食事を終え、トイレと歯磨きをしてから体育館に集められた。ステージの上には四台のスマホ、その横に歌詞が書かれた紙と指示カードが置かれている。ゆなが内容を読み上げてくれた。

「スマホにデモ音源が入っています。四つのグループに分かれて歌の練習をしてください。今日は発表はありません」

「ここに入ってるんだ」

「うわ、なんか緊張してきた!」

「グループはどうやってわける?」

「たしかに。その指示書いてないよな」

 どうせなら啓の特技だという歌を聴いてみたい。声をかけようとしたら、あいつがこっちに向かってずんずん歩いてきた。

「春兎。一緒に練習しない?」

「あ……うん。俺も声かけようと思ってた」

 あと一人、バランスを考えたら女子を誘うべきだろう。誰がいいかと聞く前に啓が理子を見て笑顔を作った。

「理子ちゃん。僕と春兎で組むんだけど入らない?」

「入りたい!」

「じゃあ一緒にやろう」

 俺たちはスマホを持って体育館の隅に移動した。他のグループは、ゆな・まりな・一馬、リュウキ・シオン・葵、朝也・恵美・綾香でそれぞれ分かれた。
 この番組の企画には“恋を見破られたら脱落する”という仕組みがある。つまりお互いを見破る立場になるということ。それに備えて、他の人の動きをよく見ておかなければいけない。

「音源、これだよね」

 ホーム画面にはわかりやすく『デビュー曲音源』と書かれた音楽データが置いてあった。綺麗に磨かれた爪を光らせながら、理子がそれをタップする。
 もちろんデモ音源だから映像もないし、音自体のクオリティも低い。ぶ……ぶ……とざらついた音が波を立てながら同時に音楽が流れ始めた。
 良く言えば耳馴染みの良い──、悪く言えばありがちなメロディー。ひよっこアイドルグループらしい曲。歌詞も、“夢を掴むんだ”とか、“恐れるな先を見ろ”などよくあるフレーズが使われている。
 サビの次にラップが入った。これも今どきのK-POPの曲ではよくある傾向だ。

「なんか……青春って感じ」

 理子がオブラートに包んで言った言葉に啓が愛想笑いで頷く。
 世界で活躍するアイドル達が次々に勢いのある曲を出す中で、素人で結成されるグループがこれを掲げてデビューする。果たしてそれで結果が伴ってくるのか疑問だ。
 いくら努力しても、曲が良くなければ売れないと事務所の誰かが言っていた。
 曲が終わったあとに沈黙が落ちた。二人が交互に顔を見てくるから、とりあえず練習しようと言って微妙な空気を断ち切った。

「待って、誰がどこ歌う? 私ラップは歌えないよ」

「あ、俺も」

 歌はそこまで得意ではないし、そもそもラップを歌うのはかなり難しい。メロディーが上手く歌えてなおかつ独特なリズム感が身についていなければならない。
 理子と俺が同時に啓を見た。この中で唯一、歌えそうだからだ。しかし啓は眉毛をぐっと下げて、「僕もラップは……」と歯切れ悪く言った。

「先に啓の歌聴きたい。ボーカル部分でいいから」

「私も聴きたい!」

「うん、じゃあ……恥ずかしいから下向いてて」

「はーい」

 顔を見ていたかったのに残念だ。
 俺たちが床に視線を落としたのを確認してから、啓は再び音源を流した。

「──Cause I'm a new dream──」

「おお……」

 歌声を聴いた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。慌てて手で口を覆う。
 穏やかで鼓膜が包まれるような優しい声。それでいて張りがあって聞き取りやすい。なにより──、これは今さっき聴いたばかりの曲、しかも歌い出しは難しい英語の歌詞。上手に歌うなんて不可能に近いのに、目の前の男は難なくやってのけた。

「かっこいい」 

 一瞬、自分の心の声がまた出てしまったのかと思った。だがそうではなかった。見るなと言われたのに、理子が恍惚とした表情で啓の顔を見つめている。きっと本心から出た言葉なのだろう。
 それを見てようやく、しまったと思った。こんなにイケメンで歌も上手い啓を好きにならないわけがない。最初は俺に興味を持ってくれたかもしれないが、今後はそうもいかなくなる。

「啓くん本当に歌上手いね。びっくりした」

「ありがとう」

「英語も上手かったけど、喋れんの?」

「うーん、少しだけ。小六までアメリカに住んでたから」

「まじか」

 高身長でイケメンで優しくて歌が上手くて、極めつけに帰国子女。この男に欠点はないのか?

