「おはよー」
気だるい曇り空の朝。リビングに下りたわたしは、いつものようにお母さんに言葉をかける。
「あぁ……起きたの。お早う」
「もう少しでご飯、できるから」
朝ごはんの支度をしながら、ちらりとわたしを見る。この雰囲気が変わるまで、あとわずか。
ギイ
お父さんが無言で椅子を引く。いつものように緊張感がリビングに走る。
「お父さん。おはよう」
「……あぁ」
「……」
これでお父さんとの1日の会話は終わり。次は、明日の朝ごはんの時まで会話はない。
(……1回目……使ってみようかな)
ずっと気になっている、朝のリビング。いや、それどころか……お父さんとお母さんを見ていると「家……大丈夫なのかな」と心配になる。この砂時計……一番使いたいと思っているのは、もちろん学校。でもその前にこれが本当なのかどうか、テストしてみても良いかなと考えていた。
(どうせ何も変わらなくても……)
「3回までしか使っちゃいけないよ」
黒猫の顔が頭をよぎる。
「3回か……」一瞬だけ躊躇した後に、テーブルの下で黒猫から渡された砂時計をギュッと握り締めた。
(思い浮かべろ……とか言ってたっけ?)
(あっ……!)
目の前の景色が急激に白くなった。……というより、一気に我慢できないほどの眠気に襲われて……起きていられなくなった。そしてわたしはその場で眠りに落ちた。
――
――
――
「なぁ、今日の夕ご飯、何」
「えっ? まだ朝ご飯を食べてるところなのに……もう夜の事、考えてるの?」
(何……? どこ? ここ……)
目の前にいる男性と女性……明らかに昔のお父さんと、お母さんだ……。お父さんは白髪がない。お母さんは目尻のしわがない。きっと……わたしが小学生の頃。
懐かしい。
本当に懐かしい。
わたしの記憶、そのもの。
お父さんとお母さんが……仲が良かった時。
この頃は毎日が楽しかった。
「おはよー」
(……えっ!?)
わたしだ……わたしじゃん。
あのパジャマ……懐かしいなぁ。確か、6年生の夏くらいまで着てた。どうして捨てたんだっけ。思い出せない。
じゃあ、この『わたし』は? 誰?
「あー! 良い匂い」
「歯、磨いてきなさい」
「はぁい!」
わたしは歯を磨きに行った。そうだ。この頃はまだ、歯を磨いた後にご飯を食べて……また磨いていたっけ……。
「なぁ。香織も大きくなったよな。だいぶ伸びたんじゃないか?」
「そうかしら。全然気付かなかったけど……あなた、ちゃんと見てるのね。香織のこと」
「そりゃそうだろ」
お父さんとお母さんが笑ってる……。
『わたし』は嬉しくて涙が出てきた。いつ振りだろう。家の中に笑い声が響くのは。
「さ! 食べようかなぁ」
わたしが戻ってきた。これから朝ごはん。味噌汁とご飯からは白い湯気が立ち上っている。おかずは……ハンバーグか。昨日の残りに見える。
「いただきまーす!」
「はい」
わたしが味噌汁を飲む。白い湯気が強く、太く立ち上る。相当熱いように見える。
「熱いから。ちゃんとフーフーしなさいよ?」
「うん。大丈夫」
ズ……ズ……
「おぉ! 美味しい!」
「あら、昨日も飲んだのにね」
お母さんが優しくわたしに微笑む。
「一晩置いて……味が変わったんじゃないのか? カレーみたいに」
お父さんの言葉に、わたしもお母さんも笑っている。
「これ、昨日のハンバーグ?」
わたしがお母さんに尋ねている。そうだ。そんな日……あった気がするな。
「そうよ。昨日……美味しかったって言ってたから。ちょっと冷蔵庫に残しておいたの」
「やった!」
わたしはお母さんのハンバーグが大好きだった。そうだ……何となく、思い出してきた……
(あっ……! そうだ……)
(……この日……! 思い出した!)
