そんなに見つめなくても、いつもそばにいるよ

 翌朝、俺と良樹とブチが教室に入ると一斉にクラスメートから顔を向けられた。
 なんだかこそこそと話しているようにも見える。
 すかさず、ブチが仲の良い角田に聞く。

「なんかあったのか?俺たち何かしたか?」
「コレ見ていないのかよ」

 そう言うとスマホの画面を見せられた。
 動画が映り、良樹が映っていた。
 音声には高木の声が入っており、暴力を振るわないでください!恫喝だ!と叫んでいた。
 あの時の道路で映された動画。
 俺は良樹に目を移した。
 良樹はその動画を凝視している。

「手島いるか?ちょっと職員室に来なさい」

 いきなり担任が良樹を呼びに来た。
 俺はまずい事が起きているとわかった。

「俺も一緒に行くよ」
「だめだよ、呼ばれているのは俺だから」
「でも……」
「大丈夫だよ」

 そう言うと良樹は担任の後に付いて行った。
 残された俺とブチは顔を見合わせた。

「どういうことだよ、あの動画って例の高木と揉めた時のか?」
「……そう。スマホが壊れたから動画も消えているかと思ったのに」
「っていうか、それ一ヶ月ぐらい前の話だよな?なんで今更」
「昨日いろいろあったんだ……だから。どうしよう、良樹は悪くないんだよ。でも……」
「まあ、落ち着け。とりあえず様子を見よう」

 こんな最悪な状況になるとは思ってもいなかった。
 俺へのストーカーの次はフェイク動画で良樹を陥れるつもりなのか……
 高木が怖い……どれだけ人に対して悪意を持っているのだろう。
 俺は教室を出ると、非常階段で父さんへ電話をした。
 今、良樹を最悪の状況から助けられるのは父さんかもしれないから。

「もしもし、父さん?何時ごろ学校へ来る?良樹が……助けて欲しい」

 🔸🔸🔸

 二時間目が終わると良樹が教室に戻ってきた。
 俺はすかさず良樹に話しかけようとするが、良樹は机の上に置きっぱなしだった鞄を掴むとそのまま無言で教室を出て行った。
 俺は追いかけようとするが、担任に呼び止められる。

「先野、先生と一緒に校長室に呼ばれているから来なさい」

 校長室?職員室じゃなくて?

「晴矢、大丈夫か?」

 ブチが心配そうに声を掛けてくる。

「多分、父さんが来たんじゃないかな。それよりも良樹が帰っちゃったよ、ブチ」
「良樹のことは心配するな。俺が連絡とるから」
「よろしく」

 俺は担任に連れられて校長室に向かった。
 父さんが上手くやってくれるはず。
 生まれて初めて父さんに期待している自分がいた。

 校長室に入ると、父さんが真剣な顔で校長先生と話していた。

「やあ、先野くん。元気そうだね。さ、お父様の横に座ってください」

 俺は父さんの横に座り、担任が目の前に座った。
 お誕生日席に座っている校長先生はにこにことしている。

「お父様にお聞きしました。大変怖い目に遭いましたね。今回の件は私も大変問題だと思っています。学生同士のいざこざであっても、勝手に人の家に入り込みトラブルを起こす行為を見逃すわけにはいきません。この件は校長である私が責任を持って解決するので、先野くんは心配せずに、今まで通りの学園生活を送ってください」
「よ……手島くんの件はどうなりますか?さっき、職員室に呼ばれていましたが。あれが今回の件の発端かもしれなくて……でも手島くんは全く悪くはありません。だか……」
「承知しています。手島くんの件についても私の方で対応します。さっき、彼にもそう伝えたので心配はいりませんよ」

 校長先生は俺の話に被せるようにそう話すけど、俺は不安で仕方なかった。
 じゃあ、どうして良樹は帰ってしまったんだ?

