「今日はラストライブに来てくれてありがとう! 最高の日にするから最後まで楽しんでいってねー」
「うぉぉぉぉぉ!!!」
「ToRiくーん!!」
推しの声から始まったライブ。1曲目から大好きな曲が流れ始める。懸命に歌う彼の姿がより一層好きを増加させてくる。
歌の最中、ステップを踏んだり中々高度なダンスを取り入れている。苦手だと言っていたダンスも今では自分の魅力の1つにしている。
(あ、今目が合った……)
たぶん僕に向けてではないだろうけど、勘違いした方が勝ちの世界だ。僕は最後の最後まで楽しんで、忘れないように煌めく推しの姿と最後の景色を目に焼きつけた。
行き馴染んだ地下にあるライブハウス、まばらに振られるエメラルドに似た薄緑色のペンライト、頭に響く大音量で流れる大好きな曲。そして忘れられない、好きな人の歌声。
その光景は目を瞑ればいつでも蘇ってくる。
(今日でちょうど3年。長く推してたんだなぁ)
スマホで記録しているカウントアプリで見ると、最高で最悪な日を同時に迎えていた。
今日で会えるのもラストということもあり、僕は交流会で思いの丈を綴った分厚い手紙を手渡した。
(ToRiくんと話せるのが最後だなんて夢でありますように……)
僕はライブ会場からの帰り道、行き場のない悲しみを涙にして泣きながらそう願った。
◇
高校2年になって早数カ月、梅雨入りが本格的に始まり曇天の空をボーっと眺めていた。
(ToRiくんが引退して半年か、早いなぁ。もう会えないと思うとこの空のように僕の心もズンと沈む)
周りにいるクラスメイトはわちゃわちゃと盛り上がっているのを横目に、1匹狼のように佇んでいる僕。
昔にいじめられた経験から人が怖く、軽く話す以外に親密な友達はいない。ネット繋がりの友達を除いてはだが。
僕は寂しいなんて思ったことはない。なんたって僕には推しのToRiくんがいつもそばにいてくれるから。
(もう、引退して表舞台には出てきてくれないけど……)
僕は周りの音を遮断するように耳にイヤホンをつけてToRiくんの歌った音楽を再生する。
すると、噂好きの女子が「ねぇねぇ、うちらのクラスに転校生が来るって。先生が話してるの聞いちゃったー」とはしゃいでいるのが微かに聞こえた。
女子がはしゃぐ理由は1つ、転校生が男子でなおイケメンならお近づきになって最終的につき合えたらと思っているのかもしれない。
(どちらにしても、僕とは関係ない話だ)
そんな世の中は甘くないと心の中で馬鹿にしていると、耳から聞こえたのはToRiくんが最後に投稿した歌だった。
この曲はToRiくんが最後にファンに向けて作詞作曲して作った唯一無二のラストソングだ。
(この歌はいつ聴いても泣けてくる。最後に書かれているメッセージなんて、特に泣かせに来てて耐えられないよ)
涙を浮かべ感傷に浸っていると、チャイムが鳴って担任の小早川先生が教室に入ってきて、聞き入っていた曲は一時停止となりイヤホンを外した。
「みなさん、おはようございます。今日のあ知らせは1つです。耳にしている人もいると思いますが、このクラスに転校生が来ます。紹介しますね。どうぞ入って」
──ガラガラ。
先生の合図で入ってきた生徒は、息を呑むほど綺麗な銀髪にどこか惹かれる宝石みたいなエメラルド色の瞳を持つイケメン男子。もちろん女子は大歓喜の大騒ぎだった。
キーンと鼓膜に響く声に僕は咄嗟に耳を塞ぎ、音を遮断して俯いた。
「はいはい、静かに。これから紹介するから聞いてください。じゃあ、お願いね」
「はい」
最後列の僕まで響く透き通ったどこかで聞いたことある声に違和感を持った。昔に、いや最近聞いた声と似ているようなそんな声。
「透坂碧です。好きなものは音楽でずっと聴くほど大好きでこの間まで歌い手の活動をしていました。よろしくお願いします」
机に向いていた視線を、転校生のいる方に向けた。
(え? どうしてここにいるの?)
さっき入ってきた時は容姿の美しさに目を惹かれて気づかなかったけど、教室の前方で挨拶していたのは去年の12月に活動を引退した推しのToRiくんだった。
(え、ToRiくん!?)
僕は思わず机の上に置いていた教科書で顔を思い切り隠した。久々に会えた嬉しさと、ファンがいる学校で落ち着いた学校生活を送れるのかという心境の複雑な感情が廻った。
(どうしてこの学校に転校してきたんだろう。とにかく、きぃちゃんに知らせないと)
僕は机の引き出しに入れていたスマホでSNSのチャットを開く。唯一のToRiくんファンで同じ学校に通う友達のきぃちゃんに【ヤバいよ! 僕のクラスにTo】まで打った辺りで、先生に名前を呼ばれ慌ててスマホを隠した。
「じゃあ、席は一番後ろの窓際ね。わからないことがあったら隣の席の信代くんに聞いてね」
「え?」
「信代くんも透坂くんのこと助けてあげてね。じゃあ、HRはおしまい。これから全校集会があるからみんな体育館へ移動してね」
小早川先生は話すことを話したら教室を去っていった。
「え、ちょっと小早川先生。えぇ……」
隣の席は2年に入った時からずっと空いていたから、ここに来るのは仕方ない。だけど案内は学級委員長がするものが妥当ではないのでしょうか?
(僕がToRiくんのファンだと知ったら追っかけと間違われて怪しまれてしまうんじゃ)
先生は僕と彼の関係を知らないから、ただただ親切心で僕に任せたのだろう。
ToRiくん、もとい碧くんが僕の隣の席まで来て眩しい笑顔をこちらに向ける。
「えーっと、信代くん? 改めまして俺は透坂碧。よろしくね」
碧くんはスッと右手を差し出して握手を求めてくれる。だけど僕にとって無料で交わす握手は罪だと思ってしまう。
(何も買ってないのに握手できるの? どんな世界線にいるの僕は。でもこれはただの握手だし、早くしないと腕疲れちゃうよ)
オドオドしくゆっくり手を出すが、待ちきれなかったのか碧くんからギュッと手を掴んできて強制的な握手を交わす。
「ふぁーあ!? ちょっ、待っ……て」
僕は驚きと興奮して変な声が出てしまう。なんとか咳払いで誤魔化し冷静を装って、僕の方も挨拶をする。
「取り乱してすみません。僕は信代朱里です。よろしくお願いします、透坂くん」
僕は『ふぁ、ToRiくんが僕の手を! もう一生洗えないって』と反応しそうなのを堪えたと思ったが、緊張で手汗が出ているような気がした。
僕は速やかに手を離そうと力を緩めるが逆に碧くんに強く引っ張られ、バランス崩して胸の中に収まる形になってしまった。
「ご、ごめん。バランス崩して倒れちゃって」
即座に離れようとするけど碧くんの腕が後ろに回って抱きしめられて動けない。どうして僕は推しに抱きしめられているのだろうか。
頭の中はハテナばかり。イベントでも握手会か交流会が一般的で、ハグ会なんてしたことないから戸惑いがすごい。
「強引でごめんね。また会えて嬉しいよ、“しゅりくん”♡」
顔が近づけられたと思ったら耳元で、僕のSNSで使用しているハンドルネームを小さな声で囁かれた。身体中の熱が一気に冷めていく。
(聞き間違いだよね? 学校ではハンドルネームを知ってるのはきぃちゃんと推しである碧くんだけ。今からじゃ誤魔化し効かないだろうなぁ……)
意地悪な笑みを浮かべて僕を見る碧くん。これは確実に僕がしゅりだとわかって言ったな。僕は諦めて、しゅりだと認めた。
「まず友達から仲良くしてね、朱里」
(下の名前で呼ばれた……。嬉しいような、困るような)
周りから見ればただ名前を呼ばれているように見えるだろうけど、僕からしたらファンサの1部と言っても過言ではない。
僕の名前を呼んだ声を脳内で記憶して、その余韻に浸る。何回も何回も繰り返し思い出していると、碧くんがツンツンと指先で頬を突いてくる。
「朱里もオレのこと碧って呼んで。ほら、せーの」
1ファンでしかない僕が推しの本名を知るだけでも奇跡に近いのに、呼ぶなんておこがましすぎる。どうにかして断りたい……と思っているけど、碧くんからは早く自分の名前を呼んでほしそうに期待が込められている笑顔がこちらを見ている。
「み、碧、くん」
「うん! ありがとう朱里」
碧くんは僕の頭を優しく撫でた。見上げた時に見えた碧くんの顔は、幸せだと伝わるくらいに満ち溢れていた。
その顔面ショットに僕は撃ち抜かれ、つられて赤くなる。とりあえず推しが幸せならよかったです。
「朱里ともっと仲良くなりたいから、同級生と同じように敬語なしね」
「それはちょっと……。さすがに推し様にタメ語なんて失礼極まりないと言いますか」
「俺がいいって言ってるんだからそんなに気負わず。ほら名前と同じように、ね」
お願いとキラキラした目で伝えてくる。僕は碧くんのお願いも、綺麗な顔にも弱いらしい。
「敬語取れるように努力してみます」
「頑張ってね、応援してるから」
推しが転校して同じクラスになるなんて夢のようで、それが現実だとわかってからは推しの学園ライフをバレず邪魔せず陰ながら見守ろうと思っていた。
だけど思いの外、早いタイミングで関わることが来ようとは思っていなかった。
この日を境に推しとファンとしての関係から友達に変化し、さらに碧くんとの関わりが深くなるにつれて僕に対しての執着心が垣間見えたり、僕の気持ちが推しに対しての好きが恋に変わるなんてこの時は予想もしていなかったのです。
◇
体育館に碧くんと向かうと全生徒の視線がこちらに向いている気がする。多分それの先には見慣れないイケメンの生徒がいるからだろう。
(歌い手活動していた時も思ったけど、人並み外れた美形がいるとこんなに注目を集めるものなのか。普段の生活も注目されまくって大変そう)
そんな他人事のように思いながら、全校集会で話を聞く。横目で碧くんの方を見るとその姿も絵になるくらいで、未だに推しと同じ学校に通えていることがまだ実感できていない。
(いつもの校長先生の長い話を聞くつまらない集会も、碧くんがいるだけでつまらなくなくない)
ただ意識が逸れて話を聞いてないだけだけど。そうしていくうちに、あっという間に時間が過ぎ去り全校集会が終わった。
「朱里―!」
体育館から教室に帰ろうと渡り廊下を歩いていると、背後から同じ学校に通うToRiくんファンの友達、“きぃちゃん”こと絲井きいが話しかけてきた。
