推し→僕への愛は供給過多です

 6月下旬、今日の5、6時間目は約1カ月後にある修学旅行の説明を受けたり班決めをしたりする学年集会の時間になっていた。
 夏休み前に行く修学旅行は関西圏とだけ事前に知らされていたが班決めはまだしていなかった。休み時間の間に体育館に移動している人を見て、僕たちも移動しながら修学旅行について話していた。
「朱里はさ、誰と組むか決めた?」
「ううん、まだ。よく考えたら2年に上がってから友達って友達作ってなかったから誰に声をかけたらいいのやらって再認識したよね、あはは」
「そうなんだ。じゃあさ、俺と……」
「朱里! 碧! 一緒に体育館まで行っていい?」
 背後から聞きなれた高めの声色が僕たちの名前を呼ぶ。相手はもちろんきぃちゃんだ。
「もちろん。きぃちゃんは誰と組むか決めた?」
「私はクラスで仲のいい子と組むよ。2人はもちろん一緒の班でしょ?」
 僕は勝手にそう思っているけど、碧くんとは話し合っていない。だから僕はまだ決まっていないと伝えようとした時、「そうだよ」と横から碧くんが言い放った。
「ね、いいよね?」
 顔を覗かれエメラルド色の目と合う。口角は上がっているけど、目は笑っているようには見えない。どちらかというと、いいえという答えは受けつけないと言わんばかりの圧が伺えた。
「……僕でよければ」
「よっし。ありがとう、きい」
 碧くんときぃちゃんは勢いよくハイタッチしていた。以前のギスギスした感じから思うと、とても微笑ましくなる。
(でもどうしてきぃちゃんに感謝してたんだろう???)
 碧くん達を見ながら歩いていると、階段から飛び出してきた女子生徒に気がつかずぶつかってしまった。
「きゃ」
 彼女はぶつかった勢いのまま尻もちをついていた。僕はというと、碧くんが咄嗟に腕を引いてくれたおかげで倒れずに済んだ。
「朱里大丈夫?」
「びっくりした……。僕は大丈夫だけどあの子が」
「あの子はきいが見てくれてる」
 視線を向けると、確かにきぃちゃんが様子を見に行ってくれていた。とりあえずケガがなさそうな雰囲気がして安心した。
「僕も向こう行くね」
「え」
「ぶつかったのは僕だし、きぃちゃんに任せきりにするのも違うと思うから」
「……うん。わかった」
 碧くんは掴んでいた僕の手を渋々離した。僕は碧くんを置いて、彼女の元へ向かいしゃがんで声をかけた。
「あの、ぶつかってしまってすみません。ケガしてないですか?」
「あ、信代くん。私は全然。ごめんなさい、私のせいで巻き込んでしまって」
「ケガがなくて良かったです。僕も前を見に歩いていたので、お互い様ってことで、ね?」
 彼女は涙をためた目で顔を赤くしてうんうんと頷く。僕は手を伸ばして立ち上がらせようとし、また彼女も手を取ろうとした。
「ダメ」
「え、碧くん?!」
 背後から伸びてきた手によって、差し出していた手を包み込こまれてしまう。そのまま立ち上がらされ、手を繋いだまま引っ張られてどこかへ進んだ。
(え、どうしたんだろう。2人も置いてきちゃったし)
 戸惑う僕と沈黙を貫く碧くん。後ろを振り返れば親指を立てて口パクで任せてと言っているきぃちゃん。
 そして向かっている方向はこれから集まるはずの体育館とは真逆の道を歩いている。
「碧くん、そっち体育館じゃないけど……」
「……」
「修学旅行嫌になった?」
 前にポロっと行事が楽しみと話していた。だから乗り気だと思っていたのだが、体育館に向かわない理由は気分ではなくなったとしか考えられない。
 でも同じ班になろうと話していた時は嬉しそうだったから他に理由があるはずだ。心当たりがあるとすれば、さっきのことくらい。
「僕が、あの子のことを助けに行ったのが嫌だった……とか?」
 ぼそっと呟くと図星といわんばかりに碧くんの足が止まった。僕は急に止まられたことにより、勢いよく碧くんの背中に当たってしまった。
「……ウブッ。ご、ごめん」
 見上げると、碧くんは僕の方を向き何か言いたいのを堪えているような表情を見せている。「どうしてそんな顔をしているの?」と聞きたくなるくらい苦しそう。
 手をそっと頬に添えるように伸ばすと碧くんはその手に自分の手を当てて、顔を摺り寄せた。静かにしていると碧くんが話し始める。
「朱里は、俺がきい以外の女の子と仲良くしているのどう思う?」
「え?」
 どういう意図があっての質問なのか僕にはわからないけど、思考を巡らしてみた。
(きぃちゃん以外の女の子っていうのは、同じファンでってことかな? 僕はきぃちゃんのように同担拒否じゃないからキレることないし、交流会と思えば)
 うーんと悩んでいると「俺は朱里が女の子に笑いかけているのを見るだけでモ嫌な気持ちになる」と低い声で伝えられる。
「え、それって……」
 真剣に考えていたことが、一瞬で消え去り言葉の意味を考えてしまう。それはまるで嫉妬しているようにしか聞こえないのだが。
「……ごめん。勝手に嫉妬しただけ。気にしないで」
(やっぱり……!)
 体勢が変わり、碧くんの頭が肩へ乗せられた。その姿は、大きなワンちゃんが落ち込んでいるようにも見えてきて愛くるしさが芽生える。
(碧くんって僕が女の子に笑いかけるだけで嫉妬するんだ。てことはさっきのやり取りも……いやいやいや)
 碧くんが嫉妬する相手なんて彼女にならないと経験できないものだと思っていた。僕が彼女で出なければ女でもない。残念ながら男だ。
 だからこそ嫉妬してくれたことが嬉しくて。
「今の碧くん超絶可愛い」
「俺可愛いよりカッコいいって言われたいんだけど」
「今だけ。普段はカッコいいと思ってるよ」
 可愛いと言われてムスッとした顔を見せた碧くんだったが、カッコいいと言われて満更でもなさそうにしている。
「ちゃんとカッコいいって思ってくれてるならいいや。……ねぇ、1つだけお願い聞いてくれる?」
「叶えられるものならなんでも!」
 推しからお願いされることなんて光栄だと謎に張り切った。貢いでほしいとか課題を代わりにしてほしいとか言われても喜んでする自身しかない。
「少しだけでいいからさ、頭撫でてほしいんだけどダメ?」
「え、そんなことでいいの?」
「そんなことじゃないよ。俺にとっては特別だから」
 そういわれると断れない。まぁ断ることはないんだけどね。
 僕はゆっくり腕を伸ばして優しく頭を撫でた。先ほどまでの暗い表情が、段々笑顔に変わっていく。
(こんな簡単なことで、この人は笑顔になるんだ)
 心の中が木が風に吹かれて揺れているみたいにザワザワと騒いでいる。僕はまだ知らぬその感情をいつか知りたい。


