君が待ちわびる黄昏で

「でも、やっぱり、そういうのは、まだ怖い。だから、すぐには無理だと思う」
「うん、無理しないでいこう」

 残念なような安心したような気分で、夏希は息を吐いた。

「夏希君もお年頃だし、興味あるなら出来る所までは付き合うよ。僕も苦手のままにしたくないし、いつかは夏希君を抱きたいし……」
 
 夏希は結陽の唇をむにっと掴んだ。
 ぱちくり、と瞬きして、結陽が夏希を見上げた。

「そういうの、今後はダメ。結陽さんは極端なショック療法しがちだけど、危険だから。ちょっとずつ馴らそうよ。俺はずっと結陽さんの隣にいるんだから、急がなくていいよ」

 言いながら恥ずかしくて目を逸らす。
 結陽の腕が夏希を、ぎゅっと抱き締めた。

「僕のペースに合わせてくれるの?」
「合わせるっていうか、俺も経験ないから、よくわかってないよ」

 結陽が、じっと夏希を見上げる。
 恥ずかしくて直視できない。

「俺は別に、そういうことがしたくて結陽さんの恋人になった訳じゃないから、それを焦る必要はないというか。一緒にいられるだけでも充分、嬉しいっていうか」

 話したらもっと恥ずかしくなった。
 
「他にも色んな結陽さん、知りたいから」

 結陽が、ずるずると夏希の体を引っ張る。
 膝立ちになっていた体が座り込んだ。
 唇が重なる。結陽の唇が、夏希の下唇を甘く食んだ。

「好きだよ、夏希君。夏希君になら、僕はこんなに触れるんだ。キスすると、体が痺れるくらい、幸せ」

 嬉しそうに抱きしめてくれる結陽に体を預ける。

「俺も、好き。本気でキュン死するかもって思うくらいドキドキするって、初めて知った」

 結陽の抱く腕が強くなる。
 喜んでくれているのが、全身から伝わる。

(どうしよう。好きって、こんなに幸せなんだ)

 振ってくる唇が、夏希の頬や鼻先を掠めて、唇に落ちる。
 あまりにも自然に、結陽が夏希にキスをする。

(キスできるくらい、俺には触れられる。抱き合ったりも、出来る。だからきっと、大丈夫)

 その先は時間をかけて馴らして、ゆっくり進めばいい。
 そう考えて、思い至った。

「そういえば、結陽さんは海外留学するんだよね? いつから行くの?」

 個展前に健太が、ちらっと話していたのを、不意に思い出した。
 結陽がビクリと体を震わせて、動きを止めた。

「夏希君、何で知ってるの?」
「えっと……、健太が話してたから」

 結陽の顔が強張っている。
 話さないほうが良かっただろうか。

「そっか。健太君、理事長の息子さんだもんね」

 結陽が、ぽそりと零した。

「海外留学は、やめることにしたんだ」
「え⁉ 今更、何で?」

 驚いて声が大きくなった。

「思った以上に大学で学べることが多そうだし、そもそも僕は水彩画メインだから、日本でのほうが学びが多いし」

 おずおずと語る結陽の目が、気まずそうに逸れる。
 語り口が何とも曖昧だ。

「元々、海外留学を希望したのは、和歌山にいた頃で、日本にいたくないって不純な動機だったんだ。噂も届かない関東なら国外に逃げる必要ないし、それに今は……」
「……俺が、いるから?」

 結陽が黙り込んだ。
 その答えを夏希が望まないと気が付いている顔だ。

「結陽さん、俺、二年ぐらい、待てるよ」

 結陽の顔が引き攣る。
 離れたくないのは結陽のほうなんだろう。そういう顔をしている。
 夏希は結陽の顔を胸に抱いた。

「俺、結陽さんの絵が好きだ。結陽さんの足を引っ張る存在にはなりたくない。結陽さんが留学している間に俺も、結陽さんの隣にいて胸を張れるような人間になるから。だから、俺が理由なら、ちゃんと留学してきて」

 結陽の腕が、戸惑いながら夏希を抱いた。

「夏希君が男前で震える」

 本当に震えているから、少し心配になる。

「ありがとう。けど、もう取消の申請は出しちゃったんだ。だから、海外留学はナシ」
「本当に大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。それより今、胸キュンが止まらない」

 結陽が、ギュッと夏希を抱きしめた。

「え? 胸キュン?」
「僕が二年いなくなっても、待っていてくれるんだって。夏希君、基本は可愛いのに、格好良いトコもあるんだなって思って、ドキドキしてる」

 そんな風に言われると、とても照れ臭い。
 かえって何も言えなくなった。

「夏希君は、やりたいことって、ないの? 進学先とか、決めてるの?」

 するすると体を抱かれて、夏希は腰を下ろした。
 結陽の胸に抱かれたまま、考える。

「空を見る以外に趣味がなくて。興味あることも特にないけど、親には大学行けって言われてるから、進学すると思う」

 目的がないから学部も決まらない。
 いつも何となく適当に、家から通えそうな大学を進路希望に出している。

「絵を描いたり、詩を書いたりは?」
「俺にはそういう、芸術的センスはないと思うけど」
「そんなことないと思うけどなぁ」

 結陽はいつも夏希の空の話を褒めてくれるが、自分としてはそういうつもりで話している訳ではないから、ピンとこない。

「なら、気象予報士とか。空を見るお仕事でしょ?」
「空を見るのは好きだけど、空を科学したいわけじゃないし」

 そもそも趣味を仕事にするのは、自分の場合、如何なものだろうと思う。
 逃げ場がなくなるようで、怖い。

「じゃぁ、一緒に探そうか。夏希君のやりたこと」
「一緒に?」

 夏希の髪をいじる結陽が微笑んだ。

「僕は夏希君に、空の話を書いてほしいけど。気が向いたら、試しに書いてみてよ」
「……気が、向いたら、ね」

 照れくさくて、そっと目を逸らした。
 結陽と一緒に探せるなら、やりたいことも見つかる気がした。