アイドルは秘密の恋をする:デビューまであと7日


 デビュー曲のステージ披露は正午と言われたから、早起きして体育館で自主練に励んだ。当然同じ思考のやつはたくさんいて、リュウキや啓、理子、葵も時間いっぱいまで練習していた。
 昼過ぎに続々と他のメンバーが入ってきて、まりなが扉を開けるなり

「え、みんな練習してたのー!?」

 と館内に声を響かせた。私も練習したかったとぶつぶつ文句を言いながら隅に水のペットボトルを置く。練習に混ざるのかと思いきや、そのまま座り込んでしまった。
 ──デビューしたとしても、彼女とは仲良くはなれなさそうだ。
 そうこうしている間にスタッフが撮影準備を始めた。ステージの下には背丈と同じくらいの大きなカメラが数台、パイプ椅子が六つ並べられる。
 普段と違って立派な撮影セットを見ただけで、早々に緊張してくる。パフォーマンスのためにもカメラ位置を把握しておかなければ。
 
「はーい、皆さん集まってますよね。撮影始めていきます」

「今日もよろしくお願いします」

 理子が礼儀正しく頭を下げた。彼女に見倣って自分も軽くお辞儀する。

「指示カード取るところから撮影するので、えーっと、理子さんお願いできますか?」

「はい!」

「合図のあとにみんな奥から歩いてきてもらって、理子さんがカード取って読み上げてください。じゃあ行きます!」

 最終日なだけあって、スタッフ陣もやる気に満ちている。今までそんな指示はなかったのに、急に本格的なテレビの撮影みたいな雰囲気になった。
 言われた通りカードを取った理子が、ハキハキとした声で指示を読み上げる。

「二つのグループに分かれてパフォーマンスを披露。審査基準は顔、ダンス、歌などすべて。SNSでリアルタイム投票を行い、ランキング一位から三位までの男女にポイントが付与される……」

「それって今までみたいな感じ?」

 葵の質問に理子が頷く。

「同じだと思う。でも今回の付与ポイントは一位から順に五、四、三だって」

「めちゃくちゃもらえるじゃん!」

「ダウトのあれがあっても、まだ分からないな」

 シオンの言う通りだ。最後まで結果が読めない。

「グループ決めはどうする?」

「あっ、このカードに書いてあるよ。最初に披露するのは……私、ゆなちゃん、まりな、啓くん、朝也くん、リュウキくん」

「六人ずつね」

「えー最初かあ」

「……啓、頑張れ」

 ステージに向かう啓の肩を強めに叩くと、強張っていた顔がふわっと柔らかくなった。

「ありがとう」

 ポーカーフェイスに見えて、彼も緊張していたようだ。今ので気持ちが楽になったならいいけど。

 音楽がスピーカーから流れ始める。俺のちょうど目の前に啓が立った。
 歌い始めの英語の部分はやっぱり誰よりも上手い。
 長い腕を綺麗に振り上げ、胸に手を当てる。胸を軸にして足のステップ。動きが滑らかだ。
(できてる……!)
 練習を何度も見てきたけど、苦手だったところもまったく問題ない。今までで一番いい気がする。
 ステージ下の観客に笑顔を振り撒き、サビの振り付けではカメラを捉える。啓の顔の良さが生かされたパフォーマンスだ。
 一瞬、こちらを見られた時は目が合ったかと錯覚した。これがファン心理というものだろうか。もっと自分を見て欲しいと声をあげたくなる。

「ありがとうございました」

 啓に見惚れているうちに曲が終わった。
 彼らと入れ替わってステージに立つ。途端に体が震え出した。下で観るのと全く違う。数台の大きなカメラと大勢のスタッフ、他のメンバーに見られるのは重圧を感じる。
 浅くなった呼吸を治すために深い呼吸を繰り返す。

「曲流します」

 奇遇なことに、俺の真下に啓が座った。いや、奇遇なんかじゃない。きっとあいつがそうしたんだ。
 まっすぐに俺だけを見てくれている。瞬きもせず。一瞬たりとも見逃さないとでも言うように。
 自分の歌声に重なって、頭の中で啓の声が聴こえた。この感覚を覚えている。グルーヴに飲まれて音楽がなみなみと体に入ってくる。
 手を伸ばして、体を捻って、足が跳ねる。思わず笑みが溢れた。
 啓に、カメラに、もっと多くの人に見てもらいたい。
 俺はまるで泥団子を作る少年みたいに没頭した。

