帰り道、唐突に好みのタイプの話になった。この手の話をのらりくらりかわしているのに、懲りてくれない後輩がいる。ことある毎に俺の好みを探ろうとしてくる。
「そんな気になんねーだろ、別に」
「いーや、なります。絢斗先輩、いっつもはぐらかすじゃないですか」
「話したくねーの、察せる?」
マフラーで顔を隠しつつ、静かにため息をつく。俺は恋愛の話からは遠ざかっていたいし、好きなタイプも極力言いたくはない。
「じゃあ、今回はオレも言うんで。オレは髪短い人が良いです」
にこにこしながら俺を見て、さも俺の番というように黙って待っている陽向。今日という今日は、逃げ切れなさそうだ。諦めて口を開く。
「俺は……ちょっと、長め」
「おっ、いいですね。身長はどうですか。オレは、オレより小柄です」
陽向は頬を緩めて、やりとりを続けた。身長って特定しようとしてねーか?
まあ、できるわけねーか。冷たい風に肩をすくめる。
「身長は、まあ俺よりは高い」
商店街を抜けて、駅が見えてきた。
「じゃあ、顔はきれい系ですか? かわいい系? オレは、圧倒的にかわいい系です」
陽向も好きなタイプがはっきりしたやつなんだな、と思った。自分が話したくないから訊いたことなかったけど、もしかすると誰かを思い浮かべて言ってるのかもしれない。
鳩尾のあたりが、ムカムカした。
「俺は、そうだなー」
信号で立ち止まって、振り向いて陽向の顔をじっと見つめた。何でこいつは、こんなわくわくしてる顔なんだ。
俺は何も楽しくない。その上、今の気分は最悪だ。早く切り上げて帰りたくなってきた。
けど、今日は陽向の家で漫画を読ませてもらう約束をしてしまった。いきなり帰るわけにもいかない。
「きれい系。あ、けど笑うとかわいい」
「絢斗先輩も、笑うとかわいいですよね」
柔らかく微笑んだ陽向が、さらっと言った。
「陽向に言われても嬉しくねー」
「何でですか。喜んでくださいよ」
バシバシ弱い力で肩を叩かれて「喜べるか」と、追い払うように手を振った。
何とも思ってない言葉に振り回されるほど、俺はバカじゃない。それなのに、素直に反応する頬の熱がうっとうしかった。
「あ、あと性格ってどうですか?」
「陽向が先に言えよ。どんな性格がタイプ?」
信号が青になり、歩みを進める。早歩きになってしまって、隣の陽向と歩幅が合わなくなった。
一瞬だけぎゅっと目を閉じて、スピードを緩める。
「性格は、うーん……素直じゃないけど、すげー正直!」
「何だそれ」
はっと出てきた笑いが、自分でもびっくりするほど冷たくなってしまった。慌てて口元に手を当てる。
「絢斗先輩は?」
「……優しくてお人好しで、ちょっと捻くれてる」
「それ、もう誰か好きな人いますよね」
陽向の見透かすような真っ直ぐな目が痛くて、顔を背ける。
このままだと俺の好きな人を当てるまで、根掘り葉掘り質問されそうだ。それは絶対に困る。何とか自分から話題を逸らそうと「陽向こそいるだろ」と言った。
きょとんとした陽向は「はい」とうなずく。
「オレはいますよ、好きな人」
「えっ、あ、そう、なんだ。どんな人? は、今聞いたか。いつから好きなの?」
予想外だった。駅の改札を通り抜けたところで、思わず足が止まってしまった。後ろが詰まる前に動いて、前へ進む。
あっさり認められる陽向がうらやましくもあった。俺の動揺に気づいた素振りもなく、陽向がはにかんだ。