      ◇

 ──修学旅行1日目。
「クラスごとにバス乗りますが、乗る前に班メンバ―が揃っているか確認して報告してくださいねー」
「はーい」
 僕たちは朝早くから学校に集合し、バスに乗り込もうとしていた。結局同じ班に鳴れたものの学年集会に出なかったのもあって監視するためか学級委員の佐藤と宮崎さんの2人と班になった。
 だが最悪というわけでもなく、班リーダーの宮崎さんは率先してまとめてくれるし佐藤も宮崎さんのサポートをしている。手伝おうと思ったけど2人がつき合っていると知って邪魔になりそうで言い出せなかった。
「私は全員揃ったこと先生に言ってくるから先に荷物預けてきていいよ」
「ありがとう。それじゃあよろしくね」
 僕と碧くんは先にトランクにキャリーケースを預けてバスに乗り込んだ。
「朱里窓側行きな。景色いいらしいから」
「じゃあ遠慮なく」
 僕と碧くんは隣同士の席になっている。こうして推しと修学旅行行けるのだって夢のようなのに、隣同士って少女漫画のようだ。
 席に着いて待っていると続々とクラスメイトが乗り込んできて、最後には先生が乗り込んでくるのだが。
「えーみなさん今から修学旅行に出発しますが、ここで1つお知らせです。この修学旅行から教育実習の先生が加わります。どうぞ」
 普通なら日常生活を過ごしたうえで参加するはずだ。そうじゃなかったなんでどうしたんだろうか。
 バスに乗り込んできた教育実習生の男性。漆黒の髪を上にまとめ上げて薄紫の瞳がはっきりと表れている。僕はその人物に見覚えしかなかった。
「みなさん初めまして。教育実習生として修学旅行に参加します。信代紫吹です。よろしくお願いします」
 わぁとクラス全員が盛り上がっている。その反面、どちらかと言えば僕は引いていた。まさか同じ学校のしかも僕の学年を担当するなんて。
「信代って朱里と同じ名字だね。たまたま?」
「いや、僕の兄ちゃん」
「え、お兄さん!?」
 碧くんが気づいてくれてよかった。そう彼は僕の唯一の兄で、ToRiを知るきっかけを作ってくれた人だ。朝出る時はまだ寝ていたはずなのに気がつかなかった。
「そうそう、この学年にー、あ、いた! 朱里―!」
「げっ」
 周りは兄弟だということを知らないから騒いでいるのが聞こえてくる。
 僕の名前を呼んでこちらに1歩ずつ歩み寄ってきて、抱きつく。これは僕からしたら日常的だけど周りからはキャーと女子の声が響いている。
「すみません、朱里が嫌がっているので」
 碧くんが間に入り僕の兄ちゃんを引き離した。辞めてほしいと顔に出ていただろうか。
「おっといつもの癖で。えっと君は……」
「彼は透坂碧くん。最近1カ月前に転校してきた子で僕の、友達、だよ」
 僕は碧くんのことを初めて友達として誰かに紹介した。だからかなんだか照れくさい。
 兄ちゃんの顔を見ると、驚きのあまり呆けていた。それもそのはず、僕はある出来事があってから人と関わること、ましてや友達を作ることなんてしてこなかったのだから。
「そっかー、朱里に友達ができたんだ。よかったね。透坂碧だったね。朱里と仲良くしてくれてありがとう!」
 兄ちゃんは嬉しそうに碧くん手を握って握手を交わして、ハグをしていた。なんともまぁ英国式な挨拶だ。
「透坂くん、朱里を変な目で見たら容赦しないから」
「……はぁ?」
 いい雰囲気から碧くんの低いひと言で変化した。僕に聞こえない小さい声で何か言われたのだろうか。
 僕は2人の空気がピりついているのを感じ取って、間に入り距離を離そうと声をかけた。
「兄ちゃん、そろそろ仕事した方がいいんじゃない?」
「そうだな。じゃあ、行ってくるから、何か困ったことあったら遠慮なく言えな。みんなも頼ってくれていいからな!」
「「「はーい!」」」
 兄ちゃんはバスの先頭へ行き、小早川先生と話し出した。
「碧くんごめんね、絡まれちゃって。何か言われなかった?」
「何も言われなかったと言えばウソになるけど、「朱里を変な目で見たら容赦しない」って言われた」
「もう、そっちこそ何変なこと言ってるのって感じだよね。僕が言うのもなんだけど、兄ちゃんブラコンで」
「なるほど。手ごわそうだな」
「手ごわい? 何に対して?」
 碧くんに聞くが何も言わずニコッとした笑顔を見せただけだった。
 僕は見なかったフリをして、視線を逸らした。
 それからは目的地である京都へ向かうバスの中で、隣に座る碧くんとお菓子を食べたり話したり、時間を忘れるくらい楽しい時間になった。

