二日目。啓は朝に強いらしく、俺が起きる頃には着替えもヘアセットも終わっていた。
「イケメンって、何から何まで完璧なのかよ……」
ベッドの中でこぼれ出た嫌味が本人に届いてしまったのか、はたまた起きたのをただ確認したのか。啓が「おはよう」と柔らかい微笑みを俺に向けてくる。朝から致死量のイケメンを浴びたせいで、余計に目がしぱしぱした。
眠気を微塵も感じさせない声で話しかけてくる啓をあしらいながら急いで支度を終わらせたあと、一人で昨日の黒板を見に行った。誰かがこの教室にいる時は入ることができない。メッセージの匿名性を高めるためなんだとか。
ドアに設置された札を使用中に変え、中に入る。そして啓の字を探した。
「どれだろ」
流石にこれだけの人数がいると、昨日知ったばかりの相手を特定するのは難しい。
ひとつずつ確認していく。自分のメッセージの近くに書いてある文字が目に留まった。
“ダンスが上手くて羨ましい”
「あ」
──これだ。直感でそう思った。
「真似すんなし……」
思わずふっと口角が上がる。
啓が書いたという確証はないが、なんとなくこう返すのは彼しかいない気がする。
朝食を終え、日中に行く場所を選択した。動物園とアスレチックどちらかのグループに分かれる。
動物園を選んだのは、俺の他に啓・理子・ゆな・シオン・葵の六人。誰がどこに行くか知らない状態でスタッフにこっそり伝えたのに結果はちょうど半々になった。
動物園のスタッフと撮影チームが打ち合わせをしている間、休憩を兼ねて待機させられた。トイレから談笑しながら葵と理子が出てくる。
「なんかあっちはアグレッシブなチームだよね」
「あっちって、アスレチック選んだ人達?」
「うん。リュウキくんとか一馬くんとか……」
「まりなちゃんも運動好きって言ってたし」
「まりな、ギャルなのに意外だよね」
やっぱり女子同士でも裏で交流しているらしい。第一印象の話もしたのだろうか。もし、「春兎くんは微妙」とか言われていたらどうしよう。
「春兎くんは動物好きなの?」
「え!?」
唐突にゆなが後ろから話しかけてきて、肩が飛び跳ねる。余計なことを考えていたから驚いた。
「ごめん、ビックリさせちゃった」
「いや全然! 動物めっちゃ好きだよ」
「そうなんだ。私、春兎くんともっと話してみたいなーって思ってたから……今日一緒に行動できるのうれしい」
「そ、そっか。ゆなちゃんも動物好き?」
「うん。特にペンギンが好きなんだ」
「ペンギン可愛いよね」
ゆなと話しながら、少し離れたところにいるシオンと啓に目を奪われる。二人ともランウェイモデルみたいに身長が高くて足が長い。
今日はどちらのグループも外にいる時間が長いからと、制服の上に防寒着を許された。女子は撮影を意識して明るい色のボアコートやショート丈のダウンを着ている人が多かった。その反面、男子は黒系のロングコートやダウン、ジャケットなど地味め。
あの二人も例に漏れずロングコートやもっこりした分厚いダウンを着ているが、なぜかダサさが一ミリも感じられない。
「春兎くん?」
「え?」
「なんかぼーっとしてたから」
「あ、ごめん。啓とシオンすげえスタイル良いなと思って見てた」
特に啓はコートがよく似合っている。あの清純派イケメン顔に、手足の長さが強調されるコートを見事に着こなす身体。さっき通り過ぎた一般の女性も、この芸能人は誰だという感じで彼を見たあと振り返っていた。
「わかる、モデルできそうだよね。身長高いし」
「羨ましい。俺は男の中で一番背が低いから……あんなコート着たら余計ダサくなる」
「え、そんなことないよ? 春兎くんもスタイルいいじゃん」
「ゆなちゃん優しいね」
「やっ、お世辞とかじゃなくて!」
ただの冗談にゆなは本気で焦った顔をした。
ほとんどの女子と会話をしたが、他の人に比べてゆなは純粋で優しいと思う。少なくとも計算高い性格ではない。
昼のツーショットタイムに誘ってみようか。そんな気持ちが芽生えて声をかけようとした瞬間、啓が突然こちらを振り向いた。
「春兎とゆなちゃん、撮影始まるよ。おいで」
「ふふっ、おいでって……子どもだと思ってるのかな?」
可笑しそうに笑ったゆなが小走りで皆のもとに行った。その後ろを追いかけながら、たしかに今の「おいで」は破壊力があったなと頷く。俺が言ったら突っ込まれそうな台詞でも、彼なら胸キュン台詞になってしまう。
啓は何故かゆなを素通りして俺の隣に来た。
「二人でなに話してたの?」
ポケットに手を突っ込んだまま、上から顔を覗き込んでくる。
「え」
ドドドッと一気に心臓が速くなった。
身長が低いのをバカにしているのかと邪推が頭を過ったのは一瞬のことで、綺麗な顔が近くにあるということに全神経が持っていかれた。
「ずっと話してたじゃん」
「……なんでもない」
「僕も混ざりたかったな」
「別に大したことじゃないって。早く行かないと」
俺をドキドキさせてどうするんだ?
