廊下で夏希とすれ違った結陽は、そのまま真っ直ぐ歩いた。
突き当りにあるネコ部の部室をノックする。
「建優先輩、いますか?」
扉を開けながら声をかける。
パソコン画面を食い入るように見詰めていた建優が顔を上げた。
「え⁉ 茅野? ちょっと待って、まだ入らないで!」
大変慌てた様子の建優に、結陽は一度、扉を閉めた。
しばらくして、建優がおずおずと扉を開けた。
「お待たせ。来るなら連絡入れてくれたらいいのに」
部室に入って、建優にホットコーヒーを手渡す。
「僕も一応、ネコ部の部員なんですが」
入学したての四月に、名前を置くだけでいいと半ば強引に入部させられた部活だ。
建優と知り合ったのはその時で、理事長の息子である事実は後から知った。
「ほとんど来たことないだろ。今日だって、猫を愛でにきたわけじゃないくせに」
「先輩も猫を愛でている訳じゃないですよね」
受け取ったコーヒーを飲みながら、建優がじっとりと結陽を眺めた。
「部活そっちのけで君たちの役に立ってあげてるワケだけど」
そう言われてしまうと、何も言えない。
「ありがとうございます。実は今、廊下で夏希君とばったり遭遇しちゃって」
「え⁉ ……って、そっか。健太と夏希君、さっき帰ったばっかだもんね。このタイミングじゃ、鉢合わせても不思議じゃないか」
コーヒーを落としそうになりながら、建優が納得の顔をした。
「来る時間、気を付けてって言われてたのに、すみません」
「まぁ、バレなかったなら、いいんじゃないの? むしろ夏希君のほうが慌ててそうだね」
「慌ててましたね。なるべく自然に振舞ったから、気付かれてないと思いますけど」
「なら、いいけどね。当日まで、知らない振りしてあげてよ。夏希君、一生懸命作ってるからさ」
「はい……、楽しみにしてます。連絡、ありがとうございました」
頑張っている夏希の姿が思い浮かんで、結陽は微笑んだ。
建優から、絵の使用許可の連絡が届いたのは数日前だった。
用途を聞いたら、内緒と言われた。
『茅野の大好きな子が茅野のために茅野の絵を使いたいらしい。勿論、非営利で仕上がりは茅野しか見ないし、茅野は嬉しいはずだから、とりあえず許可だけくれない?』
何とも曖昧な許可申請だ。
しかし、内容は充分、伝わった。
「いくら仲間内とはいえ印刷所を通すわけだし、絵画が何百万で取引されてるプロの画家の絵を無断で使うわけにはいかないからねぇ。一応、連絡したけど、わざわざ来なくてもいいのに。制作過程は見せてあげないよ」
建優がノートパソコンをパタンと閉じた。
制作過程どころか、結陽の絵を使用する以外の情報を貰っていないから、何を作っているのかも、結陽は知らない。
「見にきたわけじゃなくて、お礼しに来たんですけど。タイミングを間違いましたね」
まさか、夏希と鉢合わせるとは思わなかった。
建優が手元のコーヒーを眺めて、気まずい顔をした。
「健太にも言われたけどさ。俺も茅野と夏希君にお詫びしたかったから、頼って貰えて良かったよ。去年は、悪いことしちゃったからね」
去年の秋頃、結陽に留学するよう説得して欲しいと夏希を口説いたことを、建優は気にしている。
普段は態度に出さないが、結陽に対して申し訳なく思っているのは、知っていた。
(僕と同じで、そういう柵が苦手そうな人だから、建優先輩も巻き込まれたんだろうけど)
理事長の息子という立場上、避けられない柵が多いのだろう。
何気に気苦労が多そうだ。
(だからと言って、夏希君を利用したことを許せるわけじゃないけど)
それとこれとは別の話だ。
とはいえ、こうして夏希や結陽の力になってくれる建優の存在に、助けられているのも事実だ。
人柄も含めて、結陽は建優という人が嫌いではない。
「茅野が海外留学に行くの、ほとんど俺のせいだしさ」
建優が、がっくりと肩を落とした。
「別に先輩のせいじゃないです。大人の事情です。あとは僕のタイミングの悪さというか、決断力のなさというか」
夏希に最初に告白された時、中途半端に遠ざけたりしないで受け入れていたら、もっと早くに留学取消を決断できたかもしれない。
そう考えると、結局は自分の責任だ。
「夏希君、今年から受験生なのに、心細いよな」
「それは、逆に良かったと思っていて」
建優がコーヒーを飲みながら振り返った。
「僕が側にいたら、受験勉強の邪魔しちゃいそうで。夏希君は優しいから、僕を優先しそうな気がするから。いっそ会えない距離にいるのは、良いのかもしれません」
このタイミングで離れて良いと思える事柄は、それくらいだ。
夏希が、夏希の思い描く未来に近付ける大学に入学してくれたらいいと思う。
「ま、二人とも不器用だから、一緒にいたらいたで、色々ありそうだよね」
建優の言葉が、あまりにも言い当てていて、何も言えない。
「せめて、早く帰ってこられるといいな」
一年半の予定の海外留学は、学業が一年、仕事が半年だ。
仕事が早くに終われば、それだけ早く帰って来られる。
「そうですね。一分一秒でも早く、未来の夏希君に会えるように、出来ることを頑張ります」
夏希もきっと、そういう結陽を望んでくれる。
そう思えるから、後ろ向きな気持ちは、今更なかった。
去年とは違う気持ちで、これから向かう新しい空に思いを馳せた。
