春がくるたびに、思い出す顔がある。



 校庭の桜の木の下で、やわらかく笑っていた人。


 風に髪を揺らしながら、いつも「大丈夫」と言ってくれたその声。



 あの人がいた春から、もう何年が過ぎただろう。

 
 でも、心のどこかに、まだ十二歳の私がいる。



 あのときの笑顔も、涙も、まだ胸の奥で生きている。





仕事の帰り道。




 夕方の駅前に、春の風が吹き抜けた。



 ふと見上げた空に、淡い雲が流れている。



 あの曲が、頭の中でよみがえった。



 ――流れゆく雲を 見つめて ーー



 不意に、胸が締めつけられた。



 あの日、私は“ある出来事”で時を越えた。

もう二度と戻れないと思っていた「過去」に。


 あれは夢だったのか、それとも奇跡だったのか。



 けれど、確かに私は、もう一度、あの教室にいた。



 まだ子どもの姿で、まだ何も知らなかったあの日々に。




 ――六年A組。


 ――友田 誠(トモダ マコト)先生。





名前を思い出した瞬間、涙が頬を伝った。




 時間の流れが、まるで静かに逆戻りするようだった。








 *

 あの頃の私は、どこか自分に自信が持てなかった。


 周りの子のように明るく笑うことも、
 前に出て発表することも苦手だった。

 でも、先生はいつも気づいてくれた。
 放課後の教室で、黙って絵を描いていた私の隣に座り、
「それ、いい色だね」と微笑んでくれた。





 ――その声に、何度救われただろう。





 そして、あの世界での春。
 私はひとつの選択をした。




 “過去を変える”という、ありえないような決意を。




 どうしてそんなことが起きたのかは、今でもわからない。
 だけど、あの瞬間、私の世界は確かに変わった。
 時間が巻き戻り、再び桜が咲いた。




――先生を救いたい。
 あの日、そう心に誓った。




 それは、後悔ではなく、感謝から始まった想いだった。







 *





 駅のホームで風に吹かれながら、




 私は小さくつぶやく。





 「先生、またどこかで、教師をやっているのかな?」





 ホームに流れる春の風が、
 まるで“返事”のように頬を撫でていった。





電車がホームに滑り込む音。


 車窓の向こうに、あの校舎の屋根が一瞬見えた気がした。




 白い光が視界を包み、私は目を閉じる。




 ――気づけば、世界が静かに、色を変えていく。




 誰かの声が遠くで呼んでいた。





 「おーい、綾瀬!」




 目を開けると、まぶしい春の光と、

 あの日と同じ制服の袖。





まるで時間が、夢みたいにほどけていくように――






 私は再び、“あの春”へと還っていた。