君が待ちわびる黄昏で

 次の日も、その次の日も、夏希は健太と共に建優の大学の部室に通った。
 作業は順調だ。
 ひとつだけ、結陽に内緒で作っているから、会えない理由を捻り出すのが大変だった。

『留学前で僕もやることあるから大丈夫、夏希君が時間できたら、会おう』

 課外授業が増えた、ということにしてみたが。
 結陽の返事が思ったよりあっさりめで、夏希のほうが若干、悲しくなった。

 そんなわけで今日も、こそこそと結陽の姿を確認しながら、夏希は大学の建優の部室に足を運んだ。
 本の装丁は、ほとんど出来上がった。
 建優が全体のバランスを確認してくれている。

「文庫本サイズのA6判にして、挿絵がカラーで十一枚、全体のページ数が七十……、夏希君、いっぱい書いたね」
「思っていたより分量ありました」

 スマホに書き溜めていた空の話は、夏希が思っていたより多くて、想定していたページ数を大きく上回った。
 新たに書いた話や、まだ結陽に送っていない話も収録したので、さらに増えた。

「で、表紙にする予定だった絵は、口絵がいいんだっけ?」
「はい。あの絵に文字を載せるのが、何となく嫌で」

 口絵といって、表紙の次のページに絵を入れる装丁があると知って、それがいいと思った。
 
「そうなると、表紙絵を新たに選ばないとなんだけど、候補ある?」

 建優が結陽の絵のフォルダを開いた。
 スクロールしながら、ゆっくりと絵を選定する。

「あ、これ……」

 見覚えがある黄昏の絵だった。
 初めて結陽に会った時、スケッチブックに描いていた夕暮れが、こんな色合いだった。
 陽が落ちきっていない、黄昏よりは少し明るい茜色の空だ。
 同じではないかもしれないが、とても似ている。

(黄昏は、結陽さんとの出会いの空だから)

 表紙に、ぴったりだと思った。

「これがいい、かも」

 画面を覗き込んだ建優が、納得した顔で頷いた。

「この絵は使いやすいね。表と背表紙と裏表紙、繋げて一枚にして。色味が赤系だから、タイトルの文字は白抜きか、黒系かな」

 話しながら建優が、絵を表紙のテンプレートに貼り付けていく。
『空の物語』と書いたタイトルを、白にしたり黒にしたりして、見せてくれた。

「濃いグレーとか、出来ますか?」
「できるよ、こんな感じ」

 建優が簡単に色を変えて見せてくれる。
 とても簡単そうにしているが、独りだったら絶対にできなかったと思う。

(手伝ってもらえて、良かった。手伝いっていうか、ほとんど建優さんが作ってくれてるけど)

 申し訳ないというか、これでいいのかと思わなくもない。

「なぁ、そもそもタイトル、それでいいの?」

 後ろで詰まらなそうに眺めていた健太が、ぽそっと突っ込んだ。
 特にやることもなくて暇そうなのに、健太は毎日、夏希に付き合って来てくれる。
 しかし、詰まらなそうだ。

「タイトルか。直って感じで、俺は好きだけど」
「捻りがねぇ。つまんねぇ」

 建優は優しく肯定してくれたのに、健太の指摘が刺さる。

「けど、空について書いた話だし、他に思い付かない」
「それって、空の話か? 俺には茅野先生との思い出に読めるけど」

 本を作る作業を始めてから、健太にも建優にも夏希の話を全部読まれた。
 恥ずかしいが、二人とも褒めてくれたのが、くすぐったいけど嬉しかった。
 今の健太の指摘は、その時よりずっと恥ずかしい。

「なるほどねぇ。健太もたまには良いコト、言うね」

 建優が席を立って、夏希を促した。

「この話と、空と、茅野を想って、夏希君の中に浮かぶ言葉を書いてごらん」
「え⁉ タイトル、変えるんですか?」
「夏希君がそうしたいなら、このままでも俺は良いと思うけど。茅野に渡すって前提で作ってるんだし、茅野にあげたい言葉を選んでみるのも、いいんじゃない?」
「あげたい言葉……」

 夏希はパソコン画面に向かい合った。
 黄昏が影を飲み込む少し前の薄暗い夕暮れが画面いっぱいに広がる。

『僕は黄昏が好きだけど、夏希君は青空が好きですよね』
『本当は、黄昏が嫌いだったんだ』
『黄昏が、僕の大好きな宝物を連れてきてくれた』

 今までの結陽の言葉を思い出す。
 夏希の手が、自然と動いた。
 パタパタと文字を打ち込む。

「こんな感じ、どうですか?」

 気恥ずかしく思いながら、夏希は建優を見上げた。

「うん、いいね。夏希君の言葉選び、好きだな」

 建優がマウスを握って、文字の色を調節してくれた。

(暗い茜に飲まれない薄灰色の影の色、黄昏に飲まれない、二人の影みたいに)

「あ、その感じで」
「ちょうどいいね。文字も読めるし、絵も損なわない」

 出来上がった表紙のテンプレートをぼんやりと眺める。
 後ろから健太が覗きこんだ。

「やっぱ、夏希って文系だよな。今からでも進路変えたら?」
「理系のほうが得意だよ」
「国語も英語も、成績いいじゃん。てか、全体的にいつも上位じゃん」

 親に急かされて大学に行くつもりで勉強しているから、成績は悪くない。
 進路を決めていなかったから、万遍なく勉強していただけだ。

「やっぱり理系に行く。俺が知らない空、もっと知りたいから」
「ふぅん、そっか」

 何時もなら自分の主張を押し付ける健太が、珍しく食い下がらなかった。

「健太はもっと勉強しないとねぇ。親父が希望する大学、まだB判定だもんね」
「俺はこれから本気出すんだよ。受験の本気は三年からなんだよ。受験勉強してない兄貴に言われたくねぇ」
「俺だって受験勉強してたよ。美大の受験は一般大学と違うからねぇ。まぁ、推薦枠だけど」
「してねぇじゃん」

 二人の言い合いを聞きながら、夏希は笑った。
 健太と建優の会話は、兄弟がいない夏希には、ちょっと羨ましく聞こえる。
 夏希は、画面に映る茜と、灰色の文字を見詰めた。

『君が待ちわびる黄昏で』

 タイトルが夕暮れに浮かぶ淡い影のように浮かび上がる。

(結陽さんが待ちわびる、結陽さんが好きな黄昏で、結陽さんが帰ってくるのを、待ってる)

 想いを込めたタイトルを眺めて、夏希の胸に熱い気持ちがじんわり込みあげた。