「ね、洋子ちゃん」
「ん? 何?」
「トイレ。寄って良い?」
「あっ、そうだね。そうしようか」
突き当りの廊下を右に曲がる。少し歩けば……左側には女子トイレ。

(先回りしよう……)

ふわっと宙に浮いた浮遊霊のわたしは、紙飛行機のようにふらふらと縦に揺れながら、2人を追い越した。

(……これで良し)

「でさぁ……」
「えー! ……なんだ」
2人の声が段々と近づいてくる。確か、最初に手を洗ったはず。その時に……。朧気だった記憶が、断片的に浮かび上がってきていた。

「ちょっと手、洗うね」
「うん。……わたしも洗おっかな」
『わたし』が蛇口を捻ったその時……

「あれ?」
「どうしたの?」
「……水、出ないな」
「えー…? 何それ。……あれ? こっちもだ」

(これで……どうだ……)

わたしは『わたし』が捻っている蛇口を、全身全霊で捻ることができないように、押さえつけていた。指がちぎれて無くなってもいい……そんな覚悟を決めていた。

(お願い……もう……回さないで……)

わたしの指、そして腕の筋肉は限界を迎えていた。隣の洋子ちゃんの蛇口には、2人が来る前に、紙をぐちゃぐちゃにして突っ込んである。後でちゃんと取るつもり。

(痛―――っ……ちぎれる……)

「あれぇー? 何で出ないんだろ……」

(お願いーーーーー……神様……)

キー……ンコーン……カーン……コーン……
キーン……コーン……カー……ンコー……ン

「あっ! やばっ……」
「予鈴じゃん! 香織ちゃん、行こ行こ!」
「うん!」
2人はカバンを手に取り、トイレから走って出ていった。わたしが勝利を収めた瞬間だった。

(……やった……! 勝った……)
(指……痛ああ……)

真っ赤に腫れあがった5本の指と手のひら。「これで、もう大丈夫なんだ」と思いながら眺めていた時……また景色が急激に霧に覆われた――

(これで……もう、大丈夫のはず……)

意識を失いながら、わたしは一人、微笑んでいた。