アイドルは秘密の恋をする:デビューまであと7日


 全員で最後の夕食を済ませてから、そのまま教室に移動することになった。

「え、すごーい。机用意されてるよ」

 入ってすぐ、女子たちが興奮気味に騒いだ。
 勉強するときのような形で十二人分の机が等間隔に並んでいる。机の左端には名前のプレート、そして中央には二枚のカードとペンが置いてある。

「これ……」

 カードに描かれた絵はそれぞれジョーカーとハート。この番組の要となる最後のゲームが始まった。

「まず指示カード読みまーす」

 まりなが教壇の上にあったカードを取った。礼を言いつつ自分の席に座る。

「えっとお、まずはジョーカーのカードの裏に、自分以外の両思いだと思う二人の名前を必ず書くこと。恋を見破られたペアは脱落。でも両思いじゃなかったらペアの両者にポイントが入る」

「え、それだけ?」

「まだあるよん。ハートのカードの裏には好きな人の名前を書く。見破られずにお互いの名前を書いたカップルはデビュー確定……ってやば」

「まじやだ……やりたくないい」

「あっ、カードは明日みんなの前で公開されるって」

「うっわ気まず~!」

 朝也の茶化すような声に笑いが起こる。
 啓は俺の名前を書くと言っていたけど、みんなに見られてもいいのだろうか。
 まりなが自分の席についたあとも、しばらく誰もペンを握ろうとはしなかった。たったこの二枚のカードでデビューできるか否かが決まる。そりゃあ慎重になって当然だと思う。
 頭を抱えたまま、隣の机に座る女子を盗み見る。よりによって俺を脅してきたゆながその席だ。
 ──俺と啓の名前を書くのかな。
 あのとき、もっと上手い躱し方があったのではないか。今さら後悔しても遅いけれど。

「カンニングするとかナシだからな~」

「しねえよ、テストじゃないんだから」

 朝也と一馬の軽い会話は、空気を軽くするどころか重くさせた。それほどみんな真剣にカードと向き合っている。
 自分も早く書かなければいけない。ジョーカーのカードを裏返してペンのキャップを取る。
 六日間過ごした中で怪しいと思ったのは、シオンと葵、朝也と恵美、一馬とまりなのペアだった。シオンたちに関してはみんなの前であまりにも絡むから、演技の可能性もある。それに誰かが書いてくれるはずだ。
 残りの二つのペアを考えると、カメラのないところでペットボトルをシェアしていた一馬とまりなしか考えられない。この二人にしよう。
 ジョーカーのほうは教壇にある箱に入れてと言われたから、他の人が立ち上がったタイミングで自分も投函した。

「はあ」

 机に残った赤いハートのカードを見て溜め息が出る。
(どうしよう……)
 番組に参加した当初は、ここに女子の名前を書くのだろうと思っていた。それが今は、空欄にするか啓の名前を書くかで迷っている。
 散々キスされたせいで、柔らかいあの感触が数時間経っても消えてくれない。啓の匂いも抱き締められたときの感覚も、思い出してはいけないと思うほど鮮明に蘇ってきてしまう。
 ふと視線を感じて顔を上げたら、ゆなと目が合った。瞬間、彼女に言った言葉を思い出した。
 ──みんなに嘘ついてデビューするのは嫌だ──。
 これで啓の名前を書かなかったら、活動する上でずっと好きな人はいないと嘘をつき続けることになる。
 昨日はそのことに気付けなかった。ただ俺たちが抱えるであろうリスクやデメリットに囚われてばかりで、肝心なことを忘れていた。

「書き終わったんだけど帰っていい?」

「私も終わったよー」

 リュウキの声にまりなが反応し、二人はさっさと教室から出て行った。ペンを握って悩んでいる間にそうやって次々に他のメンバーが立ち去り、最後は俺と啓だけが残された。

「……啓は書いた?」

 席はそれぞれ前後の一番端っこ。会話をするにはやや距離がある。
 前に座っている啓はゆっくり振り向いて、少しだけ笑った。 

「うん、書いた」

「そっか……」

「先行ってる」

「あ、おけ」

 ついに俺だけになってしまった。いい加減に覚悟を決めなきゃいけない。啓はきっと、俺の名前を書いてくれた。両思いになりたいという一心で。
 ペンを持つ手が震えている。左手を膝で拭い、カードの縁に添える。
 たったの二文字。せめて書くところはカメラに映らないでくれと願いながら、“けい”とペンを滑らせる。

