目が覚めるといつも乗っている電車の発車時刻だった。
 夕べは良樹のことで頭の中がいっぱいでなかなか寝付けなかった。
 よりによって、今朝寝坊するなんて!
 俺は着替えて二階から駆け降りる。
 父さんはダイニングで新聞を読んでいた。

「おはよう、晴矢。寝坊か?」

 わかっているなら起こしてくれればいいのに!
 俺は洗面所で歯を磨き、顔を洗ってそのまま玄関へ走った。

「何か食べていかないのかー?」

 呑気に話している父さんにイラつきつつドアを思いっきり閉めると駅へ向かってダッシュした。
 マトリョーシカ兄弟は同じ電車の同じ車両で待ち合わせをする。
 乗車してくる順番としては良樹、ブチ、俺。
 この電車に乗って駅に着くと、バスの停留所の先頭に並ぶことが出来る。
 俺たちはいつも最初に乗ると後部座席に陣取る。

 今日、ブチが学校に来るかはわからなかったが、少なくとも良樹とはバスの中で話せると思っていたのに乗り遅れた。
 結局いつもの電車より二本遅れで駅に着く。
 既に良樹たちは学校へ行ってしまっているだろう。
 俺はバスの停留所から続く長い列の最後尾に並んだ。
 生徒たちがバスに吸収されていく中、ぼんやりと歩いていると列からずれて立っている良樹の姿が見えた。
 まさか、俺を待っていてくれたのか?
 
 俺は列から外れ、先頭付近に立っている良樹の元へ走った。
 良樹は俺を見ると無表情のまま頷き、俺も無言で頷いた。
 そのままバスが満杯の生徒を乗せて出発する。
 すぐに後続のバスが来ると、良樹が先に乗りこんだ。
 俺は良樹の後に続くと、後部座席の前に立った良樹は俺を窓際に促す。
 そのまま窓際に座り、横に良樹が座った。
 バスには次から次へと生徒が乗りこんでくる。
 ザワザワと騒がしい車内で俺も良樹も口を開かなかった。

 窓の外を見ていると、急に鞄の下に置いた俺の右の指を良樹の左手が握った。
 俺は思わず良樹の顔を見たけど、良樹は何事もないかのように前方を見ている。
 ちょうど鞄や前の座席の背もたれで死角にはなっているけど、こんなに生徒が居る中で手を繋いでいることにドキドキが止まらない。
 良樹はズルい。俺が何をされて嬉しいかをわかっている。

 🔸🔸🔸

 ブチは今日も欠席だった。
 やっぱり俺の中では罪悪感が沸く。
 結局、バスの中では良樹とは一言も話さなかった。
 ずっと手は繋いでいたけど……
 お昼前に良樹からLINEが着た。

『ロッカールームに来て』

 ほこりまみれのロッカールームに忍び込むと、良樹がレジャーシートを敷いていた。

「どうしたの?それ」
「家から持ってきた。これ敷けば少しはましだろ」

 確かにほこりを避けてもお尻は真っ白になる。
 俺もレジャーシートに座る。

「あれ?弁当持って来なかったのか?」
「ああ、サワさんが休みで。購買行くの忘れていた」

 俺の言葉に良樹が笑う。

「なんで笑うんだよ」
「だって、そんなに急いで俺に会いたかったのかなって」
「な!違うよ……」

 否定しきれないことが悔しい。

「ごめん。昨日の俺、本当に最悪だったと思う。お前に先にLINEで謝られて、謝るタイミング逃しちゃったなって。だから朝謝ろうと思っていたけど、お前全然来ないし」
「寝坊した。俺の事待っていてくれたの?」
「朝一番で会いたい人は晴矢だから。だから来るまでずっと待っていようって思った」

 やっぱり良樹はズルい。俺が言われて嬉しい言葉をわかっている。

「良樹は悪くないよ。俺、良樹の気持ちを全然わかっていなかったなって反省した」
「どういう意味だよ?」
「キーちゃん、あ、あの父さんのイケメンが俺に教えてくれた。良樹は俺を守ってくれたって。謝らないことで二人の関係を否定しない選択をしてくれたって。そうなの?」
 
