かったのに聞いていないのか?」
「先週、休んでいたので」
「お母さんの話だと、向こうの学校へは9月から通うという事で話し合っているみたいだぞ。あ、確かその前に体験入学で夏休みはずっとタイに居るって聞いたな」
「じゃあ、夏休み前に辞めるんですか?」
「その方向で話しているけど、まだ本決まりではない。先野だから話したけど、今はこの手の話は個人情報にあたるから本来はオープンにしてはいけないんだけどな」
「教えてくださって、ありがとうございます」
俺はお礼を言って、職員室を出た。
夏休み前に辞めるなら後、一ヶ月。
一ヶ月で何が出来るのか……
🔸🔸🔸
家に帰るとキーちゃんが居た。
「ただいまー」
「お帰り。昨日大丈夫だった?ごめんね、一人にして」
「うん、大丈夫だよ。慣れているし」
「良かった。お夕飯食べましょう」
「着替えてくるね」
俺は着替えながらキーちゃんに相談しようか迷っていた。
でも俺一人では答えが出せなかったから、大人に頼りたい。
大人に振り回されてはいるけど、解決策を出してくれるかもと期待したかった。
「なんか、ますます目の下のクマがひどくない?僕のコンシーラーで消してあげたいわ」
「こ、コンシー何?」
「化粧品。クマとかシミとか皺とか隠すのよ。相変わらず良樹くんから連絡はないの?」
俺は昨日のことを全てキーちゃんに話した。
俺が素直になれない事も。
「難しいね……未成年だし、ご両親の意向は絶対でしょう。でも良樹くんは絶対に行きたくはない。晴矢くんと離れたくないわよね」
「だから俺も良樹には何も言えないよ……。ブチには心に蓋をするのは止めて自分の気持ちを良樹にぶつけろって言われけど。ぶつけられた良樹だって答えは出せないでしょ?」
「なんか、青春だねー。親友同士でそんな熱い会話しているのね!いいなー僕も混ぜて欲しい」
「キーちゃん!」
「ごめん、ごめん。良樹くんのご両親は東京で良樹くんの面倒をちゃんと見てくれる人がいるなら、無理にタイに連れて行かなくてもいいって考えていらっしゃるのよね?」
「たぶん……でもおじさんは大阪の人だし、おばさんは大分だし、全然親戚は東京には居ないって言っていた」
キーちゃんは一点を見つめ眉間にしわを寄せて何か考えていた。
沈黙がかなり続き、結局大人でも答えは出せないのかと諦めかけていた。
「……じゃあ、ここに住めばいいじゃない」
「え!ここって、このウチ?」
「そうそう。晴矢くんが居るし、宗さんもいるし、何なら僕も居るし。部屋はたくさんあるし、三食プラスお弁当も用意してくれるし。下宿先としてはホテル並みのホスピタリティだと思うけど」
目から鱗だった!
確かに、今は父さんもキーちゃんも俺の面倒をちゃんと見てくれている。
良樹のことだって責任もって預かれる。
「そんなこと出来ると思う?」
「出来るでしょ!まあ、良樹くんのご両親が宗さんのダメダメ親父だった過去を知らなければの話だけどね」
「でも、良樹は知っているよ」
「それは昔の事で、今は一緒にたい焼き食べる仲なわけでしょ?」
「そうそう、たい焼き。すごいキーちゃん。すぐに答えを出してくれた。やっぱりキーちゃんに相談して良かった。ホントにありがとう」
俺は箸を置いて、頭を下げた。
「やめてよ、そういうの。愛する晴矢くんの為だもん、僕のこの空っぽな頭で考えられた最良の策だとは思うけど。後は良樹くんのご両親を説得する必要があるわね」
「おじさん達はダメって言うかな?」
「宗さんって、あの学校でかなりの貢献者だって知っていた?」
「父さんが?」
「毎年、かなりの寄付をしているのよ。その寄付金で体育館が整備されて、図書館もリニューアルしているって聞いたけど」
「知らない。だって父さんは学校行事とか全く来なかったし」
「だから間接的に晴矢くんが学校で快適に過ごせるように寄付をしていたと思うよ。世間的には宗さんの人望って厚いみたいだから、良樹くんのご両親も信用されるような気がするな」
たった一日で状況がこんなに変わるとは思ってもいなかった。
本当に一緒に過ごすことが出来るのか?
良樹はそれを望んでくれるのか?