ライブの時は地雷系の服装とツインテールで長い黒髪をまとめていて印象的だが、学校ではその髪をなびかせるように伸ばし、メイクも派手過ぎない清楚系にしているのもあってまた違った清楚的な雰囲気をまとう。
「きぃちゃん、どうしたの?」
「どうしたのって私の方が聞きたいわよ。さっき送られてきたメッセージってどういう意味なの?」
その意味に思い当る節がなかった僕は、ポケットからスマホを取りだしてきぃちゃんとのチャットを開いて確認した。すると、送ろうと思って書くのを中断していた文面が指に当たって送信していたらしい。
「あ、ごめん。送らず画面消したつもりだったんだけど指当たってたかも。僕が言いたかったのは……」
(待てよ、碧くんが転校してきたことって話してもいいのかな? もし隠していたなら僕から言わない方がいいんじゃ……)
自己紹介で自ら歌い手活動のことを話していたがクラスではあまり話題に上がらなかったように思える。だから友達と言えど、情報漏洩は碧くんに確認してからの方がよさそう。
「言いたかったのは、なーにぃー? 気になるからもったいぶらず教えてよー」
「あ、えーっと、僕のクラスに……やっぱり言えない!」
「どうしてよ! 朱里が教えてくれないと他の人に聞くからね!」
「それはダメ!」
必死に話さないようにするが、話したいと思う気持ちが口から出たり入ったりして挙動不審になっている。
「どうして話してくれないの? 話したいことがあるから私にメッセージを送ろうとしたんじゃないの?」
きぃちゃんの言っていることは正論だ。言いたくてメッセージ書いていたし、送ろうとしていたのだから。でも僕が話せば一生碧くんに顔向けできない気がした。
「タダマチガエタダケ」
「本当? カタコトなの気になるんだけど」
僕の下手な嘘にきぃちゃんもさすがに不信感を抱いている様子。僕はわかりやすいとよく言われるからバレないように目を逸らした。だけどきぃちゃんは、僕の両頬を両手で挟んで無理にでも視線を合わせてこようとする。
「気緩んでたでしょ? ちゃんと聞けるまで離さないから」
(噓でしょ!? この体勢で耐えないといけないの?! きぃちゃんだって碧くん並に可愛くて美人だから長い時間耐えられる自信ないよ……)
僕は観念してToRiの名前を伏したまま、転校生の話だけを伝えることにした。
「て、転校してきた子について話そうと思っただけ。でも、勝手に話すのはどうなのかなって思って言い出せませんでした」
「転校生が来ただけ? あれだけもったいぶったのに?」
「うん。僕の隣に来たの」
「すごいわね、じゃあ挨拶くらいは交わしたんでしょ? 名前だけでも教えてよ」
名前くらいならいずれわかるだろうと僕は「透坂碧くん」と教えた。
「綺麗な名前ね。会ってみたいから紹介して!」
「え、いやー。だって碧くん転校してきたばっかりだし僕もまだ仲良くないから急に紹介するのは……」
「でも名前を呼ぶくらい仲良くなったんでしょ?」
「あ」
決定的な証拠を掴まれた僕は、どう断っても逃げることができない気がした。そんな時、背後から「朱里!」と叫ぶ声が聞こえた。
(誰か僕のこと呼んだ? 気のせいかな?)
「ねぇ朱里、あれ誰?」
「え?」
きぃちゃんの指さした方向に視線を向けようと身体をひねるが、先に声の主が現れて僕の体が包み込まれた。
「やっと見つけた、朱里」
走り回って探していたのか息遣いが荒くなっているが、僕を心配する優しい声は聴いただけでわかる。その主は碧くんだ。
僕を心配する優しい声は聴いただけでわかる。その主は碧くんだ。恐る恐る顔を上げるとパーカーのフードを被っている隙間からエメラルドの瞳が覗いていた。
「どうしてここに……!」
「一緒に戻ろうと思ってたんだけど、その時には既に朱里いなくて、追いかけたんだけど出会わないまま教室ついちゃって。少し教室にいたんだけど心配で探してた」
僕はもうとっくに教室に帰ってるものだと思っていた。だけど走り回って探してくれていたのか、耳元から聞こえる息遣いが荒い。
「ごめん、何も言わずに1人で帰って。いつも1人だったから何かを言って離れるって慣れてな……」
(は! 今ここで話すのはマズい。きぃちゃんにToRiがいるってバレちゃう)
そのことを知らない碧くんに「少し離れてもらって」と言っても「どうして?」と返してくる。かといってきぃちゃんをこの場から話そうにも不自然になりそう。
ここを乗り切れる解決策を必死に考えるが1つも思い浮かばず、その間にきぃちゃんに先手を打たれ碧くんに話しかけていた。
「あのー、見たことない生徒さんってことは6組に転校してきた方ですよね? お名前聞いても良いですかね。あ、私は朱里の友達で絲井きいって言います」
僕が迫られて仕方なく教えたにも関わらず、わざわざ本人の口から聞き出そうとしているきぃちゃん。碧くんがはっきり答えるとなると、僕は誤魔化すことはできない。
僕は「もう無理だ」と目をギュッと瞑った。だが、碧くんは「田中」と偽名を使って返事をしていた。
「え??」
そのことに僕も驚いて、思わず「え?」と間抜けな声が漏れ出てしまった。
「田中って、えー?」
きぃちゃんはゆっくりと僕の方を向き目を合わせて「違うよね?」と真偽を確かめてくる。正直言ってどうしてそう言ったのか僕もわからず、答えずらい。
「話しているところすみませんが、俺たちこの後HRがあるので失礼します」
今まで聞いたことのないくらい低い声が碧くんの口から放たれ、頭に触れる手は強い力を感じるほど身動きが取れない状態になっている。
「あ、はい」
きぃちゃんは碧くんに圧倒され、小さく返事した。碧くんは僕を開放したと思えば、すぐ手を繋ぎ校舎の中へ引っ張っていった。
◇
「碧くん! どうしたの」
「……」
話しかけても碧くんは黙ったままで何も話そうとはしない。
(さっき抱きしめられたときは優しい口調だったよね。あ、きぃちゃんと話してた時は少し機嫌が悪くなったような)
「……あの事親しそうにしてたように見えたんだけど、朱里とどんな関係なの?」
「え?」
どうしてなのか頭を悩ませていると、碧くんから聞かれる。まさか聞かれるとは思っていなかった。だって碧くんは知っていると思っていたから。
僕は何も疑わず「きぃちゃんは僕の唯一の友達だよ」と伝えた。すると碧くんから漂う空気感がさらに重くなった気がする。
「本当に? それ以外の関係じゃないの? それこそ彼女とか」
「カノ……!? ん“ん“っ、彼女じゃないよ、本当に友達。きぃちゃんもToRiくんファンだから仲良くしてくれているだけ」
碧くんは歩きを止め、動かなくなってしまった。急に止まったことにより、後ろを歩いていた僕は思いっきり碧くんの背に突撃してしまう。
(イテテ……)
ぶつけた鼻をさすりながら見上げると、碧くんは顔面蒼白にしていた。この様子は、きぃちゃんのこと全く気づいていなかったようだ。
「ウソだ」
「残念ながら、ウソじゃないよ」
碧くんは自身のファンを全員覚えている。特に対面で会ったことがある子は特に。
「碧くんがわからないって珍しいね」
「あんな清楚な子一目でわかるはずなんだけど、全然わからなくて……」
本当に思い当る節がなさそうで、申し訳なさそうに眉間にしわを寄せている。
(きぃちゃんは古参だし、ライブも交流会も参加しているはずだしわからないわけな……)
「あ!」
「どうかした?」
「きぃちゃん、いつもと恰好が違うからわからないんだ! ライブとかはツインテールで地雷系の服装だよ。だからわからなかったんだ、ほら」
僕は直近で一緒に撮った写真を見せながら伝えると、碧くんは脳内で人物を探し出して「あー!」と思い当たった子がいたのか声を出していた。
「地雷系の服の子は何人かいるけど、ツインテールの子はその子しかいない。完全に思い出した。同じ学校だったんだ」
写真と照らし合わせながら確認している碧くん。隣にいてもわからないくらい小さな声で「じゃあ勝手に勘違いしてただけじゃん。恥っず」と言っていた。
フードが落ち露わになった顔は、恥ずかしそうに耳まで赤く染まっていた。いつもならカッコいいと思える顔でも、この瞬間だけは可愛いと思ってしまった。
「誤解? が解けて良かったよ。きぃちゃんはネットでも現実でも1番の友達だから、今度ちゃんと紹介させてね」
「1番の友達……ね。俺も失礼な態度取ったし今日のこと謝らないとだ」
さっきまでの機嫌の悪さがすっきり晴れたように笑顔が戻っている。僕も問題が解決したことに安心した。
「きぃちゃんは優しいから許してくれるよ。僕も一緒に謝ってあげる」
「それは頼もしいね」
僕と碧くんは再び歩き出し教室に戻った。何事もなく教室の扉を開けると、怒りを含んだ笑顔で仁王立ちしている小早川先生がいた。
「HRは早く戻るように伝えてたわよね?」
「「ご、ごめんなさい」」
僕と碧くんは仲良く並んでお叱りを受けてしまった。
◇
碧くんが転校してきてから3日後、再び分かったことがある。それは碧くんの人気さだった。
持ち前の明るさや人となりから休み時間はもちろん、グループ決めになればみんな碧くんの元へやってきて誘う。だが碧くんはどこのグループにも入らず、断って僕を誘いにきてくれる。お昼休みの時間もそうだった。
「朱里、今からご飯食べるよね? 今日晴れてるから外で食べない?」
「あー、えっと……」
本当はいいよと即答したい。でもそうすることが出来ない事情があった。それは碧くんが転校してくる前々からきぃちゃんと約束していた「ToRiくんを語る会」を開催するからだ。
一緒にお昼を取ることはきぃちゃんも許してくれると思うけど、本人の前でテンション上げて語ることは恥ずかしすぎる。
「ごめん、前からきぃちゃんとお昼食べる約束してたから今日は」
僕は手を合わせて碧くんに謝った。すぐに「そっか、じゃあ仕方ないね」と言われると予想していた僕。
「きぃちゃんってこの前の子だよね? 謝りたいし、俺もついていく」
「えぇ!?」
予想外のことを言われて、普段出さない大きな声を出してしまった。僕の声がクラス中に響き渡りクラスメイトたちが反応して、こちらを見てくる。
