——冷たい風が、頬を撫でた。

 はっとして目を開けると、そこは雪の降る朝の校門前だった。
 見覚えのある場所。
 白く染まった歩道。
 舞の足元には、雪が音もなく積もっていた。

 ——ここは……?

 息を吐くと、白い吐息がふわりと舞い上がる。
 周囲を見渡すと、古びた小学校の校舎が見えた。
 錆びた鉄の門、冬の空気に包まれた校庭。
 まさに、同窓会が行われる「今」だった。

 夢だったのか、幻だったのか。
 それとも——本当に、あの時間を生きていたのか。

 手のひらを開く。

「ない、お守りが無くなってる!」


 そこにあるはずの“お守り”は、もうなかった。
 舞は、ゆっくりと拳を握りしめる。

 「……ありがとう、友田先生…。」

 かすかにそう呟くと、舞は足を前に出した。
 雪を踏むたびに、キュッと音が鳴る。
 校門の鉄を押し開けると、懐かしい匂いが鼻をかすめた。

しんとした昇降口

 昇降口の扉を押すと、冷たい空気が頬に当たった。
 かつてと変わらぬタイルの床。
 掲示板には、同窓会の案内が貼られている。

 「六年A組 同窓会 〜あのころの教室で〜」

 懐かしい字面を見つめながら、胸がぎゅっと締めつけられる。
 何年ぶりだろう、この場所に足を踏み入れるのは。

 上履きの音を響かせながら、舞はゆっくりと階段をのぼった。
はいた息が白い煙となって出ていく。

 階段の手すり、壁の落書きのあと。
 ひとつひとつが、懐かしい記憶を呼び起こす。

 ——あの春の日の笑顔たち。
 ——友田先生の声。
 ——そして、宮澤大樹くん。

 胸の奥が熱くなる。

六年A組の教室

 六年A組の前に立つと、ドアの向こうから笑い声が聞こえた。
 懐かしい声が混じり合い、あの日のざわめきのように響く。

 「さぁ、……行こう。」

 舞は一度深呼吸して、ドアを開けた。

 がらり、と音を立てて開いた教室。
 そこには、大人になったクラスメートたちがいた。
 懐かしい顔、笑い合う声、まるで時間が巻き戻ったかのようだ。

「——あっ! 綾瀬さんだ!」


 誰かが声を上げた。
 その瞬間、皆が一斉に振り向く。
 拍手と歓声が舞を包んだ。

「みんな、久しぶり。」

「久しぶり!」
「全然変わってないね!」

「大人になったよねー!」

 次々に飛び交う言葉。
 けれど、舞の視線は、ひとりの人物に吸い寄せられた。


「………っ!」

先生との再会

 黒板の前に立っていた白髪まじりの男性が、ゆっくりとこちらを向いた。
 その優しい笑顔。
 ゆるやかな口元。
 目尻に刻まれた皺さえ懐かしい。

「——友田先生っ……!」

 思わず呟いたその名に、彼は目を細めた。

「綾瀬。よく来てくれたね。」

 声が震えた。
 だって、病室で息を引き取ったはずの先生が、目の前にいるのだ。
 もう二度と会えないと思っていた人が。

 舞の頬を、熱い涙が伝った。

「先生……生きて……!」

 言葉にならない。
 嗚咽をこらえながらも、舞は前へ歩み出る。

 友田先生は困ったように笑い、手を差し出した。

「どうしたんだい、そんな顔して。」

 舞は首を振る。

「……うれしくて……本当に、よかった。」

 涙が止まらなかった。

「綾瀬は大袈裟だなー!」

 友田先生は少し戸惑いながら、舞の肩にそっと手を置いた。

「ありがとう、綾瀬。でも……なぜだろうね…。
 君を見ていると、なぜか“ありがとう”って言わなきゃいけない気がするんだ。」

 その言葉に、舞は息をのんだ。

先生はあの日の記憶がない。
未来を塗り替えたからだ。

 ——覚えていないのに、心の奥では感じている。

 たとえ記憶が消えても、あの時間の温もりは、
 魂のどこかに刻まれているのだ。

