春休みが終わると、バイトは週三回から週二回へと変わり、時間も午後五時から八時までの三時間に変わった。
給料は下がったが、その殆どが本代のみと考えれば、結構な軍資金となるのであまり問題はない。
それに、友達の少ない俺に、本代以外の出費など殆どない。
「クラス割り見た?」
「また同クラ、よろ~」
そんな声が散りかけの桜の下で飛び交う。俺はクラス割りの表を眺めてから、自分のクラスを探し出すと、一年から二年へと移動した靴箱へと向かい、洗ったばかりの上履きを落とす。
なんの変哲もない高校生活が、また一年始まる。
今年はバイトが日常の中に入り込んできたけれど、学校でやる事は変わりない。教室の隅で静かに本を読み、勉学に励み、放課後になればそっと教室を後にする。
俺は肩の鞄を掛け直しながら、新しいクラスのある二階への階段を上がっていく。
「ねー、一年にすげーイケメンいた」
「なにそれ見たい」
擦れ違う会話が意気揚々と飛び交う中を、俺はひっとりと泳ぐように教室へと向かった。
教室の中に一歩入れば、皆の視線が一瞬こちらへと飛んで来る。けれど、すぐに「なんだ村人Aか」みたいに散っていく。俺は自席へ向かうと、鞄を下ろして、ようやく辿り着いた椅子に腰を落ち着けた。そして、鞄から昨日発売の好きな作家の新刊を取り出す。
文庫本にして五百ぺージを越える長編であるが、この作家の文章は読み易く、すらすらと文章が映像として、頭の中で再生されるから好きだ。内容も「こんな結末か」と安易に予想したものを軽々と、いい意味で裏切っていく。
その快感が堪らない。
俺は担任教師が来るまでの時間を、友人作りには使わず、しっかり読書に当てた。
「席つけー」
そんな間延びした教師の合図に、短いホームルームを簡単に済ませると、すぐに体育館に移動だと辺りが騒々しくなった。俺は読んでいた本を机の中に仕舞うと、のろのろと席を立つ。
「なあ、さっき読んでたのって、藤堂明彦の新作?」
一番最後にクラスを出ようと思っていると、不意にそんな声がして顔を上げた。目の前には、俺みたいな地味とは縁遠そうなクラスメイトが立っていた。名前は分からないけれど、ストレートの黒髪に、整った目鼻立ちやピアスの輝きは、一目置きたくなる。
「そう。昨日発売だった」
「やっぱ昨日発売日だったのか……。藤堂明彦好き?」
「結構好き」
「俺も結構好き」
悪意のない笑みを向けられて、否が応でも名前も知らない相手に、好感度が上がってしまう。
「俺、橘充希。一年の時二組だったんだ」
たちばなみつき、俺はその名前を口の中で確かめるように、声に出さず鸚鵡返しした。
「俺は三波春、一年の時は四組だったよ」
「そっか。てかさ、この作家、毎回鈍器本だろ? 好きな人周りに居なくてさ。話せて嬉しい」
「おーい、充希。行くぞ」
会話に切り込みを入れるように、教室の前扉から声が飛んで来る。彼は「おー」と軽く返すと、またなと待ち構えている、いわゆる一軍男子の元へと向かって行ってしまった。
今年も友達ゼロかと思ったけど、全く話さないという事は避けられそうだな――なんて思いながら、俺も体育館へと一人向かう。
昔から、人とのコミュニケーションが苦手だ。
自分から話しかけられないし――それより何より、人の話をどうやって盛り上げていけばいいのか分からない。笑顔で黙って頷いているのも、限界と違和感がある。でも、それ以外に反応ができない。
「興味ないよね」
以前そう見透かされた言葉を投げられた時のさっと血の気が引いて行く感覚は、今でもはっきりと、身体に染みついている。――それ以降、人と関わる事を積極的にするのはやめた。
寂しいと思う事はあるけれど、相手を不快にさせるよりはマシだ――またあの一言を、悪気なく放たれるより、ずっとマシだ。
体育館に入ると、既に体育館は人で埋め尽くされており、遅れて入ってきた俺は「早くしろ」という教師の声にせっつかれながら、二年の列へと並んだ。
「なぁ、あいつなんかデカくね?」
「頭一個出てる……」
「え、百……九十?」
「や、九十はねえだろ……たぶん」
「でっか」
そんな密やかな会話が聞こえて来て、俺は辺りを見渡した。すると、一年生の列の中、本当に周りよりもひょこりと、まるっと頭一つ飛び出している生徒を見つけた。色素の薄い栗毛は柔らかなウェーブが掛かっており、ふわふわと、体育館の窓から注ぐ陽光に煌めいていた。
「外国人?」
「髪色的に、その可能性あり?」
「がしって感じじゃないな」
俺は野次馬の会話を聞きながら、何となく見覚えのある後頭部を見つめる。
――あれ?
