スタッフに割り振られた俺と啓が泊まる教室には、机や椅子は一つもなかった。その代わりに木製のベッドが四つ並んでいる。
キャリーをとりあえず隅に置いたのはいいとして、どのベッドを使おう。
「啓はどこで寝たい?」
「どこでもいいよ」
穏やかにそう言われてしまうと余計に悩む。廊下側は誰かが通った時に落ち着かなさそうだ。
「じゃ……俺はここで」
窓側のベッドを選んで腰掛ける。すると、啓は頷きながら隣のベッドに荷物を置いた。
「な、なんで隣なの」
「だめ?」
四つもベッドがあるのに隣同士で寝ることに違和感を覚えたのは俺だけのようだ。さらには正面から向かい合う形で座られて、その近さと顔の良さに思考が止まる。
たぶん、他のどの部屋を見に行っても、俺たちみたいにこんな至近距離で話している男子はいない。
「あのさ……近くね?」
さっきも感じたが、啓は人との距離が近い。それも鬱陶しい嫌な感じではなく、気づいたらそばにいるような──天性の人たらしというやつだろうか。このビジュアルでこれが当たり前ならモテて仕方ないだろうなと勝手に納得する。
「ごめん」
「あいや、悪いとかじゃなくて」
俺が余計なことを言ったせいで気まずい顔をさせてしまった。
撮影再開までまだ時間がある。何か話題はないかと考えて、体育館で話したことが途中だったのを思い出した。
「そうだ、さっきの続き聞かせて。俺のこといつ知ったの?」
「高一の頃。ダンスバトルで踊ってる春兎を見て……凄いかっこいいと思ったんだ。友達から春兎の名前教えてもらって、すぐアカウント探した」
「まじですか」
そういえば、過去に一度だけ高校の先輩と一緒にダンスバトルを見に行ったことがある。最初は同世代の実力を見るだけの予定だったが、先輩に背中を押されて参加したのだ。
経験不足だったあの頃は即興でなんてまともに踊れなかった。とにかく悔しくて翌日から毎日練習をするようになって、それをきっかけにダンスの動画投稿も少しずつ始めた。
今は思い出すのも恥ずかしい記憶だが、あれがなければ今頃も日常系の動画しか載せていなかったのかと思うと感慨深い。ただ、啓に見られたことが恥ずかしい。
「あんな下手だったのに……」
「いや。僕はダンス苦手だからよく分かる。春兎のダンスはいつでもかっこいい。踊ってる時の表情も楽しそうに見えるしキラキラしてる。僕はあんな風になれない」
おっとりした話し方だった啓がいきなり早口で捲し立てた。
ギャップに驚いてしまったのを、引いたと勘違いされたらしい。啓がぎこちなく目を逸らす。顔は子犬系で可愛いのに、態度は利口な大型犬みたいだ。
「ふはっ、なんか啓って面白いな。それで三年近くも動画見るやついるか?」
「ここにいる」
「びっくりだよ、啓みたいなイケメンに見られてたなんて」
「春兎は可愛くてかっこいい……って、あの時からずっと思ってる。だからこの番組で一緒にデビューできたら嬉しい」
「うん。俺も啓とデビューしたい。お互い頑張って恋愛しよう」
俺が差し出した手を見て、啓の顔からすっと笑顔が消えた。
「……恋愛しなくてもポイントの獲得数が多ければデビューできるだろ。無理に恋愛しなくても」
「俺は自信ない。だってポイント枠は女子含めてたった二人分しかないんだよ? 無理ゲーだろ」
「僕は春兎が一位になると思う」
「いやいや、なに言って……」
「自分にどれほど魅力あるか分かってない? それより、恋愛しなきゃいけないのは僕だよ」
溜め息混じりに肩を落とした姿も、もはや映画のワンシーンみたいで様になっている。それこそこんなイケメンがデビューできないわけないのに。魅力を自覚してないのは自分だろ、と胸の中で呟く。
「でも……これからよろしく」
中途半端に宙を彷徨っていた俺の手が、ぱっと両手で仰々しく握られた。痛いくらいに力を込められる。