「いつからかは具体的にはわかんないですけど、自覚したのは2か月くらい前ですかね」
「へー。同い年の人?」
「言ったら、絢斗先輩も教えてくれるんですか?」
「教えるわけねーだろ」
「じゃあ、オレも嫌ですよ」
何だよ、と唇を尖らせる。陽向から始めたくせにそこは教えてくれないのかよ。
じゃあこの話は終わりだ。微妙な空気になって黙っていると、陽向が気を遣ったようにこちらをチラチラと見てきた。
別の話題を振ると、喜んで食いついてきた。自分で終わらせたのに、陽向の好きな人が気になって仕方なかった。
陽向の家に着いて、いつも通りの陽向の部屋。陽向がカーテンを閉める。窓の向こうはもう真っ暗だった。
すぐに暖房をつけてくれて、温かな風を浴びながら気になっていた漫画を借りる。
せっかく読めているのに、いまいち内容が入ってこない。
「絢斗先輩、さっきの話の続きなんですけど」
「さっきの? あ、カップラーメンは食べる」
「それも話しましたけど、違います。好きなタイプの話です」
え、その話ってまだ続くんだ。壁に寄りかかっていた俺は体を起こして「終わっただろ」と答えた。
もう話すことは残ってない。
「絢斗先輩の好きなタイプに当てはまる人、いるじゃないですか」
自信満々な陽向が「オレわかりましたよ」と笑みを見せる。そんなわけねーだろうが。
「わかんねーだろ」
「絢斗先輩のそのわかりやすさで、わかんないほうがバカですよ」
目の前に腰を下ろした陽向がニコリとする。その笑顔の目が笑ってないように見えた。
後ろが壁なのはよろしくない気がして、そっと移動しようとすると逃げ場を塞がれた。壁に手をついて「はぐらかすのはなしですよ」と言われた。
「ちょっ、近い! 離れろ」
ポンポン陽向の腕を叩いても、退かしてくれる気配がない。顔に集まる熱をどうにもできなかった。
腕の下をくぐろうとすると、陽向が腕の位置を下げてくる。全然動かせないまま、頭を撫でられた。ものすごくバカにされている。
「何だよ陽向」
「好きなタイプ、何でしたっけ。髪が長めで、絢斗先輩より身長高め。あと、きれい系?」
俺の言葉はスルーして「きれい系は意外でした」と、陽向が手を離して自分の顎先に手を当てる。
「オレ、きれい系でした? ってか、捻くれてるは余計ですよ」
心臓がバクバクして、慌てて「何言ってんの」と答えた。笑おうとしても、うまく笑えない。暖房の効いた部屋が暑くて、背中を汗が伝った。
バレてるのか、単に冗談でからかってるのか判断がつかない。目の前の陽向の考えが見えない。
ここまで仲良く先輩と後輩でいたのに。それを越えないように頑張って来たのに。こんなんで壊れんの?
「……好きになって、ごめん」
視界が滲んで、腕で顔を隠した。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何でそうなるんですか?」
え、泣いてます? とあたふたする陽向の声が響く。遠慮がちに触れられた手を払って、壁に顔を向ける。喉の奥が震えて、言葉は出てこなかった。
だから、好きなタイプがどうとか好きな人がどうとか話したくなかったのに。
息を長く吐いて、涙を拭う。ここで泣いたってどうにもならない。立ち上がって、部屋を出ようとした。
背中に軽い衝撃を感じたかと思えば、振り向く間もなく、ふわっと甘い香りに包まれた。陽向の柔軟剤の香りだ。
陽向に後ろから抱きしめられていることに気づいて、息が止まる。何これ、どういう状況?