頭の中に、親鳥を見つけたような、ひな鳥の笑顔が浮かび上がる。――いや、確かにアイザに年齢は聞いてなかったけれど、どう見ても大学生くらいにしか見えなかった。
「では、これより始業式を始めます」
不意にマイクでの音声が、わーん、とハウリングしながら、体育館の中に響く。それを合図に、私語はその形を潜めて、皆が舞台の方へと意識を向ける。それは俺の目の前に並ぶ野次馬も、一つ頭の飛び出した彼も同じであった。
俺は他人の空似だな、と結論付けると、足元を眺めながら、今読んでいるの新刊の結末の予想を立ててみる。きっと今回も気持ちよく裏切ってくれるに違いない。
お前の考えは浅はかで、まだまだ甘ちゃんだ、という風な、どんでん返しが、きっと待っている。
読み終わるのが勿体ない反面、早く裏切られたい、その期待で、胸の奥が弾んでくる。
校長先生の話しなんて、何一つとして、心にも頭にも入って来なかった。
給料は下がったが、その殆どが本代のみと考えれば、結構な軍資金となるのであまり問題はない。
それに、友達の少ない俺に、本代以外の出費など殆どない。
「クラス割り見た?」
「また同クラ、よろ~」
そんな声が散りかけの桜の下で飛び交う。俺はクラス割りの表を眺めてから、自分のクラスを探し出すと、一年から二年へと移動した靴箱へと向かい、洗ったばかりの上履きを落とす。
なんの変哲もない高校生活が、また一年始まる。
今年はバイトが日常の中に入り込んできたけれど、学校でやる事は変わりない。教室の隅で静かに本を読み、勉学に励み、放課後になればそっと教室を後にする。
俺は肩の鞄を掛け直しながら、新しいクラスのある二階への階段を上がっていく。
「ねー、一年にすげーイケメンいた」
「なにそれ見たい」
擦れ違う会話が意気揚々と飛び交う中を、俺はひっとりと泳ぐように教室へと向かった。
教室の中に一歩入れば、皆の視線が一瞬こちらへと飛んで来る。けれど、すぐに「なんだ村人Aか」みたいに散っていく。俺は自席へ向かうと、鞄を下ろして、ようやく辿り着いた椅子に腰を落ち着けた。そして、鞄から昨日発売の好きな作家の新刊を取り出す。
文庫本にして五百ぺージを越える長編であるが、この作家の文章は読み易く、すらすらと文章が映像として、頭の中で再生されるから好きだ。内容も「こんな結末か」と安易に予想したものを軽々と、いい意味で裏切っていく。
その快感が堪らない。
俺は担任教師が来るまでの時間を、友人作りには使わず、しっかり読書に当てた。
「席つけー」
そんな間延びした教師の合図に、短いホームルームを簡単に済ませると、すぐに体育館に移動だと辺りが騒々しくなった。俺は読んでいた本を机の中に仕舞うと、のろのろと席を立つ。
「なあ、さっき読んでたのって、藤堂明彦の新作?」
一番最後にクラスを出ようと思っていると、不意にそんな声がして顔を上げた。目の前には、俺みたいな地味とは縁遠そうなクラスメイトが立っていた。名前は分からないけれど、ストレートの黒髪に、整った目鼻立ちやピアスの輝きは、一目置きたくなる。
「そう。昨日発売だった」
「やっぱ昨日発売日だったのか……。藤堂明彦好き?」
「結構好き」