僕はごめんなさいと謝罪の意味を込めて手を合わせペコペコと頭を下げた。さすればすぐに視線は戻され、何もなかったかのようになった。
(確かにあの日以降会う機会なかったし、紹介と謝罪あってもいいような。いや、でも今日はいるとヤバいかもしれないし……)
「ねぇ、どうなの? 何も言わないなら勝手についていくからね」
教室の扉まで移動していく気満々の碧くんに、僕は慌てて止める。
「待って待って、聞くから」
ポケットに入れていたスマホを取りだして、きぃちゃんに【今日のお昼、この前の転校生連れて行ってもいいかな? あの時、ひどい態度取ったこと謝りたいって言ってて】と送ってみる。
するとすぐ既読がついて、OKの可愛いスタンプが返ってきた。その反応に少し安堵し、碧くんに伝えた。
「いいよって返ってきた」
「本当? じゃあ遠慮なくついていくね」
ニコニコ笑顔で嬉しそうな碧くん。この後のきぃちゃんの反応を考えると、秘密にしていることすごく心が痛い。
(僕が何とかして碧くんの正体がToRiくんであることを隠し通さないと)
僕は自分の役割を確認して今日のお昼に挑む。正直言って心臓がバクバクしてるし、冷や汗的なのが出ている気がする。
「碧くん、行こうか」
こうして僕たちはきぃちゃんの待つ中庭に向かった。
◇
「碧くんフード被るの?」
きぃちゃんのいる中に向かう道中、碧くんは制服の上に着こんでいるパーカーのフードを深く被り、できる限り見えないように隠していた。
「あ、うん。前に1度話したとはいえ、その子と関わりない俺が同席すること許してくれたし、それならあの時と同じ風貌なら同一人物として捉えられやすいのかなって。それに俺がいることで2人の邪魔したくないしね」
僕たちのために気遣いあふれる姿に感動した。本当ならきぃちゃんにも碧くんのことを知ってほしいと思うのは僕のエゴだろうな。
たとえ正体を知ってもきぃちゃんなら、SNSに書き込み拡散することはないだろう。なぜなら、そういうことをする人物がきぃちゃんにとっては地雷だからだ。
それなら僕ができることと言えば1つしかない。
「もし何かあったら僕が碧くんを助けるね」
僕は真剣な面持ちで碧くんの芽を見て言葉を放った。すると碧くんはフードから顔が見えるように少し出して、「それじゃあお願いしようかな?」と優しい笑みを浮かべて言った。
その瞬間、僕の心臓はドクンと跳ねた。心拍数が上がっているのが伝わってくる。
──ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ。
(な、なんだこれ)
謎の胸の高鳴りに戸惑った。なぜドキドキするのかわからなかったけど、僕だけに向けられた笑顔が特別キラキラして見えたのは一生記憶に残るだろう。
「きぃーちゃーん! お待たせ」
「朱里―! こっち! 席取ってあるよ」
中庭の日陰になるところにあるガーデンテーブル争奪戦に勝ったらしいきぃちゃんは、誇らしそうに手を振っていた。
定期的に行われる“ToRiを語る会”はお互いのスケジュールが合う時にしかできず、月1で開催されている。そんな会にまさか本人が参加する日が来ようとは思ってもいなかった。
「あの、田中さん。この前は初対面なのに図々しく名前聞いてすみませんでした」
ベンチに座るなり、向かい側に座っているきぃちゃんが勢いよく立ち上がって碧くんに90℃のお辞儀をして謝っていた。誠心誠意で謝っていたきぃちゃんに、碧くんも僕も驚いていた。
(そうだよね、碧くんが謝るつもりで来てたんだからそりゃ驚くよね)
「俺の方こそ、あの時きつい言い方してしまってすみませんでした」
碧くんも同じように立ち上がって、謙虚に頭を下げて謝り続けている。いいことなんだけど、事情を知らない周りの人が見たら異様な光景だろうな。
「ねぇ、お互いに謝ることできたわけだしそろそろお昼食べない? 時間なくなっちゃうよ」
いつまで経っても終わらなそうなところを僕が声をかけて終止符を打った。「そだね」と2人が声を重ねて言い、席に座ってお弁当や買ってきたものを広げた。
「うわぁー、きぃちゃんのお弁当いつ見ても綺麗だね」
きぃちゃんのは、茶色で固まらずバランスよく野菜が入っている色とりどりのお弁当。対して僕はお母さんが作ってくれた好物満載の茶色多めのお弁当。
「え、碧くんはそれで足りるの?」
「ん? 昔からそんなに食べないんだよね」
碧くんの手元には弁当箱ではなくコンビニの袋で、中からはおにぎり2つとホットスナックのアメリカンドックが出てきた。
男子高校生が食べる平均的な量と比べると少ない気がするが、大丈夫なのだろうか。
「せーの、いただきます」
みんなで手を合わせてお弁当を食べ進める。この時はテストの話や先生の小話など日常的な会話が多い。その中には碧くんの私生活の話も入っていたり。
「さてさて、そろそろ始めますか」
「何を?」
「私たちねある歌い手を推してて、その人はToRiって言うんだけど。その人について語る会を月に1回開いているの。ねー!」
「う、うん」
碧くんの視線が何かを伝えたそうにしている。なんというか「どんな話しているの?」と言いたそうに見てくる。僕は視線を逸らして気づかないようにした。
「始める前に、改めまして私は絲井きいです。好きに呼んでください」
「俺は透坂碧。あの時のはウソなので忘れてください」
「ウソなのは知ってました。事前に朱里から聞いて透坂という名字と違っていたので、田中って言われたときは驚いたけど」
きぃちゃんは笑いながらそう言った。
「透坂って言いにくいでしょ、俺も自分の名字だけど言いずらくて。だから俺のことは碧でいいよ。あと同い年なんだし敬語もなしね」
「う、うん! じゃあ碧って呼ぶね! 私もきいって呼んで」
碧くんが笑顔で伝えたのが見えたのか、きぃちゃんは顔を赤らめて反応していた。
2人はただ自己紹介していただけなのに、すぐに仲良くなっていた。その光景を見ているとチクンと胸が痛んだ。
(ん? なんだろう……?)
2人が仲良くなることは僕としても嬉しいことだ。だけどその嬉しさが引いて、口角が下がった気がした。どうしてチクンとしたのか、僕にはまだわからなかった。
「ではこれから“ToRiを語る会”を始めたいと思います。碧も参加する?」
「いいの?」
「もちろんいいよ。あ、でもToRiのこと知らないだろうしつまらないかも……」
「知ってる(てか本人)」
「本当!? もしかして碧もファンだったりするの?」
真実を知らないきぃちゃんは、目を輝かせている。その反面、真実を知っている僕は笑うのを堪えていた。
碧くんは否定するわけではなく、「まぁ、そんなところかな」と濁していた。
「今日はたくさん語れるね! ね、朱里」
「うん。そうだね」
こうして僕たちは本人が在籍する珍しい会が開催された。どういうことを語るのかはその日のテーマによるが、今日はToRiくんの好きなところについて語るらしい。
過去には曲について話になるとMV(ミュージックビデオ)を流して干渉したり、絵が得意なきぃちゃんはその場でスケッチのブックを広げて記憶に残っているライブ衣装を描いたりすることもあった。
「ToRiの好きなところは、リスナー(視聴者)1人1人を覚えていてくれるところや過去に貰ったものとかも大切にしてくれているところかなぁ。大昔の、初期の交流会に参加した時に『この前はバスボールありがとう。お風呂が楽しみな時間になったよ』って言ってくれたからプレゼントにはバスボール入れるようになった」
「それすっごくわかる! 僕も会うの2回目の時にはスペース入った途端『しゅりくん』って名前覚えててくれて呼んでくれたの今でも忘れられない思い出なんだよね」
「だってそれは朱里が初めての男性リスナーだったし」
感慨深く思い出に浸り、自身のエピソードを語っていると横から碧くんが割って入ってきて、裏話的なことを言い出す。
「だってそれは朱里が初めての男性リスナーだったし」
「え、でも僕の他にも男性リスナーいたじゃん。“さとり”さんとか“みーも”さんとか。あの人たちも古参ファンだったはず」
「あの人たちもだけど、俺が先に認知したのは“しゅり”だから。特別なんだよ」
僕は碧くんのあまりにも綺麗な微笑んだ顔にドキッとした。“特別”と言われてしまっては、嬉しすぎて返すことができない。
(僕って碧くんの笑顔に弱いのかな。さっきもドキッとしたし)
僕は口角が上がるのをなんとか抑えるが、その代償か変な顔になっている気がする。こんな情けない顔を見られて恥ずかしいけど、それ以上に嬉しさが勝ってしまう。
きぃちゃんをよそに2人の世界になっていた。
「ねぇ、どうして碧が朱里に認知とか言ってるの? まるでToRi本人が言っているみたい」
疑わず無邪気に笑ってそう言ったきぃちゃん。僕はビクッと身体をびくつかせ、「全然笑えない冗談だよ」と思うながら乾いた笑みを浮かべた。
その時、さっきまでなかった風が力強く吹いた。なびく髪を抑えるきぃちゃん。僕はテーブルに乗っていたランチョンマットが飛ばないように身体全体で必死に抑えた。
碧くんも袋が飛ばないように抑えていたが、それよりも向かい風でフードが脱げそうになっていた。
「あ、碧くん!」
左手を伸ばして抑えようとしたが一足遅く、碧くんの頭からフードが脱げてしまう。露わになってしまった銀髪にエメラルド色の瞳が僕を見つめる。
そして僕の声を聞いたきぃちゃんが、閉じていた目を開けて声を出しながら驚いている。
「朱里? どうかし……ふぇ?! ToRiくん!?」
タイミングが良いのか悪いのか、風が止んだ。そして僕と碧くんは起こったことの大きさに気まずすぎて固まってしまった。きぃちゃんは目の前に推しがいる出来事が大きすぎて、脳内処理できずキャパオーバーして固まってしまった。
(僕が守るって言ったばかりなのに、守れなかった……。反省するより前にきぃちゃんに黙ってたこと謝らないと)
「あのね、きぃちゃ……」
「きい、俺の正体黙っててごめん」
僕が話そうと声を出した時、碧くんが被さるように話し出した。
「朱里は知ってたんだけど、黙っててもらうようにたのんだのは俺だから。朱里を責めないであげてほしい」