 バスが止まる振動で僕は目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。
「んー、もう着いた?」
 目を擦ると横から「よく眠れた?」という声がすぐ近くから聞こえた。もちろん声の主は碧くんだ。僕は寝ぼけた頭を急ぎ働かせ現在の状況を確認した。
 耳元近くで囁かれたことから、碧くんにもたれかかって寝ていたということ。それがわかれば、背中から冷や汗が止まらなくなった。
「ごめん! 碧くんにもたれかかって……。動けなくてつらかったよね、ヨダレは、ついてなさそう」
 推しに対して僕はなんて罪なことを……。
「俺は大丈夫だよ。代わりに朱里の寝顔見れて幸せ気分だよ」
 顔面蒼白にしている僕に対して、碧くんはなんともまぁ幸せそうな顔をしている。
「寝顔でそんな気分になれるのは碧くんくらいだよ……」
「信代くん、透坂くん降りるよ」
 後ろの席に座っていた宮崎さんが声をかけてきた。周りを見渡すとバスに乗っているのはもう僕たちしか残っていなかった。
「早く行かないと怒られちゃう。行こう碧くん」
「そうだね。怒られないようにしないとね」
 僕たちは急いで荷物をまとめてバスを降りた。最後に降りたけど、なんとか怒られずにすんだ。


      ◇

 1日目は京都の伝統工芸品、京組紐を作る体験をしてきた。完成品を先に見ると色々な色の紐を使い、綺麗な柄が組まれていて目を奪われる。
(僕にもこんな組紐が組めるかな)
 組紐の歴史を聞くと昔は髪留めや羽織紐に使われていたとか。他にもブレスレットなどのアクセサリーにする人もいるとか。
「体験された方のほとんどがカップルやご友人で、お互いが作ったものを交換し身に着けたりされてるんよ」
 僕はふーんと興味のない反応をして、作業時間が始まった。これをしていてわかったことは、黙々とする作業が案外好きだということ。
「できた!」
「あら素敵な色づかいやね。何のイメージで作りはったん?」
「あ、これは推しのイメージカラーで」
「そら素敵やわ。推しさんに見てもらえれるといいねぇ」
 店員さんが褒めてくれたことで僕の作ったものにより一層愛着が湧いた。少し離れた場所で作業していた碧くんが終わったのか隣にやってきた。
「朱里先に終わってたんだね」
「うん、僕不器用だけど、時間をかけてする作業が好きなのかも。ねぇ碧くんの作った組紐見てもいい?」
 碧くんが作った組紐を見ると、赤と金と白の3色が綺麗に組まれ柄も上手く浮き出ていてお店で売っているようなものに見える。頑張って組んだだけの僕のとは雲泥の差だった。
「碧くん器用だね」
「そうかな? あのさ、よかったら俺の作ったのと交換しない? というかしてほしい」
「でも僕のは上手くできてないから。代わりに買ったやつはダメ?」
「俺は朱里が作ったものと交換したいから。ほら出して」
 僕はおずおずと手に組紐を出した。碧くんは僕が作った組紐を取り、代わりに碧くんが作った組紐を手首に結んだ。
「本当に僕のと交換でいいの?」
「俺が朱里と交換したいの。あ、もしかして違う人に渡したかったりした? それか本気で嫌だったとか?」
「そんなことないよ! 碧くんのに比べたら、ただクオリティーが低いってだけで」
「さっき盗み聞きしちゃったんだけど、この配色俺イメージなんでしょ? ほら、俺にもつけて」
 組紐を渡され言われた通り手首に結んだ。本当に上手にできていないのに、碧くんの嬉しそうな表情がとても眩しい。
「ありがとう、碧くん」
「こちらこそ、大切にするね」
 僕たちは互いの組紐をつけて京都観光をした。手首の組紐が目線に入るたび、ついニヤニヤしてしまう。
「朱里! こっちに美味しい団子の店があるんだって。行こう!」
 咄嗟に手首を掴まれ、引っ張られるように走る。運動が苦手な僕と運動が得意な碧くんとでは後れを取らないようにするので精一杯。でもなぜかツラいとかのネガティブな感想は出なかった。