「あー……」
  
 カードを机の中に入れてすぐ頭を抱えた。
 後悔はない。その代わり、未来の不安や恐怖がドッと押し寄せてくる。

「春兎さん、カメラ切っちゃいますけど」

 いつまでそうしていたのか、スタッフが入ってきて機材を片付け始めた。

「あっ、すみません。今でます」

「戻る前に黒板寄ってもらえますか? たぶん春兎さんが最後なんで」

「わかりました」

 俺がウジウジ悩んでいる間に、みんなもう書き終えたらしい。
 情けなくなりながら黒板がある教室に寄った。もちろん、真っ先に探すのは啓の字だ。

「ない……?」

 今日は黒板に書ける最後の日なのに。
 ──好きって書いたら、啓は笑ってくれるだろうか。
 黒板を見に来るかもわからないが、それでもいいやとその二文字を書いて教室をあとにした。


 なんとなく気まずくて、風呂も寝る前も顔を合わせないように避けた。啓の名前を書いたなんて口走っては、大変なことになる。

「春兎……寝た?」

 低くて甘い声がひっそりと暗闇に落とされる。寝返りを打ってようやく、さっきぶりに目が合った。

「……寝れるわけないじゃん。明日、全部決まるのに」

「だよね」

「なんか啓ってめっちゃ恋愛経験ありそうだよな」

 カメラはもう切ってあるが、声は抑えないといけない。

「え、僕が? そんなことない。過去に付き合ったのも一人だけだよ」

「嘘だ」

「なんでそう思ったの。軽そうに見えた?」

「いや……その、キス上手かったし」

 言いながら顔に火がついた。自分からこんな話題を振ってしまうなんてバカだ。
 しかし照れたのは俺だけではなかったらしく、啓が「そ、それはうれしいけど」と吃った。

「春兎は可愛かった」

「バカにしてる?」

「本気で。……またできたらいいのに」

 ほとんど諦めたみたいな言い方をされてしまうと、どう反応したらいいのか分からない。冗談にしてはあまりにも深刻な声色だった。

「……そっちのベッド入っちゃだめ?」

 想像もしていなかった提案に目を見開く。その一言で完全に眠気が吹き飛んだ。
 今にも立ち上がろうとしている男が来ないように、掛け布団を深く被る。

「来るな」

 まさかこの中でキスするつもりじゃないだろうな?

「わかった、行かないから顔だけ見せて」

 いつも俺が弟にするみたいな態度に羞恥心を煽られた。一人だけ動揺しているのが悔しくて、顔を出して睨みつける。

「うう、可愛い」

「お前なんなの……さっきから」

「ごめん」

「前の彼女ともこんな感じだった?」

「えっと……どうかな。自分じゃわからない」

 声に戸惑いが滲んでいた。続けて、付き合った期間も短かったしと付け加えられる。

「振った?」

「振られた。スキンシップが少ないって」

「なにそれ」

 そんな理由で、こんないい男を手放すなんてもったいない──と思ったが、俺に対しては距離が近めだしスキンシップも多いほうだ。相手によって違うのか?

「でもこんなに好きって気持ちになったの、春兎が初めて」

「そ、ソウデスカ」

「もっと触りたいとかキスしたいとか思うのも……春兎だけだよ」

「わかった、から、もう言うなよ」

 気を抜いたらにやけてしまいそうな、妙に甘い雰囲気が漂っている。
 この余韻を引きずったまま明日が来るのが怖い。
 テレパシーで伝わったのか、啓が「明日……」と静かに話し始めた。

「うん」

「どうなっても僕は春兎のことが好きだし、応援してる」

「……うん」

 不思議と胸が軽くなった。体を侵食していた不安や緊張が、嘘のように消えていく。
 きっと大丈夫。運命を受け入れる準備はできている。
 ありがとうと言った瞬間、すぐ眠りに落ちた。