月曜日、ブチが学校を休んだ。
 結局、遊園地から帰ってLINEをしても既読は付くが返信はなかった。
 ブチに限ってこんなことは珍しい。
 やっぱり、りっちゃんと何かあったのではないか?
 良樹も同じように心配をしていた。

「ブチが既読無視とか初めてだよ」
「遊園地で何かあったのかな」

 小学校からの大親友であるブチに何かあったらと思うと、俺はかなり動揺していた。

「大丈夫か?お前の方が心配になる」

 良樹にも俺が動揺しているのがわかるらしい。

「帰りにブチの家に行ってみる」
「俺も行くよ」

 久々にブチの家を訪ねる。
 おばさんに上げてもらい俺たちはブチの部屋に向かう。

「ブチ。大丈夫か?」

 閉まっているドアに向かって声を掛ける。
 ドアが開くと無表情のブチがパジャマ姿で立っていた。
 そのまま俺たちを中に引き入れると勢いよくドアを閉めた。

「だ、大丈夫か?LINEも既読無視だし……っていうかお前が学校休むこと自体が普通じゃないし」

 やっぱり、りっちゃんと何かあったに違いない。
 生気の無い顔がそれを物語っている。

「……お前たち、……に乗っていたよな」

 小さな声でブチがつぶやく。

「え?何?聞こえないよ」
「観覧車に乗っていたよな」

 俺と良樹は頷く。

「観覧車で何していた?」

 俺は言われている事がよくわからなかった。
 何をって……?

「俺とりっちゃんも乗っていたんだよ、同じ観覧車に。りっちゃんが先に気づいてお前らが写真撮り合っているって楽しそうに話していると思ったら……」

 え……まさか。

「キスしているのを見られたってことか……」

 良樹が先に言った。
 そうだ、俺たちはキスをしていた。

「りっちゃんがどういうことなのかって俺に聞いてきて。俺はなんて答えていいかわからなくて。そのうち観覧車が地上に着いたら突然走り出して……追いかけたけど、もう帰るって言って……で……」
「……で?」
「……連絡が来なくなった」

 ブチとりっちゃんが俺たちのせいで……

「ごめん。ブチ……俺たちのせいで。なんか巻き込まれ事故だよな。俺からりっちゃんに謝るし、ちゃんと説明するよ。だから……」
「何で謝るんだよ、何て説明するんだ?」
 
 良樹が俺の声に被せる。

「なんてって……」
「お前は言いたくないんだろ?俺たちの関係は隠しておきたいって言ったじゃないか」
「でも、今回の場合は違うだろ!」
「違うって何が?」
 
 俺はどうして良樹がこんなに声を荒げて怒っているのかわからなかった。
 良樹もブチに謝るべきなのに。

「だって、俺たちのせいでブチとりっちゃんが別れることになったら俺は嫌だから」
「それって俺たちのせいなのかよ!キスしたことを謝ったら全て解決することなのかよ!」
「もういいよ!!」

 ブチが怒鳴った。
 俺はブチが怒る姿も、怒鳴った声も初めて聞いた。

「もういいよ。帰れよ。俺の部屋で喧嘩するな。りっちゃんとのことは俺が自分で何とかするから」
「何とかって……何とも出来ないから学校休むぐらい悩んでいるんだろ?」
「でも、お前たちがりっちゃんに言ったところで解決にはならないと思う」

 ブチが諦めたように力なく吐く言葉に俺は悲しくなった。
 いつも俺に助け舟を出してくれているブチを助けてあげることが出来ない。
 しかも俺たちのせいなのに……
 俺は自分が情けなくて、涙が出てきた。

「晴矢、泣くなよー。お前のせいじゃないから」
「で、でもさ……」

 俺が泣いている顔を良樹はじっと見ている。
 どうしてそんなに落ち着いていられるのだろう。

「帰ろう晴矢」
 
 良樹は俺の腕を掴むと、ブチの部屋を出ようとする。
 俺は必死で抵抗する。

「な、なんで。まだ話は終わっていないよ!」
「泣いているだけならここに居ても意味ないだろ!」
「どうして、そんなに良樹は冷たいんだよ!ブチの事が心配じゃないのかよ!」
「二人とも帰れ!俺が一番望んでいるのはそれだ」

 ブチは俺たち二人の背中を押し部屋から追い出すとドアを閉めた。
 良樹はそのまま階段を降りて行った。
 俺は良樹の態度が気に入らなくて、一緒に帰りたくなかった。

 前を歩く良樹と距離を取りながら歩く。
 良樹は振り返りもしない。
 いつもの優しい良樹がいない。
 いつも良樹の言葉に救われているのに、今日は否定されてばかりだった。
 
 距離を置いたまま駅に着いた。
 ブチの住んでいる駅を境に、俺は上り、良樹は下りの電車に乗る。
 互いにホームで向かい合うが、良樹は俺を見ようともしない。

 俺たちまで喧嘩してどうするんだよ……
 そう思いながらも自分から歩み寄る余裕も無かった。

 🔸🔸🔸

 家に帰るとイケメンがキッチンに立っていた。
 
「ただいま……」
「あ、晴矢くん。お帰りなさい。お夕飯まだでしょ?今用意しているから待っていて」
「え、サキさんは?」
「お母様の具合が悪くなってみたいで早くに帰ったの。下準備はされていたので後は僕が引き継いだ」
「はあ……」
「着替えてきて」