 ホテルに到着してすぐ、広いエントランスで軽く話があった。その後、鍵を受け取って各々部屋に行って食事時間まで自由に過ごせる時間だった。
「朱里、鍵受け取ってきたから行こう」
「うん」
 キャリーケースを引っ張って行こうとした時、「あっかりー!」と元気な声が聞こえてきた。
「兄ちゃん元気だね」
「兄ちゃんはあまり遊べなかったからなー。朱里はあれから体調悪くなってないか?」
「大丈夫だよ。あれからは順調だったし」
「でも兄ちゃん朱里が心配で仕事が手につかな……そうか、部屋を同じにしたらいいよね。オレ2人部屋だけど1人だから」
 正直言って「何言ってんだ、この人」とツッコミたくなるようなブラコンぶり。いつどう間違えたらこうなってしまったのか。
「僕は碧くんと同じ部屋って決まってるから、兄ちゃんのところには行かないよ」
「てことなんで、そろそろ諦めてもらえますか」
 兄ちゃんと碧くんは、お互い笑顔にも関わらず睨み合っている。本当に出会った頃から相性が悪そうだな。
「信代先生、弟さんが可愛いのはわかりますが先生ですから仕事してください」
「小早川先生!」
 兄ちゃんを連れ戻しに小早川先生がやってきた。それにしてもタイミングのいいことだ。
「透坂くんと信代くんも早くご飯食べに行っちゃいなさい。さぁ、信代先生はまだ仕事残ってますからこっちに来てくださいね」
「朱里―」
 兄ちゃんの首根っこを片手で掴んで離れていった。
「小早川先生がくるなんて偶然だね」
「俺が小早川先生に頼んでたんだ。ずっと朱里に絡んできそうだからその時は信代先生回収してほしいって」
「そ、そうなんだ」
 邪魔されていることは確かだけど、そこまで碧くんが兄ちゃんのこと嫌だったとは知らなかったや。あまり近づけさせないよう気をつけないと。

「うわぁ、こんな広い部屋2人で使っていいのかな?」
 鍵を開けて入ると、広々とした和室空間に感動した。窓から見える街並みの明かりがとは違って、とても綺麗に見える。
「ここに布団を敷いて寝るみたいだね。俺普段ベッドだから新鮮」
 碧くんも声色からしてはしゃいでいるのがわかる。碧くんが楽しんでくれているようでよかった。
 この後は風呂の時間だが、クラス順のため待っている生徒は自由時間になっている。
 大浴場で入れるのは魅力的だがすぐに汗を流したかったから仕方なく部屋の風呂に入ることを決めた。
「碧くん、僕部屋のお風呂使っていい?」
「い、いいけど、なんで? 大浴場行かないの?」
「歩き回って汗かいたし疲れちゃって。向こう行くともっと騒がしくなって重なってツラいかなって」
「そういうことならいいよ。俺は大浴場のほう行ってくる」
 碧くんはそう言ってそそくさと部屋を出て行った。まだ入れる時間じゃないのに。
「気を遣わせちゃったかな?」
 そんなことも思いながらも僕は脱衣所に着替えを持って入り、脱いだ。そして風呂場に行くと目の前には、ひのき風呂だった。
「部屋でもひのき風呂に入れるなんて!」
 大浴場か家族連れの大きい部屋の露天風呂しかないと思っていたから、部屋に続けて感動した。
「ふぁー芯から温まる」
 足が伸ばせるくらいの広さのひのき風呂。木の匂いもして本当に落ち着くし、今日の疲れも吹っ飛びそうだ。
(あー、眠たくなってきた。上がってきたらすぐに寝よう)
 風呂を満喫しウトウトしていると、思ったより早く引き戸がガラガラと音を立てて開いた。
(もう帰ってきたのかな)
 後がつかえるわけではないけど、僕は風呂場を出て脱衣所で着替えた。入る前に外したコンタクトを持って普段かけている眼鏡を着用した。
「眼鏡にすると明らかオタク感すごい……。こんな姿で碧くんの前に出るのは少し憚られるな」
 自分でいうのもなんだが、鏡を見ると少々幼く見える気がする。多分それは眼鏡をかけたのに加え、髪が濡れているのもあるだろう。
 ──コンコン。
「朱里、大丈夫? 帰ってきてからも風呂に入ってるから心配で」
「だ、大丈夫! もう出るよ」
 突然声をかけられたことに驚き、脱衣所の扉を開いた。すぐそばにいるとは思わなくて、浴衣姿の碧くんの胸にぶつかってしまった。
「ご、ごめん。そんなすぐ近くにいたとは思ってなくて」
「それはぜんぜ……」
 碧くんから離れ、顔を見つめても固まって動かない。
「どうしたの? 湯あたりでも……ってそんなわけないか」
「それ、どうしたの?」
「え?」
「眼鏡、してなかったよね?」
 眼鏡に指さして碧くんは聞いてきた。そんなに衝撃を受けるものなのだろうか。
「元々視力悪くて、でも碧くんに会う時や学校ではコンタクトしてた。似合わない?」
「そんなことない! 可愛い」
「あ、りがとう」
 全力で肯定する碧くんの圧に僕は圧倒された。恥ずかしくなって僕も浴衣が似合っていることを伝えた。
「み、碧くんも浴衣似合うね」
 すると「一緒に写真撮る?」と行ってくれたけど、1人だけいい思いするのはファンとしてダメだと思ったから見たい気持ちを押し殺して丁重にお断りをしておいた。
 お互い褒め合い変な雰囲気になってしまい心臓のドキドキが止まらなかった。僕は押し入れに置いてあった布団敷いてそそくさと寝ようとする。
「ふぁー、ごめん僕先に寝るね。おやすみ」
 大好きな推しと同じ部屋ですぐに寝れるはずもなく、僕は碧くんに背を向けて目を閉じて寝息を立ててみる。
「え、朱里……ってもう寝たの? 寝ている顔も可愛い。好きだよ」
 狸寝入りしていている僕はその言葉をはっきり聞いていた。近くにいた碧くんの気配がもっと近くに感じて、チュとリップ音が聞こえ身体を起こすと碧くんも布団に入って眠っていた。頬に触れた微かな感触を確かめるように触れた。
(え、い、今ほっぺにキスした? それに好きって。それは、え……??)
 一斉に情報が入ってきて、あれだけ眠たかったのに寝れそうにない。
「明日どんな顔して会えば……あー、もう!」
 それから寝ようと思ってギュッと目を瞑るが、さっきのことが思い浮かんで眠れない。だけどそんな心配はすぐに消え、気づけば眠ってしまった。