「はっ……」

 息が切れたタイミングで音が消える。
 啓がエアーで拍手を送ってくれて、笑顔を返す。張り詰めていた緊張が一気に解けた。

 
 昼休憩のあと、俺たちは昨日の教室に集められた。もう投票結果が出たらしい。
 教壇にいつものカード、そして黒板にはミッションの内容と対象人物の詳細が書いてあった。

「えっやばい……ミッション書いてある」

「えー理子ちゃんが春兎と手繋いでたのってこれかよ! 普通に騙された」

「みんなの反応、面白かった」

 理子がくすくす笑いながら言う。彼女はやっぱり計算高い人だ。
 ──啓のミッションは、みんなの前でハグ?
 見た瞬間に思い出した。スノボで啓が彼女を抱きしめていて、苛ついたのを鮮明に覚えている。まんまと無駄に嫉妬させられた。

「綾香ちゃんとリュウキはミッションできなかった? バツマークついてるけど」

「あー、だってみんなの前でヒソヒソ話だよ? 俺そういうのできない」

「意外とリュウキは奥手だもんな」

「いや硬派なだけだし」

 やりたくないことを無理にやろうとしないのが彼らしい。
 これで、ミッションポイントをもらえたのはリュウキと綾香以外の全員だとわかった。

「ねえ指示カード誰が読む?」

「俺が読むよ」

 教壇と一番席が近いシオンが名乗り出た。

「さっきの投票結果は……一位、春兎と理子。二位、リュウキと葵。三位、啓と恵美」

 教室がどよめいた。予想していなかった結果に唖然とする。
 ──もしかしたらデビューできる!?
 ミッションを含めて今の時点で十三ポイント。充分に可能性がある。

「次に、ハートのカードを公開だって。一人ずつ前出て見せる?」

「えっ」

 そんな勇気はさすがにない。
 座ったまま見せればいいんじゃないと提案したら、あっさり承諾されて安堵した。

「……最初にいきたい人は?」

「はい」

 理子がすぐ手を挙げた。真っ白なカードの裏をみんなに見せる。

「私は好きな人はいません」

「えー!!」

「うそ、啓も春兎も違うの!?」

「二人とも好きだけど、恋愛感情はないよ」

「す、すげえ」

「めっちゃいい感じに見えたのに!」

 彼女の策略に騙された人がほとんどだった。最初からこうするつもりだったのかもしれない。

「次、私いきまーす。私は一馬くん」

「俺もまりなちゃん」

 やっぱり一馬とまりなは両思いだった。読みが当たった。 
 次に、シオンと葵がお互いの名前を挙げて両思いだと判明した。

「シオンと葵ちゃんは演技だと思ってた……めっちゃわかりやすくイチャイチャしてんだもん」

「えだよね、私もー」

「いや普通に隠せなかった」

「次、俺いっていい?」

 少し騒がしくなった空間に、リュウキの声が通った。カードを裏返しながら「好きな人はいない」ときっぱり言い切る。
 これに関しては驚きもしなかった。この七日間、リュウキは練習漬けでツーショットもほとんどしてなかったはず。

「私言っていい? じゃーん、朝也くん」

 恵美が朝也にカードを向ける。彼は笑顔で応えた。

「俺も恵美ちゃん!」

「うわ、わかんなかった」

「次の人?」

「じゃ……私言おうかな」

 ゆなの静かな声にみんなの視線が集まる。
 俺を見つめながら、「好きな人はいないよ」と言って彼女はカードを見せた。

「えー、春兎とゆなちゃん両思いだと思ったのに」

 彼女の名前を書かなかったことを責められている気分になって俯く。なんだか申し訳なかった。

「あとは春兎と啓だな」

 ギクッとした。俺たちがカードを見せたら大騒ぎされそうだ。下手したら撮影も中断されるかもしれない。

「じゃあ……僕」

「待って。俺が先言う」

 啓には、名前を書いたことをまだ言っていない。
 唇を舌で潤してからカードを開く。そして“けい”の文字を見せた途端、教室が大きなざわめきに包まれた。

「う、うそ」

「ええっ、春兎が啓……?」

「ちょっと待ってやばい」

「それありなの?」

 率直でむき出しの感想を一斉に投げつけられて、この場から逃げ出したい気持ちに駆られる。意外にも否定的な意見はあまり言われなかった。
 目を限界まで開いた啓が、まじまじと俺のカードを見つめてくる。それほど驚いたのだろう。

