校舎に戻ってすぐ、デビュー曲の振り付けを練習するために体育館に集合した。
 名前が大きく書かれたユニフォームと、二台のスマホ、指示カードも新たに与えられた。
 ──男女別々に分かれてダンスを撮影する。SNSに投稿し、リアルタイム投票を行う。同じ順位になった異性と翌日の夜にデートができる。また、それぞれ一位から順に三、二、一ポイントずつ三位まで付与される──。
 カードにはそう書かれていた。

「これダンスが上手い三人がポイントもらえるってことだよな? 春兎とかリュウキとか、理子ちゃんは有利じゃん」

 朝也の棘のある言い方に、理子がすぐにそんなことないよと反論する。

「順位決めるのは一般の方だから、ダンスの上手い下手で決められるとは限らなくない?」

「そっか」
 
「パフォーマンスとかアイドルとしての表情も見られると思うよ」

 彼女の言う通りだ。ダンスが上手い順位とは書かれていない。
 ここで一位になれたら三ポイント手に入り、デビューに確実に近づける。そう思ったら俄然やる気が湧いてきた。

 各々ストレッチをする中、ガラッと扉が開いた。颯爽と一人の男が入ってくる。

「はーい。はじめまして、今回の振り付けを担当するイツキです。よろしく」

 全身真っ黒のだるっとした緩い服を身に纏い、髪は金髪で肩まで伸びている。見た目から考えられないほどキツめの声で挨拶をした彼に、全員が背筋を伸ばしてよろしくお願いしますと頭を下げた。
 俺が会ったことがある振り付け師は格好が地味な人が多かったが、この人はなかなか癖が強そうだ。

「じゃ、まず最初に通しで踊るから見てて。音お願いしまーす」

 体育館のステージの脇にある巨大なスピーカーから曲が流れ始めた。足でリズムを取りつつ、メロディーに合わせて腕を動かす。
 ダンスをやってきた自分からしたら、振り付け自体は大して難しくない。よくあるパターンの動きだ。これくらいなら三十分もあれば覚えられる。

「すごい。私これ踊れるかな……」

 隣でゆなが不安そうな声を漏らした。
 彼女のようにダンス初心者もいるから全体のレベルを落としているのだろうが、俺はもっと長所を活かせる難しいものがよかった。

「今のを一つずつ教えていくから、みんな広がってスペース作って。とりあえず最後まで振り付けを覚えるの優先! 上手く踊ろうとしなくていいから」

「「はい」」

「まずは音なしでやるよ」

 そうして、爽やかな青春ソングとは似つかわしくない厳しめの練習が始まった。

 スピーカーから流れる音楽が指先から頭、胴体、そして足先へ水のように流れていく。どんな曲でも、音が自分の体にハマる瞬間が好きだ。くだらない思考なんてすっ飛んで、音楽に体を操られる。これが気持ちいい。
 三回ほど通しで教えてもらったら、大体は踊れるようになった。ダンスを毎日やってきてよかったと思った瞬間だった。

「春兎くん、いいね」

 イツキが俺を見ながら頷く。急に注目を受けたせいで頬が熱くなった。
 彼は俺と理子を指名し、男女で分かれて練習するように指示した。「リーダーとなってみんなに教えてね」と謎にハードルの高いことを要求されて戸惑ったが、期待されているのにできませんとは言えなかった。

 リュウキはもちろんのこと、シオンも俺が見る必要がないくらい上手く踊れる。
 ダンスが苦手だと言っていた啓は、振り付けを覚えるのにかなり苦戦している様子だった。完璧なイケメンにも弱点はあるのだ。足を同時に反対に動かさなければいけないところで片足を前に出したり、首の動きがぎこちなかったりする。
 こういう懸命に覚えようとする姿を見ると、つい構ってあげたくなる。弟がいる影響だろうか?

「啓。セブン、エイトの足はこっちじゃなくて後ろに下げる。右足の踵がつく前に、こう……入れ替える感じ」

 普段は体に落とし込んでいるダンスを言葉で表現するのは難しい。何度かゆっくり動きを見せてやると、首を捻りながら真似してくれた。

「こう? 難しいな……」

「合ってるよ。その足の動き、繰り返しやってみて」

「わかった」

 やってすぐ、さっきはできなかった足の動きが綺麗に直った。

「いい感じ!」

 啓は身体能力が高い。本当に苦手なのかと思うほど、教えてあげたことをすぐアウトプットできる。
 こいつは元々センスがないわけじゃない。きっとまだ、体で動く感覚に馴染めていないだけだ。ミスを繰り返さなくなった啓を見てそう確信した。