 ──ピリリリリ、ピリリリリ。
 枕元でアラームがうるさく鳴り響いている。温かく体を包む何かに身を寄せてスマホに手を伸ばそうと目を開けた。
「んー、うるさ……い」
 目を開けた先にいたのは眠っている碧くん。その人に抱きつくように寝ていた僕。思いもよらぬ顔との近さに、驚いて目がぱっちりと覚めてしまった。
「え? えっ?」
「ん……朱里?」
「ごめん、起こして」
 まだ眠いと言いたげな仕草が少しだけ子供っぽく見えた。こんな姿は新鮮だし可愛い。
「大丈夫、もう起きようとしてたところだから」
 スマホで時間を確認した碧くんは、そういいながらもスマホを置きなおして寝そうになっている。もしかして朝は弱い?
「眠そうだね、もう少し寝る?」
「ううん、準備しようかな。……それにしてもいいね」
「なにが?」
「起きてすぐ朱里がいるって。俺、今幸せ」
 僕も微かに「なんか新婚ぽい感じするな」と思っていたところで、こう口に出されると恥ずかしくなってしまう。それをごまかすように「は、恥ずかしいこと言ってないで支度しよう」と話を逸らした。

 2日目の今日は清水寺と付近の店を回る予定だった。荷物をまとめてロビーに行くと、先生たちが行先の書いている紙を上に掲げていた。向かう先によって乗るバスが違うらしい。
「これから各班事前に決めた場所に向かいます。バスの乗り間違いに気をつけてくださいね」
 小早川先生の注意を聞きバスに乗り込んだ。
 ホテルからはそんなに遠くないからすぐに着き、清水寺に1番近くて広い駐車場に下ろされた。
「今からこれ上るの?」
 清水寺は坂の頂上にある有名なお寺。その道中にお土産屋さんはもちろんホテルもあるが、それよりも車の立ち往生が気になる。
「下で下ろしてもらえてよかったね。ここまでバスで来ていたら、一向に降りれなかっただろうから」
 僕のひと言にみんな首を縦に振る。みんなも思っていたんだな。
 緩やかだけどずっと続く坂を登って20分ほどすると、ようやく目的地である清水寺の入り口に着いた。
 先生から配られたチケットで入り、観光客が多い中清水の舞台へ立った。
「ここが清水の舞台! ドラマの聖地!」
 サスペンスもののドラマや恋愛ものや日常もののアニメによく出てくるが、実際に来たことはなかったから思いの外テンションが上がっている。
 ──パシャ。
 シャッター音のした方を向くと碧くんがスマホをこちらに向けていた。
「どうしたの?」
「景色綺麗だから記念に撮っておきたくて」
「それじゃ僕邪魔だったんじゃ……」
「朱里もいての思い出だからいいの。というか俺が朱里の写真が欲しい」
「え、何それ。誰得?」
「俺得」
 そんな事を話していると小早川先生がやってきて、京都の景色を背景に班写真を撮ってくれた。
「朱里、俺と2人で撮ろう」
「う、うん」
 自撮りするのかと思えば、宮崎さんに事前にスマホを預けていたようで「撮るよー」と言われる。どんなポーズで撮るのがいいんだろう。
「ピ、ピースでいい?」
 わからなくて碧くんに聞くと、悩んだそぶりを見せて「じゃあこうしよう」というなり僕の身体を抱え上げた。
「え、ええ?! ちょ、碧くん」
「朱里、こっち見て。顔近づけて」
 戸惑いはありつつも言われた通りに顔を近づけた。もう少し顔を前にすればキスできそうな距離でドキドキしてしまう。
 ──パシャ、パシャ。
「はい、撮れたよ、確認してみて」
 宮崎さんから渡されたスマホに映っているのはつき合いたての恋人のような2人。抱き上げられている僕は戸惑いの顔しているけど、碧くんは幸せそうな笑顔をしている。どうして?
「ありがとう、宮崎さん」
「いいえー。私、佐藤くんと先に行くね」
 そう言って宮崎さんと僕らは別れた。
「朱里、おみくじ引いてみない?」
「いいよ」
 清水の舞台の反対側の社務所にお守りやおみくじが販売されていた。引いて「せーの」と開けた。
「俺、大吉だ。」
「僕は……小吉って微妙」
「恋愛のところなんて書いてた?」
「恋愛? えーっと、【すぐそばにあり。迷わず手を取れ】だって。碧くんは?」
「俺は【困難の壁にうち当たる。だが諦めず進め】だって」
 碧くんに試練を与えるなんて神様もすごいことをするな。僕のすぐそばにありは、思いの外に近くにいるのかもしれないな。それが碧くんだったら、嬉しいかもしれない。
 