無駄に見つめてくる男の胸を押し退け、みんながいるところに向かった。
スタッフから、撮影しやすいように全員でまとまって行動するように、そして極力ペアになって見るようにと指示を受けた。どの施設を回るか順番も決められている。思っていたより自由度の低い撮影に、内心がっかりした。
先頭からシオンと葵、啓とゆな、俺と理子が並んで歩いた。自分を除く男子たちがそれぞれ相手を誘った結果だ。
最初に入ったアザラシの家は、泳ぐ姿を中から観察できる建物だった。右側一面にガラス張りの窓、中央にあるのは縦型の筒。そこを斑点模様がついた丸い巨体を優雅に揺らしながらアザラシが漂っていく。
「えっ可愛い~」
理子が窓に近づいて目を輝かせた。
「私、あざらしが泳いでるとこ初めて見たかも」
「寝てるイメージあるよね」
「そうそう。これ、外に出てるのも見られるのかな?」
「上あがるとこあるって!」
シオンが振り向いて答えたあと、すぐ体の向きを変えて葵を見た。
──なんか、距離近くないか?
アザラシを見る機会なんて滅多にないのに、シオンの視線は葵に注がれている。キャッキャと騒ぐ葵と他のメンバーは気づいていないが、彼一人だけアザラシどころじゃなさそうだ。
上で寝ているアザラシを眺めたあとは、熊やレッサーパンダ、さる、フクロウなどを見て回った。
ゆなが楽しみにしていたペンギンは“お散歩”が見られるらしい。雪が均された外の道に案内され、他のお客さんが横一列に並んでいるところに俺たちも立った。
「まって、やばい!」
ペンギンの団体が奥から出てきたのと同時に、ゆなが興奮気味に叫ぶ。これまで大きな声で騒いでいるのを見たことがなかったから、そのギャップにこっちが驚いた。
「あは、雪食べてるよ」
「えーこれ写真撮りたかった」
「……かわいい」
みんなが口々に感想を漏らす中、啓が目を細めてペンギンを見つめた。ただでさえ色白なのに、寒さのせいか余計に顔が輝いて見える。
ふわふわの白いお腹を自慢気に晒しながら黒い手をパタパタ振って歩くペンギンたち。つい可愛いと言ってしまうのも分かる。
(なんか……ちょっと啓に似てるかも)
色白の体と黒のロングコートの配色、そして愛らしい顔つき。
ペンギンと隣の男を交互に見て思わず笑いそうになった。正確に言えば、笑ってはいない。唇を合わせて堪えただけだ。だが啓は目敏く指摘してきた。
「春兎、なにか面白いのあった?」
「啓と似てるなって思って」
「……ペンギン?」
「うん。可愛い」
「褒められた……ってことにしておく」
「いいじゃん、人気者だしさ」
撮影は続いている。あまり男同士で話されても、スタッフにとっては喜ばしくないだろう。啓もそれ以上は追求してこなかった。
ペンギンたちが帰るのを見送り、最後は小動物がいる触れ合いコーナーに行くことになった。ペアはさっきと変わらない。理子の隣で再び歩き出そうとしたら、不意に手を繋がれた。
「──え?」
「手、冷えちゃった」
理子がマイクに拾われないくらいの小さな声で言った。さらには指を絡めてくる。
大胆なことをした割に彼女の顔は普段通りだ。照れる素振りもないその態度に、これがミッションであることに気が付く。理子は俺と同じ内容の紙を引いたのだ。
しっかり繋がれた右手と目の前を歩く男を見る。
こいつに知られたらどうしよう、見られたくない。なぜかそう思った。別にどうこうなるわけではないが、啓は第一印象に理子の名前を挙げている。
──嫉妬とかすんのかな?