「いっただーきまーす」
わたしがハンバーグを口に入れようとしている――
(ダメ!!!)
(それ……食べちゃダメ!!!)
『わたし』はわたしに向かって、力を振り絞って叫んだ。……もちろん声は届いていない。
「……!?」
わたしがピクリと反応したのか……フォークを持つ右手を止めた。
「……」
「香織? どうしたの?」
「……ううん? 何でもない」
『わたし』の声が……わたしに届いたみたい……。ハンバーグが刺さっているフォークをテーブルに静かに置いた。
「どうした? 食べないのか?」
「うーん……ね、お母さん」
「何? どうしたの?」
「わたし……お母さんのハンバーグが……良いな」
「えっ? 何を言ってるの?」
「何となく」
「……まぁ、良いけど。じゃ、交換しましょうか」
(……あっ!)
目の前が……また一気に白くなり、意識がぐーっと遠ざかっていく……
「はっ……!」
「ん? 香織、どうしたんだ?」
お父さんが不思議そうな顔でわたしを覗き込む。
「え? お、お父さん?」
「何言ってるんだ? 当たり前だろ。何か変な物でも食べたか?」
「何言ってるの。これから朝ごはんなのに。まだ食べてないでしょ?」
お父さんとお母さんが声を上げて笑う。笑っている……。
「えっ……? えっ?」
頬を涙が伝う。何年振り……?家の中で笑い声が聞こえたのは……お父さんとしゃべることができたのは……お母さんもいらいらしてないじゃん……。
「泣いてるのか? どうした」
「いやっ、何でもないよ!」
「……そうか。なら良いけど」
お母さんがテーブルの上にハンバーグを並べる。
「香織もお年頃ですから。色々あるのよ。お父さんは空気読めないわね」
にこやかにわたしを見ながら、お母さんが言った。ゴホン!とお父さんが咳払いする。
気だるい曇り空の朝。リビングに下りたわたしは、いつものようにお母さんに言葉をかける。
「あぁ……起きたの。お早う」
「もう少しでご飯、できるから」
朝ごはんの支度をしながら、ちらりとわたしを見る。この雰囲気が変わるまで、あとわずか。
ギイ
お父さんが無言で椅子を引く。いつものように緊張感がリビングに走る。
「お父さん。おはよう」
「……あぁ」
「……」
これでお父さんとの1日の会話は終わり。次は、明日の朝ごはんの時まで会話はない。
(……1回目……使ってみようかな)
ずっと気になっている、朝のリビング。いや、それどころか……お父さんとお母さんを見ていると「家……大丈夫なのかな」と心配になる。この砂時計……一番使いたいと思っているのは、もちろん学校。でもその前にこれが本当なのかどうか、テストしてみても良いかなと考えていた。
(どうせ何も変わらなくても……)
「3回までしか使っちゃいけないよ」
黒猫の顔が頭をよぎる。
「3回か……」一瞬だけ躊躇した後に、テーブルの下で黒猫から渡された砂時計をギュッと握り締めた。
(思い浮かべろ……とか言ってたっけ?)
(あっ……!)
目の前の景色が急激に白くなった。……というより、一気に我慢できないほどの眠気に襲われて……起きていられなくなった。そしてわたしはその場で眠りに落ちた。
――
――
――
「なぁ、今日の夕ご飯、何」
「えっ? まだ朝ご飯を食べてるところなのに……もう夜の事、考えてるの?」
(何……? どこ? ここ……)
目の前にいる男性と女性……明らかに昔のお父さんと、お母さんだ……。お父さんは白髪がない。お母さんは目尻のしわがない。きっと……わたしが小学生の頃。
懐かしい。
本当に懐かしい。
わたしの記憶、そのもの。
お父さんとお母さんが……仲が良かった時。
この頃は毎日が楽しかった。
「おはよー」
(……えっ!?)