「やばい、かっこよすぎる」

 理子が目を細めて唇にきゅっと力を込めた。これが所謂“メロつく”というやつか。ネットではよく見かける表現だけど、実際に見るとは思わなかった。
 二人の世界を壊すために咳払いする。この状況はあまり気分が良くない。

「練習しようか。とりあえずラップ部分も全員歌わなきゃいけないと思うし」

「そうだね」

「じゃ、歌詞は真ん中に置けばいい? ちょっと見づらくなるけど」

「大丈夫。もっと近づいて座ろ~」

 理子の提案で三人の距離が縮まった。胡座をかいた足が啓の膝と触れ合う。歌詞を見なきゃいけないのに、意識がそっちに持っていかれそうになった。

 休憩を挟みながら五時間ほど練習したあと、全員で学校の外にあるレストランに行った。そこで初めて他の女子と長めの会話をした。進展は特にない──どころか、いろんなところに気を遣ったせいで精神的に疲れた。
 早く休みたかったのに、校舎に戻ると真っ先にスタッフに呼び出された。
 教室の中には大きなカメラと照明、その目の前にぽつんと椅子が一脚置いてある。座ったらすぐに撮影が始まった。 

「春兎さん、第一印象で気になった人はいますか?」

「あ……はい」

 そういえば、すっかりこれを聞かれることを忘れていた。事前に答えを準備しておこうと思ったのに。

「名前教えてください」

 今のところ気になる女子はいない。ただ一番最初に候補に入りそうだと思った理子とゆなの二人は、優しくて話しやすかった。誰もいませんと答えるよりはマシなはずだ。

「理子ちゃんと、ゆなちゃんです」

「理由は?」

「えっと……二人とも話しやすくて優しいので」

「ありがとうございます。それじゃあ次なんですけど、前にある黒板に、誰かに宛てたメッセージを書いてください」

「誰でもいいんですか?」

「はい。あ、ただご自身含めて名前は書かないで」

「わかりました!」

 張り切って黒板の前に立ったはいいものの、書きたいメッセージが何一つ浮かんでこない。カメラとスタッフの視線が背中に突き刺さっている気がする。
 ──相手は誰でもいいんだよな?
 それに内容をぼかして書けばバレないはず。躊躇いながらチョークを手に取る。まだ誰のメッセージもない真っさらなそこに指を滑らせる。
 “歌が上手くて羨ましい”
 書き終えた途端にスタッフから声をかけられた。

「はい、春兎さんの今日の撮影は終わりです」

 俺と啓の部屋は、廊下の一番手前にある。もし部屋順で撮影するのであれば、あのメッセージを黒板に書いたのは俺だと知られてしまう。そこまでよく考えていなかった。
 別に自分宛に彼がメッセージを書くとは思わない。ただ、誰に何を書くのか、第一印象は誰と答えるのか気になる。自分はおかしいのだろうか。

 落ち着かない気分のまま風呂に向かった。部屋ごと改造されたのか、シャワーの他に大きな浴槽が二つあった。まるで修学旅行のようだと思ったのは俺だけではないらしく、他の男子メンバーもはしゃいでいる。コケて怪我しないといいけど。