碧くんは正体がバレたにも関わらず、僕に被害が向かないように頭を下げてくれている。こんな時に思うのもおかしいけど、優しさも好きだなと感じた。
「何言ってるの碧くん。僕の判断で勝手に黙ってただけだから碧くんは何も悪くないよ」
「いいんだよ。これはオレの責任だから朱里は何も責任感じなくていいよ」
「でも……」
お互いの庇い合いが続く中で、きぃちゃんがひと言「あのさ、庇い合うのはいいんだけど、ちょっと整理したいから待っててもらってもいい?」と言い放った。
僕たちは、きぃちゃんの脳内整理ができるまでその時を待った。その間はドキドキが止まらなかった。
腕組みの状態からテーブルに両肘をついて口元で手を組んだ。まるでアニメに出てくる幹部のようで、笑ってはいけないのに思わず吹き出しそうなのを堪えた。
「まず2人に言いたいのは、あたしは誰も責めないってこと。朱里が秘密にしてたのだって、私が同じ立場ならそうするだろうから」
「きぃちゃん……!」
「私、同担拒否のファンだから基本同じ人を推している人とは仲良くしない主義なの。だけど朱里と友達になったのは、相手を想える優しい人だって知ったからだよ。内緒にされていたとしても事情があるなら私は何も聞かないよ」
きぃちゃんは片目をウインクさせて、人差し指を口元の前に立てた。僕は彼女を頼もしい味方だと感じ、思わず抱きついた。
「ありがとう、きぃちゃん! 大好き!」
「うわぁ! もう、朱里ってばー。私も大好き!」
きぃちゃんもはじめは驚いていたが、僕を抱きしめ返して友情を確かめ合った。
後ろで見ていた碧くんが「そろそろ」と言って僕ときぃちゃんを引き剥がした。嬉しさのあまりハグしてしまっていたけど、女の子相手は失礼だったかもしれない。
「あ、ごめんね。嬉しくてつい……」
「私は全然」
「碧くんも、止めてくれてありがとう」
「まぁあれは俺のためにしたことというか…。するなら俺にしてほしい」
「なにそれー、可愛い。えい」
僕は碧くんに抱きつきハグをした。接触イベントなんて今までなかったから、本人から許可を貰えて遠慮なくこういうことができる。
「……っ」
「はい終わり。ほら続き話そう!」
次第に恥ずかしさが生まれ早々に身体を離した。
「碧、大丈夫?」
「大、丈夫じゃない……。突然来られると困る」
僕はもう隠す秘密がなくなったからか、晴れやかな気持ちで“ToRiを語る会”を引き続き行うことができた。
──キーンコーンカーンコーン。
盛り上がっている最中、予鈴が鳴りあちこちから生徒が校舎の中に消えていく。僕たちも教室に帰った方がよさそうだ。
「今日のところは解散かな。それにしても本人在籍の語る会、過去一盛り上がって楽しかったなー! またしようね!」
「僕も楽しかった。碧くんはどうだった?」
「イベントや手紙でしかこんな話聞く機会ないから新鮮だった。また誘ってよ、その時は俺がライブの裏話をしてあげる」
ファンにとってはお金を払ってでも聞きたい話を聞けるなんてご褒美だ。僕は「またしよう」と鼻息荒くして意気込んだ。
きぃちゃんとは文理区分が違うこともあって校舎が違う。だからいつも中庭で話し、渡り廊下でいつも別れていた。
「フナァァァゴ」
低音で鳴くその声は学校のアイドル、茶トラ猫のブナだった。学校が飼っているわけではなく勝手に住みついている猫だ。人によって懐くかどうか差が激しいと噂で聞く。
「ブナだ! ねぇちょっとブナのところ行くね!」
僕は猫が好きで、時間がないと知っていても出会ってしまってはいかずにはいられなかった。
「こんにちはー、僕、朱里。ブナに触りたいんだけどいいかな?」
少ししかめっ面、不機嫌そうな顔つきのブナに聞いてみた。答えてはくれないだろうから勝手に触ることになるだろうと思っていたが、人間の言葉がわかるのか僕の足元まで来て頭をこすりつけてくる。
僕はご希望通りに頭や身体を思いっきり撫でてあげると、ご機嫌になってお腹まで見せてくれて嬉しくなる。
そんな僕の後ろで何やら2人が話しているようだったが、僕はブナに夢中になっていた。
「碧に聞きたいことあるんだけどいいかな?」
「ん? 何?」
「もしかして碧が歌い手を引退してこの学校に転校してきたのって、朱里が好きだからって理由だったりする?」
周りに聞こえないようにきいが気を遣ってさりげなく聞いてきた。どこか確信があるような言い方だった。
今更隠したところでと思うけど、相手はファンの子だし正直言っていいものなのかと悩んだ。だけどこの子なら受け入れてくれそうなそんな気がした。
「……ずっと推してくれていたファンにはすごく申し訳ないと思ってるけど、俺は朱里が好き。それはもう、長い間」
ずっと閉じ込めていた思いを誰かに聞いてもらえて、どこか感傷的になってしまった。
「そっか……」
「ごめんね。こんな推しで」
「ううん。私、今日の2人の関係見て幻滅じゃなくて、いいなぁって思ったの。これは私が腐女子だからっていうのもあるけど、新たな推しを見つけたなーって。だから私は応援するし、支える。力にならせて」
とんでもない告白をしたと思うけど、俺ほど驚くことではない。
「腐女子……。そうか、そういう考えもあるのか。きい、ありがとう」
「あぁ。その声でありがとうって、久々すぎて耳妊娠しそう……!」
「何それ、はははっ」
俺は最強の味方をつけることができた。これからはたくさん頼らせてもらおう。
撫でられるのが満足したのかブナは立ち上がってどこかへ行ってしまった。もう終わりかと残念に思って後ろを振り返ると、2人はどこか楽しそうに語らっている。
「何話してるの?」
「「秘密!」」
2人は顔を見合わせてそう言い、歩き出した。
「え、なんで教えてくれないのー! 僕だけ仲間外れ!?」
僕はまだ知らない。碧くんの気持ちも応援すると言ったきぃちゃんの想いも。
◇
「あの透坂くん。透坂くんと仲良く鳴りたくて親睦会開きたいなと思ってて、よかったらカラオケどうかな?」
授業が終わり、荷物をリュックに詰めているとクラスの女子が碧くんの元へきて誘ってきていた。
最近クラス中が、ソワソワしているなと感じていたが親睦会を企画していたんだな。僕はクラスに馴染めていないからそんな情報一切入ってきていない。
「今日予定ないし大丈夫だよ」
(親睦会にカラオケをチョイスしたのは正解だ。大人数でも問題ないし、それに歌い手として人気があった人の歌を聞けるんだから実質ライブ会場だよ。だけど、僕は誘われてないから帰ろう)
リュックを背負って教室を出ようとすると、碧くんに腕を掴まれて引き留められる。
「朱里も行っていいよね?」
「え?」
誘われてないし、急な人数変更は迷惑すぎる。僕は首を振って断る。
「いやいや、僕が行っても……。それに今日は碧くんの親睦会だから僕のことは放っておいて行ってきてくれたら」
「朱里も一緒に行かないと俺はいかないよ」
「えー……」
僕は誘いに来た女子の視線を確認した。迷惑な顔をされたらどうしようってそう思っていた。だが「もちろん信代くんも来て! 私たちずっと話したいと思ってたの」と予想外の反応が返ってきた。碧くんの方を見るとうんと頷いている。
「じゃあ、僕も行こうかな」
「うん、行こう行こう! ねぇ、透坂くんと信代くん行けるって」
「おう、信代来るんか。いいじゃん。駅前のカラオケ予約しとくな」
クラスの仲の良さと謎の連携が上手いことを初めて知った。それだけクラスと関わってこなかった証拠だと痛感した。
学校からカラオケ店まで移動している時も、部屋に入ってからも誰かしら話題を振ってくれていた。きぃちゃん以外に学校でこんなに話したことはない。
「信代って好きなことあるの?」
「えっと、少し前まで歌い手を3年ほど推してた」
「最近歌い手って人増えたよね。もしかしたら知ってる人かも、なんて名前?」
「僕が推してたのはToRiって名前の男性歌い手なんだけど……」
いざ言うと知っていなかった時の気まずさが怖くなる。だけど、耳を傾けて聞いてくれていた人たちは「知ってるー!」と反応してくれた。
「あれだよね、アイスのCMで流れてた」
「ある飲み物のCMもでしょ?」
「うん、そうだよ」
僕は思いっきりToRiくんについて語った。引かれるかと思ったけど、みんな親切に最後の最後まで聞いてくれた。だけど世間的にも小さいニュースになった彼の引退を知らない人はいないようで。
「でもToRiさん? 引退したって聞いたけど。それでも推すの?」
「うん、だけど僕の推しはあの人以外ありえないから」
微笑むように言うと女子たちが「健気―」と声を揃えて言った。
「信代くんは彼女とかいるの?」
「いないけど……」
「あの子は? 理系の絲井さんとはどういう関係?」
「きぃちゃんは同じ推しが好きな友達だけど」
どうしてその話に至ったのかわからず戸惑っているが、誰も助けてくれなさそう。
「朱里にあまり絡まないであげてよ。それに朱里は俺のだから狙わないでね」
反対側に座っていた碧くんが隣に座り、僕の肩を組んで言い女子たちから助けてくれた。でもわざわざ俺のと言わなくてもよかったのでは? と僕は思った。
「透坂、歌上手いんだろ? 1曲歌ってくれよ」
碧くんはマイクを手渡された。曲を入れる機械で選び登録するとすぐに音が流れた。それは先ほど話題に出ていたアイスのCMで流れていたToRiくんオリジナル曲だった。
みんなが聞いたことあるメロディーにテンションを上げて、身体を揺らしてノリだす。そして碧くんが歌い出すと、聞き惚れて動きが止まった。
そう碧くんの歌声は知らない人をも魅了する。
「あざしたー」
「うおぉぉぉぉ!」
歌い終わるとみんなが碧くんの周りに集まり、すごい賞賛していた。それを見て喜ぶのが僕である。
「歌い手してたって本当ぽいな。なんて名前?」
「これ」
碧くんは曲を選ぶ機械を指さした。全員の視線がそちらに向き驚きの声が上がる。そこに書かれていたのはToRiだったからだ。
(それはそうだよね)
僕1人だけが驚かない状況にも察しよく見つかる。
「信代は知ってたん。てか、相手推しやって」
「そうだよ! そんな落ち着いてられないでしょ」
「まぁ、少し慣れたから」
「そういうものかぁ?」
