結陽に抱かれたまま、俺は立ち尽くしていた。
この状況を、どうすればいいか、わからない。
「……帰っちゃい、ましたね」
振り返ったら、壁に飾られた大きな絵が目に入った。
(俺をモチーフにして描いてくれた絵だ。俺が大好きな秋晴れと、結陽さんが好きな黄昏と)
その真ん中に、自分がいる。
気恥ずかしいのに、それ以上に嬉しくて、今更直視できなくなった。
「敬語、夏希君のほうが戻ってる」
「え? ……あ」
結陽を振り返ったら、人差し指で唇をふにっと押された。
敬語をやめてとお願いしたのは俺だったのに、うっかり言葉が出た。
「僕から会わないと言ったのに、夏希君に会わなくなったら、僕はまともに絵も描けなくなった。情けないね」
結陽の両手が俺の顔を包み込んだ。
「もう一度、ちゃんと伝えさせてほしいんだ。僕は夏希君が大好きで、離れたくない。もしかしたら僕は君を傷付けるかもしれないけど、それでも、側にいてほしい」
額同士が、こつんと当たる。
「夏希君の返事を、気持ちを、聞かせて」
頬を包む結陽の手が小刻みに震えていた。
その手を、ほとんど無意識で握った。
「傷付くかどうかなんて、一緒にいてみないとわからないし。傷付いたかどうかなんて、俺じゃなきゃ、わからないよ」
結陽が額を離して顔を上げた。
「会えない一カ月間のほうが、辛かった。だったら一緒にいて傷付いたほうがいい。それに俺、結陽さんと一緒にいて嫌な思い、したことない。離れたくないとか、涙が出るくらい好きとか、こういう気持ち、結陽さんが初めてで、どう伝えたらいいか、わかんない」
想いが胸の奥から込み上げて、昇った熱さが目から流れ落ちる。
「充分、伝わってる。夏希君は、表現が上手だから、いっぱい伝わるよ」
「結陽さんだって、ここに展示されている絵、ほとんど……、ぁ、ぅん」
唇がやんわり重なって、互いの熱が混ざり合う。
啄ばむような口付けから、少しだけ割り開いた口に舌が忍び込んで、夏希の舌をチロチロと舐め挙げた。
くすぐったくて、びくりと震える。
その震えまで抱きしめて、結陽の腕に閉じ込められた。
「ん……はぁ……」
唇を離した結陽が微笑んだ。
「涙目で蕩けてる夏希君、可愛い。この顔は初めてだね」
「だって、こんな、キス……、初めて、だから」
こんな、大人みたいなキス、初めてだ。
「やっと、夏希君のファーストキス、もらえた」
結陽が嬉しそうに笑んだ。
「僕が空の絵を描いた理由は、夏希君。夏希君に教えてもらった色だ。空は、夏希君がくれたモチーフだよ」
個展のほとんどの絵が空を主役にした絵だ。
まるで、俺を描いたと言われているようだった。
二人で、壁の絵を見上げた。
「俺と結陽さんが混じった絵に見えるね。絵の中の俺の顔、空を見上げてる時の顔だよね?」
「どんな表情にしようか、最後まで悩んだんだ。けど、やっぱり僕は、空を見上げている時の夏希君が好きだ。夏希君がどんな顔で空を見ているのか、夏希君に教えたかった」
「笑ってないのは、わかってたけど」
真剣に見ている時と、ぼんやり眺めている時と、きっと色んな顔をしているだろうと思う。
「夏希君が空を見上げている時はね、色んなものを探している目をしてる」
「探してる?」
「空の色が昨日とどう違うかとか、どんな風に表現する色かとか、雲の形や厚さや色とか、流れる速さとか鳥が飛ぶ姿とか。どの角度が一番好みかとか、考えていそうな顔」
意識していなかったが、そうかもしれない。
「そういう時の夏希君は真剣で、だけど時々、ぼんやりしている時もあって。ちょっと気が抜けた感じが安心して見えて、僕は好き。でもその夏希君は、僕だけが知っている夏希君にしておきたかったんだ」
「結陽さんしか知らない俺は、いっぱいいると思う」
照れくさくて、目を下げた。
空の話をこんなにした相手は、結陽だけだ。
結陽が満足そうに夏希の口元に口付けた。
「夏希君、僕ね、本当は黄昏が嫌いだったんだよ」
