アイドルは秘密の恋をする:デビューまであと7日


 寝る部屋の固定カメラは一時的に撤去されていた。誰がデートに行ったのか分からなくするためだろうけど、残った人達を撮影したのであれば意味がない気がする。

「春兎、カードあったよ」

 先に戻ってベッドに寝転んでいた啓が、カードを開いて見せてくる。

「密告タイムの?」

「うん。ルームメイト以外の誰か一人に、他人の恋愛情報を伝える。目撃したこと、感じ取ったこと、どんな情報でも構わない。ただし嘘をついてはならない……だって」

「啓以外かあ」

 ルームメイトも有りだったらギスギスすることなく済んだのに。

「春兎は誰に言うか決めた?」

「いや……まだ。啓は?」

「僕はもう密告してきた」

「えっはや!」

 たかが十分程度のずらした時間で、もう終わらせたなんて。
 
「誰に?」

「それは言えないよ」

「だよなあ……俺も行ってくる」

 教室を出てすぐ、どこに行くか迷った。そもそも誰がどの教室に泊まっているのか知らない。
 とりあえずスタッフに撮影をお願いしますと声をかけると、小型のカメラを持った男性がついてきてくれることになった。
 一番近くの教室の扉を叩く。誰に言っても気まずいのは同じだと思った。

「誰かいる?」

「あっ、春兎くん」

「ゆなちゃん……」

 なんとなく彼女は避けたかったが、ルームメイトは出ているようだ。密告するねと言った途端、ゆなの顔が強張った。

「えっと」

 俺が持っている情報なんて大したものはない。強いて言えばシオンと葵か、一馬とまりな、どちらかのペア。前者はあまりにもみんなの前で絡むから、情報としての価値がない。

「一馬とまりなちゃんが……いい感じなのかなって思ってる。同じペットボトル飲んでるの見て」

「そっか。あの二人、私も距離近いなって思ってた。ありがとう」

「……ゆなちゃんは誰かに密告した?」

「ううん、これから。でも春兎くんじゃない人に言うつもり」

「あ、うん」

 ──なんでわざわざ俺じゃない人って言ったんだ?
 妙な言い方に引っかかった。それに彼女の表情も、冗談でも穏やかとは表現できない。いつの間にか怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
 微妙な雰囲気のまま撮影が終わってスタッフと一緒に出ようとしたら、俺だけ引き留められた。

「春兎くんに話したいことある」

 ひっそりと、しかし意思の強さが滲む声で彼女が言う。
 無意識に背筋を伸ばした。何か嫌な予感がする。

「……なに?」

「私、今日の朝見ちゃったんだ。春兎くんが啓くんと一緒に出かけるところ」

「あー……」

 やってしまった。最初に思ったのはそれだった。
 まだ何も言われていないが、たぶん彼女は俺たちの関係に気付いている。

「わかるよ。あれがちゃんとしたデートだってこと」

「い、いや」

「嘘つかないで」

 こういうとき、どうしたらいいんだろう。悪いことをしたわけでもないのに謎の罪悪感が湧き上がってくる。
 何も言えず俯いた途端、ゆなが体を震わせながら「私と付き合って」と声を絞り出した。

「えっ?」

「私と付き合ってデビューしてくれるなら、啓くんとの関係は誰にも密告しない……っ」

(おいおいおい、ちょっと待ってくれよ)
 こんなの明らかな脅迫だ。言わない代わりに付き合って、だなんて思考が飛びすぎている。
 仮にこれで付き合っても上手くいくわけがないし、両思いとも言えないのに──ああ、そうか。彼女が脅迫してまで欲しいものは俺じゃない。アイドルになれるという権利だ。
 ゆながポイント枠でデビューできる確率はかなり低い。ダウトのポイントで逆転しない限り。

「はあ……」

 これは厄介なことに巻き込まれてしまった。

「春兎くん」

「あのさ、俺と啓のことバラしたところでゆなちゃんにメリットはある?」

「あるよ、なにかしら」

「ないって」

「でも私と付き合えば春兎くんもデビューできるんだよ? みんな、春兎くんは理子ちゃんと両思いだと思ってる。私たちの名前を書く人は多分いない」

「……啓に書いてもらうよ」

「なんでっ」

 顔を手で覆って静かに泣き出した彼女を見て、自分も泣きたくなった。
 明日、好きな人のカードに誰の名前を書くかなんて決まっていない。それどころか女子との恋愛は諦めてしまった。ゆなだけでなく、理子も同じだ。
 ポイントはそこそこ貯まっているから、あとはダウトで稼げるのを願うしか残された道はない。

「俺、みんなに嘘ついてデビューするのは嫌だよ。今まで応援してくれてた人が……たくさんいるから。両思いのふりしてデビューして、すぐ別れるなんてことになったら炎上すると思うし」