「俺も結構好き」
悪意のない笑みを向けられて、否が応でも名前も知らない相手に、好感度が上がってしまう。
「俺、橘充希。一年の時二組だったんだ」
たちばなみつき、俺はその名前を口の中で確かめるように、声に出さず鸚鵡返しした。
「俺は三波春、一年の時は四組だったよ」
「そっか。てかさ、この作家、毎回鈍器本だろ? 好きな人周りに居なくてさ。話せて嬉しい」
「おーい、充希。行くぞ」
会話に切り込みを入れるように、教室の前扉から声が飛んで来る。彼は「おー」と軽く返すと、またなと待ち構えている、いわゆる一軍男子の元へと向かって行ってしまった。
今年も友達ゼロかと思ったけど、全く話さないという事は避けられそうだな――なんて思いながら、俺も体育館へと一人向かう。
昔から、人とのコミュニケーションが苦手だ。
自分から話しかけられないし――それより何より、人の話をどうやって盛り上げていけばいいのか分からない。笑顔で黙って頷いているのも、限界と違和感がある。でも、それ以外に反応ができない。
「興味ないよね」
以前そう見透かされた言葉を投げられた時のさっと血の気が引いて行く感覚は、今でもはっきりと、身体に染みついている。――それ以降、人と関わる事を積極的にするのはやめた。
寂しいと思う事はあるけれど、相手を不快にさせるよりはマシだ――またあの一言を、悪気なく放たれるより、ずっとマシだ。
体育館に入ると、既に体育館は人で埋め尽くされており、遅れて入ってきた俺は「早くしろ」という教師の声にせっつかれながら、二年の列へと並んだ。
「なぁ、あいつなんかデカくね?」
「頭一個出てる……」
「え、百……九十?」
「や、九十はねえだろ……たぶん」
「でっか」
そんな密やかな会話が聞こえて来て、俺は辺りを見渡した。すると、一年生の列の中、本当に周りよりもひょこりと、まるっと頭一つ飛び出している生徒を見つけた。色素の薄い栗毛は柔らかなウェーブが掛かっており、ふわふわと、体育館の窓から注ぐ陽光に煌めいていた。
「外国人?」
「髪色的に、その可能性あり?」
「がしって感じじゃないな」
俺は野次馬の会話を聞きながら、何となく見覚えのある後頭部を見つめる。
――あれ?
頭の中に、親鳥を見つけたような、ひな鳥の笑顔が浮かび上がる。――いや、確かにアイザに年齢は聞いてなかったけれど、どう見ても大学生くらいにしか見えなかった。
「では、これより始業式を始めます」
不意にマイクでの音声が、わーん、とハウリングしながら、体育館の中に響く。それを合図に、私語はその形を潜めて、皆が舞台の方へと意識を向ける。それは俺の目の前に並ぶ野次馬も、一つ頭の飛び出した彼も同じであった。
俺は他人の空似だな、と結論付けると、足元を眺めながら、今読んでいるの新刊の結末の予想を立ててみる。きっと今回も気持ちよく裏切ってくれるに違いない。
お前の考えは浅はかで、まだまだ甘ちゃんだ、という風な、どんでん返しが、きっと待っている。
読み終わるのが勿体ない反面、早く裏切られたい、その期待で、胸の奥が弾んでくる。
校長先生の話しなんて、何一つとして、心にも頭にも入って来なかった。