 宮崎さんと佐藤と合流し、清水寺から離れて通ってきた坂道を下っていく。人の流れは変わらず多いが上ってくる人は少ない気がする。
「ここら辺で何か食べる?」
「そうしようか、私あそこのおせんべい屋さん気になってたの、佐藤くん行こう」
 宮崎さんは早々に佐藤を連れて気になっているおせんべい屋さんへ向かっていった。僕もお腹は空いているから何か入れたいが何を食べようかな。
 周りには食べ歩きのお店もあるが、比較的お土産屋さんの方が多い。
「朱里は何も食べないの?」
「僕は先にお土産探そうかな。碧くんは気にせず食べていいよ?」
 碧くんは僕の言葉を聞いて「じゃあそこ見てくるね」とあるお店に入って行った。僕は碧くんの入ったお店の向かいに足を踏み入れ家族へのお土産を探した。
「これよさそう。あ、こっちの方が美味しそう」
 試食をして食べ比べたのち。最終的に決めたのは定番の八ツ橋だった。まぁ期間限定味だし、京都感あるしいいよね。
 お土産屋さんを出て左右を見渡した。碧くんがもう出てきていると思ったから。
「碧くんどこに行ったんだろう」
 スマホを取り出して碧くんに電話をかけた。いつもならすぐ連絡つくはずが、コール音が鳴り、しばらくして消えた。
(いつもなら電話してもすぐ出てくれる碧くんが出ないなんて何かあったに違いない。ここ車が多く通っていたし、知らぬ間に事故に遭ってしまってるとか?)
 心の中が騒ついて最悪なことが脳内に流れて心配になる。
「碧くんのこと探したほうが……」
「俺がどうかした?」
 目の前には碧くんが両手にお団子を持って目の前に立っている。
「さっきそこで美味しそうな団子買ったらおまけしてもらって、両手で受け取ったから朱里からの電話取れなくて……」
 心配と不安が集まって騒ついていた気持ちが、スッと消えていき安心で涙が出そうになった。僕は思わず碧くんに抱きついた。
「……心配した。電話でてよ」
 碧くんは僕を軽く抱きしめ返して謝ってくれた。
「ごめんね。心配かけて」
「うん」
「お詫びっていうのもおかしいけど、団子食べる?」
「うん」
 僕はあんこのお団子をもらって食べてみた。甘い。そして優しい味。
「美味しい……」
「それはよかった。俺のも1口食べる?」
 碧くんのお団子はきなこで、僕はお言葉に甘えて1つもらった。あんこは甘かったけど、きなこは大豆本来の味が口の中に広がる美味しさがあった。
「碧くんも僕の食べる?」
 碧くんは頷き、僕はお団子の串を差し出した。それを食べる姿はドラマでも見ているようで見惚れるほど美しかった。

 集合時間になり再びバスが止まっている駐車場に戻った。ホテルに戻る道中の車内は静かでみんな疲れて寝ているらしい。隣に座っている碧くんも腕を組みながら寝ている。
「寝顔は少し子供っぽいかも」
 まつ毛が長く肌もツルツルで綺麗で、だけど少しだけ開いている口は子供のように可愛らしく見える。
「あの時、碧くんはどうしてあんなことをしたんだろう」
 昨日の寝る時に頬をキスされた時といい、写真撮ると時に近づかれたあの距離といい、まるで碧くんが僕を好きみたいな……。
「なーんて、そんなわけないのにね。……でも、嫌じゃなかったかも。あー何言ってんだ僕は」
 自問自答に僕は恥ずかしくなって顔を手で覆った。考えているうちにホテルの前に着き、行きのバスの時とは逆で僕が碧くんを起こした。
「碧くん、起きて。ホテル着いたよ」
 周りが次々と降りていく中、まったく反応のない碧くんに慌てて強めに身体を揺らす。
「碧くん、着いたよって……起きてる?」
「ふふっ、起きてるよ」
「それなら早く起きてよ。もうみんな出ちゃって僕たちだけだよ」
 僕が通路の方へ出て降りようとすると、パシッと手首を掴まれて「置いていかないで」と言ってくる。「じゃあ早くしてよ」なんて強くは言えない。
「待ってるから用意して……」
 碧くんは知っている。僕が強く言い返せないことも、碧くんの顔に弱いことも。


