温泉のはしごは意外に体力を消耗するらしく、札幌に帰る頃には腹が減りすぎて気持ち悪いくらいだった。

「春兎はなに食べたい?」 

「えー……候補は?」

「ラーメンかスープカレーならオススメ調べてある」

 デートにしてはどちらもロマンチックな雰囲気とは程遠い気もするが、残りの日数を考えたら北海道らしいものを食べておきたい。そういえば一昨日は理子の希望で鶏塩ラーメンを食べた。本当は一番好きな味噌味が食べたかったけど、さすがに彼女に言うことは出来ず諦めたのだった。

「ラーメンなら何味がいい?」

「僕はなんでもいいよ」

「いやいや、そういうのなしで」

「えー……塩以外かな」

「ふっ、はは」

 俺が求めていた答え、ドンピシャ。こんなところでも気が合ってしまうのか。
 不思議そうに啓が首を傾げる。笑い出した理由がわからなかったのだろう。

「春兎は?」

「俺も塩以外。もっと言えば味噌」

「いいね。北海道っぽい」

「美味い店どっかあるかな?」

「実は……おすすめの店、味噌なんだよ」

「まじ!? 流石すぎる」

 事前に調べてあったと言ってもスマホを回収される前の話。俺とデートすることになるとは予想してなかっただろうが、デートのために調べてくるという用意周到さが凄い。
 啓のメモを見ながら通りかかった人に道を聞いて、店には難なくたどり着いた。
 どうやらかなりの人気店のようだ。店の入り口から角を曲がって小道に入るところまで行列ができている。最後尾に二人で立った瞬間、目の前に並んでいた同い年くらいの女性がこちらに視線をチラチラ送ってきた。
 ──なんだ?
 好奇心に溢れた目で見てくるから気になって啓と会話もできない。いっそのこと、何かありましたかと尋ねてしまおうか。

「あの、もしかして春兎くんですか?」

「えっ」

 まさか自分の名前が出てくるなんて思ってもなかった。反応したことで話しやすくなったのか、女性は完全に体の向きを俺たちがいるほうに変えた。

「ですよね!?」

「はい……」

「前から応援してました!」

「あ、ありがとうございます」

 ファンの方に実際に会うのは初めてだ。周りの人から見られて恥ずかしいような、嬉しいような感情が入り混じる。

「私は古参ファンなので~」

「いつから応援されてるんですか?」

 突然、横から啓が会話に入ってきた。
 驚いて目を丸くした女性がおずおずと「一年前くらい……?」と答える。
 
「じゃあ僕のほうが先ですね」

 被せるようにそう言った啓は、なぜか対抗心むき出しで女性を見つめている。

「おい」

「え、春兎くんのファン?」

 女性の言葉でようやく、そういえばこいつも俺のファンだった……と思い出した。それにしてもそんなことで競わなくていいのに。
 自信満々に「三年前からそうです」と答えた啓の背中を叩く。

「すみません、こいつふざけてるだけなんで」

「はあ……」

 これからラーメンを食べるとは思えない空気になってしまった。それ以上の会話はなく、愛想笑いをしながら彼女は前を向き直した。

「……なにしてんの」

 小声で言いながら啓の脇を小突く。

「だって、本当のことだし」

「だとしても聞き流せよ」

「うーん……」

 不服そうに唇をちょっと突き出している顔は、子どもっぽくて可愛らしい。
 三十分待ってやっと対面できた味噌ラーメンを啜りながら考えた。もしかしたら啓はいわゆる、同担拒否というやつなのではないだろうかと。
 ネットで見たことがある。アイドルにしろアニメキャラにしろ自分と同じ対象を推している人が苦手、という人が一定数いるらしい。一種の独占欲のようなものだ。
 隣で頬を赤らめながらラーメンを啜る男は、まるでその自覚がなさそうだけど。

「うまい?」

「うん。春兎、僕のチャーシュー食べてもいいよ」

「いいって」

 チャーシューは譲れるのに、ファン歴は譲れないのか。そう思ったらなんだか笑えてきた。


 夕食を済ませたらデートは終わりかと思ったが、最後に行きたいところがあると言われて、すすきの駅の近くまで歩いた。

「ここ?」

 見た目はよくある商業ビル。エレベーターで最上階まで上がると、正面からは見えなかった観覧車が目の前に現れた。

「へえ……! こんなとこに観覧車あるんだ」

「今日のデートの締めくくりに良いかなと思って」

 すっかり夜に飲まれた空に、ライトアップされてカラフルに光るそれがよく映える。

「ちょっと恥ずいけど……」

 女子高校生とカップルの集団の中、男二人で並ぶのはどこか浮いている気がしてならない。
 俯きながら乗り込んですぐ、啓が立ち上がって俺の隣に座った。ゆらんと軽く揺れた箱にぞわわっと鳥肌が立つ。

「あ、危ないだろ」

「ごめん。春兎の近くに座りたくて」

「これ片方に乗ってていいの」

「大丈夫。隣のカップルもやってる」

 ほら見て、と言われて後ろを確認すると、たしかに並んで座っていた。自分たちだけじゃないと分かって肩の力が抜ける。

「でもなんで隣?」

「これが最後だから」

 苦しそうな声と共に、啓の綺麗な顔がくしゃっと歪んだ。

「え?」

「二人きりでいられる時間、もうこれが最後でしょ」

 夜の煌めきを取り込んだ瞳にうっすらと水の膜が張って、きらきら輝いている。寒さのせいだろうか。
 今日まったく同じことを考えた。一日が終わってほしくないなんて思ったのは小学生の夏休みぶりだった。
 校舎に帰ったら恋のライバルに戻る。本当にこのまま誰かと恋人になったり、得点を取って二人ともアイドルになれるのか?

「……今日の夜も明日の夜も、まだ残ってる」

 自分に言い聞かせるように声に出した。そうでもしないと──ここから帰れなくなってしまいそうだ。

「春兎」

 柔らかな声が耳を掠めた。ハッと顔を上げた途端、啓が自身のマフラーを広げて俺たちの頭を覆い隠した。

「な、に……」

「キスしてもいい?」

 啓の顔にいつもの余裕なんて微塵もない。
 俺より遥かに完璧なビジュアルで歌が上手くて、ダンスもできるようになって、ファン歴が長いことを自慢した男が、マフラーで隠してまでキスをしたがっている。
 断る理由なんて思いつかなかった。啓の襟元を掴んで引き寄せる。

「はる……っ!」

 唇が重なった途端、必死に堪えていた感情が溢れ出た。
 ──やっぱりこいつのことが好きだ。
 心のどこかで、今ならまだ戻れるんじゃないかと思っていた。しかしコップの水はギリギリまで入っていて、たった今この瞬間に溢れた。

「……っ」

 こんなの嫌だ。最悪なことに、好きになったのは明後日には誰かの彼氏になっているかもしれない男。
 もし俺だけデビューしても啓のことを忘れられないし、啓が誰かと両思いになったりしてお互いにデビュー出来ても、わだかまりを抱えたままアイドル生活を送ることになる。

「もう、どうしたらいいんだよ」

 情けなく震えた俺の声は、啓の肩に吸い込まれた。あまりに力強い抱擁に息が止まる。

「ごめん」

 なんの“ごめん”だ。混乱させたこと?
 それとも、俺をこんなにも惑わしておいて他の女子と付き合うこと?
 謝るくらいなら好きにさせるなよ。
 文句は喉元まで上がってきたが、外に出ることはなかった。
 マフラーなんてとっくに外れている。それでも俺たちは人目を気にせず、観覧車が着くまで抱き合った。