俺の頭の理解が追いつかない。
「絢斗先輩、オレの好きなタイプって覚えてますか?」
「……え?」
ごちゃごちゃになる頭でさっきのことを思い出す。
「確か、髪短くて……小柄で、素直じゃない?」
「そう、かわいくて、すげー正直。絢斗先輩って、オレと話してるとすぐ赤くなりますよね」
じわじわと上がってくる熱のスピードが一気に増して、頭が爆発しそうだった。陽向の好きなタイプって、まさか。
「え、俺……ってこと?」
「この状況で、それ以外にないと思いません? てか、今までの感じで伝わってなかったんですね」
「だって、それ以外しかねーと思ってた」
後ろから回された腕にぎゅっと力が込められてるのが伝わって、俺の肩が思わずビクッと反応してしまった。死にそうなの、察して。
全然察してくれることなく、陽向の顔がすぐ横に来て耳のあたりがぞわぞわした。
「好きです、絢斗先輩のこと」
「……冗談、なわけはないよな」
「当たり前です」
俺は目をぎゅっと閉じて、強張った肩をさらに縮こまらせた。陽向がふっと笑っているのがわかる。こいつ、ほんとにどうにかしたい。
身動きができる余裕ができても、どうしていいかわからない手を持て余していた。
「抱きしめ返してくれないんですか?」
陽向の声に促されて、振り向く。おずおずと手を回せば「そういうところが好きです」と、囁かれた。
少しだけ陽向の声が震えたような気がして、背中をポンポンと叩いた。
「俺も、陽向が好きだよ。すげー好き。絶対俺のが好きだから」
気持ちが通じ合うって夢みたいだ。そう思ったら、また目が潤んできた。
「何でそこ張り合うんですか。オレのが好きですよ」
陽向の指先が俺の涙を拭ってくれた。俺もお返しに陽向の目元にある光を掬い上げる。
「いーや、俺のが好きだよ」
積み重なった好きに勝手に苦しくなって、行き場がなかった。受け止めてもらえると思っていなかった。
「わかんなくていいけど、陽向の優しいとこにずっと救われてきたんだよ」
「言っときますけど、オレが優しいって思うならそれは絢斗先輩だからですよ。好きな人には優しくしたいでしょ?」
「え、好きになったの2か月前とか言ってなかった?」
この位置だと話しづらい。陽向が離さまいとして、距離がずっとゼロのまま。さすがに自分の体温が上がりすぎて、茹だりそうだった。
座ろうと床を指差すと、少しだけ離れてくれたものの、いつもよりは近い。今度は手を握られて、思わず苦笑してしまった。ドキドキはするけど、それよりも拗ねた子どもの面倒を見てる気分になる。
なんて、言ったら余計拗そうだから言わなかった。
「第一印象からずっと絢斗先輩は好印象だったんで。オレは好きじゃない相手に優しくできるほど、人間できてないですよ」
「そうか? お人好しだろ。困ってる人ほっとけねーじゃん」
「絢斗先輩の前ではカッコつけたいだけです」
褒めてるのに、なぜか唇を尖らせる陽向。何でだよ。
「優しいのもお人好しなのも、別に誰にでもそうだっていいじゃん」
陽向の手のひらから伝わる熱が俺と同じだった。指先をちょっとつまもうとすると、絡められる。胸の奥底がきゅっと苦しくなった。
「絢斗先輩にそう思われるのがイヤなんです。特別なのは、先輩だけなんで」
「……じゃあ、わかった。わかったから手は離してもいい? 漫画読みたい」
絡まった指先を解こうとしても「片方は繋いでたらだめですか?」と子犬のような瞳で訴えかけられて、つい許してしまった。おかげで片手で漫画を読むことになって読みにくい。