      ◇

 3日目は大阪に移動するために昨日より早めの起床。昨日の寝る時も起きた時も警戒していたが、僕より先に寝て先に起きていた。
(警戒しすぎたか?)
 何も起こらないと悟った僕は身支度を済ませ、キャリーケースに荷物を詰めた。
(もう最終日なんて信じられない。忘れ物ないようにちゃんと確認しないと)
 部屋を出る時も隅々確認する癖は心配症すぎるなと常々思っているけど仕方ない。
 ロビーに移動して先生の話がありホテルの人に感謝を伝えてバスに乗り込む。大阪に移動する今日は行先が2つ。
 その2つとは誰もが1度は聞いたことのある有名な遊園地と水族館。僕が選んだのは水族館の方。
「これから楽しみだね」
 もちろん今日も碧くんと一緒に回ることになっている。
「うん。僕イルカのショーが見たいんだけどいいかな?」
「もちろん見よう。楽しそうな朱里可愛いね」
 優しく微笑む碧くんに敵うはずもなく、修学旅行からずっと伝えられている可愛いという言葉が自然と馴染んでいる気がする。お世辞でも推しから言われる言葉は嬉しい。
 水族館に着いて付き添いの先生から入場チケットを受け取るはずだが、なぜかそこにいるのは遊園地組に付き添うと聞いていた兄ちゃんからだった。
「朱里は兄ちゃんと遊園地行くよね?」
「行かないよ。ていうか、なんでここにいるの?」
「だ、だって……」
 兄ちゃんは僕と違う行先を任されておりそのせいか、他のクラスの子から聞いた碧くんと距離が近い話や仲がいいと聞いたらしい。
(どれも間違ってないから否定しずらい)
「だから今日はオレが一緒にいて朱里の貞操を守ってやろうと」
「ただの修学旅行だよ?! そんないかがわしいことないよ!」
 どうしてこんな話題を兄弟でしないといけないのか。それに家じゃなくて外で。
 恥ずかしさと呆れがあった矢先、静かに隣で会話を聞いていた碧くんが口を開いた。
「安心してください信代先生」
「透坂」
「俺以外が朱里に触れようものなら、地獄を見せるので」
「あーそれだと助かるな。ってそうじゃない! おれはお前に警戒してるんだ!」
「安心してください。俺が一生朱里を守るので」
 2人のことをほのぼの見守っていただけなのに、碧くんの1言が衝撃的過ぎて呆気にとられる。
「何が一生じゃー! お前には愛する弟渡すか―」
「朱里は俺のこと好きですし、俺も朱里が好きですよ。ね、朱里?」
「え? ……え?!」
「だから俺のこと好きだよねって」
 突然僕に振られて戸惑う。好きって友達として、推しとしてってことだよね?
「うん、好きだよ」
 意味を深く考えず、ただ推しに好意を寄せるファンとしてそう答えた。
 僕の回答にショックを受けて膝から崩れ落ちた兄ちゃんを置いて、碧くんに引っ張られるように水族館の中へ入った。

「ここまで来れば邪魔されないでしょ」
「そうだね」
 足の速い碧くんに置いていかれないように必死に足を動かして走ったせいで、肩から息をするようにゼェゼェ言っている。
「ごめん、走らせて。息整えてから回ろう」
「う、うん。はぁはぁ」
 5分後、十分に休むことができ僕と碧くんは観覧を始めた。深海魚や、淡水魚、クラゲ、ペンギンを見て回り、イルカショーのアナウンスを聞いて急ぎ屋外に行ってアシカやアザラシ、イルカのショーを見てその後はふれあいにも参加した。
 飼育員さんのいるステージまで行き、芸を教えてもらう。動きが拙くなるがイルカは指示通りに芸をしたりジャンプしてくれた。
「すごい! 飛んでくれた!」
「朱里の指示が伝わったんだよ」
 イルカが僕らのいるところへ戻ってきて飼育員さんからご褒美に魚を渡すよう言われた。
「ありがとう」
 僕はお礼を言って魚をあげると、触りやすいように頭を上げてくれた。撫でて可愛がっていると、横から碧くんが「撫でるなら俺にして?」と伝えてくる。
 その甘えている行動が可愛くて、ステージを下りてから手を綺麗に洗ってから頭を撫でてた。碧くんは満足そうに笑顔を見せた。

 室内に戻り、水族館の目玉であるジンベイザメがいる大きい水槽の前まで来た。
「大きい。迫力あるなー」
「そうだね。どうやって水槽に入れたんだろう」
 2人して見惚れていると周囲には誰もおらず、2人きりの状態となっていた。
 呼吸をする音、唾を飲む音、衣擦れの音、水槽から聞こえる水や動いている音しか聞こえない。すると碧くんが神妙な面持ちで話しかけてきた。
「あのさ」
「ん?」
「あの時、好きって言ったの違うからね」
 あの時って入場する前のこと? 違うというのは、好きではなく嫌いという……。
 僕は嫌われているという可能性に青ざめていた。
(今まで嫌いな相手と一緒にいさせてしまったのか。でもどちらかと言えば碧くんが進んで一緒にいたがっていたし僕は何も悪くないのでは。嫌いとは断言されてないけど、ショックだ)
「……大丈夫だよ、気にしてないし。ごめん嫌いな相手と回らせちゃって」
「ん? なんのこと?」
「なんのことって、碧くんが言ったんじゃん。違うって」
 自分でも驚くほど大きな声を上げてしまった。口に出すとショックが増し、泣きそうなのを堪える。碧くんの顔を見てしまうと涙が零れそう。
 僕は顔を背けて、溜まった涙を拭って向きなおした。
「ち、違う。朱里が嫌いって話じゃなくて、その……」
「じゃあ何。嫌いの他に何があるの……」
「……っ」
「何も言えないの?」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
 碧くんは額に皺を集めて苦しそうにしている。僕もここまで追いつめてしまっては意地が出て引き返すことはできない。
「ごめん、先に行く」
「待って。ちゃんとはっきり言うべきだった」
 碧くんは僕の手首をギュッと掴んで離そうとはしない。
「俺は朱里が好きだ」
「だからそんな嘘は……」
「嘘じゃない。この好きは友達やファンに対するものじゃなくて、恋愛的な意味で朱里が好きってこと」
「……は?」
 言われている意味がわからなかった。さっきまであった怒りと悲しみが戸惑いに変わっていることだけはわかる。
 碧くんの方に引き込まれ強く抱きしめられる。
「もう1度言うね。俺は朱里が好きだ。これからもずっとそばにいたい」
 耳元で囁かれた2回目の告白は、胸がざわついた。1回目よりスッと馴染むように浸透している気がする。
「今は戸惑いがあると思うから、返事はいつでもいいよ。ほら、他の水槽、見よう」
 碧くんは告白したことがなかった素振りで僕の手を引いて歩く。その歩幅は僕に合わせてゆっくりだ。
(よく考えれば碧くんはだいぶ前から表現してくれていたかもしれない。修学旅行始まってから可愛いって言ってたのも、イルカショーの後に撫でてと言ったのも、兄ちゃんに僕のことを好きだと言ったのも嫉妬して言ったのか?)
 そう考えると愛されていることが身に染みてわかる。
心臓が痛い。でもこれは嫌な感じじゃなくて、幸せが集まってできた幸福感から来るものだと思う。
「ほら、コツメカワウソに餌やりができるんだって。行こう」
「……うん」
 もう僕は、碧くんを推しとしては見ることはできない。この時から彼は僕を好きと言ってくれた透坂碧という1人の人物として意識するようになった。