 良樹はずっと俺の顔を見つめている。
 俺も良樹の顔を見つめる。

「ブチに迷惑をかけたとは思ったけど、晴矢には謝って欲しくはなかった。だって恋人同士ならキスすることは当然だし、それが男同士だからというだけで悪い事をしたわけじゃない。りっちゃんがショックに思ったとしても、俺たちの関係を否定したくはなかった。でも、俺の思いばかり優先させてブチの事全然考えてあげられなかったなってところは反省している」

 良樹は軽くため息を吐くと、うなだれた。
 俺は下を向いている良樹の顔を覗き込む。

「俺はすごく嬉しいよ。良樹がいつも俺たちの関係を大事にしてくれて。俺はその場の感情に流されちゃうけど、いつも良樹の言葉で気づかされる」
「ホントに?」
「うん。大好きだよ」
「俺も……だから晴矢と喧嘩はしたくない」

 こんなに大好きな良樹とずっと一緒に居られるのかな……
 幸せ過ぎて不安になる。

「ずっと一緒に居たいな」
「当たり前だろ!お前が逃げても追いかけてやる」

 タイミングよく俺の腹が鳴った。
 朝から何も食べていない……

「半分あげる。またお母さんにお前の分の弁当を作ってもらおうか?」
「いいよ、今日だけ、今日だけ。あ、俺これ食べたい」

 俺は良樹から大好物の生姜焼きを食べさせてもらった。

 弁当を食べ終わると良樹にキーちゃんの事を聞かれた。

「仲良くやっているんだ、その人と」
「うん。なんかよくわからないけど良い人ではある」
「ふーん」

 良樹はちょっと面白くなさそうな顔をする。

「まだ心配している?」
「少し……」
「核心をついてくる感じの人かな」
「でも、晴矢があれ以上傷つかなくて良かった」

 あの日、良樹は俺が可哀想だと泣いてくれた。
 
「一回話してみたいな、その人と」
「え、キーちゃんと?」
「そう」

 俺はキーちゃんが言った言葉を思い出した。

――僕が三十歳若かったら、晴矢くんから奪っちゃう

「いや、ダメダメ」
「どうした?」
「良樹を会わせるわけにはいかない!」
「どうして?」
「どうしても!ダメなものはダメ!」

 俺は必死で抵抗する。
 良樹を本気で狙われたら困るから。

「ヘンなの。ま、いいよ。追々で」
「追々もなにもダメ!」

 俺が必死で拒否るのが相当面白かったのか、良樹は声を上げて笑っている。
 絶対会わせるわけにはいかない。 
 俺は心に誓った……はずなのに。

 🔸🔸🔸

「え!どうして居るの?」
 
 火曜日はキーちゃんが家には来ない日だった。
 なのに居た……

「おかえりー。あ、良樹くんも一緒なんだ!やっぱり格好イイ!」
「!!」

 部活帰り、なんとなく二人とも離れがたくて駅のベンチで一時間ぐらいしゃべっていた。
 電車に乗って俺が降りる駅が近づいてくると余計に寂しくて、つい良樹に言ってしまった。

「ウチに来る?」

 良樹は口元に笑みを浮かべると大きく頷いた。
 今日はキーちゃんも父さんも居ない日のはずだった。
 なのに居た……

「え、どうして。今日は火曜だよ。キーちゃん地方に行く日じゃないの?」
「ああ、オーナーが韓国旅行で今日、明日とお休みになったのよ。だから、良樹くんにも会えてラッキーって感じ」

 ウキウキしているキーちゃんを不思議そうに良樹は見ている。
 こんなはずじゃなかったのに!
 良樹をキーちゃんに取られちゃう!

