テレビの音だけが部屋に響いている。
夜のニュース番組が、政治家のインタビューを映していたが、内容は頭に入ってこなかった。
隼人はソファに寝転がり、乾いた洗濯物を目の前に積み上げたまま、動く気になれずにいた。

「まあ……明日やればいいか」

視線の先には、脱ぎっぱなしのシャツや、カーペットに落ちた小さなホコリの塊。
隼人はそれらを見て見ぬふりをし、リモコンを手に取るとチャンネルを変えた。
バラエティ番組が始まり、賑やかな声が流れ込んでくる。

「ふぅ……」

ソファの脇では、ちょびが毛づくろいをしている。

「お前は気楽でいいな」

隼人がそうつぶやくと、ちょびはちらりとこちらを見たが、すぐに興味を失ったように目を閉じた。
静かに喉を鳴らす音だけが微かに聞こえる。
いつの間にかテレビの音も遠くなり、隼人の意識は少しずつ夢の中へ沈んでいった。

——その時だった。

「ちょっと!」

甲高い声が、耳元で鳴り響いた。

「えっ?」

飛び起きた隼人は、周囲を見回した。
テレビはついたまま。
相変わらず、洗濯物はそのまま山積みになっている。

「なんだ、夢か……」

再びソファに身体を預けようとしたその瞬間——

「それ畳みなさいよ!」
「は?」

隼人は思わず声を漏らし、再び周囲を見渡す。
声の主など、どこにもいない。
だが、じっとこちらを睨む「猫」がいた。

「ちょび……?」

猫は動かない。
ただ、まっすぐに隼人を見つめている。

「……今の、お前か?」

もちろん返事はない。
隼人は軽く頭を振って、「疲れてるんだ」と自分に言い聞かせた。
だが、それからも状況は変わらなかった。

翌朝——

「ホコリがたまってるじゃない!」

掃除機をかけるつもりもなく、コーヒーを飲んでいた隼人の耳に、再び声が飛び込んできた。
視線を下ろすと、ちょびがホコリのたまった部屋の隅をじっと見つめている。

「おいおい……」

隼人は呆れ顔でソファに座り込んだが、その瞬間——

「インスタントばっかり食べないの!」

キッチンの流し台に並ぶカップ麺の容器が、まるで罪の証拠のように見えた。

「シャツぐらいアイロンかけなさいよ!」

乾いたまま放置していたシャツを指さしているように見える。

「ちょっと待て……まさか」

隼人は猫をじっと見つめた。
ちょびもまた、静かに見返してくる。
その目が、どこか母親に似ている気がした。

「気のせいだよな……」

独り言のようにつぶやきながらも、隼人はふとシャツを手に取り、ソファの横にあった小さなアイロンを引っ張り出した。
少しずつアイロンをかけながら、「いや、馬鹿な話だ」と自分を諭す。

「猫がしゃべるなんてあるわけが——」
「なんで畳んだものをすぐしまわないの!」

隼人は驚いてアイロンを落としそうになった。

「おい!お前やっぱりしゃべってるだろ!」

ちょびは涼しい顔で毛づくろいを続けている。
隼人は額に手を当て、深いため息をついた。

「母さん……なのか?」

問いかけると、ちょびがピタリと動きを止めた。

「あんたの世話なんか母さんしかできないでしょうよ!」
「!!」

隼人は飛び上がらんばかりに驚いた。
猫が、明確に「喋って」いた。

「いやいやいや……」
「全く、しっかりしなさいよ!いつまでたっても嫁が来ないじゃない!」

隼人は頭を抱えた。

「母さん、死んだはずだろ……何で猫になって……」
「そんなの私が聞きたいわよ。ああ、でも……」
「何?」
「ちょびが母さんの耳を少し食べちゃったからじゃない?お腹すいてたみたいで……」
「待って、そんなホラーな出来事知りたくなかった。え……医者そんなこと言ってなかった……」
「やーねぇ。いい加減な藪医者だったんじゃないの?まあ、仕方ないわよね!ちょびもお腹すいてたのよ。まさに血肉になったわねー」

顔を青くする隼人をよそに、ちょび(母)は豪快に笑い飛ばしてしれっとした顔で座り込む。

「そんなことより!これからは、ちゃんと片付けるのよ」
「……何で死んでまで……」
「そりゃ、あんたが心配だからよ」

そう言い切る声は、母そのものだった。
隼人はソファにもたれかかりながら、頭をかきむしった。

「どうなってんだよ、これ……」

ちょびは満足そうに、再び喉を鳴らし始めた。
朝、目覚ましの音が鳴るより先に、隼人は目を覚ました。
以前はギリギリまでベッドから出なかったが、最近は自然と早く目が覚める。
「……今日も早起きだな」