「なあっ、春兎って啓と知り合い?」

 シャンプーを流していた時、突然後ろから肩に腕を回された。咄嗟に目元の泡を手で拭うも、目の中に入ってきてなかなか開けられない。

「ちょっと待って」

「あ、悪い」

 お湯で顔を流すと、やっと強引に肩を組んできた犯人がわかった。

「リュウキか」

「カメラあると女子とばっか話すことになるしさ、ちょっとここで話そうぜ」

「いいけど……」

「湯船つかる?」

「うん、じゃあ」

 いつの間にか他のメンバーは風呂から上がっていたようだ。先に湯船に入ったリュウキの隣に、同じ壁のほうを向いて座る。

「春兎って啓と知り合い?」

「いや……向こうが知っててくれただけ」

「へえ~。お前ら仲良さそうに話してたから元々知り合いなのかと思ったよ」

「まあ、啓が話しやすいから。いいヤツだし」

「そうなんだ」

 リュウキは特技でアクロバットを披露した。ダンスが命の俺にとって、きっとライバルになっていく相手だろう。

「リュウキは普段は何系を踊ってる?」

「ヒップホップかなー。アクロバット取り入れて踊るのも好き」

「今朝のあれも凄かったもんな」

「サンキュ! あれは大した技じゃないけど」

 あれが大したことないだなんて、普段はどんな激しい技を繰り広げているのか。

「春兎はダンス得意?」

「あー……一応?」

「自信なさそうに言うなよ」

「だって」

 恐らくリュウキのダンスレベルはかなり高い。リズム感とかパフォーマンス表現とか色々あるが、結局はダンスの基礎が出来ていないとあんなことはできないと思う。

「春兎めっちゃイケメンだし、せめてダンスは負けないように頑張るつもりだからよろしく」

「……俺も頑張る」

 イケメンに褒められてもただの嫌味にしか聞こえないな──と僻みっぽいことを考えつつ、湯船の中で差し出された手を軽く握り返した。

 部屋に戻ると、すでに啓が撮影を終えて戻ってきていた。なぜか俺のベッドに腰掛けている。
 まだこの部屋のカメラは切られてないはずだから、言動には気をつけなければ。

「啓、風呂は?」

「さっきシャワー浴びたよ」

「あ、そうなんだ」

 優しい笑顔を向けられてしまったら、なんで俺のベッドにいるんだなんて咎められない。カメラにどう映るか気にしつつ仕方なく隣に座ることにした。

「あのさ春兎……」

「ん?」

「いや」

 撮影中であることを気にかけているのはこいつも同じだ。啓が言いにくそうに、言葉を選んで話し出す。

「第一印象、なんて答えた?」

「それは」

 言ってもいいのだろうか。これに関しては特にルールはなかったよなと思い返して、二人の女子の名前を教えてやった。

「ゆなちゃんと理子ちゃんか……」

 啓の顔が暗くなった。気のせいかもしれない。

「啓は?」

「……僕も理子ちゃんって答えた」

「あ、そ、そうなのか」

 何故かどっと鼓動が速くなる。自分と同じ相手を選んだから──というよりも、なにかもっと別の理由だ。
 狙っていた人をこいつに取られてしまう?
 いや、違う。多分そういうのじゃない。まだ初日だ。いくらでも相手は変えられる。
 言い表せない感情に戸惑っていたら、啓が沈黙を破った。

「ああいう……女の子がタイプ?」

 答えに悩んだ。タイプかどうかで聞かれたら答えはイエスだが、未だ誰にもドキドキするほどの感情を抱いていない。──この隣にいる男を除いて。
(女子じゃなくて男相手にときめいてるの、やばいな)
 あまり返事をする気になれず、「啓は?」と質問返しをした。

「僕はまあ……うん。明るくて努力家な人が好き。理子ちゃんの性格はまだわからないけど」

「へえ」

 俺にはまったく関係ない。こんな話は理子本人にしろよと思ったら、どんどん腹が立ってきた。啓の腕を引いて立たせる。

「もう寝よう。明日も早いし」

「あ、うん」

 啓とは今日初めて会ったばかりだ。なのに、なんで昔からの友人みたいな感じがするんだろう。初対面の相手にこんな感情を抱いたことは、今まで一度もなかった。