ぽてまろは得意げな口調で話すと、手慣れた様子で食器棚の戸を開ける。軽やかに二段目へ飛び乗り、頭に乗せた葉っぱの形をした小皿をくるりと背中へ滑らせた。

「なんの話?」

 不審な目をしつつ、私はカウンターの椅子にリュックを置く。
 トキの庵? お彼岸?
 何を言っているのか、さっぱりわからない。

『口で説明したところで、すぐに理解なんざできませんよ。ささっ、そこのエプロンをつけて準備なされよ』

 壁にかかっている祖母の割烹着(かっぽうぎ)のことだろう。有無を言わさず、ぽてまろが私の頭に白い布を被せた。

「えっ、ちょっと?」
『もうすぐ客人が来ますぞ。トキの庵、二年十一ヶ月と二日ぶりの開店でございますな』

 ぽてまろが尻尾を振りながらカウンターの上を歩くと、溜まっていた埃が輝き始めた。まるで結晶みたいにキラキラとしている。
 さくさくと何かの支度を始めるぽてまろに、私は居間の戸をのぞき込みながらつぶやく。

「ねえ、誰も来ないけど?」

 一人ではりきっているようだけど、あたりはシーンとしたまま。一人じゃなくて一匹か。とりあえず、私は首から下がっている割烹着の袖に手を通した。

『ここを開けるのは、久しいのでね。まあ、そのうち誰か来るでしょう。カフカ殿も、ゆっくりなされよ』

 ゴロニャンと喉を鳴らして、ぽてまろは奥の収納スペースへ消えて行った。
 なんなんだ?
 首を傾げつつ、私はカウンターの椅子へ腰を下ろす。リュックからタブレットとスケッチブックを出して、ページを開いた。幾つもの線で書き殴った絵をじっと見つめて、ため息を落とす。

『ほうほう、それはまた良い絵ですな。カフカ殿がお描きになられたのですか?』

「……まあ、ね」とだけ答えて、私はスケッチブックをカウンターへ伏せた。
 見せられるほどの物じゃない。恥ずかしいという感情が、一番にあったから。

 物心ついた頃から、絵を描くのが好きだった。鉛筆を握れば、周りの人たちから「上手」「すごい」と褒められて、勘違いしたのかもしれない。
 イラストの山は、たくさんの思い出をくれたけど、私から自信を奪っていった。
 上には上がいると知ったのは、中学校に入学して美術部へ入部したとき。同い年なのに、レベチすぎて、凹むどころじゃなかった。
 ああ──、これが絶望という感情なのかと思い知らされた。

『なにかあったのですか? 元気がないように見えますな』

 頰杖をつく私の顔を、ぽてまろの翡翠色の眼がのぞき込む。

「わかんないよ、にゃんこには。人間って、いろいろ複雑でめんどくさいんだよ」