あの日から良樹は学校を休んでいる。
 担任は病欠ではなく家の都合で一週間学校には来られないと全員の前で理由を言った。
 日に日に、俺の目の下のクマが濃くなり、やつれていくのを見てブチが真剣に心配してくれている。

「晴矢、お前も休めよ。マジで死にそうで俺は良樹よりもお前の方が心配でどうにかなりそうだ」
「大丈夫だよ。意外としぶといから」
「相変わらずガン無視状態か?」
「ああ、ガン無視もガン無視。もうあいつの中には俺という存在はいないんだろ」

 自虐的に言っている自分が空しくなる。
 毎晩、泣いているなんて絶対ブチには言えない。
 ずっと俺を守るとか、ずっと一緒に居るって言ったのはどいつだよ!
 夏休みは二人で旅行に行く予定じゃなかったのかよ!
 勝手に期待させておいて、勝手に手を引っ込める。
 ズルい大人のやり方と一緒だ。

「でもさ、家の都合っていうのが気になるよな。あいつの意志では無いってことだろ?」
「わかんないよ。表向きそう言っているだけかも」
「だったら余計に心配じゃね?いきなり学校辞めるとかないかな?」

 ブチの予想外の言葉に驚く。
 そこまで最悪の考えには及んでいなかった。
 え、良樹が本当に俺の前から消えてしまうのか?

「あいつのお父さんって、商社だったよな?三、四歳の時にどっか海外に居たって言ってたじゃん。ってことはまた海外赴任とかそういうこともありえない話じゃないよな?」
「まさか!そんな急に決まる話なのか?」
「だから、夏休み明けとかさ。父親だけ先に行って、家族はキリがいい所で引っ越しとか。そういうのを聞いたことあるよ」

 ブチが言うことに信ぴょう性が帯びてきた。
 だからって俺を無視することとはイコールにはならない。

「晴矢はともかく、俺まで無視される理由はないよな……」
「そうだよ。ブチを無視して何の得があるんだよ」
「ほんそれ」

 高木の件はケリが着いたのに。
 良樹と高木が揉めている動画も高木が学校を辞めたことで、忘れ去られているというのに。
 何が問題なんだよ……

 🔸🔸🔸

 駅に着くとキーちゃんからLINEが入ってきた。
 どうしても店に行かなくてはいけなくなったという伝言。
 俺が元気のないことを心配して、ここ最近はキーちゃんか父さんが必ず家に居てくれた。
 いつも一人で帰ってきて、一人で飯を喰っていたことが信じられないくらい、常に家の中に人が居る。
 でも今日は一人ぼっちだ。
 父さんは九州に出張していて明後日じゃないと戻らない。

 さっさと飯喰って寝ようと思いながら歩いていると、家の前に人影が見えた。
 高木の件以来、俺は敏感になっていてつい足を止めてしまう。
 このまま駅の方へ戻ろうかと思っていたが、よく見ると誰かのシルエットに似ている。
 あんなに背が高い人は一人だけだ!

「良樹!」

 俺は止まったまま呼んだ。
 良樹が振り返る。
 俺は今までガン無視していたくせにという怒りと、会えて嬉しいという気持ちが交錯してなかなか一歩が踏み出せなかった。
 俺が涙にくれていた一週間を返せ!
 そんなことを思っていると、良樹の方から近づいてきた。
 俺は前に進むことも後ろに下がることも出来ずただ突っ立っていると、目の前に良樹が立った。

「ごめん……」

 そう言うと俺を抱きしめた。
 俺は良樹の胸の中にすっぽりと包まれた。
 良樹の匂いだ……
 俺は棒立ちのまま、良樹の身体に腕を回すことなくただ抱きしめられていた。

「怒っている……よな?」

 耳元で良樹が囁く。
 俺が答えないでいると身体を離して俺の顔を見つめる。
 よく見ると良樹も痩せているように見えた。

「答えないことが答えだな……」

 良樹が寂しそうに笑う。
 俺は良樹の腕を掴んだまま家の中に入った。
 しんと静まり返ったリビングで良樹とあらためて向き合う。

「晴矢、お前大丈夫か?かなり痩せている、いや、やつれているように見える。ごめん、俺のせいだよな。お前がかなり参っているってブチにも聞いて」
「そういう良樹もなんだか細くなった気がするけど」
「そうかな……俺には珍しく色々と悩んだりはしたけど」

 良樹が恥ずかしそうに下を向く。
 良樹も痩せるほど悩んでいたことがあったのか……

「ふー」

 俺は思わず息を吐いた。
 無意識に息を止めていたようだ。

「大丈夫か?」
「立っているのもあれだし、座ろう」
「今日も一人なのか?」
「今日は、だよ。最近はキーちゃんか父さんのどっちかは家に居てくれることが多くなった。だから寂しくない、全然」
「そっか……なら良かった」

 本当は寂しかった。
 家に人は居るけど、本当にそばに居て欲しい人は居なかったから。

「高木の件は解決したよ。良樹がもらい事故みたいになっちゃってごめん。でももう学校ではあの動画は全然話題にはなっていないから、安心して。この件以来、父さんともよく話すようになって、キーちゃんとの関係も良好。ブチも相変わらずで……」

 俺が本来話すべきことを避けていることを良樹はわかっている。
 だから口を挟まずに俺の事をじっと見つめている。
 でも自分から口にはしたくなかった。
 口にしたら良樹を責める言葉しか出てこないから。
 