良樹はこの電車を避けたのか、今日も休むのかわからない。
「おはよう。良樹から聞いたよ」
「うん」
「LINEだったから詳しく書かれてはいなかったけど、本当に引っ越すのか?」
ブチは俺の顔をチラチラと見ながら遠慮がちに話す。
俺に気を遣っていていつものブチの調子ではない。
「みたいだな……」
「まさか、俺が話していたことが現実になるとは思わなかった。大丈夫か?晴矢。昨日よりももっとげっそりしているぞ」
「大丈夫も何も、仕方ないだろ。親が決めたことなら」
「……ちゃんと良樹と話し合ったか?」
「……話は聞いた」
淡々と受け答えする俺にブチはこれ以上話しかけてはこなかった。
去年の今頃は、ブチとりっちゃんとの事で喧嘩していたことを思い出す。
「もう、衣替えだなー。ブレザーじゃ暑いや」
俺は電車の窓から流れる雲を見ながら独り言をつぶやいた。
🔸🔸🔸
教室に入ると既に良樹は席に座っていた。
やっぱり俺たちが乗っている電車を避けたのか。
「おはよう」
俺は普通に挨拶をする。
良樹は軽く頷き、来週から始まる中間テストに向けて休んだ一週間分を取り戻すためなのか教科書を広げている。
ブチはそんな俺と良樹を見て、わざとらしくお手上げのようなジェスチャーをしてみせる。
俺は苦笑いしか出てこなかった。
「良樹、テスト大丈夫か?先週分の授業まとめてやろうか?」
三時間目が始まる前、ブチは良樹の席にきて話している。
勉強に関してはブチの右に出る奴はいない。
俺も良樹も順位的には上位には入るが、三年間トップの座を譲らないブチとは比べ物にならない。
「わりいな。ブチのノート見やすいから助かる」
「いいって、いいって。俺が頼られるのって勉強ぐらいだし。お礼は何でもいいよ」
「ありがとう。何でも好きなもの奢ってやる」
ブチは満足そうに笑うと自分の席に戻って行った。
二人の会話を耳だけで聞いていた俺だが、良樹の視線が相変わらず俺に向いていることはわかっていた。
でも振り向いて話す気力はない。
昼休み、良樹の姿はなかった。
俺とブチが弁当を広げて待っていても戻ってくる気配はなく、俺は食べ始めた。
「晴矢、冷たいな。いつもなら俺が先に喰い始めるのに」
「喰えばいいじゃん」
「良樹が居ないのは気にならないのかよ?」
「今朝だって居なかったし、一緒に喰いたくないんだろ」
「お前ら喧嘩したの?それともお前だけが拗ねているの?どっち?」
「な……何の話だよ」
「だって不自然じゃん。超不自然じゃん。あいつが連絡できなかった理由もわかったし、この学校辞めるかもしれないことも知ったうえで、そういう態度取るか?っていうか、そういう態度でいいの?」
ブチの正論に反論するカロリーが無かった。
「時間無いぞ……本当に居なくなっちゃうぞ。あいつが居なくなっても俺に頼るなよ。俺には出来ることと出来ないことがあるからな!」
「昔からブチに頼ったことなんてないけど」
「そういう話じゃなくって!ああ、イライラする!」
「お前がイライラすることじゃないだろ」
「目のクマが日に日に濃くなるほど思い悩んでいた奴がこうも開き直れるものなのか?俺には理解できない!」
「じゃあ、お前がすがればいいじゃないか!良樹にそう言えばいいだろ!」
「お前がすがりたいんだよな!すがって、懇願して行かないでって本当は言いたいんだよな!」
「……」
「素直になれよ、晴矢―。すがるなんて俺一言も言ってないし、そんな単語まるで頭に浮かばなかったよ……だって良樹は親友だけど、俺がすがりたい相手じゃないからさ。お前の本心が出たんだよ。心に蓋をするのは止めてさあ、自分の気持ちを良樹にぶつけろよ」
ブチは昔からそうだ。
誰よりも早く真実に到達する。
俺が悩んでいる時、迷っている時、最終的に背中を押してくれるのはいつもブチだった。
俺は涙が出そうになるのを必死で抑えた。
顔を上げることが出来ずに黙々と箸を動かす。
ブチは俺の頭をコツンと叩くと弁当を食べ始めた。
🔸🔸🔸
中間テストを一週間後に控えて部活は休みだ。
良樹はさっさと席を立つと帰って行った。
俺は追いかけることをせずに、職員室に向かった。
担任に良樹が本当に学校を辞めるのか確認したくて。