 ずっとこの調子だ。
 俺もイケメンが家に居ることに違和感がなくなっている。
 慣れって怖いな……

 イケメンは見れば見るほど整った顔をしている。
 茶髪の髪はパーマでふわふわしている。
 目が大きくて鼻が高くて、銀縁の眼鏡を掛けている。
 テレビに出ている芸能人と同じくらい格好いいと思う。
 こんなにイケメンなのにどうして父さんなんだろう。
 父さんは背も高いけど、お腹が出ているし髪の毛も薄い。
 分厚いレンズの黒縁の眼鏡を掛けている、全然冴えないおじさんなのに。

 イケメンは大抵俺が帰って来る時間には家に居て、一緒に夕飯を食べることもある。
 だいたい彼が一人で話しているが、俺は不快ではなかった。
 今まで一人ぼっちで食べていた事を思うと、一緒に食べてくれる人がいるだけで嬉しかった。
 この話を良樹にしたら、あまりにも人に対する警戒心のハードルが低すぎると心配された。
 だったら、良樹が一緒に食べてくれたらいいのに……
 
 着替えてダイニングに入ると料理が並んでいた。
 見慣れたサワさんの料理とはちょっと違って見えた。

「食べよう、座って」
「いただきます」

 俺はブチの家で怒ったり、泣いたりと気持ちの変化が激し過ぎてかなり消耗していた。
 それをすかさずイケメンに指摘された。

「トラブルあったでしょ?」
「え?」
「顔に出てるー」
「マジ?」
「うん。マジ」

 俺はこのモヤモヤとした気持ちをイケメンにぶちまけたくなった。
 どう考えても他に聞いてくれる人はいない。
 父さんのことを冷静に語れる人だから、良樹の事もブチの事もアドバイスをしてくれるのではないかと期待した。

「今日友達とモメた」
「何?恋愛関係?」
「うん……」

 俺は観覧車での事、それを見たブチと彼女の事、ブチに対する良樹の態度など全てをイケメンに話した。

「難しいね。友情と愛情の狭間に立つ晴矢くんってところか」
「ブチに悪い事したなって思っていて。俺と良樹のせいで別れるのは違うし、ホントにそうなったら幼馴染のブチとはもう仲良くできないなって……」
「うん。うん、わかるよ」
「でも良樹は謝りもしないし、なんだか開き直っていて。そもそも観覧車の中でキスしてきたのは良樹だし、誰が見ているかわからないよって俺は言ったのに、なのに」
 
 俺はすっかり良樹を悪者のように話していた。
 責任転換するつもりはないけど、でもやっぱりあの時の判断は間違っていたと思う。

「良樹くんは本当に晴矢くんのこと好きなのね。すごいね」
「え?」
「だって、ブチくんの前で自分たちがしたことを謝らなかったんでしょ」
「でも、謝るべきじゃないの?だって……」
「だって謝ったら、晴矢くんに恥かかすことになるじゃない」
「……どういう意味?」
「良樹くんは晴矢くんとの付き合いを隠さなくてもいいって言っているのよね。それってよっぽどの覚悟だと思う。しかもまだ十七歳でしょ。僕だって未だに人の目は気になるし、カミングアウトするのは躊躇しちゃう」

 イケメンですらまだ隠したいと思っているのか。

「でも良樹くんは大好きな晴矢くんとキスすることが恥ずかしいことだとは思っていないし、まあ今回の場所はともかくとして、人に見られたからって謝ってしまったら二人の関係自体を否定することになるでしょ。だから結果的には晴矢くんのことを守ったの。決して恥ずかしい事ではないって堂々と宣言したんだよ」

 全く想像もしていなかったことを言われた。
 良樹がそこまで考えているとは思ってもいなかった。
 良樹の頑なな態度は俺を守るためだったなんて。

「でも、ブチのことは?俺たちのせいであることには変わりないでしょう?」
「ブチくんも自分で言った通り、それは彼と彼女さんとが解決すべき事だよ。晴矢くんが何かをしたところで、彼女さんの気持ちが変わらなければ意味がない」

 俺は納得することは出来なかったけど、でも実際にブチに何もしてあげられない。
 
「晴矢くん、良樹くんのこと大事にしなさいよ。あんなイイ男絶対現れないから!僕が三十歳若かったら、晴矢くんから奪っちゃう」
 
 イケメンはからからと楽しそうに笑う。
 俺も釣られて笑ってしまった。

「あ、晴矢くんが笑うのを初めて見た。笑うと本当に可愛い」
「……キーちゃん、あ、ありがとう。俺の話を聞いてくれて。アドバイスくれて」

 俺は初めてイケメンを『キーちゃん』と呼んだ。
 だって嬉しかったから。

「僕でよかったら何でも相談してよ。お父さんより頼りになると思うし」
「うん。父さんは俺と良樹の事を知ったらどういう反応するかな」
「……応援するでしょ。息子が選んだ道を否定するような人じゃないよ」

 そうなのかな……
 父さんに対する信頼感指数は相変わらず0を示しているけど、好転するきっかけが生まれるといいなと少しポジティブな気持ちになった。

 🔸🔸🔸

 シャワーから出てくると既にキーちゃんの姿は無かった。
 バーに出勤したらしい。
 さっき、キーちゃんに言われたことについてシャワーを浴びながらずっと反芻していた。
 否定していたのは自分の方だった。
 その場しのぎの考えで謝って、良樹との関係についてなんて全然考えていなかった。
 自分があまりにも浅はかだと思った。
 常に良樹は先回りして考えてくれているのに。

 俺は良樹にLINEをした。
『ごめんね』という絵文字だけ。
 明日、学校で良樹に面と向かって謝ろう。
 そしてありがとうと伝えよう。