「それは……」

「あと、ゆなちゃんとはツーショットもしたし誰かが名前書くかもしれないよ。絶対じゃないことに約束なんかできない」

 俯いたまま、ゆなが思いきり下唇に歯を立てた。同時にぽろぽろ涙が溢れ落ちる。もう拭うことさえ辞めてしまったようだ。

「……明日、好きな人は啓くんの名前を書くの?」

 本当はそうしたい。でも全国どころか世界に配信されるこの番組で、同性を好きになってしまったなんて告白できるのだろうか。
 あまりにも現実的じゃなさすぎる。いくら時代が寛容的になったとはいえ、アイドルで同性に恋したなんてことが知れ渡ったら、デビューしても将来の安定は見込めない。

「いや、どうだろ」

「書かないなら私でもいいじゃん……」

「……ごめん」

 さっき啓に言われたばかりの言葉が、キリキリと胸に突き刺さる。
 選んであげられなくてごめん。期待に応えられなくてごめん。好きにさせてしまってごめん。
 今考えると、そのどれにも当てはまっていない気がした。

 自分の部屋に戻る前、黒板がある教室に立ち寄った。メッセージの中に啓の字を見つけて溜め息が溢れ落ちる。
 “もっと一緒にいたかった”

「まじでもう……」

 啓は俺のことをどうしたいんだろうか。このままもっと好きにさせておいて、自分は女子と恋愛?
 デビューできるポイント枠を考えた時、恐らく理子と誰かになる。そこに俺が入ることができたら、あとは啓が女子と両思いになってデビューする。
 先を考えれば考えるほど、気持ちが塞ぎ込んでいく。このメッセージにどんな返事をしたらいいのか分からない。
 チョークを持っては置き、持っては置き、という無駄な動作を繰り返す。そして“俺も”と簡素な言葉だけ書き残して教室を出た。

「あっ! 春兎くん」

「っ、恵美ちゃん?」

 扉の目の前に立たれていて思わず声をあげそうになった。あまり驚かせないでほしい。
 恵美はツーショットをしたことがないし、みんながいる前でも絡みは少なかった。簡単に挨拶だけして戻ろうとしたところ、なぜか引き留められる。

「ちょっと待って、私まだ密告してないんだ」

「あ、そうなんだ」

 俺でよければ聞くよと言おうとした瞬間、彼女が廊下の奥に向かって

「カメラさんすみませんー! 密告するので撮ってくださあい」

 と叫んだ。一番端の教室の前にいたスタッフが、カメラを持って走ってくる。

「今、密告していいですか?」

「はい。カメラ回してます」

「私は~、理子と啓くんが怪しいと思う。さっきも啓くんと一緒に教室入って行ったし」

「え?」

 ──一緒に教室に入った?
 夜中、啓に連れられて図書室に行ったあの日のことがフラッシュバックした。自分の姿に想像上の理子が重なる。

「どの教室だった」

「えー、そんなの分かんない」

「……そっか」

 もしかして、啓はカメラ外で俺だけじゃなく理子とも関係が進展していたのか。それともただ単に話すことがあっただけ?

「二人きりで教室入るとか絶対怪しいよね」

「ああ……うん」

「じゃ、私の密告はこれだけでーす。春兎くんおやすみ」

 愛嬌のある顔でにこっと笑った恵美が教室に入って行く。カメラを切ったスタッフが戻ったあとも、しばらくその場から動けなかった。
 
 部屋に戻ると、先ほどと同じ姿勢で寛ぐ啓がいた。

「おかえり」

「……ただいま」

 カメラはいつもの定位置に設置されている。もう撮るものはないだろうに、また撮影を再開したみたいだ。
 ぎこちない動きで自分のベッドに座った。心配そうに声をかけられる。

「なにかあった?」

「あー……いや。あのさ」

 直球で聞きたいけどカメラがある。言葉を選ぶしかない。

「ん?」

「啓は理子ちゃんのこと、どう思ってる?」

「そんなの、あ」

 啓はすぐに答えようとして、はっと目を見開いた。カメラの存在を忘れていたのだ。

「……っと、それは言ったらダメだと思う。バレたら終わっちゃうし」

 その通りだ。自分でも、なんで今そんなことを聞いてしまったのかと後悔の念にかられた。
 ──でも、俺が聞きたかった答えはそれじゃない。彼女のことは何とも思ってないと言ってほしかった。単なるクソみたいなわがまま。

「……風呂行ってくる」

「あ、じゃあ僕も」

「ごめん。ちょっと一人で行かせて」

 情けなかった。あの情報だけでここまで気持ちを揺さぶられてしまうのが。
 一緒に行きたいと食い下がってくる啓を突き放して、俺は逃げるように部屋から出た。