君が待ちわびる黄昏で

 走って逃げて、電車に乗って、また走った。
 一秒でも早く逃げたかった。
 けれど、逃げられる訳がなかった。
 逃げたかったのは健太からじゃない。
 気が付いてしまった自分の、結陽への想いだ。

(俺、結陽さんが好きだ。会いたい、側にいたい。キスして欲しいのは、健太じゃなくて、結陽さんだ)

 セクシャリティだとか、世間体だとか、そんなの今はどうでもいいし、知らない。

(結陽さんじゃなくて健太にキスされたってことに、ショック受けてる)

 自分の気持ちと真正面から向き合うのが怖くて、走った。
 その足は、無意識で神社に向いていた。

(雨だし、木曜だし、いるわけない)

 そう思うのに、行かずにはいられなかった。
 雨でぬかるんだ森は歩けないので、迂回して正面の鳥居に向かう。
 いつも小さな椅子を置いて座り、スケッチブックを広げている結陽は、当然いない。

「……ぅっ、ぅっく、ぅぐ」

 我慢していた涙が流れて、雨と一緒に頬を伝った。
 声を上げて泣くのなんか、子供の頃以来だ。

「夏希君……?」

 背中から聞こえた声は、いるはずのない人の声だ。
 夏希はゆっくり振り返った。
 傘をさして驚いた顔で、こっちを見詰める結陽がいた。

「どうしたんですか? ずぶ濡れです。傘、忘れちゃったんですか」

 結陽が駆け寄って傘をさしかけてくれた。

「結陽さん、俺……、俺……」

 震える手で結陽の服を摘まんだ。

「結陽さんに、会い、たくて……」

 しゃくりあげているのと寒さで、上手く言葉が話せない。
 結陽が肩を抱いて、歩き出した。

「僕のアパート、すぐ近くだから、とりあえず僕の家に帰りましょう。もう少し、歩けますか?」

 結陽の言葉に頷いて、一緒に歩き出した。
 神社から五分も歩かない距離に、結陽が住んでいるアパートはあった。
 部屋に入ってすぐ、タオルで体を拭きながら、着替えを渡された。

「とにかく、着替えましょう。僕の部屋着だから、大きいかもしれないけど」

 結陽は背が高いから、俺の身長だと足が余りそうな気がする。

「今、お風呂を沸かしますから、入りましょうね。制服もびしょびしょだから、乾かさないと。もしかして、学校から傘なしで帰ってきたんですか?」

 てきぱきと動く結陽を眺めながら頷いた。
 普段はのんびりしているイメージだから、ちょっと意外な姿だ。

「豪雨になったのはついさっきだけど、今日は朝から雨が降っていたでしょう? 傘なしは無謀な雨でしたよ」

 タオルをもう一枚出して、結陽が髪を拭いてくれた。
 結陽の部屋着は、やっぱり足と腕が長かった。
 ぼんやりと結陽を見上げた。

「結陽さんは、どうして、神社にいたんですか?」

 今日は雨で木曜日だから、結陽がいるはずはない。
 
「え? えっと……、ちょっと用があって、ね」

 気まずそうに目を逸らされた。
 聞かないほうが良いんだろうか。

 窓の外が、ピカッと光った。
 少し遅れて、轟音が鳴り響く。

「ひっ……」

 思わず、目の前の結陽に抱き付いた。
 プルプル震える俺の肩を、結陽が軽く抱いた。

「夏希君、雷が苦手ですか?」
「ちょっと、怖いです……」

 ちょっとどころか、かなり苦手だ。
 音が鳴ると何も手につかないから、布団にくるまってやり過ごす。
 頭の上で、結陽が吹き出した気配がした。

「あ、ごめんね。馬鹿にしたわけじゃないですよ。ただ、可愛いなと思って。誰にだって苦手の一つや二つ、ありますよ」

 ちらり、と結陽に顔を覗き込まれた。

「一人でお風呂、入れますか? 一緒に入ります?」
「い、一緒に⁉」

 驚いて、雷より大きな声が出た。
 結陽の無垢な笑みが向く。

「体が冷えているから、じっくり温めないとね。雷が怖くて、すぐに出てきちゃったら、体が温まりませんから」

 そういわれると反論できない。
 風呂で雷が鳴ったら、飛び出す自信がある。

「……お願いします」

 まるで子供のように世話を焼かれながら、少しだけ安堵していた。
 一緒に入るとはいっても、結陽は服を着たまま湯船の外から手を握ってくれているだけだった。
 雷が鳴るたびに頭を撫でてくれるので、ドキドキが上回って、怖さはどこかに吹き飛んだ。