「そう、なの?」
結陽が戸惑いがちに視線を落とした。
「僕には、人にはあまり話したくない過去があって、夕暮れ時は、そういう嫌な過去を思い出すから嫌いだった」
心臓が小さく跳ねた。
結陽が語りたくない過去はきっと、レイプ事件だ。
「じゃぁ、なんで、黄昏刻に神社にいたの?」
初めて出会った黄昏で、一心不乱にスケッチブックに向き合う結陽の背中を思い返す。
「自分の気持ちを払拭したかったから。新しい場所に来たし、嫌いを嫌いのままにしたくなかった。そうしたら、黄昏の薄闇から、夏希君が現れた。怖かっただけの黄昏が宝物を連れてきてくれたんだ。だから僕は、黄昏が好きになった。夏希君が好きな青空も大好きになった」
結陽の視線が他の絵に向く。
たくさんの空の絵を、ぐるりと見回した。
「頭の上に広がる空を忘れていた僕に、空を描かせてくれたのは夏希君だ。上を向くと色んなものが見えるって、教えてくれたのは夏希君だ」
自分は、そんなに大層な人間ではない。
いつもなら、そう思う。
けど今は、結陽の言葉が素直に嬉しい。
「そんな夏希君が好き。僕だけの夏希君になってほしい。僕を夏希君の、恋人に、してほしい」
真っ直ぐな言葉に喜ぶ心が、少しだけ震える。
こんなに強い想いを、自分は受け止めきれるのだろうか。
だけど。戸惑う気持ちを欲しがる愛が上回った。
「俺も、結陽さんを独り占めしていいの? 俺の結陽さんって、思って、いいの?」
未来を期待された才能ある若き天才画家。
そんな人の恋人が自分なんかで良いのだろか。
頭ではそう思うのに、嬉しくて堪らない。
「夏希君だけの、僕にして。夏希君じゃなきゃ嫌だ。夏希君じゃなきゃ、ダメなんだ。この先、何があっても側にいてほしいのは、夏希君だけだよ」
胸に抱かれて、唇が重なる。
今日だけで、何度もキスしている。
会えなかった一か月分を取り戻すように、熱が溶け合う。
交わした言葉まで溶けてしまいそうで、必死に結陽にしがみ付いた。
この状況を、どうすればいいか、わからない。
「……帰っちゃい、ましたね」
振り返ったら、壁に飾られた大きな絵が目に入った。
(俺をモチーフにして描いてくれた絵だ。俺が大好きな秋晴れと、結陽さんが好きな黄昏と)
その真ん中に、自分がいる。
気恥ずかしいのに、それ以上に嬉しくて、今更直視できなくなった。
「敬語、夏希君のほうが戻ってる」
「え? ……あ」
結陽を振り返ったら、人差し指で唇をふにっと押された。
敬語をやめてとお願いしたのは俺だったのに、うっかり言葉が出た。
「僕から会わないと言ったのに、夏希君に会わなくなったら、僕はまともに絵も描けなくなった。情けないね」
結陽の両手が俺の顔を包み込んだ。
「もう一度、ちゃんと伝えさせてほしいんだ。僕は夏希君が大好きで、離れたくない。もしかしたら僕は君を傷付けるかもしれないけど、それでも、側にいてほしい」
額同士が、こつんと当たる。
「夏希君の返事を、気持ちを、聞かせて」
頬を包む結陽の手が小刻みに震えていた。
その手を、ほとんど無意識で握った。
「傷付くかどうかなんて、一緒にいてみないとわからないし。傷付いたかどうかなんて、俺じゃなきゃ、わからないよ」
結陽が額を離して顔を上げた。
「会えない一カ月間のほうが、辛かった。だったら一緒にいて傷付いたほうがいい。それに俺、結陽さんと一緒にいて嫌な思い、したことない。離れたくないとか、涙が出るくらい好きとか、こういう気持ち、結陽さんが初めてで、どう伝えたらいいか、わかんない」
想いが胸の奥から込み上げて、昇った熱さが目から流れ落ちる。
「充分、伝わってる。夏希君は、表現が上手だから、いっぱい伝わるよ」
「結陽さんだって、ここに展示されている絵、ほとんど……、ぁ、ぅん」
唇がやんわり重なって、互いの熱が混ざり合う。
啄ばむような口付けから、少しだけ割り開いた口に舌が忍び込んで、夏希の舌をチロチロと舐め挙げた。