一旦落ち着きたかっただけなのに。これじゃ落ち着けるか。
ぬくぬくした温かな空気の中、大事そうに手を繋ぐ陽向がかわいくて可笑しかった。こんな距離感、今までなかった。
漫画のページがうまくめくれない。やっぱり、内容も入ってこない。俺は早々に諦めて漫画を閉じる。読もうとしたのが間違いだった。
「陽向は何か、したいことねーの?」
「今日、ずっと一緒にいたいです」
「叶えてやりたいけど、陽向の親にも悪いから今日は帰る。他には?」
「……付き合ってくれるってことで、いいんですよね」
目を伏せる陽向。まつげの影が大きく上下しても視線が合わない。
俺は陽向の手の甲に自分の手を重ねる。
「俺は付き合いたい。陽向は?」
「オレもです。付き合ったら、オレ以外の誰にも絢斗先輩のこと見てほしくないです」
「えー、無茶言うな。その代わり、俺が陽向だけを見てるから大丈夫だよ」
言ってから、しまったと思って慌てて付け加える。
「陽向だけを見てるってのは気持ちの話だからな。普通に景色見るし、話してる人の顔見るから俺は。けど、好きになったら長いから、そこは安心して」
陽向の顔を覗き込んで、目を合わせる。陽向の髪が暖房の風で優しく揺れた。
「もう一回、抱きしめてもいいですか?」
「やだ。また俺の顔赤くなるだろ」
「赤いの、かわいいですよ」
「そんなん聞いてねーよ」
「お願いします。今日あと一回だけ」
懇願されて、うなずいてしまった。つくづく俺は陽向に弱い。包み込むようにそっと抱きしめられて、首の後ろを撫でられる。
くすぐったくて笑ってしまうと「笑うの禁止です」と理不尽なことを言われた。
「オレの心臓に悪いので」
「知るか、そんなん」
「……煽られてる気分になります」
「勝手に煽られるな。煽ってねーから」
陽向がはにかんで、首を傾ける。ほっぺに柔らかな感触があった。それから、陽向の指先が頬を滑る。
「そこまでは許可してねーだろ!」
「許可されないとだめですか」
「ダメ……ではねーけど! 今日は終わり」
一気に頬が熱くなって、くらくらしてきた。
「絢斗先輩、全然伝わってなかったみたいだから、これからはこれでもかってくらい伝えますね」
「いや、ほどほどにして」
「イヤです」
陽向のいたずらっぽい笑みに、俺も呆れた笑みを返した。
好かれているのが、はっきり伝わる。言葉だけじゃない。視線が、笑みが、指先が。陽向のぜんぶが、俺のことを好きなんだって言ってるみたいだった。
「……ほらその顔、オレのこと好きって言ってるようなものですよ」
自分がどんな顔をしているかは何となくしかわからないけど、陽向に同じ気持ちが返せているならそれでいいと思った。
「そんな気になんねーだろ、別に」
「いーや、なります。絢斗先輩、いっつもはぐらかすじゃないですか」
「話したくねーの、察せる?」
マフラーで顔を隠しつつ、静かにため息をつく。俺は恋愛の話からは遠ざかっていたいし、好きなタイプも極力言いたくはない。
「じゃあ、今回はオレも言うんで。オレは髪短い人が良いです」
にこにこしながら俺を見て、さも俺の番というように黙って待っている陽向。今日という今日は、逃げ切れなさそうだ。諦めて口を開く。
「俺は……ちょっと、長め」
「おっ、いいですね。身長はどうですか。オレは、オレより小柄です」
陽向は頬を緩めて、やりとりを続けた。身長って特定しようとしてねーか?
