君が待ちわびる黄昏で

 九月に急遽決まった結陽のプチ個展が終わった、九月最後の週末。
 俺は結陽のアパートに泊まりに来ていた。
 嫌じゃなければ、と結陽から誘われた。

 夕食を終えて、風呂に入ってまったりしているが。
 俺はドキドキしていた。

(初めてのお泊り。一緒に寝るかな。寝る、よな)

 前回の六月はお互いに初めて告白をして、次の瞬間にはフラれた。
 あの時は、結陽がソファで寝ていた。
 申し訳なく思いながらも、フラれたショックと雨に濡れて冷えた疲れで、ベッドでガッツリ寝ていた。

「夏希君、何か飲む?」

 風呂から出てきた結陽が冷蔵庫を開けている。

「あ、うん。飲む。何でもいい」
「じゃぁ、炭酸水」

 炭酸水のペットボトルを受け取る。
 隣に座ると思いきや、後ろに座った結陽が俺を抱いた。
 背が高い結陽は手足も長いから、小さい俺は包まれると腕の中にすっぽり収まる。

「ゆ、結陽さん⁉」

 後ろからギュッと抱きしめられて、あたふたした。

「夏希君にしたい話があるんだけどね。顔を見ながらする勇気がないから、後ろからでも、いい?」

 耳元で話されて、吐息が掛かって擽ったい。

「……ぅん」

 小さく返事した。

「夏希君さ、僕のこと、ネットで調べたりした?」

 ドキッと心臓が嫌な音を立てた。
 個展に行く前、一度だけ調べた。その時に、知らなくてもいい事実まで知った。

「……ごめん、一回だけ、調べた。個展のチケット、貰った後。でも、その一回だけだよ。俺、健太に聞くまで結陽さんが凄い画家だなんて、知らなくて」

 今でも、自分が天才画家の恋人になったなんて、信じられない。

「ん、そういう夏希君が好き」

 話しながら、結陽が耳に口付ける。
 触れた耳が熱くなって、胸がきゅんと締まる。

「調べた時、知ったかもしれないけど。前にも話したけど、僕にはあまり人に話したくない過去があって」
「話したくないなら、話さなくていいよ」

 咄嗟に言葉が飛び出した。
 結陽の口から辛い過去を語らせたくない。
 俺を包む結陽の腕に力が入った。

「……夏希君には、聞いてほしいんだ。どうして僕が、好きなのに友達でいようって言ったのか、その理由。夏希君を傷付けた言訳、させてほしい」
「言訳なんて、そんなの……。俺は傷付いたわけじゃ……、いや、ショックだったけど、でも」

 思わず振り向いた。

「聞きたくない?」

 結陽の目が俺を見下ろす。
 俺のほうが目を逸らした。

「そうじゃ、なくて。だから……」

 内容が内容だけに、きっとどんな言葉を使っても結陽は傷付く。
 話すことで傷を抉るような思いは、させたくない。
 俯く髪を撫でながら、結陽がゆっくり話し始めた。

「あの時、されたこと。僕は正直、よく覚えていないんだ。ただ、体が痛くて、怖くて蹲っているうちに母親が見付けて助けてくれた。むしろ、その後の噂のほうが辛かったよ。僕の家は田舎だし噂が広まるのも早かった。高校はなるべく遠くへ行ったけど、あんまり意味がなかったかな」

 結陽が和歌山に帰りたがらない理由も、関東に出てきた理由も、その噂のせいなんだろう。
 
「中途半端に有名人だからね。ネットを調べれば、すぐに記事が出てきちゃうし。だから余計に気持ちが焦って、恋人を作ろうとか思っちゃって」
「恋人を? どうして?」

 レイプなんてされたら、怖くて恋人どころか人付き合いにまで支障が出そうだ。
 しかも結陽がレイプされた相手は、家に通っていた家庭教師だ。大人も信用できなくなりそうだ。

「自分の中の恐怖を何とかしたかったから。事件のあと、しばらくは大人の男の人が怖くて、まともに会話もできなかった。そのままでいたくなかったんだ」

 似たような話を聞いた気がする。
 そう思って、黄昏のスケッチを思い出した。

(黄昏が嫌いだったから、その思いを払拭したかったって、言ってた。結陽さん、極端な行動でショック療法するタイプなんだ)

 行動パターンが同じだと思った。
 そのお陰で結陽と出会えたから、あまり悪くも言えないが、お勧めできない。

「僕はね、思春期の頃から何となく男の人が好きだなって思ってた。だから、恋人自体、作るのは難しいかなって思っていたけど。高校二年の時の同級生と、偶然、そういう関係になれてね」
「そういう、関係……?」

 そういう関係とは、どこまでの関係なのだろう。
 上手な聴き方がわからなくて、それ以上、言えなかった。

「まぁ、恋人だったけど。興味もあるし、好きなら、シたいと思うよね」
「え! えっと……、そう、かな。そう、だね、うん……」

 俺だって興味がないわけじゃない。
 恥ずかしくて、顔が熱くなる。

「できなかったんだ。体が震えて、触れなかった。それで、愛想尽かされちゃってね。嫌われちゃった」
「なんで? そんなの結陽さんの事情知ってたら、わかるはず。いや、知らなかったら、辛いのかな」

 勢いで振り返ったが、すぐに俯いた。
 結陽のレイプ事件を知らなかったら、まるで自分に拒否反応を示したように相手は捉えるかもしれない。

「知ってたよ。知っていて恋人になってくれたから、嬉しかった。だけど、やっぱり、触れられないのは、辛かったみたい。それはそうだよね。彼は何も悪くないのに、僕が目の前で震えてたら、嫌だよね」

 結陽の視線が下がる。
 俺の中で、何かがストンと落ちた。

(あぁ、そうか。結陽さんが俺と恋人になれないって遠ざけたのは、俺を傷付けたくなかったからで、自分も痛い想いしたくなかったからだ)

 好きだからこそ、側にいたら辛い。
 何かのきっかけで相手を傷付けるのも、それにより自分が傷付くもの、きっと嫌というほど経験してきているんだろう。
 
 結陽に手を伸ばした。
 頬を包んで額に口付ける。

「結陽さんは、俺にいっぱい触れてくれるよね。俺がこんな風に触れても、怖くない?」

 結陽の目が上向く。
 瞳の中に俺の顔が映り込んだ。

「怖くないよ。夏希君に触れるのも、触れられるのも、怖くない」
「じゃぁ、ゆっくり進もう。俺と結陽さんは、まだ恋人になったばかりだし、時間はあるから。怖くなくて、嫌じゃないことから、やっていこうよ」

 結陽の腕が伸びて来て、俺の体を掴まえた。
 抱き寄せて、顔を摺り寄せる。

「夏希君になら、こんなに触れるんだ。抱き寄せて、キスして、もっと深く夏希君を感じたいって、自然と思える」
「ふか、深く⁉」

 意味深な言い回しに、声が裏返った。
 顔を熱くしている俺を、結陽が笑んで見上げた。