くすぐったくて、びくりと震える。
その震えまで抱きしめて、結陽の腕に閉じ込められた。
「ん……はぁ……」
唇を離した結陽が微笑んだ。
「涙目で蕩けてる夏希君、可愛い。この顔は初めてだね」
「だって、こんな、キス……、初めて、だから」
こんな、大人みたいなキス、初めてだ。
「やっと、夏希君のファーストキス、もらえた」
結陽が嬉しそうに笑んだ。
「僕が空の絵を描いた理由は、夏希君。夏希君に教えてもらった色だ。空は、夏希君がくれたモチーフだよ」
個展のほとんどの絵が空を主役にした絵だ。
まるで、俺を描いたと言われているようだった。
二人で、壁の絵を見上げた。
「俺と結陽さんが混じった絵に見えるね。絵の中の俺の顔、空を見上げてる時の顔だよね?」
「どんな表情にしようか、最後まで悩んだんだ。けど、やっぱり僕は、空を見上げている時の夏希君が好きだ。夏希君がどんな顔で空を見ているのか、夏希君に教えたかった」
「笑ってないのは、わかってたけど」
真剣に見ている時と、ぼんやり眺めている時と、きっと色んな顔をしているだろうと思う。
「夏希君が空を見上げている時はね、色んなものを探している目をしてる」
「探してる?」
「空の色が昨日とどう違うかとか、どんな風に表現する色かとか、雲の形や厚さや色とか、流れる速さとか鳥が飛ぶ姿とか。どの角度が一番好みかとか、考えていそうな顔」
意識していなかったが、そうかもしれない。
「そういう時の夏希君は真剣で、だけど時々、ぼんやりしている時もあって。ちょっと気が抜けた感じが安心して見えて、僕は好き。でもその夏希君は、僕だけが知っている夏希君にしておきたかったんだ」
「結陽さんしか知らない俺は、いっぱいいると思う」
照れくさくて、目を下げた。
空の話をこんなにした相手は、結陽だけだ。
結陽が満足そうに夏希の口元に口付けた。
「夏希君、僕ね、本当は黄昏が嫌いだったんだよ」
「そう、なの?」
結陽が戸惑いがちに視線を落とした。
「僕には、人にはあまり話したくない過去があって、夕暮れ時は、そういう嫌な過去を思い出すから嫌いだった」
心臓が小さく跳ねた。
結陽が語りたくない過去はきっと、レイプ事件だ。
「じゃぁ、なんで、黄昏刻に神社にいたの?」
初めて出会った黄昏で、一心不乱にスケッチブックに向き合う結陽の背中を思い返す。
「自分の気持ちを払拭したかったから。新しい場所に来たし、嫌いを嫌いのままにしたくなかった。そうしたら、黄昏の薄闇から、夏希君が現れた。怖かっただけの黄昏が宝物を連れてきてくれたんだ。だから僕は、黄昏が好きになった。夏希君が好きな青空も大好きになった」
結陽の視線が他の絵に向く。
たくさんの空の絵を、ぐるりと見回した。
「頭の上に広がる空を忘れていた僕に、空を描かせてくれたのは夏希君だ。上を向くと色んなものが見えるって、教えてくれたのは夏希君だ」
自分は、そんなに大層な人間ではない。
いつもなら、そう思う。
けど今は、結陽の言葉が素直に嬉しい。
「そんな夏希君が好き。僕だけの夏希君になってほしい。僕を夏希君の、恋人に、してほしい」
真っ直ぐな言葉に喜ぶ心が、少しだけ震える。
こんなに強い想いを、自分は受け止めきれるのだろうか。
だけど。戸惑う気持ちを欲しがる愛が上回った。
「俺も、結陽さんを独り占めしていいの? 俺の結陽さんって、思って、いいの?」
未来を期待された才能ある若き天才画家。
そんな人の恋人が自分なんかで良いのだろか。
頭ではそう思うのに、嬉しくて堪らない。
「夏希君だけの、僕にして。夏希君じゃなきゃ嫌だ。夏希君じゃなきゃ、ダメなんだ。この先、何があっても側にいてほしいのは、夏希君だけだよ」
胸に抱かれて、唇が重なる。
今日だけで、何度もキスしている。
会えなかった一か月分を取り戻すように、熱が溶け合う。
交わした言葉まで溶けてしまいそうで、必死に結陽にしがみ付いた。