正直慣れてはいない部分の方が大きいけど、周りが驚いているのを見ると少しだけ安心した。
「うぉぉぉぉぉ!!!」
「ToRiくーん!!」
推しの声から始まったライブ。1曲目から大好きな曲が流れ始める。懸命に歌う彼の姿がより一層好きを増加させてくる。
歌の最中、ステップを踏んだり中々高度なダンスを取り入れている。苦手だと言っていたダンスも今では自分の魅力の1つにしている。
(あ、今目が合った……)
たぶん僕に向けてではないだろうけど、勘違いした方が勝ちの世界だ。僕は最後の最後まで楽しんで、忘れないように煌めく推しの姿と最後の景色を目に焼きつけた。
行き馴染んだ地下にあるライブハウス、まばらに振られるエメラルドに似た薄緑色のペンライト、頭に響く大音量で流れる大好きな曲。そして忘れられない、好きな人の歌声。
その光景は目を瞑ればいつでも蘇ってくる。
(今日でちょうど3年。長く推してたんだなぁ)
スマホで記録しているカウントアプリで見ると、最高で最悪な日を同時に迎えていた。
今日で会えるのもラストということもあり、僕は交流会で思いの丈を綴った分厚い手紙を手渡した。
(ToRiくんと話せるのが最後だなんて夢でありますように……)
僕はライブ会場からの帰り道、行き場のない悲しみを涙にして泣きながらそう願った。
◇
高校2年になって早数カ月、梅雨入りが本格的に始まり曇天の空をボーっと眺めていた。
(ToRiくんが引退して半年か、早いなぁ。もう会えないと思うとこの空のように僕の心もズンと沈む)
周りにいるクラスメイトはわちゃわちゃと盛り上がっているのを横目に、1匹狼のように佇んでいる僕。
昔にいじめられた経験から人が怖く、軽く話す以外に親密な友達はいない。ネット繋がりの友達を除いてはだが。
僕は寂しいなんて思ったことはない。なんたって僕には推しのToRiくんがいつもそばにいてくれるから。
(もう、引退して表舞台には出てきてくれないけど……)
僕は周りの音を遮断するように耳にイヤホンをつけてToRiくんの歌った音楽を再生する。
すると、噂好きの女子が「ねぇねぇ、うちらのクラスに転校生が来るって。先生が話してるの聞いちゃったー」とはしゃいでいるのが微かに聞こえた。
女子がはしゃぐ理由は1つ、転校生が男子でなおイケメンならお近づきになって最終的につき合えたらと思っているのかもしれない。
(どちらにしても、僕とは関係ない話だ)
そんな世の中は甘くないと心の中で馬鹿にしていると、耳から聞こえたのはToRiくんが最後に投稿した歌だった。
この曲はToRiくんが最後にファンに向けて作詞作曲して作った唯一無二のラストソングだ。
(この歌はいつ聴いても泣けてくる。最後に書かれているメッセージなんて、特に泣かせに来てて耐えられないよ)
涙を浮かべ感傷に浸っていると、チャイムが鳴って担任の小早川先生が教室に入ってきて、聞き入っていた曲は一時停止となりイヤホンを外した。
「みなさん、おはようございます。今日のあ知らせは1つです。耳にしている人もいると思いますが、このクラスに転校生が来ます。紹介しますね。どうぞ入って」
──ガラガラ。
先生の合図で入ってきた生徒は、息を呑むほど綺麗な銀髪にどこか惹かれる宝石みたいなエメラルド色の瞳を持つイケメン男子。もちろん女子は大歓喜の大騒ぎだった。
キーンと鼓膜に響く声に僕は咄嗟に耳を塞ぎ、音を遮断して俯いた。
「はいはい、静かに。これから紹介するから聞いてください。じゃあ、お願いね」
「はい」
最後列の僕まで響く透き通ったどこかで聞いたことある声に違和感を持った。昔に、いや最近聞いた声と似ているようなそんな声。
「透坂碧です。好きなものは音楽でずっと聴くほど大好きでこの間まで歌い手の活動をしていました。よろしくお願いします」
机に向いていた視線を、転校生のいる方に向けた。
(え? どうしてここにいるの?)
さっき入ってきた時は容姿の美しさに目を惹かれて気づかなかったけど、教室の前方で挨拶していたのは去年の12月に活動を引退した推しのToRiくんだった。
(え、ToRiくん!?)
僕は思わず机の上に置いていた教科書で顔を思い切り隠した。久々に会えた嬉しさと、ファンがいる学校で落ち着いた学校生活を送れるのかという心境の複雑な感情が廻った。
(どうしてこの学校に転校してきたんだろう。とにかく、きぃちゃんに知らせないと)
僕は机の引き出しに入れていたスマホでSNSのチャットを開く。唯一のToRiくんファンで同じ学校に通う友達のきぃちゃんに【ヤバいよ! 僕のクラスにTo】まで打った辺りで、先生に名前を呼ばれ慌ててスマホを隠した。
「じゃあ、席は一番後ろの窓際ね。わからないことがあったら隣の席の信代くんに聞いてね」
「え?」
「信代くんも透坂くんのこと助けてあげてね。じゃあ、HRはおしまい。これから全校集会があるからみんな体育館へ移動してね」
小早川先生は話すことを話したら教室を去っていった。
「え、ちょっと小早川先生。えぇ……」
隣の席は2年に入った時からずっと空いていたから、ここに来るのは仕方ない。だけど案内は学級委員長がするものが妥当ではないのでしょうか?
(僕がToRiくんのファンだと知ったら追っかけと間違われて怪しまれてしまうんじゃ)
先生は僕と彼の関係を知らないから、ただただ親切心で僕に任せたのだろう。
ToRiくん、もとい碧くんが僕の隣の席まで来て眩しい笑顔をこちらに向ける。
「えーっと、信代くん? 改めまして俺は透坂碧。よろしくね」
碧くんはスッと右手を差し出して握手を求めてくれる。だけど僕にとって無料で交わす握手は罪だと思ってしまう。
(何も買ってないのに握手できるの? どんな世界線にいるの僕は。でもこれはただの握手だし、早くしないと腕疲れちゃうよ)
オドオドしくゆっくり手を出すが、待ちきれなかったのか碧くんからギュッと手を掴んできて強制的な握手を交わす。
「ふぁーあ!? ちょっ、待っ……て」
僕は驚きと興奮して変な声が出てしまう。なんとか咳払いで誤魔化し冷静を装って、僕の方も挨拶をする。
「取り乱してすみません。僕は信代朱里です。よろしくお願いします、透坂くん」
僕は『ふぁ、ToRiくんが僕の手を! もう一生洗えないって』と反応しそうなのを堪えたと思ったが、緊張で手汗が出ているような気がした。
僕は速やかに手を離そうと力を緩めるが逆に碧くんに強く引っ張られ、バランス崩して胸の中に収まる形になってしまった。
「ご、ごめん。バランス崩して倒れちゃって」
即座に離れようとするけど碧くんの腕が後ろに回って抱きしめられて動けない。どうして僕は推しに抱きしめられているのだろうか。
頭の中はハテナばかり。イベントでも握手会か交流会が一般的で、ハグ会なんてしたことないから戸惑いがすごい。
「強引でごめんね。また会えて嬉しいよ、“しゅりくん”♡」
顔が近づけられたと思ったら耳元で、僕のSNSで使用しているハンドルネームを小さな声で囁かれた。身体中の熱が一気に冷めていく。
(聞き間違いだよね? 学校ではハンドルネームを知ってるのはきぃちゃんと推しである碧くんだけ。今からじゃ誤魔化し効かないだろうなぁ……)
意地悪な笑みを浮かべて僕を見る碧くん。これは確実に僕がしゅりだとわかって言ったな。僕は諦めて、しゅりだと認めた。
「まず友達から仲良くしてね、朱里」
(下の名前で呼ばれた……。嬉しいような、困るような)
周りから見ればただ名前を呼ばれているように見えるだろうけど、僕からしたらファンサの1部と言っても過言ではない。
僕の名前を呼んだ声を脳内で記憶して、その余韻に浸る。何回も何回も繰り返し思い出していると、碧くんがツンツンと指先で頬を突いてくる。
「朱里もオレのこと碧って呼んで。ほら、せーの」
1ファンでしかない僕が推しの本名を知るだけでも奇跡に近いのに、呼ぶなんておこがましすぎる。どうにかして断りたい……と思っているけど、碧くんからは早く自分の名前を呼んでほしそうに期待が込められている笑顔がこちらを見ている。
「み、碧、くん」
「うん! ありがとう朱里」
碧くんは僕の頭を優しく撫でた。見上げた時に見えた碧くんの顔は、幸せだと伝わるくらいに満ち溢れていた。
その顔面ショットに僕は撃ち抜かれ、つられて赤くなる。とりあえず推しが幸せならよかったです。
「朱里ともっと仲良くなりたいから、同級生と同じように敬語なしね」
「それはちょっと……。さすがに推し様にタメ語なんて失礼極まりないと言いますか」
「俺がいいって言ってるんだからそんなに気負わず。ほら名前と同じように、ね」
お願いとキラキラした目で伝えてくる。僕は碧くんのお願いも、綺麗な顔にも弱いらしい。
「敬語取れるように努力してみます」
「頑張ってね、応援してるから」
推しが転校して同じクラスになるなんて夢のようで、それが現実だとわかってからは推しの学園ライフをバレず邪魔せず陰ながら見守ろうと思っていた。
だけど思いの外、早いタイミングで関わることが来ようとは思っていなかった。
この日を境に推しとファンとしての関係から友達に変化し、さらに碧くんとの関わりが深くなるにつれて僕に対しての執着心が垣間見えたり、僕の気持ちが推しに対しての好きが恋に変わるなんてこの時は予想もしていなかったのです。
◇
体育館に碧くんと向かうと全生徒の視線がこちらに向いている気がする。多分それの先には見慣れないイケメンの生徒がいるからだろう。
(歌い手活動していた時も思ったけど、人並み外れた美形がいるとこんなに注目を集めるものなのか。普段の生活も注目されまくって大変そう)
そんな他人事のように思いながら、全校集会で話を聞く。横目で碧くんの方を見るとその姿も絵になるくらいで、未だに推しと同じ学校に通えていることがまだ実感できていない。
(いつもの校長先生の長い話を聞くつまらない集会も、碧くんがいるだけでつまらなくなくない)
ただ意識が逸れて話を聞いてないだけだけど。そうしていくうちに、あっという間に時間が過ぎ去り全校集会が終わった。
「朱里―!」
体育館から教室に帰ろうと渡り廊下を歩いていると、背後から同じ学校に通うToRiくんファンの友達、“きぃちゃん”こと絲井きいが話しかけてきた。