突き当りにあるネコ部の部室をノックする。
「建優先輩、いますか?」
扉を開けながら声をかける。
パソコン画面を食い入るように見詰めていた建優が顔を上げた。
「え⁉ 茅野? ちょっと待って、まだ入らないで!」
大変慌てた様子の建優に、結陽は一度、扉を閉めた。
しばらくして、建優がおずおずと扉を開けた。
「お待たせ。来るなら連絡入れてくれたらいいのに」
部室に入って、建優にホットコーヒーを手渡す。
「僕も一応、ネコ部の部員なんですが」
入学したての四月に、名前を置くだけでいいと半ば強引に入部させられた部活だ。
建優と知り合ったのはその時で、理事長の息子である事実は後から知った。
「ほとんど来たことないだろ。今日だって、猫を愛でにきたわけじゃないくせに」
「先輩も猫を愛でている訳じゃないですよね」
受け取ったコーヒーを飲みながら、建優がじっとりと結陽を眺めた。
「部活そっちのけで君たちの役に立ってあげてるワケだけど」
そう言われてしまうと、何も言えない。
「ありがとうございます。実は今、廊下で夏希君とばったり遭遇しちゃって」
「え⁉ ……って、そっか。健太と夏希君、さっき帰ったばっかだもんね。このタイミングじゃ、鉢合わせても不思議じゃないか」
コーヒーを落としそうになりながら、建優が納得の顔をした。
「来る時間、気を付けてって言われてたのに、すみません」
「まぁ、バレなかったなら、いいんじゃないの? むしろ夏希君のほうが慌ててそうだね」
「慌ててましたね。なるべく自然に振舞ったから、気付かれてないと思いますけど」
「なら、いいけどね。当日まで、知らない振りしてあげてよ。夏希君、一生懸命作ってるからさ」
「はい……、楽しみにしてます。連絡、ありがとうございました」
頑張っている夏希の姿が思い浮かんで、結陽は微笑んだ。
建優から、絵の使用許可の連絡が届いたのは数日前だった。
用途を聞いたら、内緒と言われた。
『茅野の大好きな子が茅野のために茅野の絵を使いたいらしい。勿論、非営利で仕上がりは茅野しか見ないし、茅野は嬉しいはずだから、とりあえず許可だけくれない?』
何とも曖昧な許可申請だ。
しかし、内容は充分、伝わった。
「いくら仲間内とはいえ印刷所を通すわけだし、絵画が何百万で取引されてるプロの画家の絵を無断で使うわけにはいかないからねぇ。一応、連絡したけど、わざわざ来なくてもいいのに。制作過程は見せてあげないよ」
建優がノートパソコンをパタンと閉じた。
制作過程どころか、結陽の絵を使用する以外の情報を貰っていないから、何を作っているのかも、結陽は知らない。
「見にきたわけじゃなくて、お礼しに来たんですけど。タイミングを間違いましたね」
まさか、夏希と鉢合わせるとは思わなかった。
建優が手元のコーヒーを眺めて、気まずい顔をした。
「健太にも言われたけどさ。俺も茅野と夏希君にお詫びしたかったから、頼って貰えて良かったよ。去年は、悪いことしちゃったからね」
去年の秋頃、結陽に留学するよう説得して欲しいと夏希を口説いたことを、建優は気にしている。
普段は態度に出さないが、結陽に対して申し訳なく思っているのは、知っていた。
(僕と同じで、そういう柵が苦手そうな人だから、建優先輩も巻き込まれたんだろうけど)
理事長の息子という立場上、避けられない柵が多いのだろう。
何気に気苦労が多そうだ。
(だからと言って、夏希君を利用したことを許せるわけじゃないけど)
それとこれとは別の話だ。
とはいえ、こうして夏希や結陽の力になってくれる建優の存在に、助けられているのも事実だ。
人柄も含めて、結陽は建優という人が嫌いではない。
「茅野が海外留学に行くの、ほとんど俺のせいだしさ」
建優が、がっくりと肩を落とした。
「別に先輩のせいじゃないです。大人の事情です。あとは僕のタイミングの悪さというか、決断力のなさというか」
夏希に最初に告白された時、中途半端に遠ざけたりしないで受け入れていたら、もっと早くに留学取消を決断できたかもしれない。
そう考えると、結局は自分の責任だ。
「夏希君、今年から受験生なのに、心細いよな」
「それは、逆に良かったと思っていて」
建優がコーヒーを飲みながら振り返った。
「僕が側にいたら、受験勉強の邪魔しちゃいそうで。夏希君は優しいから、僕を優先しそうな気がするから。いっそ会えない距離にいるのは、良いのかもしれません」
このタイミングで離れて良いと思える事柄は、それくらいだ。
夏希が、夏希の思い描く未来に近付ける大学に入学してくれたらいいと思う。
「ま、二人とも不器用だから、一緒にいたらいたで、色々ありそうだよね」
建優の言葉が、あまりにも言い当てていて、何も言えない。
「せめて、早く帰ってこられるといいな」
一年半の予定の海外留学は、学業が一年、仕事が半年だ。
仕事が早くに終われば、それだけ早く帰って来られる。
「そうですね。一分一秒でも早く、未来の夏希君に会えるように、出来ることを頑張ります」
夏希もきっと、そういう結陽を望んでくれる。
そう思えるから、後ろ向きな気持ちは、今更なかった。
去年とは違う気持ちで、これから向かう新しい空に思いを馳せた。