誠実で犬っぽい性格の穏やかな啓が、なにかに嫉妬する姿はあまり想像できない。嫉妬したらどんな風になるんだろう……などとぐるぐる考えていたら、いきなり啓が足を止めた。急だったせいで背中に体がぶつかる。
「あ、ごめん春兎」
「いや大丈夫」
「え……」
振り返ってまず啓が見たのは俺たちの手だった。
なにか言わなきゃ。適当な言い訳を、なにか。
「春兎くんに温めてもらってるんだ」
理子が煽るように言う。やめてくれと思ったが、むしろ彼女はこれを望んでいたのかもしれない。俺と仲良いところを見せて嫉妬させれば恋心が膨らむ可能性もある。ずる賢いやり方だ。
「ほ、ほら、もう着いたから」
反対側の手で建物を指さすと、やっと手を離してもらえた。啓は未だ俺たちの様子を伺っている。
室内に入って兎やモルモットを抱っこしてもまだ、しつこく俺に視線を送ってきた。やはり嫉妬しているんだろうか。
終いには俺の膝に登ろうとしてくる兎を見て、
「このうさぎ、春兎にばっかり懐いてる」
と意味のわからないことを言い始めた。啓こそ俺ばかり構ってないで理子のところへ行けよと思ったが、動く気配は感じられない。
「兎は懐いたりしないだろ」
「する。むしろ飼い主以外にはあんまり懐かないって言われてるんだよ。警戒心が強いから」
彼は得意げな顔でそう言って兎の頭を撫でた。
「え、飼ってる?」
「昔ね。今はもういないけど」
「そっか」
「そういえば、春兎に似てたかも」
「……さっきの仕返し?」
くすくすと啓が笑う。さらには俺が抱っこしていた兎を取り上げて、こういう感じだったと腕に抱き直した。
「うちの子、綺麗な顔してたんだ。目が大きくて毛が柔らかくて。僕が撫でたら蕩けた顔する」
「俺そんな顔してないけど。てか撫でられてもないし」
「撫でていいの?」
「むり。兎じゃないから」
「残念」
(なにが残念だよ。思ってもないくせに)
ふと、肩を落とした男の背後にカメラを見つけてハッとする。そういえば撮影中だった。女子と絡みに行かないと怒られてしまう。
「俺、理子ちゃんに話しかけてくる」
「あ……」
グズグズしてる暇はない。恋愛に興味がなくても、デビューするために必要なことをやらなければ。
昼のツーショットは理子を誘った。シオンはやはり葵を誘い、自ずと啓はゆなとペアになった。
ツーショット──と言っても、レストランは食堂のような手軽に食事できる飲食スペースだ。二人で親密に話すような雰囲気ではない。
「理子ちゃんはなんの動物が好き?」
「今日見た中で?」
「じゃなくてもいいし」
理子は味噌ラーメンを啜ってから、「猫も好きだけど、やっぱりうさぎかな」と答えた。
「アザラシじゃないの?」
「んー、好きだけど家では撫でられないでしょ。私はなでなでしたい人だから」
「なるほど」
「猫は気分屋だけど、うさぎはいつでも撫でさせてくれるから好きなんだ」
啓も理子も、随分と兎に詳しいみたいだ。
「話変わるけど、春兎くんは昨日の第一印象……誰にした?」
いきなり踏み込んだ質問を投げられて箸が止まる。きっと、ここは素直に答えたほうがいい。
「り、理子ちゃんとゆなちゃん」
「ほんとに? うれしい」
「理子ちゃんは?」
「春兎くんと、啓くんだよ」
なんとなくそんな気がしていた。今のところ理子からアプローチを受けているのは俺たち二人だけだ。
「そっか」
彼女を啓と奪い合う形になるんだろうか。なんとなく、それは嫌だなと思った。
ただ、もっと積極的にならなきゃいけないと思えば思うほど気が重くなってしまう。まるで宿題が終わっていない夏休み最終日のようだ。
撮影の最後に売店に寄ることになった。お土産を中心に販売しているらしく、店内にはずらっと大量の動物グッズが陳列されている。中でも大幅な場所を占めるのは様々なサイズのぬいぐるみ。『一番人気』と書かれたポップの下に、ペンギンのぬいぐるみが置いてある。
ぬいぐるみにさほど興味はないが、手のひらサイズのなんとも言えない顔をしたペンギンのキーホルダーに惹かれた。啓に似ていると話したばかりだから、愛着が湧いてしまった。
自分用に買って帰ろうと手に取ったあと、隣のコーナーで兎のぬいぐるみをじっと眺めている理子に会った。
「春兎くん買うの? それ」
「うん。理子ちゃんは」
「うーん……悩んでる、けど、やっぱいいかな」
そう言いながら目はぬいぐるみに釘付けだ。彼女が去ったあと、シオンと葵が何やらキーホルダーを持って笑っているのが視界に入った。「お揃いにしよーよ」なんて、カップルみたいな会話が聞こえてくる。
あそこまで分かりやすくていいのか。いや、逆にみんなを騙すためのカムフラージュとか?
「あれ、春兎も買うんだ」
にゅっと後ろから現れた啓が、俺の返事を聞く前にぬいぐるみのキーホルダーを二つ取ってレジに行ってしまった。一つは兎、もう一つはアザラシ。
──もしかしてあいつも誰かとお揃いにするのかな。もしそうなら、自分もこうしてはいられない。
理子が見ていた兎のぬいぐるみを買って、店を出てすぐに彼女に渡した。嬉しい嬉しいと大袈裟なほど喜んでくれたが、気分は良くならなかった。