      ◇

 水族館を周り終わりお土産コーナーに立ち寄った。フロアとしては小さいがたくさんぬいぐるみやお菓子系のお土産が並んでいる。
「僕、家族へのお土産探してくるね」
「俺も見てこようかな。終わったら外で合流ね」
 僕たちは1度別れ店内を見て回った。生き物のイラストがプリントされているクッキーやバウムクーヘンなど美味しそうなものもあれば、大阪らしい味のお菓子もある。
 その中で選んだのはたこ焼き味のスナック菓子とこの水族館限定のプリントクッキーだった。
「あ、これ可愛い」
 ふと目にしたのはジンベイザメの小さいぬいぐるみキーホルダー。
「はぁー……」
 今ジンベイザメを見ると告白されたことを思い出してしまう。嬉しいような困るというか、どうしたらいいのかわからない。
「あれ、朱里?」
 碧くんとは違う少し低めの声。声のした方へ振り向くとそこには見覚えある顔があった。僕は血の気が引いて、放つ言葉も拙く動揺していた。
「宇治、洲……。なんでここに」
「オレは修学旅行でこっちに来てて。朱里も?」
「そう、だけど……」
 宇治洲は僕が中学生の時、一時的に不登校になった原因の人物。正直言えば関わりたくないし、早々に立ち去りたい。
「ごめん、人待たせてるから行くね」
 僕は逃げるようにレジの方へ向かおうとした。すると宇治洲は「待って」と言って腕を掴んできて、持っていた商品を落としそうになった。
「少しでいいからはなしがしたい」
「……僕は、ない」
「頼む、少しでいいから」
 腕から必死さが掴む強さと比例し伝わってくる。僕は抵抗できず、過去のことを思い出して過呼吸になりかけていた。
(助けて。助けて誰か……!)
 足に力が入らなくなってカクンと膝から崩れ落ちそうになった時、碧くんにふわっと支えられた。
「すみません、この子に何か用ですか?」
「オレは中学の時の友達で」
「そうですか」
 いつも僕やファンの子に話しかけるような優しい聞き方じゃなくて、どこか警戒しているような強い言い方。だけど抱き寄せる手は優しく、知っている匂いに落ち着く僕がいた。
「碧くん……」
「朱里大丈夫?」
 背中を撫でてくれる手に安心してゆっくりと息を整える。落ち着きを取り戻してから宇治洲に僕は言った。
「もう1度言う、僕は何も話すことはないから。じゃあ」
 こんな突き放したような言い方をしたことに自分でもびっくりしている。だけどそれほど僕にとってトラウマに当たる人物だったと改めてわかった。
 僕は立ち上がって再度レジに向かって歩きだした。すると後ろから「また連絡すっから」と声が聞こえた。
 それを無視して早々に店を立ち去った。周りが見えず余裕のない僕は、下を向いてスタスタと歩いている。
「朱里、大丈夫? どこかでひと休みしようか」
「……」
「朱里?」
「あ、ごめん。なんて言った?」
「集合まで時間あるし、ちょっと休憩しようか」
 水族館に併設されているカフェで少し休憩することになった。何か頼もうとしたけど、碧くんが「俺が行ってくるから朱里は座ってて」と気を遣ってくれた。
(宇治洲の件は碧くんには関係ないんだから気持ち切り替えないと)
「お待たせ」
 碧くんがテーブルに置いてくれたのはアイスの上にチョコペンでラッコが描かれたフロートだった。
「うわぁ! 可愛い!」
 僕はすぐスマホを取りだして写真を撮った。さっきまでの沈んだ気持ちから、一気にウナギ上り。
「元気になってくれてよかった」
「碧くん……。心配させてごめん。それと助けてくれてありがとう」
「いいえ。俺は朱里が困ってるならいつでも助けるよ」
 碧くんの言っていることは嘘には思えなかった。だって碧くんの瞳が僕のことを真っ直ぐに見つめてくるから。
「ありがとう」
 僕はフロートを飲んだ。バニラの甘さとソーダ味のシュワシュワした感じが、まるで碧くんを表しているようで胸が幸せで満たされた。
 時間になり僕らは集合場所へ移動した。兄ちゃんが僕の元気がないことに気づいていただろうけど、詳しくは聞いてこなかった。