あれから啓とは二人きりで話せていない。部屋のカメラは回っていたし、朝食後すぐに体育館でパフォーマンスの練習が始まったからだ。
 まず昨日決めたグループ別に分かれて、スマホで流した音に口パクをしながら何度か踊った。

「まりなちゃん、歌詞覚えた?」

「ぜーんぜん。だってまだ三回目なのに覚えられるわけないし。一馬くんは?」

「あは、俺も」

 彼らの声はよく通る。別のグループでそこそこ距離もあるのに会話が筒抜け。初めてダンスと歌を合わせたが、どうやら歌詞を暗記できていないのは俺たちだけじゃないらしい。
 つい気になって視線を向けると、まりなと一馬が水のペットボトルを共有している最中だった。
 慣れた様子のそれを見て首を捻る。間接キスが当たり前にできる関係だとは知らなかった。カメラも向けられていない今あれが自然にできるのは、かなり怪しく見える。

「春兎くん。ダンスのアドバイスしてもらえない?」

 休憩中、ゆながお願いしてきた。承諾してその場で踊ってもらう。
 彼女のダンスは性格の真面目さが滲み出ていて、見ようによっては硬い印象を与えられる。

「どうかな」

「うーん……」

 振り付けは合っているのに良くも悪くも面白みがない。こういうのはどうしたらいいんだろう?

「下手だよね」

 自嘲した彼女に、そんなことないと否定する。

「ゆなちゃんはどんな風に踊りたいとか、どういう風に見られたいか考えてる?」

「あ、考えたことない」

「アイドルのダンスはきっちり踊るよりも、遊びがあったほうが面白いと思ってて……、例えば曲の歌詞やメロディに合わせて動き方を変えてみたり」

「そんなこと意識してるの?」

「うん。今回はデビュー曲で全体的に爽やかな感じだから、顔とか動きで元気が伝わるように俺はしてるよ」

 ゆなちゃん振り付けは完璧だからさ、と付け加える。彼女の頬がほんのり色づいた。

「春兎くんすごいね」

「うん。僕も勉強になった」

 突然、後ろから啓が会話に割り込んできた。盗み聞きされていたらしい。

「驚かせんなよ」

「ごめん、気になっちゃって」

 昨日の気まずさが嘘のように笑いかけられる。さらに、腕を首あたりに回された。顔がぐっと近づく。

「な、なに」

「僕も教えてほしい」

「ちょ……」

 近い。近すぎる。いずれ顔面国宝ランキング一位に選ばれそうな顔でこの距離で見つめられて、平常心を保てる人はどれほどいるんだろう。

「お前はもうできるじゃん」

「どこが。春兎に見てもらえないと全然ダメだよ」

「い、いやだから……」

 しつこい男の体を押し退けるだけで精一杯だ。すぐ離れてくれると思ったのに、啓は簡単には引かなかった。
 
「啓くんずるい。ひとりで春兎くん独占してる」

 休憩していたはずの理子がどこからか出てきて、唇を突き出して啓を睨んだ。
 ──なんだこの状況は?

「独り占めなんかしてないよ。僕も構ってほしいなって言ってただけ」

「おまっ、言ってないだろそんなこと!」

「そうだっけ?」

「もうー私がアドバイスもらってたのに……」

 ついにゆなまで流れに乗り始めた。一体みんなどうしちゃったのか。

「もういいから、練習しよう」

 言いながら啓の腕を無理やり引き剥がす。他の人が居るところでベタベタしているのを見られたくなかった。

 昼食を挟んでから四、五時間ほど練習を続けたおかげで歌詞はほとんど頭に入った。
 啓のダンスは見違えるほど良くなったと思う。身長が高いから手足を持て余している感はあるものの、ぎこちなさはもうない。
 小休憩のあとに撮影が再開してすぐ、全員でステージの下に集まった。六枚の小さな紙と共に封筒に入っていた指示カードをリュウキが読み上げる。

「練習したグループ毎に披露。SNSに投稿してリアルタイム投票を行う。今回の採点基準は歌、ダンス、カメラパフォーマンスとする……で、ポイント貰えるのは前回と同じ男女別で三位までだって。それから……えっ!」

「なになに?」

「三位までにランクインした六名は、翌日のプライベートデートに誘える権利が手に入る。同封した紙に名前を書き、今日中にスタッフに渡す」

「待って、誘われなかった人はどうするの?」

「多分この学校で過ごすだけだと思う」

「えー寂しい!」

「やばい。緊張してきた」

「それ……紙は相手にしか見られないのかな」

 ざわつく中、気になってリュウキに聞くと、何も書かれてないからそうじゃんと返ってくる。スタッフを除いて誰をデートに誘ったかメンバーや視聴者に知られることはないということだ。