「……俺を責めないの?俺が一週間、お前の連絡を無視していたこと、怒っているだろ?お前がそんなにやつれるほど俺はひどいことをしただろ?」

 良樹は顔を歪める。
 今すぐにでも泣きそうに見える。
 
「……怒っているし、悲しかった。俺をガン無視する理由がわからなかったから。高木の件で良樹が巻き込まれてしまったことが原因ならいくらでも謝るし、あの動画自体どうにか火消し出来ないかずっと父さんと考えていた。でも、それ以外で俺が何か悪い事したのなら言って欲しかった。おばさんにも避けられて、家に居るお前にも避けられて。ずっと一緒に居るって、俺を守るって言っていた良樹はどこに行ったんだろうって本気で悩んで毎日泣いていた」
「ごめん……」
「謝らないで、理由を教えてよ。良樹はそんなに非情な人ではないだろ?俺はともかく、ブチまで無視する理由って何だよ?俺はお前を責めるよりも理由を知りたいだけ」

 俺が一気にまくしたてると良樹は目を逸らした。
 全て諦めたような、試合が負けた時の表情だった。

「職員室に呼ばれたのはあの動画の件だったけど、前々から高木がSNSで問題ある行動をしているから、お前も巻き込まれてしまったなって感じで別に指導もされなかった」
「怒られなかったってこと?」
「……そう。ただその後にお母さんが来たんだ学校に」
「先生に呼び出されたの?」
「違うよ……相談したいことがあって来たら、ちょうど俺が職員室で先生と話しているのを見て、何か問題を起こしたのかって思ったみたいで」
「で?」
「ちょっと言い合いになった。指導課の先生が会議室みたいなところに俺とお母さんを呼んでそこで話した」
「だから二時間目も居なかったのか」
「うん……」
「おばさんは何を相談に来たの?」
「……」

 良樹の言葉が続かない。
 言いにくいことなのか、くいしばっているような辛そうな表情に変わる。

「良樹……」

 俺は良樹の手を握った。
 良樹が強く握り返すと俺に視線を向けた。

「……俺が転校すること」
「え……」

 ブチと言っていたことが現実になるなんて想像もしていなかった。
 だって、ずっと一緒に居るって……

「お父さんが八月からタイに赴任することになって、会社の決まりで単身赴任ではなく家族、もしくは夫婦一緒にって話で。で、俺はずっと日本に残りたいって言っていたけど、お父さんもお母さんも親戚が東京には一人もいないからダメだって。ずっとそういう話を四月からしていた」
「知らなかった……どうして話してくれなかったんだよ」
「お前に話しても心配するだけだし。俺はどうにかなるってわりと楽観的だった。でも、今回の件でお母さんが絶対連れて行くって、一人で置いてはいけないって」
「……行くことになったっていうこと?」
「……一週間学校を休んだのは、現地の学校を見に行こうっていきなりお父さんが言いだして、タイに行っていた」
「タイに?」
「俺のバスケの実績でタイの有名なハイスクールに編入出来るって話を勝手に進めていて、それを阻止したくて行ったっていうのもあるけどな」
「阻止できたの?」
「結局、またその場で言い合いになっただけ。お父さんもお母さんも俺がこんなに反抗的な態度を取るのがショックだったみたいで、日本に帰って来たらお母さんが倒れた」
「え!大丈夫なの?」
「うん。今は元気だよ。でもこんな息子に育てた覚えはないって泣かれて、俺はどうしたらいいかわからなくて……だからお前やブチに連絡が出来なかった」
 
 まるでドラマみたいな展開に、俺は笑いが出てしまった。
 良樹は信じられないという表情を浮かべ俺を見つめている。
 でも俺は笑いを止めることが出来なかった。
 だって、可笑しくないわけないじゃないか!
 結局、大人の都合に振り回されている自分たちが。

「だ、大丈夫か?晴矢」
「あー可笑しい。ウケたわー良樹」
「笑いごとじゃないだろ?お前俺の話聞いていた?」

 良樹の顔が険しい。
 真剣に話しているのに笑われて不快に思わない人はいないだろう。
 俺は良樹と繋いでいた手を離した。

「行かないでって言ったら良樹は行かない?」
「……わからない」
「そうだよね。じゃあ言わない」
「……わからないけど、俺は行きたくないし晴矢と離れたくない」
「でもおじさんもおばさんも良樹を置いていけないだろ」
「晴矢は俺と離れても平気なのか?」
「俺の気持ちは関係ないよ」
「……俺に会わない一週間でそんなにやつれているのに、素直じゃないな」
「……避けられていた理由はわかった。嫌われているわけじゃなくて安心した。明日からは学校に来るだろ?ブチも喜ぶよ」
「晴矢……」

 良樹は俺の腕を取り抱きしめようとするが俺はそれを拒絶した。

「嫌だ!」

 良樹は目を大きく見開き俺の行為を信じられないという表情で見つめた。

「そっか……ごめん」

 そう言うと良樹は部屋を出て行った。
 俺はその場で動かず、玄関ドアが閉まる音を聞いていた。

 泣けない……あれほど毎日泣いていたのが嘘のように涙が出なかった。
 色々想像して泣いていた頃の方がましだった。
 良樹が本当に俺の前から居なくなる……現実は泣くことが許されないほど厳しい。