「では、よろしくお願いいたします」

 父さんは校長先生に頭を下げると俺に目配せをし部屋を出た。

「今年度もありがとうございました。大変助かりました」

 校長先生が父さんに丁寧にお辞儀をした。
 多分、寄付金のことだ。
 父さんは毎年かなりの額を寄付していると母さんから聞いたことがある。
 俺に関心がないのにどうして学校にお金を入れるのか不思議で仕方なかった。

「先野、今日は早退しても大丈夫だぞ。昨日から色々あったことだし。このままお父さんと一緒に帰りなさい」

 担任にそう促され、俺は父さんと帰ることにした。
 このまま授業を受けても頭の中は良樹のことでいっぱいで集中できないことはわかっていた。

「父さんは会社に出るの?」
「嫌、今日は有休を取ったよ。だから一緒に帰ろう」
「……俺、良樹の家に行きたい。送ってくれる?」
「わかった」

 父さんの車に乗り、良樹の家に向かってもらう。
 
「校長先生とはどんな話をしたの?高木のこと校長は知っていた?」
「うん……まあ、そうだな」

 歯切れが悪い。
 俺の方を見もしない。
 何か隠している感じもする。
 夕べはあんなに張り切って学校へ訴えるって言っていたくせに。

「何?何か隠しているの?」
「いや……後であらためて話そう。ただ、校長先生が言っていた通り今後、悪い方向へはいかないから安心しなさい」
「なんだよ、それ……」

 父さんの言い方にもやもやしたものが残る。
 本当に解決するの?
 高木がもっと暴走することはないの?

「良樹のことは?」
「あれも手島くんには問題がないことは証明されているから、大丈夫だろう」
「でもあの動画は拡散されちゃっているよ」
「そこだよな……それはお父さんも心配している。一度炎上したものの火消しはなかなか難しい」

 校長や担任が良樹を悪くないと思ったところで、動画を見た人にとっては映っている世界が全てだ。見たままを受け取る人が大半だと思うと、良樹が悪者になってしまう。
 あんなに優しい良樹が……

 良樹の家がある駅で降ろしてもらう。
 待っていようかと言ってくれたけど、帰ってもらった。
 良樹と時間を掛けて話したかったから。

 ブチから良樹に電話をしてもLINEをしても全く反応が無いという連絡がきた。
 俺も同じように連絡をしているけど、LINEは既読にすらならない。
 良樹の家のインターフォンを鳴らす。

『はい?』
「あ、こんにちは。晴矢です。良樹は帰っていますか?」
『……』

 おばさんからの反応が無い。
 いつもだったら開いているから入ってきてと言ってくれるのに。

「おばさん?あの……」
『ごめんなさいね。良樹はちょっと都合が悪いみたいなのでまた今度来てね』
「え!あの……」

 一方的に切られた。
 こんなことは初めてだ!
 良樹にもおばさんにも避けられている?
 俺は二階の良樹の部屋の窓を見上げる。
 カーテンは閉まったままなのか暗い。
 ずっと見ていたらそのうち窓が開くのではないかと期待するのも空しかった。
 良樹に避けられる理由がわからないまま、駅に向かって歩き出した。

 🔸🔸🔸

 家に帰るとキーちゃんも居た。
 俺の事をすごく心配してくれている。

「良樹くんとは話せた?」
「避けられた。おばさんにも、良樹にも。俺、一日で嫌われたかも」
「そんなことないよ。良樹くんも職員室に呼ばれてショックだったのかもよ」

 キーちゃんは慰めてくれるけど、俺の気持ちは全然晴れない。

「父さんは?」
「学校の人と電話しているみたいよ」
「え?誰と?」

 校長先生だろうか?
 父さんが何かを隠していることは確かだ。
 書斎から父さんが出てきた。
 
「お帰り、晴矢。手島くんは大丈夫だったか?」
「……会えなかった。居るのに避けられたよ」
「どうして?」
「わからないよ!でも、高木との件が関係しているよ、絶対」

 高木のせいにしてしまえば気が楽だったけど、恐らくそれ自体は間接的な事であって直接的には俺のせいだ。
 俺は制服のままずっとリビングに立ち尽くしていた。
 父さんは俺の頭をなでると、肩に手を置いた。

