君が待ちわびる黄昏で

 十二月も半ばになった。
 つい最近まで暑いと制服のジャケットを脱いでいた気がするのに、気付けば木枯らしに震えている。
 季節の移ろいが早いと感じるのはきっと、結陽の海外留学の日が迫ってきているからだ。
 年が明けて二月には、結陽は日本から旅立つ。

「結局、どの国に行くの?」

 結陽の留学先は候補が三国くらいあって、中々決まらなかった。

「イギリス。ほぼ大人の事情。僕はニュージーランド希望だったんだけどね」

 結陽が重い息を吐いた。
 大人の事情というのは画商の都合だろう。
 勉学より仕事が優先されそうな状況が垣間見えるチョイスだ。

「そっか、残念だね」

 ニュージーランドは自然が豊からしいから、結陽の画風に合っていると思う。
 そう考えると、勿体ない。

「ロンドンも、学ぶことも楽しみなこともあるから、いいんだけどね。ニュージーランドは、いつか二人で旅行しよう」

 結陽が後ろから夏希を抱きしめた。
 今日は、恒例になってきた週末のお泊りで結陽の部屋にいる。
 結陽は夏希を後ろから抱くのが好きだ。
 小柄な夏希を、すっぽりと包めるのがいいらしい。

「二人で行けたら、楽しそうだね」

 結陽の腕を、きゅっと掴む。
 夏希の仕草を見て、結陽が嬉しそうに髪に頬擦りした。

「年末年始は? 和歌山に帰るの?」

 ちらりと結陽を振り返る。

「そのつもりだけど、夏希君にそういう顔をされると、帰りたくなくなる」
「え? 俺、変な顔した?」

 ムニムニと自分の頬を引っ張る。
 やんわりと結陽に手を握られて、止められた。

「寂しそうな顔、時々するの、自覚ないでしょ?」
「……ない」

 恥ずかしすぎて、正面に向き直った。
 自分の表情を気にしたことは、そういえばあまりない。

「けど、流石に帰らないとね。来年の二月から海外だし、和歌山を離れて以来、帰ってないから。一度くらい実家に顔を出さないと、心配かけるからね」
「そうだね」

 結陽が夏希の手を握った。

「お土産、何がいい?」
「和歌山って、何があるの?」
「えっと……、みかん、とか? そういえば、お土産って特に思い付かないな」

 住んでいる人が思い付かないのなら、夏希にもわからない。
 結陽に会うまで、和歌山県を意識したことがなかった。

「あ、でも、神社があるよ。熊野神社」
「熊野神社って、駅前の神社と同じ?」
「そうそう。僕が住んでいる新宮市には熊野速玉大社があるんだけど、更に山奥の本宮には熊野本宮大社がある。全国の熊野神社の総本山だよ」
「そうなんだ。もしかして、結陽さんがあの神社で絵を描いてたのって、懐かしかったから?」

 全く知らない土地に来て、少しでも見知った名前や場所があったら所縁を感じるだろう。

「懐かしいというか、そうだね。馴染みがある名前だったのもあるし、神主さんが親切だったのもあるかな」

 総本山の社がある和歌山出身の結陽となら、神主さんも会話が弾んだに違いない。
 それを抜きにしても、熊野神社の神主は結陽と夏希に親切だと思う。

「夏希君、来年は受験だし、初詣で御守りを買ってくるよ」
「御守り、ありがと。そっか、俺、来年は受験生なんだ」

 全国各地に社がある神社の総本山なら霊験あらたか間違いなしだろうが。
 受験という現実が重くのしかかる。

「志望校とか、もう決まってるの? というか、学部とか」
「んー、大体、決めた。結陽さん、俺さ。もしかしたら気象予報士に興味が湧いたかも」

 結陽が意外そうな顔で夏希を眺めた。

「正確には、知りたいことを知るために勉強したら取れるかもしれない資格って感じなんだけど。最近さ、結陽さんに空の話、送ってる、でしょ?」
「フォルダ作って全部、保存してるよ」
「それは、はずい……」

 結陽がスマホを見せてくれた。
 夏希が送った空の話を、種類別に保存してくれている。
 マメだし几帳面だ。こんな風に大事にしてもらえると書いて良かったと思う。

「それでさ、その……、書いてたら、俺ってこんな風に空を見てるんだなって、改めて思って。もっと違う角度や視点からも、見てみたくなったんだ。俺が知らない空って、まだいっぱいあるんだろうなって思って」
「それで、理系か。文系に行こうとか、芸術方面には向かなかったんだね」
「文系って、詩とか小説とか?」
「うん、そう。夏希君には文才、あると思うけどな」

 結陽が夏希の空の話をスクロールしながら呟く。
 とても恥ずかしい。

「語彙力ないし、文才はないと思うよ。けど、書くのは楽しいって思った。だから、これからも続けたいって思う」

 空を眺めて、思った言葉を書き止める。
 最近はセットで夏希の趣味だ。書くという行為が、すっかり身についた。

「結陽さんが見付けてくれた、俺のもう一つの趣味、だよ」
「楽しいって思うのが、もう才能だよ。夏希君の楽しいを増やせて、嬉しいよ」

 結陽が夏希の頭を撫でる。

「けど、そっか。夏希君の視点は、どちらかといえば、文系の芸術寄りだから。未知の空を知りたいなら理系かもしれないね」
「それに俺、物理とか数学のほうが国語より得意だから。受験も楽かと」

 だから語彙力がないのだろうと思う。

「得意があるって良いことだよ。夏希君がまだ知らない空を知ったら、どう感じるんだろう。今からワクワクするね」

 本当に楽しそうな顔をして、結陽が夏希に抱き付いた。
 結陽はいつだって、夏希と同じ目線で同じ気持ちを共有してくれる。
 それが嬉しくて、胸がキュンキュンする。

「結陽さんが日本に帰ってくる頃には、少しくらいは今の俺が知らない空の話ができる。と、いいなと思う。受かればだけど」

 後半、ちょっと弱気になった。
 大学に受かる保証がないので、絶対とは言えない。

「……そうか。僕が帰ってくる頃の夏希君は、もう高校生じゃないんだ。大学生になってるんだ」
「受かればね!」

 思わず食い気味に被せた。
 結陽の手が夏希の頬を包み込んだ。

「こんなに可愛い夏希君が、一年半後にどれだけ格好良くなってるのか、すごく楽しみ」
「かわ……、かっこ……」

 結陽があまりにも色っぽく夏希を見詰めるので、言葉が出なくなった。

「でも、その過程を見られないのは、凄く残念。というか、辛い」

 するすると伸びた腕が、夏希を胸に閉じ込める。
 あまりにも自然に抱きしめられた。

「だから、せめて今の夏希君を、僕にちょうだい」

 雄みを帯びた目が近付いて、夏希の唇を食んだ。

(この目、知ってる。結陽さんがベッドの中でだけ、する目だ)

 艶っぽくて大人びて、少しだけ強引な雄の顔だ。
 何度も唇を食まれながら、夏希は結陽にしがみ付いた。

「……全部、結陽さんに、あげる」

 唇を重ねながら、食まれながら、何とか返事する。
 結陽の目が、嬉しそうに笑んで夏希を抱き上げた。