ライブの時は地雷系の服装とツインテールで長い黒髪をまとめていて印象的だが、学校ではその髪をなびかせるように伸ばし、メイクも派手過ぎない清楚系にしているのもあってまた違った清楚的な雰囲気をまとう。
「きぃちゃん、どうしたの?」
「どうしたのって私の方が聞きたいわよ。さっき送られてきたメッセージってどういう意味なの?」
その意味に思い当る節がなかった僕は、ポケットからスマホを取りだしてきぃちゃんとのチャットを開いて確認した。すると、送ろうと思って書くのを中断していた文面が指に当たって送信していたらしい。
「あ、ごめん。送らず画面消したつもりだったんだけど指当たってたかも。僕が言いたかったのは……」
(待てよ、碧くんが転校してきたことって話してもいいのかな? もし隠していたなら僕から言わない方がいいんじゃ……)
自己紹介で自ら歌い手活動のことを話していたがクラスではあまり話題に上がらなかったように思える。だから友達と言えど、情報漏洩は碧くんに確認してからの方がよさそう。
「言いたかったのは、なーにぃー? 気になるからもったいぶらず教えてよー」
「あ、えーっと、僕のクラスに……やっぱり言えない!」
「どうしてよ! 朱里が教えてくれないと他の人に聞くからね!」
「それはダメ!」
必死に話さないようにするが、話したいと思う気持ちが口から出たり入ったりして挙動不審になっている。
「どうして話してくれないの? 話したいことがあるから私にメッセージを送ろうとしたんじゃないの?」
きぃちゃんの言っていることは正論だ。言いたくてメッセージ書いていたし、送ろうとしていたのだから。でも僕が話せば一生碧くんに顔向けできない気がした。
「タダマチガエタダケ」
「本当? カタコトなの気になるんだけど」
僕の下手な嘘にきぃちゃんもさすがに不信感を抱いている様子。僕はわかりやすいとよく言われるからバレないように目を逸らした。だけどきぃちゃんは、僕の両頬を両手で挟んで無理にでも視線を合わせてこようとする。
「気緩んでたでしょ? ちゃんと聞けるまで離さないから」
(噓でしょ!? この体勢で耐えないといけないの?! きぃちゃんだって碧くん並に可愛くて美人だから長い時間耐えられる自信ないよ……)
僕は観念してToRiの名前を伏したまま、転校生の話だけを伝えることにした。
「て、転校してきた子について話そうと思っただけ。でも、勝手に話すのはどうなのかなって思って言い出せませんでした」
「転校生が来ただけ? あれだけもったいぶったのに?」
「うん。僕の隣に来たの」
「すごいわね、じゃあ挨拶くらいは交わしたんでしょ? 名前だけでも教えてよ」
名前くらいならいずれわかるだろうと僕は「透坂碧くん」と教えた。
「綺麗な名前ね。会ってみたいから紹介して!」
「え、いやー。だって碧くん転校してきたばっかりだし僕もまだ仲良くないから急に紹介するのは……」
「でも名前を呼ぶくらい仲良くなったんでしょ?」
「あ」
決定的な証拠を掴まれた僕は、どう断っても逃げることができない気がした。そんな時、背後から「朱里!」と叫ぶ声が聞こえた。
(誰か僕のこと呼んだ? 気のせいかな?)
「ねぇ朱里、あれ誰?」
「え?」
きぃちゃんの指さした方向に視線を向けようと身体をひねるが、先に声の主が現れて僕の体が包み込まれた。
「やっと見つけた、朱里」
走り回って探していたのか息遣いが荒くなっているが、僕を心配する優しい声は聴いただけでわかる。その主は碧くんだ。
僕を心配する優しい声は聴いただけでわかる。その主は碧くんだ。恐る恐る顔を上げるとパーカーのフードを被っている隙間からエメラルドの瞳が覗いていた。
「どうしてここに……!」
「一緒に戻ろうと思ってたんだけど、その時には既に朱里いなくて、追いかけたんだけど出会わないまま教室ついちゃって。少し教室にいたんだけど心配で探してた」
僕はもうとっくに教室に帰ってるものだと思っていた。だけど走り回って探してくれていたのか、耳元から聞こえる息遣いが荒い。
「ごめん、何も言わずに1人で帰って。いつも1人だったから何かを言って離れるって慣れてな……」
(は! 今ここで話すのはマズい。きぃちゃんにToRiがいるってバレちゃう)
そのことを知らない碧くんに「少し離れてもらって」と言っても「どうして?」と返してくる。かといってきぃちゃんをこの場から話そうにも不自然になりそう。
ここを乗り切れる解決策を必死に考えるが1つも思い浮かばず、その間にきぃちゃんに先手を打たれ碧くんに話しかけていた。
「あのー、見たことない生徒さんってことは6組に転校してきた方ですよね? お名前聞いても良いですかね。あ、私は朱里の友達で絲井きいって言います」
僕が迫られて仕方なく教えたにも関わらず、わざわざ本人の口から聞き出そうとしているきぃちゃん。碧くんがはっきり答えるとなると、僕は誤魔化すことはできない。
僕は「もう無理だ」と目をギュッと瞑った。だが、碧くんは「田中」と偽名を使って返事をしていた。
「え??」
そのことに僕も驚いて、思わず「え?」と間抜けな声が漏れ出てしまった。
「田中って、えー?」
きぃちゃんはゆっくりと僕の方を向き目を合わせて「違うよね?」と真偽を確かめてくる。正直言ってどうしてそう言ったのか僕もわからず、答えずらい。
「話しているところすみませんが、俺たちこの後HRがあるので失礼します」
今まで聞いたことのないくらい低い声が碧くんの口から放たれ、頭に触れる手は強い力を感じるほど身動きが取れない状態になっている。
「あ、はい」
きぃちゃんは碧くんに圧倒され、小さく返事した。碧くんは僕を開放したと思えば、すぐ手を繋ぎ校舎の中へ引っ張っていった。
◇
「碧くん! どうしたの」
「……」
話しかけても碧くんは黙ったままで何も話そうとはしない。
(さっき抱きしめられたときは優しい口調だったよね。あ、きぃちゃんと話してた時は少し機嫌が悪くなったような)
「……あの事親しそうにしてたように見えたんだけど、朱里とどんな関係なの?」
「え?」
どうしてなのか頭を悩ませていると、碧くんから聞かれる。まさか聞かれるとは思っていなかった。だって碧くんは知っていると思っていたから。
僕は何も疑わず「きぃちゃんは僕の唯一の友達だよ」と伝えた。すると碧くんから漂う空気感がさらに重くなった気がする。
「本当に? それ以外の関係じゃないの? それこそ彼女とか」
「カノ……!? ん“ん“っ、彼女じゃないよ、本当に友達。きぃちゃんもToRiくんファンだから仲良くしてくれているだけ」
碧くんは歩きを止め、動かなくなってしまった。急に止まったことにより、後ろを歩いていた僕は思いっきり碧くんの背に突撃してしまう。
(イテテ……)
ぶつけた鼻をさすりながら見上げると、碧くんは顔面蒼白にしていた。この様子は、きぃちゃんのこと全く気づいていなかったようだ。
「ウソだ」
「残念ながら、ウソじゃないよ」
碧くんは自身のファンを全員覚えている。特に対面で会ったことがある子は特に。
「碧くんがわからないって珍しいね」
「あんな清楚な子一目でわかるはずなんだけど、全然わからなくて……」
本当に思い当る節がなさそうで、申し訳なさそうに眉間にしわを寄せている。
(きぃちゃんは古参だし、ライブも交流会も参加しているはずだしわからないわけな……)
「あ!」
「どうかした?」
「きぃちゃん、いつもと恰好が違うからわからないんだ! ライブとかはツインテールで地雷系の服装だよ。だからわからなかったんだ、ほら」
僕は直近で一緒に撮った写真を見せながら伝えると、碧くんは脳内で人物を探し出して「あー!」と思い当たった子がいたのか声を出していた。
「地雷系の服の子は何人かいるけど、ツインテールの子はその子しかいない。完全に思い出した。同じ学校だったんだ」
写真と照らし合わせながら確認している碧くん。隣にいてもわからないくらい小さな声で「じゃあ勝手に勘違いしてただけじゃん。恥っず」と言っていた。
フードが落ち露わになった顔は、恥ずかしそうに耳まで赤く染まっていた。いつもならカッコいいと思える顔でも、この瞬間だけは可愛いと思ってしまった。
「誤解? が解けて良かったよ。きぃちゃんはネットでも現実でも1番の友達だから、今度ちゃんと紹介させてね」
「1番の友達……ね。俺も失礼な態度取ったし今日のこと謝らないとだ」
さっきまでの機嫌の悪さがすっきり晴れたように笑顔が戻っている。僕も問題が解決したことに安心した。
「きぃちゃんは優しいから許してくれるよ。僕も一緒に謝ってあげる」
「それは頼もしいね」
僕と碧くんは再び歩き出し教室に戻った。何事もなく教室の扉を開けると、怒りを含んだ笑顔で仁王立ちしている小早川先生がいた。
「HRは早く戻るように伝えてたわよね?」
「「ご、ごめんなさい」」
僕と碧くんは仲良く並んでお叱りを受けてしまった。
◇
碧くんが転校してきてから3日後、再び分かったことがある。それは碧くんの人気さだった。
持ち前の明るさや人となりから休み時間はもちろん、グループ決めになればみんな碧くんの元へやってきて誘う。だが碧くんはどこのグループにも入らず、断って僕を誘いにきてくれる。お昼休みの時間もそうだった。
「朱里、今からご飯食べるよね? 今日晴れてるから外で食べない?」
「あー、えっと……」
本当はいいよと即答したい。でもそうすることが出来ない事情があった。それは碧くんが転校してくる前々からきぃちゃんと約束していた「ToRiくんを語る会」を開催するからだ。
一緒にお昼を取ることはきぃちゃんも許してくれると思うけど、本人の前でテンション上げて語ることは恥ずかしすぎる。
「ごめん、前からきぃちゃんとお昼食べる約束してたから今日は」
僕は手を合わせて碧くんに謝った。すぐに「そっか、じゃあ仕方ないね」と言われると予想していた僕。
「きぃちゃんってこの前の子だよね? 謝りたいし、俺もついていく」
「えぇ!?」
予想外のことを言われて、普段出さない大きな声を出してしまった。僕の声がクラス中に響き渡りクラスメイトたちが反応して、こちらを見てくる。