「啓くんは!?」

「あ……僕も、春兎」

 啓がカードを見せると、より一層周りがうるさくなった。

「り、両思いやば」

「なんかズルい。同性とか気づくわけなくね?」

「……ごめん」

 咄嗟に謝った瞬間、理子が立ち上がった。

「いや、謝らなくていいよ」

「え?」

「別にズルくない。異性と恋愛しなきゃダメ、なんて決まり書いてないんだから、私はいいと思う」

「理子ちゃん……」

 なんて心強い言葉なんだろう。
 彼女の説得のおかげで他のメンバーにも納得してもらえたが、空気は酷いものになってしまった。
 妙に静まった教室の中、シオンがカードの束を手に取る。

「じゃ、ジョーカーのほうは俺が黒板に貼るね」

「これで脱落するか決まるってこと?」

「えーやだむり! 待って怖い」

「あははっ、まりなちゃん落ち着いて」

「だって~」

「シオンありがと」

 まりなたちが無理やり盛り上げようとしてくれたけど、やっぱりぎこちない。
 みんなの視線がシオンの手元に集中した。十二枚のカードが手際よく磁石で貼られていく。
 そこに啓と俺の名前は見当たらない。
 ──ゆなは書かなかったのか……?
 思わず隣を向いたが、目は合わせてもらえなかった。

「……カップル成立は、啓と春兎、俺と葵ちゃん」

 デビューが決まった。肌がぶわあっと粟立つ。それと同時に、どんな顔をしたらいいのか分からなくなった。

「……私たち脱落?」

「まじかあ……」

 カードを見る限り、両思いを当てられたのは一馬とまりな、朝也と恵美。この四人は脱落ということになる。

「あとポイントでデビューできる人がいるよね?」

「そうだね。一応これにポイント数は書いてある。一番多いのが理子ちゃんで十四、次に春兎で十三。ダウトのポイントを含めても……二人がデビュー確定」

「──すみません、一度撮影止めます!」

 数人のスタッフが慌ただしく教室に入ってきた。俺と啓を交互に見ながら小声で話し合っている。
 嫌な雰囲気に冷たい汗が出てきた。デビューが取り消しになったらどうしよう。

「春兎さんと啓さんがちょっと、その、僕たちも予想してなかったカップルで……」

「グループコンセプトが男女混合でカップルがいるっていうのがメインなんですよ。そこに男同士のカップルがいるってなると、要素が多いっていうか、コンセプトがぶれるんじゃないかと」

「今、グループを運営するプロデューサーに連絡取ってるのでお待ちください」

 スタッフたちから言われることに、ただ頷くしかない。何より、俺たちのせいで他のメンバーに迷惑がかかるのが申し訳ないと思った。

「みんな、ごめん」

 啓が振り向いて頭を下げた。続いて俺も謝ると、ようやく空気が和らいだ。

「いいよ。謝ることじゃないし」

「にしてもすげえな、ほとんど撮影されてたのにどうやって好きになったん?」

「それはまあ……」

「ってか、それより結構つらいんだけど」

 まりなが今にも泣き出しそうな顔で理子に抱きついた。
 脱落したメンバーたちの気分が明らかに落ちている。早くこの時間を終わらせなければ。
 プロデューサーと電話しているスタッフは、「はい、はい……」と深く頷きながら返事をするだけだ。どんな会話をしているのか見当もつかない。
 しばらくして、ようやく彼らの話し合いは終わった。

「すみません決まりました。えーっと、このままでいきます。これ例外みたいにすると企画倒れになるっていうのもありますし、投票で一位になったお二人を外したくないって言われたので」

「あ……ありがとうございます」

「えーそれでは、デビューメンバーはシオンさん、葵さん、理子さん、春兎さん、啓さんです。おめでとうございます!」

「春兎くん……おめでとう」

 ゆなが目頭に涙を溜めて笑いかけてくる。
 俺たちの関係を知りながら名前を書かないでくれた。感謝の気持ちを込めて礼を言うと、とうとう涙が溢れてしまった。

「じゃあ、さっきの繋ぎから撮り直しますので元の席に戻ってもらえますか? このあとは──」

 みんなが前を向く中、一人の男だけがこちらを向いている。
 前を見ろとジェスチャーしたあと、俺は熱くなった顔を手で覆い隠した。