「こんばんは。手島良樹です。晴矢の彼氏です」

 どんな場面でも良樹は堂々とまっすぐに正しいことを口にする。
 キーちゃんは良樹の言葉に笑みで返す。

「紀伊直人です。晴矢くんから良樹くんの事は伺っています。素敵な彼氏さんでこんなおじさんの僕でも羨ましいぐらい。晴矢くんをずっと大事にしてくれてありがとう」

 まるで保護者のようなキーちゃんの言葉に少し不満もあるけれど、良樹に対して掛ける言葉は優しい。

「晴矢から聞きました。良い人だって。だからあの時みたいに晴矢のことを心配はしていません。でも、晴矢は表には出さないけど繊細ですごく傷つきやすいから、そこは気を付けてください」
「は、はい」
「俺はこの先もずっと晴矢を守っていきます。今度晴矢のお父さんにもちゃんと言うつもりでいます。反対されたら悲しいけど、でも信用されるようにもっと大人になります。だから応援してください」

 いきなり良樹はキーちゃんに頭を下げた。
 俺もキーちゃんもその姿に驚く。

「すごい……晴矢くん、良樹くん凄いね。宣戦布告したよ。ねえ、本当に十七歳なの?僕のこと怪しい奴だと思っているかもだけど、僕は二人の事は本気で応援しているから。良樹くんとは違う方法で晴矢くんの事は大切にするから。安心してください」

 そう言うと、今度はキーちゃんが良樹に頭を下げた。
 良樹も再度頭を下げて、お辞儀をしあっている。

 俺は良樹の言葉にも、キーちゃんの言葉にも感動してしまい、そんな二人の光景をぼおっと見ていて、いつの間にかキーちゃんに良樹を会わせられないと必死になっていたことを忘れてしまっていた。
 二人を会わせて良かった。
 心の底からそう思った。

「じゃあ、ごゆっくり。僕は仕事なので行くね」
「え、休みじゃないの?」
「バーに出ることにした。やっぱり僕が居るのと居ないのとでは売り上げが違うのよ」
「さすが、イケメン店長」
「ありがと!じゃあ、良樹くんまたね」

 良樹はまたキーちゃんに丁寧にお辞儀をした。
 二人で残されると互いの顔を見て笑ってしまった。
 
「イケメン過ぎるけど、インパクトでかっ!正直、ビビっていた」
「嘘だろ!あんなに堂々と宣言したじゃん」
「大人に負けないように頑張ったんだよ。でも内心ドキドキしていた」
「……俺のために頑張ってくれたんだ」
「当たり前だろ。イケメンにお前を取られたくなかったし」

 互いに逆の事を考えていたってこと?
 俺は良樹を取られないように、良樹は俺を取られないように。

「じゃあ、俺がキーちゃんと一緒に過ごしている話を聞いて良樹は嫌な気持ちがしていたのか?」
「……嫉妬していると思わるのも悔しいから平気なふりしていたけど、聞きたくはなかったかな」

 どんなことでも素直に口に出すと思っていた良樹の本音が隠されていた。
 
「何でも言ってくれていると思っていた。良樹が嫌な気持ちになっているって知らなくてごめん。でもキーちゃんは父さんに一途だから心配しないで大丈夫だよ」
「うん……」

 良樹は俺の事を繊細で傷つきやすいと言うけれど、それは良樹も同じだ。
 たぶん、ずっと我慢している。
 俺に心配をかけないように。

「俺にも甘えてよ……頼りないかもしれないし、良樹の大きな心や身体を支えきれないかもしれないけど、でも俺も良樹を守りたい」

 俺は良樹に抱き着いた。

「うん……。今夜一緒に居てもいいか?」

 思いがけない良樹の言葉に驚き、顔を見上げると良樹が恥ずかしそうに視線を逸らす。

「いいの?帰らなくても?」
「晴矢の家に泊まるって言ってダメとは言わないよ」
「……いいよ。俺も一緒に居たい」
「良かった」
 
 あの笑顔を俺に向けるとそのまま唇を重ねた。