僕はごめんなさいと謝罪の意味を込めて手を合わせペコペコと頭を下げた。さすればすぐに視線は戻され、何もなかったかのようになった。
(確かにあの日以降会う機会なかったし、紹介と謝罪あってもいいような。いや、でも今日はいるとヤバいかもしれないし……)
「ねぇ、どうなの? 何も言わないなら勝手についていくからね」
教室の扉まで移動していく気満々の碧くんに、僕は慌てて止める。
「待って待って、聞くから」
ポケットに入れていたスマホを取りだして、きぃちゃんに【今日のお昼、この前の転校生連れて行ってもいいかな? あの時、ひどい態度取ったこと謝りたいって言ってて】と送ってみる。
するとすぐ既読がついて、OKの可愛いスタンプが返ってきた。その反応に少し安堵し、碧くんに伝えた。
「いいよって返ってきた」
「本当? じゃあ遠慮なくついていくね」
ニコニコ笑顔で嬉しそうな碧くん。この後のきぃちゃんの反応を考えると、秘密にしていることすごく心が痛い。
(僕が何とかして碧くんの正体がToRiくんであることを隠し通さないと)
僕は自分の役割を確認して今日のお昼に挑む。正直言って心臓がバクバクしてるし、冷や汗的なのが出ている気がする。
「碧くん、行こうか」
こうして僕たちはきぃちゃんの待つ中庭に向かった。
◇
「碧くんフード被るの?」
きぃちゃんのいる中に向かう道中、碧くんは制服の上に着こんでいるパーカーのフードを深く被り、できる限り見えないように隠していた。
「あ、うん。前に1度話したとはいえ、その子と関わりない俺が同席すること許してくれたし、それならあの時と同じ風貌なら同一人物として捉えられやすいのかなって。それに俺がいることで2人の邪魔したくないしね」
僕たちのために気遣いあふれる姿に感動した。本当ならきぃちゃんにも碧くんのことを知ってほしいと思うのは僕のエゴだろうな。
たとえ正体を知ってもきぃちゃんなら、SNSに書き込み拡散することはないだろう。なぜなら、そういうことをする人物がきぃちゃんにとっては地雷だからだ。
それなら僕ができることと言えば1つしかない。
「もし何かあったら僕が碧くんを助けるね」
僕は真剣な面持ちで碧くんの芽を見て言葉を放った。すると碧くんはフードから顔が見えるように少し出して、「それじゃあお願いしようかな?」と優しい笑みを浮かべて言った。
その瞬間、僕の心臓はドクンと跳ねた。心拍数が上がっているのが伝わってくる。
──ドクッ、ドクッ、ドクッ、ドクッ。
(な、なんだこれ)
謎の胸の高鳴りに戸惑った。なぜドキドキするのかわからなかったけど、僕だけに向けられた笑顔が特別キラキラして見えたのは一生記憶に残るだろう。
「きぃーちゃーん! お待たせ」
「朱里―! こっち! 席取ってあるよ」
中庭の日陰になるところにあるガーデンテーブル争奪戦に勝ったらしいきぃちゃんは、誇らしそうに手を振っていた。
定期的に行われる“ToRiを語る会”はお互いのスケジュールが合う時にしかできず、月1で開催されている。そんな会にまさか本人が参加する日が来ようとは思ってもいなかった。
「あの、田中さん。この前は初対面なのに図々しく名前聞いてすみませんでした」
ベンチに座るなり、向かい側に座っているきぃちゃんが勢いよく立ち上がって碧くんに90℃のお辞儀をして謝っていた。誠心誠意で謝っていたきぃちゃんに、碧くんも僕も驚いていた。
(そうだよね、碧くんが謝るつもりで来てたんだからそりゃ驚くよね)
「俺の方こそ、あの時きつい言い方してしまってすみませんでした」
碧くんも同じように立ち上がって、謙虚に頭を下げて謝り続けている。いいことなんだけど、事情を知らない周りの人が見たら異様な光景だろうな。
「ねぇ、お互いに謝ることできたわけだしそろそろお昼食べない? 時間なくなっちゃうよ」
いつまで経っても終わらなそうなところを僕が声をかけて終止符を打った。「そだね」と2人が声を重ねて言い、席に座ってお弁当や買ってきたものを広げた。
「うわぁー、きぃちゃんのお弁当いつ見ても綺麗だね」
きぃちゃんのは、茶色で固まらずバランスよく野菜が入っている色とりどりのお弁当。対して僕はお母さんが作ってくれた好物満載の茶色多めのお弁当。
「え、碧くんはそれで足りるの?」
「ん? 昔からそんなに食べないんだよね」
碧くんの手元には弁当箱ではなくコンビニの袋で、中からはおにぎり2つとホットスナックのアメリカンドックが出てきた。
男子高校生が食べる平均的な量と比べると少ない気がするが、大丈夫なのだろうか。
「せーの、いただきます」
みんなで手を合わせてお弁当を食べ進める。この時はテストの話や先生の小話など日常的な会話が多い。その中には碧くんの私生活の話も入っていたり。
「さてさて、そろそろ始めますか」
「何を?」
「私たちねある歌い手を推してて、その人はToRiって言うんだけど。その人について語る会を月に1回開いているの。ねー!」
「う、うん」
碧くんの視線が何かを伝えたそうにしている。なんというか「どんな話しているの?」と言いたそうに見てくる。僕は視線を逸らして気づかないようにした。
「始める前に、改めまして私は絲井きいです。好きに呼んでください」
「俺は透坂碧。あの時のはウソなので忘れてください」
「ウソなのは知ってました。事前に朱里から聞いて透坂という名字と違っていたので、田中って言われたときは驚いたけど」
きぃちゃんは笑いながらそう言った。
「透坂って言いにくいでしょ、俺も自分の名字だけど言いずらくて。だから俺のことは碧でいいよ。あと同い年なんだし敬語もなしね」
「う、うん! じゃあ碧って呼ぶね! 私もきいって呼んで」
碧くんが笑顔で伝えたのが見えたのか、きぃちゃんは顔を赤らめて反応していた。
2人はただ自己紹介していただけなのに、すぐに仲良くなっていた。その光景を見ているとチクンと胸が痛んだ。
(ん? なんだろう……?)
2人が仲良くなることは僕としても嬉しいことだ。だけどその嬉しさが引いて、口角が下がった気がした。どうしてチクンとしたのか、僕にはまだわからなかった。
「ではこれから“ToRiを語る会”を始めたいと思います。碧も参加する?」
「いいの?」
「もちろんいいよ。あ、でもToRiのこと知らないだろうしつまらないかも……」
「知ってる(てか本人)」
「本当!? もしかして碧もファンだったりするの?」
真実を知らないきぃちゃんは、目を輝かせている。その反面、真実を知っている僕は笑うのを堪えていた。
碧くんは否定するわけではなく、「まぁ、そんなところかな」と濁していた。
「今日はたくさん語れるね! ね、朱里」
「うん。そうだね」
こうして僕たちは本人が在籍する珍しい会が開催された。どういうことを語るのかはその日のテーマによるが、今日はToRiくんの好きなところについて語るらしい。
過去には曲について話になるとMV(ミュージックビデオ)を流して干渉したり、絵が得意なきぃちゃんはその場でスケッチのブックを広げて記憶に残っているライブ衣装を描いたりすることもあった。
「ToRiの好きなところは、リスナー(視聴者)1人1人を覚えていてくれるところや過去に貰ったものとかも大切にしてくれているところかなぁ。大昔の、初期の交流会に参加した時に『この前はバスボールありがとう。お風呂が楽しみな時間になったよ』って言ってくれたからプレゼントにはバスボール入れるようになった」
「それすっごくわかる! 僕も会うの2回目の時にはスペース入った途端『しゅりくん』って名前覚えててくれて呼んでくれたの今でも忘れられない思い出なんだよね」
「だってそれは朱里が初めての男性リスナーだったし」
感慨深く思い出に浸り、自身のエピソードを語っていると横から碧くんが割って入ってきて、裏話的なことを言い出す。
「だってそれは朱里が初めての男性リスナーだったし」
「え、でも僕の他にも男性リスナーいたじゃん。“さとり”さんとか“みーも”さんとか。あの人たちも古参ファンだったはず」
「あの人たちもだけど、俺が先に認知したのは“しゅり”だから。特別なんだよ」
僕は碧くんのあまりにも綺麗な微笑んだ顔にドキッとした。“特別”と言われてしまっては、嬉しすぎて返すことができない。
(僕って碧くんの笑顔に弱いのかな。さっきもドキッとしたし)
僕は口角が上がるのをなんとか抑えるが、その代償か変な顔になっている気がする。こんな情けない顔を見られて恥ずかしいけど、それ以上に嬉しさが勝ってしまう。
きぃちゃんをよそに2人の世界になっていた。
「ねぇ、どうして碧が朱里に認知とか言ってるの? まるでToRi本人が言っているみたい」
疑わず無邪気に笑ってそう言ったきぃちゃん。僕はビクッと身体をびくつかせ、「全然笑えない冗談だよ」と思うながら乾いた笑みを浮かべた。
その時、さっきまでなかった風が力強く吹いた。なびく髪を抑えるきぃちゃん。僕はテーブルに乗っていたランチョンマットが飛ばないように身体全体で必死に抑えた。
碧くんも袋が飛ばないように抑えていたが、それよりも向かい風でフードが脱げそうになっていた。
「あ、碧くん!」
左手を伸ばして抑えようとしたが一足遅く、碧くんの頭からフードが脱げてしまう。露わになってしまった銀髪にエメラルド色の瞳が僕を見つめる。
そして僕の声を聞いたきぃちゃんが、閉じていた目を開けて声を出しながら驚いている。
「朱里? どうかし……ふぇ?! ToRiくん!?」
タイミングが良いのか悪いのか、風が止んだ。そして僕と碧くんは起こったことの大きさに気まずすぎて固まってしまった。きぃちゃんは目の前に推しがいる出来事が大きすぎて、脳内処理できずキャパオーバーして固まってしまった。
(僕が守るって言ったばかりなのに、守れなかった……。反省するより前にきぃちゃんに黙ってたこと謝らないと)
「あのね、きぃちゃ……」
「きい、俺の正体黙っててごめん」
僕が話そうと声を出した時、碧くんが被さるように話し出した。
「朱里は知ってたんだけど、黙っててもらうようにたのんだのは俺だから。朱里を責めないであげてほしい」
碧くんは正体がバレたにも関わらず、僕に被害が向かないように頭を下げてくれている。こんな時に思うのもおかしいけど、優しさも好きだなと感じた。
