(……色々あったんだなぁ)

お風呂に漬かりながら、春おばちゃんの話を思い出していた。床がぐにゃりと曲がる……わたしと同じじゃん……

「私、あと一歩遅かったら……ヤバかったと思う」
おばちゃんの言葉を思い出し、「わたしもいづれ……そうなるのかな」とぼんやり考えてしまう。

(ん……?)

ふと気付くと、お風呂場の窓が少し開いていて、サーっと気持ちの良い夜風が入り込んでいた。

(気持ち良いな……)
(……空気に変な臭いが付いてない……)

静寂に包まれた暗闇に包まれた、窓の外。耳を澄ませば、遠くの方から聴こえるわずかばかりの虫の音――そしてとにかく濃い緑の香り。

(何ここ……ほんと落ち着く……)

ちゃぷん……と肩まで湯船に漬かり、穏やかに目を閉じる。

(はぁー……)

窓を開ければ、車の音や街の生活音が聞こえ、鼻の奥を刺激するような曇った臭い……わたしの住んでいるマンションや電車の中とは、世界が違う……

(同じ日本なんだ……)
(こんな場所が……あるんだな……)

無音の世界で、心と体が溶けていくように感じた。

「……わっ!!!」
目を開けて、思わず声を出してしまった。目の前に、ペペちゃんとハチくんがぬっと静かに立っていたから。

「ちょっとー……驚かさないでよね……どうしたの?」
じっと浴槽の横で立ったまま、微動だにしない。

(……何? 何? どうしたの?)

少し小首を傾げながら、つぶらな瞳で真っすぐにわたしを見つめる――

「こらっ!」
おばちゃんの声が、お風呂場の外から聞こえた。

「あんた達……駄目でしょー? 雪乃ちゃん、今お風呂入ってるんだよー」

「雪乃ちゃん、ごめんねー? 勝手に入っちゃって」
「あっ、大丈夫です」
わたしは外に向かって、少し大きな声を出す。でも、お風呂場の入口も少し開けてある。

「実はさ、お風呂場……この子達の通り道なんだよね」
「……通り道?」
「そう。お風呂場を通って、外に遊びに行くの」

(なるほど……そういうことか……)

お風呂に入る前に、おばちゃんが「窓、ちょっとだけ開いてるけど、気にしないでね? たぶん大丈夫だと思う」と言っていた理由がやっと分かった。「大丈夫だと思う」の意味が分からなくて、ちょっと気になっていたけど。

「そっか。あなた達の通り道だったんだね」
にこっと笑ったけど……猫たちはきょとんとしていた。

――

――

――

横浜と違って、ここは夜エアコンを付けていないことに驚いた。9月に入ってもまだまだ夜は暑くて……家じゃ絶対に考えられない。

「和室で寝たら良いよ」
春おばちゃんは、2階。わたしは1階リビング横にある和室で寝ることにした。6畳ほどの広さだけど、とにかく窓が広くて解放感が凄い。「だってコンクリートに囲まれた家じゃ……息苦しいでしょ?」とおばちゃんは言っていた。

(……)

布団を敷いて寝ようとしたわたしを、リビングから3匹の猫たちがじっーっと見つめている。

「何? あなた達……寝るの?」
声をかけてみたけど……返事は無い。

「寝ないの? ……わたし、寝るよ?」
最後に声かけだけをして、わたしはブランケットを布団代わりに胸までかける。一人で遥か山奥にある旅館に泊まりに来ているようで……疲れが体を通って、地面に抜けて行くような感じがする……。

あっという間の、1日だった。春おばちゃんに……そんな事があったなんて、わたしは全く知らなかった。わたしの中では、いつも笑顔で優しいおばちゃんという存在だったから。

(……大変だったんだろうなぁ……)

いつもと違う天井を、ぼんやり見つめながら思う。

ここは静かで良い。のんびりした時間が流れて……たくさんの緑、そして広い場所を見ているだけで、とっても癒される。「そういえば……大分に来てから、まだ目まいが出てないな」とわたしは気が付いた。

(わたしの家も……こんな感じだったら、良いのにな……)

うとうとしているうちに、わたしは眠りに落ちた。