朝の空は、嘘みたいに晴れていた。
雲一つない青の向こうに、光が滲む。
まるで——何かが始まる予感を告げているように。
舞は鏡の前で、髪を整えた。
制服のリボンをきゅっと結び、胸の奥で小さくつぶやく。
「……今日、変えるんだ。先生の未来を。」
机の上には、運動会で使った小さい赤と白の旗が2つ。
そして、タイムカプセルに入れようとしていた“お守り”が並んでいる。
この時間に来て、もう二ヶ月。
笑って、泣いて、恋をして——。
ようやく辿り着いた「今日」という日。
【 朝の教室 】
「おはよー舞ちゃん!」
「おはよう、沙織ちゃん。」
いつもと同じ教室。
だけど、今日だけは少し違う。
みんなの声が、どこか遠くに聞こえる。
「なんか顔、白いよ? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。」
——嘘だ。
昨夜から、胸の奥がずっと重い。
時々、視界が歪む。
まるで何かが壊れ始めているみたいだった。
(もしかして……世界のズレ?)
そう思うたび、恐怖がじわりと広がる。
でも、怖がっている暇なんてない。
放課後、友田先生を病院に必ず連れて行く。
それが今日の計画だ。
大樹と二人で立てた、たった一つの希望。
【 放課後の計画 】
チャイムが鳴ると同時に、大樹が教室の前で手を振った。
「行くぞ、綾瀬。」
「うん!」
二人は誰にも気づかれないように廊下を抜け、職員室へ向かった。
扉の前で息を整える。
舞の手が、小刻みに震える。
「大丈夫だ。」
大樹がそっとその手を握った。
「先生、きっと行ってくれるから。信じろ。」
「……うん。」
扉をノックすると、中から懐かしい声が響いた。
「どうした、宮澤、綾瀬?」
友田先生は、いつものように微笑んでいた。
しかし、その笑顔の奥に、わずかな疲労が見えた。
目の下のくま。少し引きずった右足。
——未来で聞いた「膝の腫瘍」。
それが、確かに今、始まっている。
【 病院へ 】
「先生、ちょっと相談があってきたんです。」
大樹が言った。
「俺、サッカーの練習で膝を痛めたんです。病院、一緒に行ってもらえませんか?」
「ん? 俺がか?」
「はい。整形外科、紹介してほしくて。お願いします!」
先生は少し考え、頷いた。
「いいだろう。一緒に行くか?」
「はい!」
その声に舞が続く。
「先生も、一緒に診てもらってください!」
「俺が?」
「いつも立ちっぱなしですし、右足……ちょっと痛そうだったから。」
その瞬間、先生の表情が少し曇った。
「よく見てるな……。まぁ、念のため行くとするかな。」
——その言葉を聞いたとき、舞は心の中で涙を流した。
“変わるかもしれない”
“未来が、少しだけ動くかもしれない”
【 検査結果 】
病院の待合室。
夕暮れの光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
大樹はジュースを買ってきて、舞に渡す。
「飲めよ。顔真っ白だぞ。」
「ありがとう。」
舞は小さく笑って受け取った。
その手が冷たくて、大樹は胸が痛くなる。
やがて、診察室のドアが開いた。
友田先生が出てきた。
表情は少し硬い。
「先生!どうでしたか?」
舞の声が震える。
「……MRI、撮ってもらった。少し…、何やら影があるらしい。」
空気が凍った。
舞の心臓が止まりそうになる。
「でも、早期の段階だ。すぐに治療すれば大丈夫だって!」
その言葉に、涙が溢れた。
止めようとしても、頬を伝ってこぼれ落ちる。
——間に合った。
“未来”を、変えられた。
【 病室の夕陽 】
検査のあとは、先生は軽い入院を勧められた。
その日、舞と大樹は病室の窓際に並んで座った。
外では、夕陽が街を染めている。
「宮澤、それと綾瀬。今日は本当にありがとうな。」
先生が微笑む。
「お前たちがいなかったら、気づかずに放ってたかもしれん。」
舞は泣き笑いのような表情で首を振った。
「いえ、先生が元気でいてくれるだけで、嬉しいです。」
「綾瀬……?」
一瞬、先生が不思議そうな顔をした。
その瞳に、言葉にならない感情が浮かんだ。
「なんだろうな……お前を見てると、不思議と懐かしい気がするんだ。」
舞は何も言えず、ただ微笑んだ。
そのとき、先生のベッドの上に西陽が差し込み、
三人の影がゆっくりと重なった。
【 崩れゆく時間 】
帰り道。
舞は胸の奥に、奇妙な痛みを感じた。
視界がぐらりと揺れる。
世界が波打つように歪む。
「おい!綾瀬!? 大丈夫か!?」
大樹が慌てて肩を抱く。
「だ、大丈夫……ちょっと疲れただけ。」
「顔、真っ青だぞ!」
立っているのもやっとだった。
けれど、舞は笑った。
「大丈夫。だって——先生、生きてるから。」
そう言って、彼の胸に寄りかかった。
その温もりが、夢みたいにやさしい。
【 別れの予感 】
その夜。
舞はベッドの上で目を開けた。
時計の針が、ゆっくりと動く。
天井の隅が、白く揺らめいた。
まるで空気そのものが光を帯びているようだった。
「……あぁ、やっぱり。時間切れか…。」
小さく呟く。
“運命を変えた”代わりに、“時間の均衡”が崩れていく。
この世界にいられる時間が、残り少ない。
けれど、不思議と怖くなかった。
先生も助かった。
大樹くんとも、心を通わせた。
それだけで、十分だった。
枕元の小箱を開けると、中には一枚の写真が入っていた。
6年A組で撮った、クラスの集合写真。
先生も、大樹も——あの日、変わろうと決めた自分も写っている。
涙がこぼれ、光が滲む。
まぶたの裏で、声が響く。
.
『約束な。未来でも、俺のこと忘れんな。』
「……うん。大樹くん、絶対に、忘れないよ…。」
その言葉とともに、世界が静かに光に包まれていった。



