後日談ーーーー。







 春の陽ざしが、静かに教室のガラス窓を透きとおっていた。





 その光を受けて、黒板の上のチョークの粉がふわりと舞い上がる。





 「……さてと、今日はここまでにしようか。」





 白髪が少し増えた友田先生が、黒板をパンパンと叩く。





小学校の卒業式から、もう二十年以上経っていた。



 退職を控えた先生は、今は非常勤として週に数日、




 かつて自分が勤めていたこの学校に戻ってきていた。



 目の前の子どもたちは、あの頃と同じように笑い、走り回り、少し泣いて、また笑う。





 時代が変わっても、教室の空気はどこか懐かしい。








黒板の端には、チョークで描かれたひとつの絵がある。










 銀河鉄道。









 かつて、ある少女が描いていた絵と、よく似ていた。





 ――綾瀬 舞。





 その名前を口の中で小さくつぶやくと、
 心の奥で春風がそっと吹いた気がした。





 「友田先生、これ、消しちゃっていいですか?」




 と、ひとりの男子が声をかけてくる。





「いや、それは……残しておこうか。君たちの夢が乗ってるからね。」




 子どもたちが不思議そうに顔を見合わせ、笑う。





 そんな光景に、先生も小さく笑った。





 放課後、誰もいなくなった教室で、
 先生は机の引き出しから小さな手紙が入った封筒を取り出した。
 そこには、少し色あせた写真が入っていた。







――六年A組 卒業記念。




 写真の中の子どもたちは、みんな笑っている。


 その中央で、黒髪を肩まで伸ばした少女――綾瀬舞が、
 恥ずかしそうに微笑んでいた。







 「君は、あのときから変わらなかったね。」

と、先生は小さくつぶやく。








机の上には、ひとつのお守りが置かれていた。




 それは、かつて自分が“誰か”に渡したものと同じ形をしていた。








 神社でいただいたそのお守りは、今でも淡い茶色のままだ。







 ――もう、願い事を叶えられたんですね。






 あの神主の言葉が、ふとよみがえる。








願い事。








 それが何だったのか、今の先生にはもう思い出せない。
 けれど、なぜだか心は穏やかだった。






 人は、すべてを覚えている必要はないのかもしれない。






 大切なのは、誰かの想いが、知らぬうちに自分の中で“形を変えて”生き続けていること。






先生は窓を開けて、外の光を受けた。






 校庭の桜が、満開に咲き誇っていた。




 「春は、やっぱりいいなあ。」




 そう言って笑った顔は、あの日のまま、
 太陽のように明るかった。





 風がふっと吹き抜け、
 机の上の写真がひらりと揺れた。







写真の端には、震えるような文字で書かれていた。








 ――“先生、ありがとう。

私は『自信と挑戦』という言葉を、

  これからも大切にして生きていきます。”










 先生は目を細めて、その文字をなぞった。




 「……そっか。君は、ちゃんと前に進んでるんだな。」




そう言って、ゆっくりと立ち上がる。




 廊下の窓から見える夕空には、
 金色に染まる雲がゆっくりと流れていた。





 まるで、あの頃の教え子たちが笑いながら、
 空を駆けていくように。










 ――流れゆく雲を見つめて。













先生はそっと目を閉じた。







 その頬を春風が撫で、桜の花びらが肩に落ちた。





 「……ありがとう。」





 誰にともなくつぶやいたその言葉が、
 やがて柔らかな光の中に溶けていった。













 そしてまた、
 教室のどこかでチョークの音が、静かに響き始める。


















Fin.