「晴矢、大事な話があるから書斎に行こう」

 俺は父さんに頭をなでられたことも肩を抱かれたことも初めての経験で戸惑っていた。

「え?うん……」

 キーちゃんの心配そうな顔を横目に父さんの書斎に入る。
 大きなデスクとゲーミングチェア、来客用のソファが置かれ、壁一面には書棚が並ぶ。父さんの書斎に入ったのは小学生以来かもしれない。
 デスクの上には大きなディスプレイとパソコン、資料が山のように置かれていて、スマホも2台あった。
 父さんの仕事の事はよくわからなかったけど、仕事が出来る人なのだろうということは想像が出来た。

 俺は父さんと並んでソファに座った。

「晴矢に今言うべきか迷ったけど、でも晴矢が自分を責めない為にも言っておくべきだと思った」

 いつになく父さんが俺を見る目が優しい。
 だから俺は何を言われるのか身構える。
 絶対良くないこと……

「何のこと?」
「……高木くんが晴矢にあんな嫌がらせをしたのには理由があった。今日、校長先生から聞いてお父さんも信じられなかったけど。でも、これは決して晴矢のせいじゃない。お父さんとお母さんのせいだ」

 いきなり母さんの事が出てきて驚く。
 出て行ってから全くといっていいほど母さんの話題は出てこなかったのに。

「母さんが何の関係があるの?母さんは元気なの?」
「お母さんは高木くんのお父さんと再婚していた」
「え!!」

 母さんが高木の義理の母親?

「どういうこと?母さんが父さんと別れたのはその人と再婚したかったからなの?」
「それは違う。再婚したのは半年前だ。彼の母親は何年か前に亡くなっていて、ずっと父親と二人で生活をしていたみたいだ」
「それとこれと何の関係があるの?」
「……お前に嫌がらせをすればお母さんが責任を感じて自分の家から出て行くと思ったらしい」

 息が苦しい……
 俺は思わず胸を押さえて前かがみになった。

「晴矢!大丈夫か?どこか苦しいか?息出来るか?」

 俺は答えたくても息も出来ない、声も出なくて手を振る事しかできない。

「ちょっと待っていろ!」

 父さんは机の上にあったコンビニの袋を持ってくると俺の口に当てた。

「これで息が出来るか?吸って、吐いて、吸って、吐いて」

 父さんが俺の背中を撫でながらテンポよく声を掛けてくれる。
 俺はそれに従って吸って、吐いてを繰り返すとようやく息が出来るようになった。

「もう、大丈夫……」
「良かった」

 思わず父さんが俺を抱きしめた。
 良樹とはまた違う力強さだった。
 
「ショックで過呼吸になったのかな。ごめんな、こんなひどい話を聞かせて。本当に晴矢には申し訳ないと思っている。不甲斐ない両親のせいで、お前を傷つけて。手島くんに怒られるな」
「……信じられない。そんなことってあるの?高木はお母さんのせいで俺に酷いことをしたってこと?」
「さっき、お母さんから電話が来てお前に申し訳ない事したって、謝りたいって言って来たよ。経緯を全て聞いた。直接的にお母さんには手を出せない、でもその息子であるお前を傷つけることでお母さんが罪悪感を覚えると思ったのだろう。亡くなった母親をずっと想っていたらしいから、お母さんを受け入れられなかったんだろうな。可哀想な面はあるが」

 いきなり知らない女性が家に入ってきて母親になると言われたショックは理解できる。
 いきなり何の理由も言わずにキーちゃんと暮らすと言われた時のやるせなさは今でも鮮明に思いだせる。
 どちらも勝手な大人の行為で傷つけられている。
 でも、俺は高木のように第三者を傷つけることは絶対にしない。
 やっぱりあいつは間違っている。

「あの子は学校を辞めるそうだ。精神的に不安定で療養も必要ということらしい。だから、校長先生が言った通り、この先お前が怖い目に遭うことはないよ」
「……母さんは?離婚するの?」
「……それは聞いていない。お父さんが関与する話ではないからな」

 一つは解決した。
 でも肝心な良樹の事は?

「じゃあどうして良樹は俺を避けているんだろう。俺が何か悪い事をしたのかな……」

 口にした途端、涙が一粒落ちた。
 泣くつもりはなかったけど、避けられる理由がわからなくてそれが悔しかった。
 父さんは何も言わずに俺の頭を優しくなでてくれていた。