まあ、できるわけねーか。冷たい風に肩をすくめる。
「身長は、まあ俺よりは高い」
商店街を抜けて、駅が見えてきた。
「じゃあ、顔はきれい系ですか? かわいい系? オレは、圧倒的にかわいい系です」
陽向も好きなタイプがはっきりしたやつなんだな、と思った。自分が話したくないから訊いたことなかったけど、もしかすると誰かを思い浮かべて言ってるのかもしれない。
鳩尾のあたりが、ムカムカした。
「俺は、そうだなー」
信号で立ち止まって、振り向いて陽向の顔をじっと見つめた。何でこいつは、こんなわくわくしてる顔なんだ。
俺は何も楽しくない。その上、今の気分は最悪だ。早く切り上げて帰りたくなってきた。
けど、今日は陽向の家で漫画を読ませてもらう約束をしてしまった。いきなり帰るわけにもいかない。
「きれい系。あ、けど笑うとかわいい」
「絢斗先輩も、笑うとかわいいですよね」
柔らかく微笑んだ陽向が、さらっと言った。
「陽向に言われても嬉しくねー」
「何でですか。喜んでくださいよ」
バシバシ弱い力で肩を叩かれて「喜べるか」と、追い払うように手を振った。
何とも思ってない言葉に振り回されるほど、俺はバカじゃない。それなのに、素直に反応する頬の熱がうっとうしかった。
「あ、あと性格ってどうですか?」
「陽向が先に言えよ。どんな性格がタイプ?」
信号が青になり、歩みを進める。早歩きになってしまって、隣の陽向と歩幅が合わなくなった。
一瞬だけぎゅっと目を閉じて、スピードを緩める。
「性格は、うーん……素直じゃないけど、すげー正直!」
「何だそれ」
はっと出てきた笑いが、自分でもびっくりするほど冷たくなってしまった。慌てて口元に手を当てる。
「絢斗先輩は?」
「……優しくてお人好しで、ちょっと捻くれてる」
「それ、もう誰か好きな人いますよね」
陽向の見透かすような真っ直ぐな目が痛くて、顔を背ける。
このままだと俺の好きな人を当てるまで、根掘り葉掘り質問されそうだ。それは絶対に困る。何とか自分から話題を逸らそうと「陽向こそいるだろ」と言った。
きょとんとした陽向は「はい」とうなずく。
「オレはいますよ、好きな人」
「えっ、あ、そう、なんだ。どんな人? は、今聞いたか。いつから好きなの?」
予想外だった。駅の改札を通り抜けたところで、思わず足が止まってしまった。後ろが詰まる前に動いて、前へ進む。
あっさり認められる陽向がうらやましくもあった。俺の動揺に気づいた素振りもなく、陽向がはにかんだ。
「いつからかは具体的にはわかんないですけど、自覚したのは2か月くらい前ですかね」
「へー。同い年の人?」
「言ったら、絢斗先輩も教えてくれるんですか?」
「教えるわけねーだろ」
「じゃあ、オレも嫌ですよ」
何だよ、と唇を尖らせる。陽向から始めたくせにそこは教えてくれないのかよ。
じゃあこの話は終わりだ。微妙な空気になって黙っていると、陽向が気を遣ったようにこちらをチラチラと見てきた。
別の話題を振ると、喜んで食いついてきた。自分で終わらせたのに、陽向の好きな人が気になって仕方なかった。
陽向の家に着いて、いつも通りの陽向の部屋。陽向がカーテンを閉める。窓の向こうはもう真っ暗だった。
すぐに暖房をつけてくれて、温かな風を浴びながら気になっていた漫画を借りる。
せっかく読めているのに、いまいち内容が入ってこない。
「絢斗先輩、さっきの話の続きなんですけど」
「さっきの? あ、カップラーメンは食べる」
「それも話しましたけど、違います。好きなタイプの話です」
え、その話ってまだ続くんだ。壁に寄りかかっていた俺は体を起こして「終わっただろ」と答えた。
もう話すことは残ってない。
「絢斗先輩の好きなタイプに当てはまる人、いるじゃないですか」
自信満々な陽向が「オレわかりましたよ」と笑みを見せる。そんなわけねーだろうが。
「わかんねーだろ」
「絢斗先輩のそのわかりやすさで、わかんないほうがバカですよ」
目の前に腰を下ろした陽向がニコリとする。その笑顔の目が笑ってないように見えた。
後ろが壁なのはよろしくない気がして、そっと移動しようとすると逃げ場を塞がれた。壁に手をついて「はぐらかすのはなしですよ」と言われた。
「ちょっ、近い! 離れろ」
ポンポン陽向の腕を叩いても、退かしてくれる気配がない。顔に集まる熱をどうにもできなかった。
腕の下をくぐろうとすると、陽向が腕の位置を下げてくる。全然動かせないまま、頭を撫でられた。ものすごくバカにされている。
「何だよ陽向」
「好きなタイプ、何でしたっけ。髪が長めで、絢斗先輩より身長高め。あと、きれい系?」
俺の言葉はスルーして「きれい系は意外でした」と、陽向が手を離して自分の顎先に手を当てる。
「オレ、きれい系でした? ってか、捻くれてるは余計ですよ」
心臓がバクバクして、慌てて「何言ってんの」と答えた。笑おうとしても、うまく笑えない。暖房の効いた部屋が暑くて、背中を汗が伝った。
バレてるのか、単に冗談でからかってるのか判断がつかない。目の前の陽向の考えが見えない。
ここまで仲良く先輩と後輩でいたのに。それを越えないように頑張って来たのに。こんなんで壊れんの?
