『そんな男と恋愛するの、絶対やめろ!!』
ぼくはこたつの中で遼平とビデオ通話を繋ぎながら、まーくんが買ってくれたケーキを食べている。ケンカした日、一日遅れでまーくんにケーキをあげたら、おいしいからってよく買うようになった。チョコが有名なんだけど、全部おいしい。
ビデオ通話を繋いでいるのは、まーくんから借りているタブレットである。個人情報駄々洩れで物議を醸した代物。
ぼくが近況報告を兼ねて遼平に最近のことを話すと、遼平は『ユウキおまえ騙されてんだよ、そんな男とつるむの絶対やめろ! 引っ越し代を全額その男に払わせて、引っ越せ!!』と言った。遼平の中で、まーくんはすっかり極悪人になっているようだった。
「でもまーくん、悪い人じゃないんだよ」
『それ、ヤクザはカタギの人には優しいんですみたいな理論だろ。ダメダメ』
「確かに目的のために手段は選ばないとこあるし、頭いいからウソつくのはうまいんだけど……」
『悪い人だろ!!』
いけない、ぼくの説明がよくない。
ぼくは、う〜ん、と悩み、キッチンでぼくと遼平の話を聞きながらコーヒーを飲んでいたまーくんに手招きした。
「遼平も話してみたらわかるかも。紹介するね」
『えっ』
まーくんはぼくのために淹れてくれたカフェオレを持って、ぼくの横に座った。
「遼平、こちらがまーくん」
まーくんが「どうも」と言うと、遼平は『いたの!?!? 聞いてたの!? 言いたい放題してたのに!?』と叫んだ。
ぼくはまーくんに隠すことが何もない上に、まーくんはどれほどボロカスに言われても怒らないというか、気にしないタイプなのでぼくも気にしていなかった。
「言えばよかった。ごめんね、遼平」
『いや、おれはいいけどさ、あの、はじめまして』
カフェオレ、おいし〜。自分で淹れると、こんなにおいしくならないのに。まーくんはコーヒーを淹れるのが、やっぱりうまい。
まーくんが遼平に、「……はじめまして」と言った。
『ま、まーくんイケメンじゃん、ユウキおまえ、けっこうメンクイだったんだな……こういうちょっと悪そうな……いやでもな、イケメンでもやっていいことと悪いことがあるんだぞ! 聞いてるか、まーくん!!』
「聞いてる聞いてる。おっしゃる通りで……」
『なんでそんなダルそうなんだよ!! ユウキに変なことしたら、タダじゃ済まないからな!!』
ぼくは遼平とまーくんの会話を聞きながら、あ、思ったよりふたりとも気が合いそう……と考えていた。秋良とまーくんも、ちゃんと話せば案外仲よくなれるんじゃないだろうか。
ぼくはだんだん眠くなってくる。あったかいものを飲んだせいだ。
「ねむ」
目を擦って呟くと、遼平が『ユウキ、どうしたんだ。まさかまーくんに、クスリ盛られたんじゃ……』と言った。
ぼくはまーくんの肩に凭れて、もうほとんど寝ながら遼平の話を聞いていた。
「クスリなんか盛るか。アレルギーがあるかもしれないだろ。コイツに何かあったらどうするんだ」
『いや、アレルギークリアできてたらやってるみたいな言い方じゃん!!』
ぼくは嬉しかった。遼平とまーくんが仲よくなって……。
そして寝落ち。起きると遼平とのビデオ通話は終わっていて、ベッドで寝ていた。
「……まーくん」
「ん〜」
まーくんがいる。あとなんだか、いいにおいがする。
前はぼくがご飯を作ることが多かったのに、最近はまーくんが自炊の腕をすごく上げてきて、けっこう作ってくれる。ぼくの取り柄と言えば、まーくんよりご飯を作るのがうまかったことと節約が得意なことくらいだったんだけど。
「いーにおい」
「ロールキャベツ」