「あ、ああ」
「本当に、春兎に会えて嬉しい。部屋も同じなんて。これだけで来た意味あると思ってる」
──さすがに言い過ぎだ。俺にはまだ、そんなこと言ってもらえる価値はまったくない。ただあまりにも純粋で綺麗な目で見つめられてしまっては、否定することもできなかった。
「ありがとう……」
礼を言いながら、このレベルのイケメンになると手までスベスベしてるんだなあなんて間抜けなことを思った。
撮影が再開したあと、全員がミッションのくじを引いた教室に再び集められた。先ほどと違う点を挙げるとすれば、机が二つずつペアで向かい合わせに繋げられていること、そしてメンバー全員分の給食のトレーが置かれていることだ。
メニューは懐かしさを感じるものだった。牛乳、味噌汁、ほうれん草とコーンの炒め物、砂糖がかかった揚げパン。
「揚げパンとか懐いんだけど!」
「ね~、美味しそう」
やはり揚げパンがみんなの好物なのは今でも変わらないらしい。
適当に席に座ろうとしたら、横から理子に話しかけられた。
「春兎くん、一緒に座ってもいい?」
「あ、うん」
誘われたことに驚きつつ向かいに座る。
そういえば、こういう時は普通は男から女子を誘うものだ。周りを見たら他の男子が「一緒に座ろう」と声をかけていて恥ずかしくなった。
「春兎くんは好き嫌いある?」
「んー別にないかな。理子ちゃんは?」
「ほうれん草……」
トレーに乗った小鉢を見ながら理子が顔を顰める。
「俺、食べようか」
「いいの?」
頷いて小鉢を受け取った。なんだかむず痒い。
──初対面にしてはなんか雰囲気いいかも?
今までアイドルになることだけを夢見てきたから、恋愛経験はない。女子と喋るのもクラスにいる時くらいだ。理子が話しやすい雰囲気を出してくれているおかげで、緊張せずに話せている。
「理子ちゃんってなんか芸能活動はやってる?」
「してるよ。脇役だけどCM出たり、雑誌のモデルやったり……でも専属じゃないから」
「すごいじゃん」
「春兎くんは?」
期待が滲む顔で聞かれると答えにくい。牛乳パックのストローを吸いながら、もごもご答える。
「俺は動画投稿してるよ。ダンスの動画とか」
大した活動もしていないのに事務所に残されているのが不思議だ。
「大変そう~。どれくらいフォロワーいるの?」
「全部のアカウントの合計で言うと、だいたい十万人くらいかな」
「え、すごいね!」
「そう……でもないよ。三年もやってるし」
事務所の仲良い先輩はもっとフォロワーが多い。あれに比べると自分はまだまだ下。この番組をきっかけにもっと増えたらいいけど。
揚げパンに歯を入れたらサクッと音がした。中はふんわりして柔らかい。久々に食べてもやっぱり美味い。
「おいしいね」
俺ではなく、彼女がパンを頬張りながら言った。理子は綺麗めな見た目に反して豪快に食べる。口を大きく開けてパンにそのまま齧りつくせいで、砂糖のカスが口周りにたくさんついている。
「すごいことになってるよ」
子どもっぽい仕草に笑いながらティッシュで軽く払ってあげる。
理子が驚いたように目を見開いた。
──あ、もしかしてミスった感じ?
相手が男でも口周りについていたら拭いてやる。年の離れた弟がいる俺にとって当たり前のことだったが、この人はそうじゃないかもしれない。
「ごめん。普通にティッシュ渡せばよかった」
謝った俺に、理子は「ううん」と首を横に振る。そして頬を赤らめながら、
「今のドキドキしちゃった」
と上目遣いで見つめてきた。きっとこのシーンはカメラに抜かれて使われるだろう。
世間一般的にはこういうのが可愛いとされているのは分かる。が、俺にはあまり理解できない。ポイントを得るための演技かもしれないと頭のどこかで思っているからだろうか。
どんな反応をしたら正解なのか分からず、とりあえず笑って誤魔化した。