「……先生。わたしこそ、ありがとう。」

 笑顔でそう返したとき、
 外から雪がちらちらと舞い込んできた。

 静かで、美しい時間だった。

大樹との再会

 そのとき、教室のドアが再び開いた。

「遅れてすみませーん! 雪でバスが……」

 その声に、舞の胸が跳ねた。
 顔を上げると、そこに立っていたのは——宮澤大樹。

 黒いコートの襟を立て、少し照れたように笑っている。
 あの頃と変わらない笑顔。
 あのときと同じ、温かな眼差し。

 舞は息をのんだ。
 けれど、すぐに目を逸らしてしまった。
 もしかしたら、彼はあの日の事、何も覚えていないかもしれない。

 ——あの教室での出来事も、
 ——放課後の告白も。

 遠くから彼の姿を見つめる。
 笑いながらクラスメートと談笑する大樹。
 それだけで胸が痛くなるほど、懐かしかった。

 けれど——ふと、彼の視線がゆっくり舞に向いた。

 目が合う。
 その瞬間、大樹の表情が固まった。
 そして、驚きと戸惑い、そして懐かしさが混じったような目をした。

 ゆっくりと彼は舞に歩み寄ってきた。

「……綾瀬?」


その声に、舞は頷いた。
 大樹は立ち止まり、深く息を吸い込んだ。

「……やっぱり。俺、思い出したんだ。」

 静かに笑った。
 その笑顔に、あの春の日の風景が重なる。

屋上での再告白

 雪がやんだ夕方。
 二人はこっそりと屋上に出た。
 灰色の空の向こうに、ほんの少しだけ夕陽がのぞいている。

 風が頬を刺す。
 でも、不思議と寒くなかった。

「……あのとき、俺、ちゃんと伝えられなかったんだ。」
 大樹の声が静かに響く。

「タイムスリップしてきた綾瀬を前にして、
 ただ、自分勝手で必死になってた……。でも今なら言える。こうして、また会えた。」

 舞は黙ってうなずいた。

 大樹はまっすぐに彼女を見つめた。
 その瞳には、少年の頃と変わらぬ誠実さがあった。

「俺、あのときも今も、ずっと…、綾瀬のことが好きだ。」

 雪が静かに舞う。
 世界が止まったようだった。

 舞の頬を、熱い涙が伝う。
 何年越しの言葉だろう。
 夢のように、現実のように。

「……わたしも。ずっと……ずっと、大樹くんが大好きです。」

 二人は笑いあって、そっと抱き合った。
 白い息が絡まり、雪が肩に降り積もる。
 まるで過去と未来が一つになった瞬間のようだった。

 その様子を、昇降口の陰から見ていたクラスメートの沙織が、
 小さく「きゃー!おめでとー!」と呟いた。

タイムカプセル

 同窓会の終盤。
 みんなで埋めた“タイムカプセル”を開ける時間になった。

 雪のグラウンドの片隅に埋められた小さな箱。
 先生の合図で、順番に取り出していく。

 舞の手に渡された、自分の名前が書かれた箱。
 心臓がどきどきする。

 ——この中には、運動会で使った小さい赤と白の旗を入れていたはず。

 恐る恐る蓋を開けた。
 中から出てきたのは——小さな写真だった。

「あれ……?この写真て…もしかして。」



 それは、舞がタイムスリップしたときの、六年A組の集合写真だった。
 
 けれど、そこに写る友田先生も、大樹も、クラスのみんなも——笑っていた。

 涙がこぼれた。


「私、……運命を、変えることができたんだね。」

 舞は、写真を胸に抱きしめ、空を見上げた。
 雪の間から、光が差し込んでいた。

 大樹が後ろからそっと覗き込む。

「なぁ、綾瀬は何が入ってたんだ?」

 舞は涙を拭いて、振り返り、にこりと笑った。

「ふふ、……内~緒っ!」

 その笑顔は、18年前と同じだった。
 大樹も微笑み返す。

 ——雪の空の下、ふたりの未来が、静かに重なっていった。