「ロールキャベツ!? すご〜い」
「と、スーパーで買ったおでん、全部入れた」
「す、すっご〜い!!」
ぼくの冬休みは、こんな感じで始まった。まーくんと一緒に。実家には年末年始に帰省。クリスマスまでは、バイトしながら東京にいる。ファミレスのホールっていうのは、慣れてくるとけっこう楽しい。怖いお客さんもいるけれど、大体の人はそんなこともないし、いろんな人がいて面白い。
まーくんのお兄ちゃん、真尋さんとは普通に喋るようになった。いつ会っても、声が低くて背が高い女の人にしか見えない。
そう、世の中にはいろんな人がいて、いろんな形がある。バイトしていると、たくさんのカップルが来る。男女もいれば、同性同士もいて、それぞれに雰囲気やルールがありそうな感じがする。同じ恋人同士なんて、世界に一組もいないのだ。
「ユウキ、はんぺん食え。好きだろ」
「うん、ありがと、まーくん」
「あと大根。好きだろ」
「まーくんのぶんなくなっちゃうよ。まーくんが食べなよ」
まーくんは、「おれはいいんだよ」とか言う。
なんというかまーくんは、近頃ぼくにめちゃくちゃ気を遣う。ぼくをもう、それこそお姫さまみたいに扱う。
ぼくとまーくんが一晩かけて話し合った時、まーくんはぼくに「おまえの信頼を取り戻すために、これからなんでもするから」と言った。
信頼。別にぼくはまーくんに幻滅したとか、そういうんじゃないけど。でもまーくんは、そう思っているみたいだ。そりゃ、まぁ、普通はダメだけど、人のライン勝手に見てるとか、ダメなのはわかるんだけど、ぼくは絶対しないんだけど、なんていうか、動機があるじゃん! 世の中にはさ、個人情報を盗んで悪用するとか、人に危害を加えるためにストーカーするとか、そういう動機もあるだろうし、ダメはダメなんだけど、だけど……。
でもぼくは、まーくんに対して別に怖いとか、許せないとかないのだ。それはぼくがまーくんを好きだからなんだけど。でもこれ話すと、みんな「やめろ! そんな男!」みたいになるから、なんとも説明し難いところがある。
*
「いや、極論さ、同意ならいいっしょ」
そう言ったのは、ファミレスバイトの同僚のマリナちゃんだった。マリナちゃんは同い年で、働き始めた時期も同じなのでけっこう仲よしだ。
ぼくがぽろっと、「スマホとか同期しててさ、ラインとか全部見てくる恋人って、やっぱりやだ?」と聞いたら、前述の返答。
ぼくはびっくりした。「絶対にダメ」「倫理を履修していればそんなことはしない」「まともな男ではない、ヤバい」「逃げたほうがいい」という否定的評価ばかりを聞いていたからだ。
お客さんがぜんぜんいなくて、ガラガラな時間帯。多分もうすぐまーくんが晩ご飯を食べに来るだろう。マリナちゃんはレジカウンターに凭れて、レシートロールの残りを点検しながら、「理由によるじゃん。健全か不健全か、って聞かれたら、そりゃ不健全かもしんないけど。でもさ、恋人同士ってお互いだけのルールっていうか、法律ない? だからお互いがそれでいいなら、いいと思うけど。いや、無理強いはダメだけどさ〜そういうの嬉しい相手だったらオッケーじゃん。え、あたし変なこと言ってる?」と、カラーコンタクトレンズでうるうるの瞳でぼくを見た。
「柊くん、イヤなの? あのイケメンの彼氏に束縛されるの」
「えっ!?」
「いや、どう考えても自分の話っしょ、今の。バレバレ」
マリナちゃんは手際よく引き出しを整理している。あたし、こういうのグチャグチャなのやなんだよね、と眉を顰めながら、ぱぱぱ、と片づける。
