君が待ちわびる黄昏で

 空の顔が、好きな秋色になった。
 個展の時の告白以来、ほぼ毎日、結陽と会っていた。
 夏休み中は結陽の個展もあったが、午後の数時間だったので時間を作り易かった。
 一般来場の日は足を運んで、改めてじっくり結陽の絵を楽しんだ。

 九月に入り、新学期が始まった。
 美大の夏休みは九月の中旬までらしい。
 個展が盛況だったので一週間、期間が伸びて、九月の上旬まで開催になった。
 それを受けて、九月の連休も茅野結陽のプチ個展の開催が決まった。
 次回は売りに出す絵を展示するから、客層が変わるのだそうだ。

「それじゃ今は、忙しくないの?」

 神社の境内で横になりながら、夏希は問い掛けた。

「すでに仕上がっている絵の展示だからね。学長が何点か選んでくれたのを展示するだけだから、新たには描かないよ」
「そうなんだ」

 俺と結陽の体の下には、ブルーシートとお昼寝用簡易布団が敷かれている。
 絵を描くために横になって空を観察する話をしたら、神社の神主さんが準備してくれた。
 神主さんも結陽の個展を観に来てくれたらしく、熊野神社が描かれた絵を大層、喜んでいた。
 描いてくれたお礼も兼ねての、空の観察用お昼寝布団の差し入れだった。有難いが、ちょっと恥ずかしい。

「八月の個展で展示した絵も、何点か出すよ」
「そうなの?」

 それは、ちょっと残念だと思った。
 あの展示で出ていた空の絵は、自分のモノにしておきたい。

(俺に経済力があったら、全部買い取るのに)

 結陽の絵はどれも高額で、夏希がバイトしたって買えるような額じゃない。
 しょんぼりする俺を眺めて、結陽が嬉しそうに笑んだ。

「風景画を三点くらい。大判の絵と空をメインに描いた絵は、手元に残す予定だよ」
「そっか、良かった」

 夜明けと夕暮れのグラデーションの絵も残るんだと思ったら、安心した。
 大判の絵と同じくらい、あの二枚は夏希にとって特別だ。

「空が朱くなってきたね」

 結陽の言葉につられて、空に目を向けた。
 透き通るように抜けた水色に、薄い茜が溶け始める。
 秋の夕暮れは、あっという間に黄昏を連れてくる。

「そろそろ、帰ろうか」

 起き上がった結陽が手を伸ばした。
 その手を握って、起き上がる。

「この場所、空が綺麗に見えるね」
「この神社の境内は空が綺麗に見えるって話したら、神主さんが喜んでくれてね。綺麗に見える場所をたくさん探してくださいってお願いされたんだ。だから、ここはそのうちの一つだよ」

 九月に入ってから、俺と結陽は空の観察場所を変えた。
 といっても、空映えスポットである熊野神社の境内には変わりないのだが。
 
(まさか、健太以外にも色んな人に目撃されているなんて、思ってなかった)

 神社デートは意外と色んな人に見られていた。というのを、健太の兄の建優からの情報で知った。
 美大の絵画科では、ちょっとした噂になっていたらしい。
 大変、居た堪れない。

「鳥居の近くだと、道路から色んな人に見られるもんね」
「僕も、まさか同じ学科の人に知られていたとは思ってなくて。気が付かなくて、ごめんね」

 結陽が申し訳なさそうに頭を掻いている。
 だが、嫌そうな顔はしていない。

(何となく、ちょっと嬉しそう?)

 ということで、道路から見えないような境内の奥の社側で会うことにした。
 神主さんが人目につかない場所をいくつか提案してくれたので、今はそこで心置きなく空を観察している。

(神主さんは俺たちの関係、どう思ってんだろ)

 そういう話は結陽からも聞かないから、わからない。
 空の観察に関して大変、協力的だから、課外活動の仲間程度の認識なんだろうか。そうであってほしい。

 お昼寝布団を神社の裏の倉庫に仕舞う。
 空の茜が濃くなって、陽が落ち始めた。
 神社の境内に、夏希と結陽の薄い影が伸びた。

「初めて夏希君に会った日も、これくらいの黄昏だったね」

 荷物を持った結陽が空を見上げた。
 秋の夕暮れは空が冴えているせいか、茜より朱色だ。

「あの日は春だったから、夕暮れの茜色が濃くて、灰色の影はもっと湿っぽかったね」

 結陽の顔が近付いて、俺の頬に口付ける。

「好き」

 耳元で囁かれた。

「あの時、夏希君は後ろから僕のスケッチブックを覗き込んでいたよね。僕ね、一瞬、幽霊かと思ったんだよ」

 結陽の言葉に、夏希はドキリとした。
 一心不乱に絵を描く背中を見た夏希も、同じように幽霊かと思ったから。

「あの後も、何度か黄昏時に偶然、会ったよね。だから、黄昏にしか会えない幽霊なのかと思った」

 あまりにも同じ心境を言葉にされて、何も言えない。

「幽霊じゃないって確かめたくて、明るい時間にも神社に来るようになったんだ。青空の下でも会えたから、安心した……、夏希君?」

 後ろから結陽に抱き付いた。
 
「俺も、幽霊じゃないかって思ってたし、幽霊じゃなくて良かったって、思ったよ」

 こんな風に触れて熱を感じられる。
 手を伸ばせば届く距離に結陽がいてくれる今が、たまらなく嬉しい。

 結陽が腕を回して、引き寄せた。
 正面から胸に抱いて、俺の体に腕を絡ませる。

「ずっと側にいてね」

 耳元で囁かれて、耳が甘く痺れた。
 そんなのは、俺のほうが思っている。

「結陽さんこそ、俺を置いていかないでね」
「……うん」

 頬を擦り合わせながら聞こえた返事は、いつもの声より弱々しかった。