「あとは……表情だな」

「う」

「啓の顔、ずっと険しいよ」

「春兎は楽しそうに踊ってる」

「まあ意識してきたから」

 ダンスを本格的にやり始めた頃、参考にしたのは世界で活躍するアイドルの先輩だった。
 韓国にはチッケムという個人のパフォーマンスに焦点を当てた映像がある。ダンスだけでなくカメラの抜かれ方や表情作りが一際上手い人を見つけて、とにかく最初は真似をした。それから次第に自分に合ったパフォーマンスができるようになったのだ。

「すごい努力家だよな」

「あ、ありがと」

 まるで“全部見てきたから分かる”と言わんばかりに褒められてしまうと、謙遜すらできない。

「僕はどうしても……踊るほうに気が取られる。顔を気にしなきゃってわかってるのに」

「大丈夫。振り付け覚えて余裕出てきたら変わるよ。俺もそうだったし」

「そうなの? じゃあ、がんばる」

「うん……」

 アイドルとしてデビューしたい。誰よりもその気持ちはあるつもりだった。けど今は、同じグループに啓がいたらどれほど楽しいだろう──と頭が妄想に走ってしまう。そのためには自分もデビューしなきゃいけないというのに。

「春兎~! 俺も教えて」

 朝也が肩を組んできた。別に言われてもいないが、しばらく啓に付きっきりだったのを責められたような気がして恥ずかしくなった。

 SNSに載せる動画を撮るため、ステージに上がってパフォーマンスを披露した。
 体育座りをした女子たちが下から鋭い目を向けてきて緊張したが、ダンスは問題なくできたと思う。交代で同じように女子も撮影し、二つの動画を投稿した。
 審査するのは一般の人だ。専用のフォームが用意されていて、投票できるのはたったの一時間だけ。この時間帯に仕事をしている人は参加すらできない。

「お、結果出たって!」

 葵がスマホの画面をこちらに見せてくる。スタッフからのメールが届いていた。件名はシンプルに“投票結果”の一言のみ。

「葵ちゃん、メール読んでもらえる?」

「うん。えっと……まず一位から順番に発表します! 一位、春兎と理子。二位、リュウキと恵美。三位、シオンと私。四位、啓とゆな。五位、一馬とまりな。六位、朝也と綾香。尚このペアで翌日の夜デートをすること……だって」

 ──俺が一位? このメンバーで!?
 信じられない結果にごくっと喉が鳴った。ぶわっと一気に体が熱くなったが、反対に空気は冷え切っている。
 結果について誰も何も言わなかった。やったと喜ぶ人もいない。ここまではっきり順位をつけられてしまうと、いい順位であっても喜べないものだ。
 重い雰囲気をぶち壊したのは朝也だった。

「うわあ俺、最下位かよ~。でも綾香ちゃんとデートできるのラッキー」

 その一言でドッとみんなが笑う。

「たしかに。俺もまりなちゃんとデートできるの嬉しい。話したいと思ってたから」

 一馬が続いた。さすが喋りが得意なだけある。こんなにも簡単に空気を変えてしまうとは。
 彼らが明るく振る舞ういっぽうで、自分は一位になったのに面白い一言も言えない。嫌味になってしまうのが怖くて、慰めの言葉もかけられない。
 ──俺が一位で本当によかったのか?
 三ポイントも手に入れられたのに複雑な気分だ。


 風呂から出てベッドで横になっていると、啓が帰ってきた。

「あ、春兎」

「え!?」

 上半身、裸。首からぶら下げた何の役にも立たないタオルで髪を拭く姿を見て、目が飛び出る。
 まだ部屋のカメラは回されている。啓はまったく気にしていないのか、唖然とする俺に首を傾げた。

「どうしたの」

「い、いや、お前、服!」

「ああ。浸かりすぎて逆上せたから」

「撮られてるのに」

「使わないでしょ。こんなの需要ないよ」

 あるに決まってるだろ!!
 ──と心の中で叫ぶ。その綺麗に割れた腹筋に見惚れたせいで言葉にはならなかった。
 ぼこぼこと線が浮き出るほど見事に筋肉がついているそこから、どうやっても目が離せない。

「春兎……?」

「あっ、いや、ごめん。すげえ割れてるから」

「触ってみる?」

「は?」

「いいよ」

 どうしてこう、筋肉に自信がある男ってやたら触らせたがるんだろう。スポーツをやってる友達の中にも必ずそういうヤツがいる。もちろん断るが。
 目の前に差し出された腹筋を前にして少し悩んだ。カメラが気になって仕方ない。けど、そんなことより触ってみたい。
 結局、好奇心に負けておずおずと手を伸ばした。

「おわー……」

 風呂上がりだから肌が手のひらに吸い付いてくる。でこぼこを指で押してみると、硬い弾力に跳ね返された。これはすごい。

「筋トレ頑張ってるんだ。アイドルは体力が要りそうだし」

「えらいな」

「春兎も見せて」

「は? いや無理」

「えー……」

 シュン、と子犬のような瞳で見つめられても無理なものは無理だ。カメラの前なんかでこいつみたいに晒せるほど、俺は鍛えていない。そんなことをしたら恥をかくだけだと分かっている。

