――分かっていたことだが、アイザは目立つ。
口を開けば、ひな鳥のような舌ったらずな言葉を繰り出すが、黙っていれば、どこぞの国の皇太子です、なんて言われても納得するような品が、彼にはある。
身体は細身で、そこがまた彼の柔和な雰囲気を醸し出していて、見た目の癒し効果を上げていた。
だからか――何気なく入ったカフェの中で、彼の存在感は異彩だ。アイザが狭いテーブル同士の通路を通れば、皆顔を見上げるし、振り返って注目している。
ちょっと休みたいと、俺が本屋巡りの合間に歩き疲れて根を上げると、アイザは快く頷いて、手近なコーヒーショップに入ってくれた。路面に並んだカウンター席が空白なのを見つけて、慌てて席を確保し――今に至る。
よく見れば、店内は広く、天井も高いので開放感があるが、その分突き刺さってくる視線の数が多いが、もう仕方ない。彼はどうしようもなく見た目がいいので目立つ。
俺は半ば諦めながら、アイスコーヒーの透明カップを揺らし、からからとなる氷の音に耳を傾けた。
「ごめん、疲れた?」
そう覗き込まれて、反射的に大丈夫だよ! と身を引くと、不意に彼の右手が伸びて来て、頬を包んでくる。温かくて柔らかい手のひらに、心臓が大きく音を立てた。
「俺、楽しくて、ちゃんと……えっと、シュンが楽しいとか疲れた、見てなかった」
そう言いながら眉を下げるから、俺は慌ててその言葉に首を横に振った。
「そんなことないよ、俺も楽しい」
「本当?」
アイザはこの街の本屋を良く把握しており、通常書店から、個人店や古書店、色んな本屋を知っていてた。俺も本屋は好きだし、特に古書店は、運が良ければ、絶版の品にも巡り合えるから、教えてもらえるのは逆に有り難い。
「本当。俺も本屋好きだし、古本屋のことも、知らなかったから、連れてってくれて、嬉しかった」
確かに歩き疲れたけど、それは俺の情けない体力の問題であって、決してアイザが気にすることではない。
「よかったぁ……」
そう言いながら、彼の右手が優しく俺の頬を擦る。何だろう、どういう仕草なんだろうと、彼を見ると、思いのほか優しい双眸で、俺の事を見つめている男と目が合った。
それだけの事なのに、何となく目が離せなくて、無意識に全ての神経がアイザへと向かってしまう。
「シュン、肌きれいだね。ずっと触りたい」
「な、何言ってんだよ。女の子に言えよ」
男に掛ける言葉じゃないだろ、と少し突き放して、その手から逃げると、
「シュンに言いたいよ」
と、なおも追いかけてくる。
俺はストローを軽く噛んでから、苦味のあるアイスコーヒーをすすった。
「そんな事言ったら、アイザだって肌きれいだよ」
そう言って軽くその頬を抓ってやる。彼は「えへへ」と笑いながら、表情を崩した。
その無防備な笑顔に、思わず胸の奥が甘く締め付けられてしまう――これが、所謂「母性を擽られた」という事なのだろうか。
俺はとくとくとなる胸の内側を無視して、そう言えばと、ストローから唇を離した。
「アイザってハーフ?」
「ばあちゃん日本人」
「クウォーターってこと?」
「そう、それ」
彼はストローから唇を離すとスマホを取り出し、一枚の写真を見せてくれる。そこには恐らく彼の父親と母親。そして幼いアイザ。更にその三人の前に一人いる初老の女性は、物静かなアジア系の顔をしていた。
「ばあちゃんはずっとアメリカにいるよ。優しくて、料理上手」
嬉しそうに眦を下げて笑うアイザに、彼が愛されて育ったことが伺え知れた。
「卵焼き、てんぷら、みそ汁……ばあちゃんが教えてくれた。でも、煮物のサトイモちょっと苦手」
ねちょってする。
そう言って肩を竦めながら苦笑いをして、首を横に振った。俺もなんだかつられて表情を崩すと、
「シュンの好きなものは?」
と会話を続けられた。
「好きなもの。えーっと、牛丼とか」
「牛丼、おいしいね。あー、初めて日本に来た時、……料理できなくて、夕ご飯食べた。初めて」