「リュウキ、書いてあるのそれたけ?」

「注意書きもある。誘いたい相手が被った場合や、誘った相手が三位以内の場合は、順位が高い人の希望が優先される」

「うわあ厳しいね」

 この時点で俺は、まだやってもいないのに誰を誘うか考え始めた。あと実質二日しかないと考えると、今さら他の女子に行くのは少し遅い気がする。
 誘うなら理子かゆなのどちらか。でも撮影しないデートだから、わざわざ他の人にアピールする必要はない。もはや、頭の中にある“異性との恋愛”という文字は消えかけている。
 ふと思った。撮影しないなら、相手は啓でもいいんじゃないのか?
 スタッフに怪しまれるという厄介な問題を除けば、俺がデートしたいのはあいつだけだ。

 撮影と動画投稿が終わったあと、妙な緊張感に包まれながら俺が結果を読み上げることになった。スマホに届いたメールをタップする。

「えっと……」

 初っ端から言葉に詰まった。予想の結果と違う。自分がまた一位を取れると過信していたわけではないが、前回は四位だった啓が一位に躍り出るとは思わなかった。

「春兎?」

「あっ、ごめん。一位は啓と理子。これ貰って」

 紙を渡すときに啓と目が合った。なぜか「ありがとう」と礼を言われたので、唇の端を上げておく。
 ──啓はこの紙に誰の名前を書く?
 結果の続きを言いながらそのことばかり考えた。自分は二位になったとか、誰がポイントを獲得したとか、そんなのはどうでもいい。明日あいつが誰か一人を選んでデートするということが、まるで喉に引っかかった小骨のように気になる。

 その日の夕食は雰囲気の良いカフェのような場所だった。ツーショットで理子が啓を誘うのをぼーっと眺めていたら、

「春兎くん、いい?」

 とゆなに誘われて一緒に座った。
(うわ……最悪)
 よりによって彼らの隣。しかもパーテーションがないから、普通に会話が聞こえてくる。

「理子ちゃん今日も一位、おめでとう」

「ありがとう! 啓くんもおめでと。凄いよね、びっくりした」

「僕も。まさか四位から一位になれるとは思ってなかったし……」

「撮ったやつ見たけど、啓くん表情がめっちゃよかったよ。キラキラしてた。これぞアイドルって感じの」

 褒められた啓が顔を赤らめながらまた礼を言う。
 うんざりした気分でりんごジュースが入ったグラスを口につける。
 妙に甘い雰囲気が漂っているような気もするし、何よりこれ以上は会話を聞いていたくない。そう思っていたら、ゆなが話しかけてくれた。

「春兎くん。明日のデートに誘う人、決まってたりする?」

「あー……」

 そういえば自分にも権利がある。でもここで誰も誘わないなんて言ったら、きっと俺に好意を寄せてくれている、ゆなに対して失礼だ。

「俺はまだ決めてないかな」

「じゃあ……私を誘ってもらえない?」

「えっ」

「春兎くんさえ良ければ。あの、嫌なら大丈夫! 私も候補として考えてほしいなって」

「……わかった、考えてみるね」

 すぐ承諾しなかったせいで彼女の顔が曇った。
 今日中に紙を提出しなきゃいけない。校舎に帰ったあとのことを考えると、ひどく憂鬱だ。

 
 戻ってから散々悩んだ挙句、紙には誰の名前も書かなかった。啓を書こうかと思ったが、スタッフに微妙な反応をされるのが怖くてやめた。

 一位になった啓の希望は一番に優先される。が、きっと理子を誘うのは他に俺しかいない。仮に俺が一位だったとしても、あいつは普通にデートできたはず。
 寝る支度が済んでベッドに入り、薄暗い中で啓の背中を見つめる。スタッフはまだカメラを切りに来ていない。話しかけるか迷った。

「……ツーショット楽しかった?」

 俺の独り言とも取れる声に、啓がわざわざ体の向きを変えてくれる。

「さっき、理子ちゃんは春兎を誘うと思ってた」

「良かったじゃん。お前が誘われたな」

「本気でそう思ってる?」

 答えられなかった。啓にはもうきっと、俺が女子との恋愛を諦めたことがバレている。

「春兎は明日のデート、ゆなちゃん誘ってあげた?」

「聞いてたの」

「ごめん、席隣だったから聞こえた」

「……誘ってないよ。誰も」

「……僕のことも?」
 
 えっ、と思わず顔を上げた瞬間、扉が開いた。咄嗟に布団を被る。

「失礼します。カメラ切りますね」

 気を遣ってくれたであろうスタッフの小さな声が聞こえてすぐ、扉が再び閉まる。いつのまにか息を止めていたようで、ため息と共に吐き出した。

「春兎」

 布団から顔を出すまで気づかなかった。──啓が俺のベッドのすぐ近くに来ていたことに。

「えっ!?」

 啓が唇に人差し指を当てながら、顔を近づけてくる。

「声、聞こえちゃうよ」

「啓がっ……驚かせるから」

 また大きな声を出しそうになって、慌てて口をおさえた。隣はスタッフがいる部屋だ。静まり返った空間で会話していたら、確かに聞こえてしまう気がする。

「僕とちょっと抜け出さない?」

 囁き声が耳元に滑り落ちる。

「え?」

 理解できずに見つめ返すと、啓が俺の手を掴んで優しく引いた。

「声聞かれたくないから。行こうよ」

 訳がわからない。なんで二人でどこかへ行くんだとか、声を聞かれない場所ってどこだよとか色んなことが頭を駆け巡る。
 でもそんな風に柔らかくお願いされたらもう、頷くしかなかった。