わたしだ……わたしじゃん。
あのパジャマ……懐かしいなぁ。確か、6年生の夏くらいまで着てた。どうして捨てたんだっけ。思い出せない。
じゃあ、この『わたし』は? 誰?
「あー! 良い匂い」
「歯、磨いてきなさい」
「はぁい!」
わたしは歯を磨きに行った。そうだ。この頃はまだ、歯を磨いた後にご飯を食べて……また磨いていたっけ……。
「なぁ。香織も大きくなったよな。だいぶ伸びたんじゃないか?」
「そうかしら。全然気付かなかったけど……あなた、ちゃんと見てるのね。香織のこと」
「そりゃそうだろ」
お父さんとお母さんが笑ってる……。
『わたし』は嬉しくて涙が出てきた。いつ振りだろう。家の中に笑い声が響くのは。
「さ! 食べようかなぁ」
わたしが戻ってきた。これから朝ごはん。味噌汁とご飯からは白い湯気が立ち上っている。おかずは……ハンバーグか。昨日の残りに見える。
「いただきまーす!」
「はい」
わたしが味噌汁を飲む。白い湯気が強く、太く立ち上る。相当熱いように見える。
「熱いから。ちゃんとフーフーしなさいよ?」
「うん。大丈夫」
ズ……ズ……
「おぉ! 美味しい!」
「あら、昨日も飲んだのにね」
お母さんが優しくわたしに微笑む。
「一晩置いて……味が変わったんじゃないのか? カレーみたいに」
お父さんの言葉に、わたしもお母さんも笑っている。
「これ、昨日のハンバーグ?」
わたしがお母さんに尋ねている。そうだ。そんな日……あった気がするな。
「そうよ。昨日……美味しかったって言ってたから。ちょっと冷蔵庫に残しておいたの」
「やった!」
わたしはお母さんのハンバーグが大好きだった。そうだ……何となく、思い出してきた……
(あっ……! そうだ……)
(……この日……! 思い出した!)
「いっただーきまーす」
わたしがハンバーグを口に入れようとしている――
(ダメ!!!)
(それ……食べちゃダメ!!!)
『わたし』はわたしに向かって、力を振り絞って叫んだ。……もちろん声は届いていない。
「……!?」
わたしがピクリと反応したのか……フォークを持つ右手を止めた。
「……」
「香織? どうしたの?」
「……ううん? 何でもない」
『わたし』の声が……わたしに届いたみたい……。ハンバーグが刺さっているフォークをテーブルに静かに置いた。
「どうした? 食べないのか?」
「うーん……ね、お母さん」
「何? どうしたの?」
「わたし……お母さんのハンバーグが……良いな」
「えっ? 何を言ってるの?」
「何となく」
「……まぁ、良いけど。じゃ、交換しましょうか」
(……あっ!)
目の前が……また一気に白くなり、意識がぐーっと遠ざかっていく……
「はっ……!」
「ん? 香織、どうしたんだ?」
お父さんが不思議そうな顔でわたしを覗き込む。
「え? お、お父さん?」
「何言ってるんだ? 当たり前だろ。何か変な物でも食べたか?」
「何言ってるの。これから朝ごはんなのに。まだ食べてないでしょ?」
お父さんとお母さんが声を上げて笑う。笑っている……。
「えっ……? えっ?」
頬を涙が伝う。何年振り……?家の中で笑い声が聞こえたのは……お父さんとしゃべることができたのは……お母さんもいらいらしてないじゃん……。
「泣いてるのか? どうした」
「いやっ、何でもないよ!」
「……そうか。なら良いけど」
お母さんがテーブルの上にハンバーグを並べる。
「香織もお年頃ですから。色々あるのよ。お父さんは空気読めないわね」
にこやかにわたしを見ながら、お母さんが言った。ゴホン!とお父さんが咳払いする。