「何言ってるの碧くん。僕の判断で勝手に黙ってただけだから碧くんは何も悪くないよ」
「いいんだよ。これはオレの責任だから朱里は何も責任感じなくていいよ」
「でも……」
お互いの庇い合いが続く中で、きぃちゃんがひと言「あのさ、庇い合うのはいいんだけど、ちょっと整理したいから待っててもらってもいい?」と言い放った。
僕たちは、きぃちゃんの脳内整理ができるまでその時を待った。その間はドキドキが止まらなかった。
腕組みの状態からテーブルに両肘をついて口元で手を組んだ。まるでアニメに出てくる幹部のようで、笑ってはいけないのに思わず吹き出しそうなのを堪えた。
「まず2人に言いたいのは、あたしは誰も責めないってこと。朱里が秘密にしてたのだって、私が同じ立場ならそうするだろうから」
「きぃちゃん……!」
「私、同担拒否のファンだから基本同じ人を推している人とは仲良くしない主義なの。だけど朱里と友達になったのは、相手を想える優しい人だって知ったからだよ。内緒にされていたとしても事情があるなら私は何も聞かないよ」
きぃちゃんは片目をウインクさせて、人差し指を口元の前に立てた。僕は彼女を頼もしい味方だと感じ、思わず抱きついた。
「ありがとう、きぃちゃん! 大好き!」
「うわぁ! もう、朱里ってばー。私も大好き!」
きぃちゃんもはじめは驚いていたが、僕を抱きしめ返して友情を確かめ合った。
後ろで見ていた碧くんが「そろそろ」と言って僕ときぃちゃんを引き剥がした。嬉しさのあまりハグしてしまっていたけど、女の子相手は失礼だったかもしれない。
「あ、ごめんね。嬉しくてつい……」
「私は全然」
「碧くんも、止めてくれてありがとう」
「まぁあれは俺のためにしたことというか…。するなら俺にしてほしい」
「なにそれー、可愛い。えい」
僕は碧くんに抱きつきハグをした。接触イベントなんて今までなかったから、本人から許可を貰えて遠慮なくこういうことができる。
「……っ」
「はい終わり。ほら続き話そう!」
次第に恥ずかしさが生まれ早々に身体を離した。
「碧、大丈夫?」
「大、丈夫じゃない……。突然来られると困る」
僕はもう隠す秘密がなくなったからか、晴れやかな気持ちで“ToRiを語る会”を引き続き行うことができた。
──キーンコーンカーンコーン。
盛り上がっている最中、予鈴が鳴りあちこちから生徒が校舎の中に消えていく。僕たちも教室に帰った方がよさそうだ。
「今日のところは解散かな。それにしても本人在籍の語る会、過去一盛り上がって楽しかったなー! またしようね!」
「僕も楽しかった。碧くんはどうだった?」
「イベントや手紙でしかこんな話聞く機会ないから新鮮だった。また誘ってよ、その時は俺がライブの裏話をしてあげる」
ファンにとってはお金を払ってでも聞きたい話を聞けるなんてご褒美だ。僕は「またしよう」と鼻息荒くして意気込んだ。
きぃちゃんとは文理区分が違うこともあって校舎が違う。だからいつも中庭で話し、渡り廊下でいつも別れていた。
「フナァァァゴ」
低音で鳴くその声は学校のアイドル、茶トラ猫のブナだった。学校が飼っているわけではなく勝手に住みついている猫だ。人によって懐くかどうか差が激しいと噂で聞く。
「ブナだ! ねぇちょっとブナのところ行くね!」
僕は猫が好きで、時間がないと知っていても出会ってしまってはいかずにはいられなかった。
「こんにちはー、僕、朱里。ブナに触りたいんだけどいいかな?」
少ししかめっ面、不機嫌そうな顔つきのブナに聞いてみた。答えてはくれないだろうから勝手に触ることになるだろうと思っていたが、人間の言葉がわかるのか僕の足元まで来て頭をこすりつけてくる。
僕はご希望通りに頭や身体を思いっきり撫でてあげると、ご機嫌になってお腹まで見せてくれて嬉しくなる。
そんな僕の後ろで何やら2人が話しているようだったが、僕はブナに夢中になっていた。
「碧に聞きたいことあるんだけどいいかな?」
「ん? 何?」
「もしかして碧が歌い手を引退してこの学校に転校してきたのって、朱里が好きだからって理由だったりする?」
周りに聞こえないようにきいが気を遣ってさりげなく聞いてきた。どこか確信があるような言い方だった。
今更隠したところでと思うけど、相手はファンの子だし正直言っていいものなのかと悩んだ。だけどこの子なら受け入れてくれそうなそんな気がした。
「……ずっと推してくれていたファンにはすごく申し訳ないと思ってるけど、俺は朱里が好き。それはもう、長い間」
ずっと閉じ込めていた思いを誰かに聞いてもらえて、どこか感傷的になってしまった。
「そっか……」
「ごめんね。こんな推しで」
「ううん。私、今日の2人の関係見て幻滅じゃなくて、いいなぁって思ったの。これは私が腐女子だからっていうのもあるけど、新たな推しを見つけたなーって。だから私は応援するし、支える。力にならせて」
とんでもない告白をしたと思うけど、俺ほど驚くことではない。
「腐女子……。そうか、そういう考えもあるのか。きい、ありがとう」
「あぁ。その声でありがとうって、久々すぎて耳妊娠しそう……!」
「何それ、はははっ」
俺は最強の味方をつけることができた。これからはたくさん頼らせてもらおう。
撫でられるのが満足したのかブナは立ち上がってどこかへ行ってしまった。もう終わりかと残念に思って後ろを振り返ると、2人はどこか楽しそうに語らっている。
「何話してるの?」
「「秘密!」」
2人は顔を見合わせてそう言い、歩き出した。
「え、なんで教えてくれないのー! 僕だけ仲間外れ!?」
僕はまだ知らない。碧くんの気持ちも応援すると言ったきぃちゃんの想いも。
◇
「あの透坂くん。透坂くんと仲良く鳴りたくて親睦会開きたいなと思ってて、よかったらカラオケどうかな?」
授業が終わり、荷物をリュックに詰めているとクラスの女子が碧くんの元へきて誘ってきていた。
最近クラス中が、ソワソワしているなと感じていたが親睦会を企画していたんだな。僕はクラスに馴染めていないからそんな情報一切入ってきていない。
「今日予定ないし大丈夫だよ」
(親睦会にカラオケをチョイスしたのは正解だ。大人数でも問題ないし、それに歌い手として人気があった人の歌を聞けるんだから実質ライブ会場だよ。だけど、僕は誘われてないから帰ろう)
リュックを背負って教室を出ようとすると、碧くんに腕を掴まれて引き留められる。
「朱里も行っていいよね?」
「え?」
誘われてないし、急な人数変更は迷惑すぎる。僕は首を振って断る。
「いやいや、僕が行っても……。それに今日は碧くんの親睦会だから僕のことは放っておいて行ってきてくれたら」
「朱里も一緒に行かないと俺はいかないよ」
「えー……」
僕は誘いに来た女子の視線を確認した。迷惑な顔をされたらどうしようってそう思っていた。だが「もちろん信代くんも来て! 私たちずっと話したいと思ってたの」と予想外の反応が返ってきた。碧くんの方を見るとうんと頷いている。
「じゃあ、僕も行こうかな」
「うん、行こう行こう! ねぇ、透坂くんと信代くん行けるって」
「おう、信代来るんか。いいじゃん。駅前のカラオケ予約しとくな」
クラスの仲の良さと謎の連携が上手いことを初めて知った。それだけクラスと関わってこなかった証拠だと痛感した。
学校からカラオケ店まで移動している時も、部屋に入ってからも誰かしら話題を振ってくれていた。きぃちゃん以外に学校でこんなに話したことはない。
「信代って好きなことあるの?」
「えっと、少し前まで歌い手を3年ほど推してた」
「最近歌い手って人増えたよね。もしかしたら知ってる人かも、なんて名前?」
「僕が推してたのはToRiって名前の男性歌い手なんだけど……」
いざ言うと知っていなかった時の気まずさが怖くなる。だけど、耳を傾けて聞いてくれていた人たちは「知ってるー!」と反応してくれた。
「あれだよね、アイスのCMで流れてた」
「ある飲み物のCMもでしょ?」
「うん、そうだよ」
僕は思いっきりToRiくんについて語った。引かれるかと思ったけど、みんな親切に最後の最後まで聞いてくれた。だけど世間的にも小さいニュースになった彼の引退を知らない人はいないようで。
「でもToRiさん? 引退したって聞いたけど。それでも推すの?」
「うん、だけど僕の推しはあの人以外ありえないから」
微笑むように言うと女子たちが「健気―」と声を揃えて言った。
「信代くんは彼女とかいるの?」
「いないけど……」
「あの子は? 理系の絲井さんとはどういう関係?」
「きぃちゃんは同じ推しが好きな友達だけど」
どうしてその話に至ったのかわからず戸惑っているが、誰も助けてくれなさそう。
「朱里にあまり絡まないであげてよ。それに朱里は俺のだから狙わないでね」
反対側に座っていた碧くんが隣に座り、僕の肩を組んで言い女子たちから助けてくれた。でもわざわざ俺のと言わなくてもよかったのでは? と僕は思った。
「透坂、歌上手いんだろ? 1曲歌ってくれよ」
碧くんはマイクを手渡された。曲を入れる機械で選び登録するとすぐに音が流れた。それは先ほど話題に出ていたアイスのCMで流れていたToRiくんオリジナル曲だった。
みんなが聞いたことあるメロディーにテンションを上げて、身体を揺らしてノリだす。そして碧くんが歌い出すと、聞き惚れて動きが止まった。
そう碧くんの歌声は知らない人をも魅了する。
「あざしたー」
「うおぉぉぉぉ!」
歌い終わるとみんなが碧くんの周りに集まり、すごい賞賛していた。それを見て喜ぶのが僕である。
「歌い手してたって本当ぽいな。なんて名前?」
「これ」
碧くんは曲を選ぶ機械を指さした。全員の視線がそちらに向き驚きの声が上がる。そこに書かれていたのはToRiだったからだ。
(それはそうだよね)
僕1人だけが驚かない状況にも察しよく見つかる。
「信代は知ってたん。てか、相手推しやって」
「そうだよ! そんな落ち着いてられないでしょ」
「まぁ、少し慣れたから」
「そういうものかぁ?」
正直慣れてはいない部分の方が大きいけど、周りが驚いているのを見ると少しだけ安心した。