 いい場所を見つけたんだと啓は言って、俺をどこかの教室に連れ込んだ。

「ここって図書室?」

 壁や棚に大量の本が並べられている。中に入ると、かびた匂いに鼻をくすぐられた。

「ここはカメラないよ。確認した」

「あ、そう……」
 
 なぜか手を繋がれたまま、離してもらえない。
 薄い月明かりに照らされた啓の顔は不安そうに見えた。ここまで俺を連れてきたとは思えないほど。

「啓?」

「紙に春兎の名前書いたんだ」

「──えっ!」

「他の人じゃなくて、僕とデートしてほしい」

「な、なに言ってんの……だって、え、あれスタッフに渡すやつだよな」

「別に、同性でデートしたらいけないなんて言われてないし」

「いやそうだけど」

 そういう問題じゃない気がする。啓がスタッフから何か言われてしまったり、もし俺とデートしたことが視聴者にバレたらどうなるんだ?

「……デートするのはイヤ? ちゃんと言ってくれたら諦めるよ」

 ずるい。そんな聞き方をするなんて。
 本当は俺も啓とデートがしたい。カメラがないところで過ごしたい。友情とは違った何かを明確に感じる今、リスクと誘惑の天秤は大きく揺れている。

「えっと……。嫌じゃない、けど」

「校舎裏のカメラがない場所で待ってる。僕が先に出るから」

「ち、ちょっと待って。まだ行くとは──」

「うん、考えてくれたらうれしい。きっと理子ちゃんもデート相手に春兎を選んでるし」

「……なんで俺なの。啓は理子と相性よさそうだったじゃん」

 啓が大きく目を見開いた。
 その反応を見てすぐに後悔した。──こんなの、啓の恋愛を意識してるって言ってるようなものだ。
 子どもっぽい嫉妬が含まれた言葉に思えてきて、頬が熱を持つ。せめて言い方をなんとかしたらよかった。

「そうかな。僕は……こんなこと言われたら気持ち悪いかもだけど、春兎と居るほうがドキドキしてる」

 変だよな、と啓は諦めたように微笑んだ。
 俺だって同じだ。二人の女子からアピールされていい雰囲気になったのに、そのどちらにも恋愛的な好意を寄せることができず、同性に心惹かれている。
 昔、テレビでタレントが「彼を見た瞬間にビビッときたんですよ。雷に打たれたみたいに」と、運命の出会いについて語っていた。あれを観た当時はそんなものあるかよバカバカしいと思ったが、もしかしたら本当に運命はあるのかもしれない。
 出会ってすぐ啓に惹かれた俺は、今になってスピリチュアルな話を信じ始めている。 

「啓……」

「しーっ、静かに」

 突然、体を壁際に押し付けられた。それと同時に手のひらで口を覆われる。
 なにが起きたのかと目を白黒させているうちに、どこからか複数の足音が聞こえてきた。

「すみません明日の定点カメラって……」

「俺がやるからいいよ。とりあえず昼過ぎたら居残り組に、気になってる相手を聞いといて」

 会話の内容的にきっとスタッフだろう。こんな時間まで仕事をしていたのか。働き方改革がーっと事務所のマネージャーが言っていたが、あの業界はまだまだ暗いところがあるようだ。
 意識を逸らすために余計なことを考えた。そうでもしないと、啓の石鹸のような優しい香りや密着した体から伝わってくる体温、なによりキスされてもおかしくない顔の距離にパニックになりそうだった。
 ──早く、早く離れてくれ。いつまでこの体勢でいなきゃいけない?
 足音はもう聞こえなくなったが、啓は外を警戒して扉を見つめている。うっかり気が緩んで見惚れた瞬間、不意打ちで彼がこちらを向いた。
(あ……っ)
 目が合ったら動けなくなる魔法がかかったみたいに、全身が硬直する。反対に心臓は今にも飛び出しそうなほど速くなった。

「春兎。今ドキドキしてるの、僕だけ?」

 啓の手がわずかに離れる。自由になった口からは肯定でも否定でもなく、ただ吐息だけが滑り出た。
 俺も同じだと言うには羞恥心が邪魔して、言葉にすることができない。

「……確かめてみる?」

 啓の手を掴んで自分の胸のほうに引き寄せる。触れられた途端、背中にぶわっと汗をかいた。

「え、うわ……」

「引くなよ」

「引くわけない。でもびっくりした」

 男二人で空き教室に入って何をしているのか。客観的に見てそう思う。けどこの四日間で今この瞬間が一番楽しい。
 ──啓とデートできたらどれほど楽しいだろう。明日の一日くらいは素直になって、自分の気持ちに従ってみるべきかもしれない。

「絶対に楽しいデートにするから。明日、僕を選んで」

 こいつ、俺の心まで読めるのかよ。
 今まさに考えていたことを言われて驚く。それから首を縦に振るまで、時間はそうかからなかった。