「早く服着ろよな」

「うん。あれ、スマホって没収されなかった?」

 持っていたスマホの画面を覗き込まれた。
 裸の圧を感じて顔を後ろに引く。あまり近づかないでほしい。

「……動画見る以外に使わないので、一時間だけ貸してください、って言って借りた」

「そんなのアリなんだ」

「一緒に見る? ダンスの動画」

「みたい」

「じゃあ服着て」

「わかったよ」

 溜め息混じりに頷かれる。こっちが溜め息をつきたいのに。
 ベッドのスペースを空けてやると、シャツを着た啓が見えない尻尾を振りながらすぐ隣に来た。腕がぴったり密着する。相変わらず距離が近い。
 ──のぼせたって言ってたのに、暑くないのか?

「マックス観てたんだ?」

 動画に映っている人を見ながら啓が言う。
 マックスは韓国のみならず、日本でも人気があるナムジャドルだ。そして俺のロールモデルの一人でもある。

「昔から好きで……この人のパフォーマンスえぐいんだよ」

「見たことある。前に春兎が紹介してたよね」

「だからお前、そういうのあんまり言うなって」

 カメラに意識が向いて声が小さくなった。余計に体が密着したあと、「大丈夫、こんなシーンは使われない」と囁き声で返される。使われない自信があるなら、なぜそのボリュームで喋るのか。

「僕は春兎のダンスが観たいな」

「……いやだ」

「凄くかっこいいのに」

「~っ、もう……うるさい、まじで」

 動画を見るのをやめようかと横を見たら、啓のドアップが視界に広がった。
(くそ、かっこいいな)
 風呂上がりのスッピン、もちろん髪はセットされていない。なんでその状況でイケメンなのか。
 動画を観るのを忘れて顔に見惚れていたら、ふっと啓がこちらを見て微笑んだ。

「ん?」

 ──あああもうまじでやめてくれ。
 優しくて甘い表情に、脳みそが蕩けそうになる。

「なんでもない」

 もっと見ていたい。逸らしたくないと拒否する体を必死に動かしてスマホに目を向ける。

「あっ、そうだ」

 唐突に立ち上がった啓が、リュックの中からキーホルダーを取り出した。動物園で買ったものだ。

「はいこれ。春兎に」

「え!? 俺に……?」

「うん」

 顔の横に並べられ、「似てる」と笑われた。
 そして、そいつが手の中にころんと落ちてくる。チェーンが頭についた小さくて白いモコモコのぬいぐるみ。アザラシではなく、兎だ。
 あの時は啓が誰かとお揃いにするんじゃないかと不安だった。まさか俺にくれるものだったなんて。

「う……うれしい」

 もう一つのアザラシのキーホルダーは誰にあげたんだろう。確認したいけど、知りたくない。どうせきっと理子にあげたのだと分かるから。

「ありがとう」

「いいえ。僕が買いたかっただけだし」

 ハッとした。俺は何もこいつに買っていない。お返しにあげられるものが何も──と考えて、ふとペンギンのぬいぐるみが頭に浮かんだ。
 あれは啓に似てると思って買ったものだ。お返しに渡してもいい。
 取りに行こうとしたら、部屋のドアがノックされた。

「すみません、春兎さんいますか? 黒板にメッセージ書いてもらいたいんですけど」

「あっ、今いきます!」

「いってらっしゃい。これで春兎のダンス観てるね」

「みなくていい!」

 笑いながら廊下に出る。
 渡すタイミングを逃してしまった。恥ずかしいけど、あとでちゃんと渡さないと。


 一日目に黒板に書いたものは消されていた。今日は一番手ではないらしい。黒板はほとんど埋め尽くされている。
 啓のメッセージもあるかもしれないと思って探したら、昨日と同じ文字を発見した。

「あっ」

 “うさぎみたいで可愛い”
 ──また俺宛のメッセージ?
 今さっき兎に似てると言われたばかりだ。きっと俺に向けた言葉のはず。

「可愛いってなんだよ……」

 そういうのは女子に言うんじゃないのか。せっかく誰かにアピールできるチャンスを俺で無駄にしていいのか。
 そう思いながら自分も啓に宛てたメッセージを書くことにした。
 “ペンギンみたいで可愛い”

「なにやってんだろ」

 俺たちはバカだ。男同士でぬいぐるみをプレゼントして、ベッドでイチャイチャして、メッセージを書き合うなんて。

 深夜にカメラが切られたあと、啓を起こさないようそう……っと起きた。そして枕元にペンギンのぬいぐるみを置いた。カメラに映るのを考慮した結果だ。
 ──明日どんな反応するだろう?
 啓の喜ぶ顔を想像して、なかなか眠りにつけなかった。