「新学期始まっちゃったのか~」
 一緒に漫画本の在庫を調べていた綾人さんが、嘆くように呟いた。
「週二日三時間は短くね? もっと入ろうよ」
「適度でいいです。俺は此処の社割と本代が稼げれば、何も文句はないので」
「つれなーい」
 綾人さんはそう言いながら項垂れる。
 俺のどこを気に入ったのか、彼はバイト始めた当初から、(きっと恐らく、間違いなく)あまり愛想の良くない俺のことを、気に入って、目をかけてくれている。
彼は俺が人との対話が難しい時や、言葉に迷って黙りかけてしまうと、すぐに退助舟を出して、場を繋いでくれる有り難い存在だ。
「三波くん、これの三巻いつ発売だっけ」
「いつだったかな……」
 俺は仕事用のスマホを取り出し、新刊情報を呼び出す。
「来週ですね」
「なら発注掛けてもらった方がいいかもな、一、二巻少ない」
「最近人気ですもんね」
 少年漫画の列を眺めながら、二人で最近の流行りについて話す。漫画はあまり読まないけれど、綾人さんの「売れる本の傾向」についての話を聞くのは、割と好きだ。
 芯がやじろべえのようにふらついているところはあるが、話してみると、意外と綾人さんの話し口は論理的なのだ。
「ちょっと、綾人さんのお勧め漫画読みたくなりました」
「お、読んじゃう? 次のシフトん時持ってくるよ」
「ありがとうございます」
 嬉しそうに笑う彼の隣で、本の整理を終えると、俺は折っていた腰を伸ばして、レジカウンターへと視線を投げる。
 夕方時となると、学校や仕事を終えた人で、本屋は幾分賑わってくるのだ。しかし、今はまだレジ待ちは二人程度で、飛んでいくほどでもない。
「俺バックルームで荷ほどきしてくるわ」
「俺はこのまま在庫チェックしてますね」
 漫画棚の整理が終わると、俺はフロアへ、綾人さんはバックルームへと向かった。
 店内は明るく、天井が高いこともあり開放感がある。俺は文芸書棚へと向かい、エスカレーターの目の前で、目立つように陳列されている棚を眺めた。
 有名新人賞の処女作品や、来年映画化が決まっている話題の作品。この書店での、セレクト本。社員さんによって丁寧に添えられたポップなどに目を通しながら、俺はこの場所が好きだなあと、実感する。
 何をしていても、飽きることがない。
 荷ほどきは新刊をいち早く手に取れる感動があるし、こうして在庫確認も、売れていく傾向を観察をする事ができる。社員さんたちの書くミニポップも好きだ。
 そんな事をぼんやりと考えていると、
「シュン」
 と声を掛けられる。聞き慣れた声に振り返り、名前を呼ぼうと開きかけた口のまま、俺は固まってしまう。
 目の前には、エスカレーターから昇ってくるアイザがいた。俺を見つけては、親鳥を見つけたひな鳥のごとく、嬉し気ににこにこと寄ってくる。
 ――しかし、今日はいつも通りの服装じゃない。
 爽やかなシャツでもなければ、さらりと着こなすロングTシャツでもない。ダメージデニムでもなければ、すらりとしたスキニーでもスラックス系でもない。
 俺の知っているブレザーに、俺の知っている灰色のチェックズボンで、俺とお揃いの紺色の通学鞄。
 間違いなく、俺と同じ高校の制服姿のアイザがいた。
「シュン、こんにちは」
「あ、アイザ、……え、高校生?」
 驚きのままに口にすると、彼は少し驚いたように目を丸くしてから、すぐに笑った。
「うん、一年生」
「一年生!」
 俺は始業式の日に見た、ふわふわした栗毛色の小さな頭を思い出す。――あれは、他人の空似ではなかったのか。
「えっと、二月に日本来て、四月あたらしい学校!」
 嬉々として伝えてくる、一つ年下の後輩に、俺は驚いたまま固まってしまう。
 ――どう見ても大学生だろ。
「シュンは? 一年生?」
「……俺は二年生」
「先輩だ~! 学校どこ?」
「アイザと一緒」
「ええ!」
 ひと際大きな声で、アイザが目を丸くする。その声は天井が高い分良く響いて、周りの視線を一気に集めた。俺はしい! と人差し指を口の前に立てると、アイザは慌てたように、自分の口を塞いだ。
「うれしい。シュン、同じ学校なの、運命だ」
 ――運命。
 軽々しく出て来た、聞き慣れない単語に、一瞬言葉を詰まらせてしまうけれど、嫌な気分ではない。
 俺はなんて答えればいいのか分からず、口の中で言葉をあぐねていると、アイザは俺を覗き込み、
「せんぱいって合ってる?」
 と聞いてくる。
「まあ、合ってる、かな……?」
「うれしいなあ、初めて先輩だァ」
 表情豊かに喜びを表しながら、アイザは頷いた。
 その素直な反応が照れくさくて、
「今日は何探しに来た?」
 と会話を逸らすと、彼は首を横に振った。
「シュンに制服、えっと、見せるのしたいから」
 そう言いながら、ちょうど良く作られた制服を見せるように、腕を伸ばして見せてくる。俺は改めて彼の立ち姿を、少し引いてみてみた。
 ――すごい、うちの平凡高校の制服が、海外の名門学校の制服に見える。
 そのくらいアイザの美しい顔立ちを借りた制服は、品位の格を上げていた。
「イケメンってすごいな……」
 思わず感心しながら、正直な感想が漏れると『イケメン』という単語はすでに習得済らしいアイザは喜んだ。
「うれしい、かっこいいでしょ」
「かっこいいよ、入学おめでとう」
「ありがとう。ぼくも、シュンの制服きてる見たい」
「え、俺は普通だよ」
「ちがうよ、かわいい」
 おくびにも出さず、相変わらず思考と口が直結しているような言葉の選択で、アイザが放つ。可愛いという単語は、男にとってあまり褒め言葉になる気はしないけれど――アイザとしては、褒めているのだろう。
「学校で擦れ違った時にね」
「会いに行く」
 迷いなく宣言されて、いやいや、と首を横に振ると、
「すみません、この本探してるんですけど」
 そう横から女性客に声を掛けられてしまった。
「また明日、センパイ」
 得たばかりの言葉を使いたがる子どもみたいに、アイザはそう言うと、三階へと続くエスカレーターを上がって行ってしまった。引き止めて訴えたい気持ちがありながらも、客を無視するわけにはいかない。俺は彼へ投げ掛ける言葉もそぞろに、差し出されたスマホを覗き込む。
 会いに来るなんて……冗談だよな、いや、でもアイザならやりかねない気がする。
 俺は出ることのない答えの自問自答を繰り返しながら、とりあえずあの目立つ姿で、教室にだけは来ないでくださいと、心の底から胸の中で手を合わせた。