「……好きになって、ごめん」
視界が滲んで、腕で顔を隠した。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。何でそうなるんですか?」
え、泣いてます? とあたふたする陽向の声が響く。遠慮がちに触れられた手を払って、壁に顔を向ける。喉の奥が震えて、言葉は出てこなかった。
だから、好きなタイプがどうとか好きな人がどうとか話したくなかったのに。
息を長く吐いて、涙を拭う。ここで泣いたってどうにもならない。立ち上がって、部屋を出ようとした。
背中に軽い衝撃を感じたかと思えば、振り向く間もなく、ふわっと甘い香りに包まれた。陽向の柔軟剤の香りだ。
陽向に後ろから抱きしめられていることに気づいて、息が止まる。何これ、どういう状況?
俺の頭の理解が追いつかない。
「絢斗先輩、オレの好きなタイプって覚えてますか?」
「……え?」
ごちゃごちゃになる頭でさっきのことを思い出す。
「確か、髪短くて……小柄で、素直じゃない?」
「そう、かわいくて、すげー正直。絢斗先輩って、オレと話してるとすぐ赤くなりますよね」
じわじわと上がってくる熱のスピードが一気に増して、頭が爆発しそうだった。陽向の好きなタイプって、まさか。
「え、俺……ってこと?」
「この状況で、それ以外にないと思いません? てか、今までの感じで伝わってなかったんですね」
「だって、それ以外しかねーと思ってた」
後ろから回された腕にぎゅっと力が込められてるのが伝わって、俺の肩が思わずビクッと反応してしまった。死にそうなの、察して。
全然察してくれることなく、陽向の顔がすぐ横に来て耳のあたりがぞわぞわした。
「好きです、絢斗先輩のこと」
「……冗談、なわけはないよな」
「当たり前です」
俺は目をぎゅっと閉じて、強張った肩をさらに縮こまらせた。陽向がふっと笑っているのがわかる。こいつ、ほんとにどうにかしたい。
身動きができる余裕ができても、どうしていいかわからない手を持て余していた。
「抱きしめ返してくれないんですか?」
陽向の声に促されて、振り向く。おずおずと手を回せば「そういうところが好きです」と、囁かれた。
少しだけ陽向の声が震えたような気がして、背中をポンポンと叩いた。
「俺も、陽向が好きだよ。すげー好き。絶対俺のが好きだから」
気持ちが通じ合うって夢みたいだ。そう思ったら、また目が潤んできた。
「何でそこ張り合うんですか。オレのが好きですよ」
陽向の指先が俺の涙を拭ってくれた。俺もお返しに陽向の目元にある光を掬い上げる。
「いーや、俺のが好きだよ」
積み重なった好きに勝手に苦しくなって、行き場がなかった。受け止めてもらえると思っていなかった。
「わかんなくていいけど、陽向の優しいとこにずっと救われてきたんだよ」
「言っときますけど、オレが優しいって思うならそれは絢斗先輩だからですよ。好きな人には優しくしたいでしょ?」
「え、好きになったの2か月前とか言ってなかった?」
この位置だと話しづらい。陽向が離さまいとして、距離がずっとゼロのまま。さすがに自分の体温が上がりすぎて、茹だりそうだった。
座ろうと床を指差すと、少しだけ離れてくれたものの、いつもよりは近い。今度は手を握られて、思わず苦笑してしまった。ドキドキはするけど、それよりも拗ねた子どもの面倒を見てる気分になる。
なんて、言ったら余計拗そうだから言わなかった。
「第一印象からずっと絢斗先輩は好印象だったんで。オレは好きじゃない相手に優しくできるほど、人間できてないですよ」