「安くて美味しいよね」
「早くて、安くて、うまい、でしょ?」
「よく知ってるね」
「ネットで見た」
「じゃあ、アイザの好きな食べ物は?」
――傍からみたら、何とも滑稽で下らない会話だろうと思った。
それでも、一生懸命話してくれるアイザの言葉を聞くのは、本を読む事と同じくらい好きだと思える。それはきっと、真っ直ぐな彼の言葉が、きちんと俺と向き合ってくれているのが、実感できているからかもしれない。
俺の言葉一音逃さずに、真っ直ぐと見詰められる目が、優しくて温かい。
「みそ汁に、卵入れるの好き」
「卵?」
「そう、ぐつぐつってなった味噌汁に、卵入れて、ぐつぐつして、半分とけてる卵、美味しい」
「今度やってみよう」
上手く想像できないけれど、卵は大体なんにでも合うという見解があるので、俺はアイザのお勧めに頷いた。
「……シュン」
「なに?」
小学生のような質問が飛んで来るのかと思いながら、軽く構えていると、
「恋人はいる?」
予想にもなかった質問が飛んできた。思わずアイザを見ると、彼は少し不安気に眉を下げて、俺を見つめていた。
どうしてそんな顔するんだろう。
「い、いないよ。いるわけないじゃん!」
「女の子と男の子、どっちも好きな人いない?」
どっちも? 俺はアイザにどんなふうに思われているのだろうか。
「いないよ、そういうのない!」
強く否定して首を振り、アイスコーヒーを半分一気に飲み干すと、隣から大きな息が零れた。
「安心」
「なんで安心?」
「だって、恋人いたら……すごくやだ」
理由ははっきりとしないが、これも親鳥を誰かに取られるのが嫌だと言う、雛鳥の心理状況のようなものだろうか。拗ねたように唇を曲げて、視線を落とすアイザの横顔には、十六歳相応の素直さがあって、少しだけそれが可愛く思えてしまう。
「いないし、できないよ」
俺がわしゃりと彼の柔らかい髪を撫でると、彼はわずかに首を横に振った。
「シュンはすごく魅力的。だから、やだよ」
「ないない」
「あるよ」
そう言って顔を上げたアイザの顔が、あまりにも真剣で、でもすごく弱くて。
彼は俺の肩先に、額を甘えるように、擦りつけてきた。
「シュンは、ぼくの」
――シュンは、ぼくの。
日本語の語彙が上手く使え切れていないのは、重々承知ではあるが、その独占欲の含まれた言葉に、心臓が大きく鳴ってしまう。
――男相手だというのに。
俺は自分の反応を否定するように、軽く頭を振ってから、
「あまったれめ」
と、呟いた。
それが精いっぱいだ。
「あまったれめ、ってなに?」
顔を上げた少しだけ情けない男の顔は、独り占めしたくなるくらい可愛らしくて眩しい。俺が女の子だったら、呆気なく恋に落ちるに違いない。
「甘えん坊」
「……赤ちゃんみたいってこと? いい、それでも」
アイザの大きく骨ばった長い指先が俺の、俺のアイスコーヒーを支える手に触れる。促されるままに、ゆっくりとカップを置けば、指先に指先が絡んできて、強く結ばれる。
それがあまりにも自然な仕草で流されてしまい、俺は繋がった手を見てから、顔が沸騰したかのように、熱くなるのを感じた。
「手……っ!」
「うん、つないじゃった」
そう言って悪戯に成功した子どものように、アイザが笑う。
「今日はずっとこのまま」
「やだよ、恥ずかしい」
「恥ずかしいないよ、うれしい」
――うれしい。
その一言に、次に用意した否定の言葉が、咽喉で小骨のようにつっかえる。胃に戻してしまう事もできず、かと言って口から放つ事も出来ない。
どうも俺は、アイザに「うれしい」と言われるのが弱いらしい。
悔し紛れに、じろりと軽く睨んでやると、
「かわいい」
と、何故か喜ばれてしまった。
「……あまったれめ」
「あかちゃんでーす」
「でっけー赤ちゃんだな」
嫌味でそう言ってやると、それを嫌味と気付いているのかいないのか、アイザは笑って、更に強く俺の手を握り込んだ。
――ま、いいか。