「ああ、手島か。先野は仲良かったのに聞いていないのか?」
「先週、休んでいたので」
「お母さんの話だと、向こうの学校へは9月から通うという事で話し合っているみたいだぞ。あ、確かその前に体験入学で夏休みはずっとタイに居るって聞いたな」
「じゃあ、夏休み前に辞めるんですか?」
「その方向で話しているけど、まだ本決まりではない。先野だから話したけど、今はこの手の話は個人情報にあたるから本来はオープンにしてはいけないんだけどな」
「教えてくださって、ありがとうございます」
俺はお礼を言って、職員室を出た。
夏休み前に辞めるなら後、一ヶ月。
一ヶ月で何が出来るのか……
🔸🔸🔸
家に帰るとキーちゃんが居た。
「ただいまー」
「お帰り。昨日大丈夫だった?ごめんね、一人にして」
「うん、大丈夫だよ。慣れているし」
「良かった。お夕飯食べましょう」
「着替えてくるね」
俺は着替えながらキーちゃんに相談しようか迷っていた。
でも俺一人では答えが出せなかったから、大人に頼りたい。
大人に振り回されてはいるけど、解決策を出してくれるかもと期待したかった。
「なんか、ますます目の下のクマがひどくない?僕のコンシーラーで消してあげたいわ」
「こ、コンシー何?」
「化粧品。クマとかシミとか皺とか隠すのよ。相変わらず良樹くんから連絡はないの?」
俺は昨日のことを全てキーちゃんに話した。
俺が素直になれない事も。
「難しいね……未成年だし、ご両親の意向は絶対でしょう。でも良樹くんは絶対に行きたくはない。晴矢くんと離れたくないわよね」
「だから俺も良樹には何も言えないよ……。ブチには心に蓋をするのは止めて自分の気持ちを良樹にぶつけろって言われけど。ぶつけられた良樹だって答えは出せないでしょ?」
「なんか、青春だねー。親友同士でそんな熱い会話しているのね!いいなー僕も混ぜて欲しい」
「キーちゃん!」
「ごめん、ごめん。良樹くんのご両親は東京で良樹くんの面倒をちゃんと見てくれる人がいるなら、無理にタイに連れて行かなくてもいいって考えていらっしゃるのよね?」
「たぶん……でもおじさんは大阪の人だし、おばさんは大分だし、全然親戚は東京には居ないって言っていた」
キーちゃんは一点を見つめ眉間にしわを寄せて何か考えていた。
沈黙がかなり続き、結局大人でも答えは出せないのかと諦めかけていた。
「……じゃあ、ここに住めばいいじゃない」
「え!ここって、このウチ?」
「そうそう。晴矢くんが居るし、宗さんもいるし、何なら僕も居るし。部屋はたくさんあるし、三食プラスお弁当も用意してくれるし。下宿先としてはホテル並みのホスピタリティだと思うけど」
目から鱗だった!
確かに、今は父さんもキーちゃんも俺の面倒をちゃんと見てくれている。
良樹のことだって責任もって預かれる。
「そんなこと出来ると思う?」
「出来るでしょ!まあ、良樹くんのご両親が宗さんのダメダメ親父だった過去を知らなければの話だけどね」
「でも、良樹は知っているよ」
「それは昔の事で、今は一緒にたい焼き食べる仲なわけでしょ?」
「そうそう、たい焼き。すごいキーちゃん。すぐに答えを出してくれた。やっぱりキーちゃんに相談して良かった。ホントにありがとう」
俺は箸を置いて、頭を下げた。
「やめてよ、そういうの。愛する晴矢くんの為だもん、僕のこの空っぽな頭で考えられた最良の策だとは思うけど。後は良樹くんのご両親を説得する必要があるわね」
「おじさん達はダメって言うかな?」
「宗さんって、あの学校でかなりの貢献者だって知っていた?」
「父さんが?」
「毎年、かなりの寄付をしているのよ。その寄付金で体育館が整備されて、図書館もリニューアルしているって聞いたけど」
「知らない。だって父さんは学校行事とか全く来なかったし」
「だから間接的に晴矢くんが学校で快適に過ごせるように寄付をしていたと思うよ。世間的には宗さんの人望って厚いみたいだから、良樹くんのご両親も信用されるような気がするな」
たった一日で状況がこんなに変わるとは思ってもいなかった。
本当に一緒に過ごすことが出来るのか?
良樹はそれを望んでくれるのか?