「そうか? お人好しだろ。困ってる人ほっとけねーじゃん」
「絢斗先輩の前ではカッコつけたいだけです」
褒めてるのに、なぜか唇を尖らせる陽向。何でだよ。
「優しいのもお人好しなのも、別に誰にでもそうだっていいじゃん」
陽向の手のひらから伝わる熱が俺と同じだった。指先をちょっとつまもうとすると、絡められる。胸の奥底がきゅっと苦しくなった。
「絢斗先輩にそう思われるのがイヤなんです。特別なのは、先輩だけなんで」
「……じゃあ、わかった。わかったから手は離してもいい? 漫画読みたい」
絡まった指先を解こうとしても「片方は繋いでたらだめですか?」と子犬のような瞳で訴えかけられて、つい許してしまった。おかげで片手で漫画を読むことになって読みにくい。
一旦落ち着きたかっただけなのに。これじゃ落ち着けるか。
ぬくぬくした温かな空気の中、大事そうに手を繋ぐ陽向がかわいくて可笑しかった。こんな距離感、今までなかった。
漫画のページがうまくめくれない。やっぱり、内容も入ってこない。俺は早々に諦めて漫画を閉じる。読もうとしたのが間違いだった。
「陽向は何か、したいことねーの?」
「今日、ずっと一緒にいたいです」
「叶えてやりたいけど、陽向の親にも悪いから今日は帰る。他には?」
「……付き合ってくれるってことで、いいんですよね」
目を伏せる陽向。まつげの影が大きく上下しても視線が合わない。
俺は陽向の手の甲に自分の手を重ねる。
「俺は付き合いたい。陽向は?」
「オレもです。付き合ったら、オレ以外の誰にも絢斗先輩のこと見てほしくないです」
「えー、無茶言うな。その代わり、俺が陽向だけを見てるから大丈夫だよ」
言ってから、しまったと思って慌てて付け加える。
「陽向だけを見てるってのは気持ちの話だからな。普通に景色見るし、話してる人の顔見るから俺は。けど、好きになったら長いから、そこは安心して」
陽向の顔を覗き込んで、目を合わせる。陽向の髪が暖房の風で優しく揺れた。
「もう一回、抱きしめてもいいですか?」
「やだ。また俺の顔赤くなるだろ」
「赤いの、かわいいですよ」
「そんなん聞いてねーよ」
「お願いします。今日あと一回だけ」
懇願されて、うなずいてしまった。つくづく俺は陽向に弱い。包み込むようにそっと抱きしめられて、首の後ろを撫でられる。
くすぐったくて笑ってしまうと「笑うの禁止です」と理不尽なことを言われた。
「オレの心臓に悪いので」
「知るか、そんなん」
「……煽られてる気分になります」
「勝手に煽られるな。煽ってねーから」
陽向がはにかんで、首を傾ける。ほっぺに柔らかな感触があった。それから、陽向の指先が頬を滑る。
「そこまでは許可してねーだろ!」
「許可されないとだめですか」
「ダメ……ではねーけど! 今日は終わり」
一気に頬が熱くなって、くらくらしてきた。
「絢斗先輩、全然伝わってなかったみたいだから、これからはこれでもかってくらい伝えますね」
「いや、ほどほどにして」
「イヤです」
陽向のいたずらっぽい笑みに、俺も呆れた笑みを返した。
好かれているのが、はっきり伝わる。言葉だけじゃない。視線が、笑みが、指先が。陽向のぜんぶが、俺のことを好きなんだって言ってるみたいだった。
「……ほらその顔、オレのこと好きって言ってるようなものですよ」
自分がどんな顔をしているかは何となくしかわからないけど、陽向に同じ気持ちが返せているならそれでいいと思った。