「柊くんはどうなの。そこじゃね? だって柊くんがオッケーなら、ただの恋人同士のイチャイチャじゃん。親告罪じゃん。柊くんがイヤになれば一発逆転、訴えて慰謝料もらおう。証拠残しとこうね……あ、いらっしゃいませ~。噂をすれば」
まーくんが、店内に入ってくる。ぼくがバイトの時には、まーくんはいつもご飯を食べにくる。それはぼくを迎えに来てくれているんだ。
「マリナちゃん、まーくんはあの、ぼくのカレシってわけじゃ、」
「お好きなお席どうぞ~」
まーくんとぼくは、恋人同士ではない。でもお互いに好き同士だっていうことは、わかっていて……。
世の中には恋人同士があふれているけれど。みんな一体、どんな風にして恋人同士になったのかな。お互い好き同士になって、それから……。
ぼくは、ぼくのせいでまーくんが束縛の激しい倫理欠如のダメカレシという誤解を受けていることに心が痛んだが、そんなことは知らないまーくんは、ぼくを見て少し笑った。
「おまえ、メシ食えたの?」
「うん、今日すごくヒマだもん、時給もらうの悪いくらい」
まーくんは年末、面倒だから実家に帰らない、と言っていた。真尋さんは旅行に行くらしい。ぼくが帰省している間、まーくんは誰かと遊んだりするのかな。ぼく以外の友だちとか。
ぼくはまーくんが、ぼく以外の誰かと仲よくしているところを想像すると、なんだか心がちくちくする。それをまーくんに伝えたりはしないけれど。
「……なぁユウキ」
「うん」
「クリスマス、何しようか」
「クリスマス」
「うん。おまえ、実家帰るのクリスマスの後だろ」
「うん」
「……」
ぼくの反応を見たまーくんは少し拗ねたように、「予定ある?」と聞いた。
ぼくは首を横に振る。ない。なんにも。というか、改めて約束しなくても、ぼくは当然まーくんと過ごすものだとばかり思っていたのだ。ケーキとか買おうかな、くらいは思ったけれど、そんな特別な何かを意識していたわけじゃない。
「ないけど」
「けど、なんだよ」
「ぼく、普通にまーくんといるつもりだったから。そんなふうに改めて誘われると思ってなくて」
「…………」
まーくんが席に備えつけてある端末で注文していたハンバーグとドリアのセットが、マリナちゃんによって運ばれてきた。
「はい、お待たせしました~」
ぼくはまーくんと話し込んで、すっかり仕事をサボっていたことに気づく。
上がるまで、あと一時間。お店はその間もガラガラで、一組だけ仕事帰りらしいスーツ姿の女性客が来ただけだった。このファミレスは、深夜0時で閉店だ。ぼくは八時までで深夜番の人が出勤してきたら交代となる。
「昔は二十四時間営業が当たり前だったんだって。二時とか、三時とか、時給がよかったらしいよ。ヒマなのにね」
マリナちゃんが言う。その時代ならあたしも始発まで働いたのにな、と笑いながら。
「でも柊くんはカレシが許さないだろうね、深夜シフトなんて」
「カレシじゃないってば~」
「ホントに?」
「まだ……」
「まだ?」
ぼくはコーヒーを飲みながらあくびをしている客席のまーくんを見て、まだ、ともう一度呟いた。
まーくんが、クリスマス何しようか、って聞いてくれて、嬉しかった。すごく。ぼくは当然のようにまーくんと一緒にいるつもりだったけど、考えてみたら約束もなしにクリスマス一緒に過ごしてもらえるなんて、考えている方が甘えだったのだ。
だってもしまーくんが、別の誰かと予定があるから、ぼくとケーキ食べるのは二十六日ならいいよ、なんて言ったら……。
「……やだな、そんなの……」
ぼくは、なぜ世の中の恋人同士が恋人同士になるのか、ということが、なんとなくわかったような気がした。
「柊くん、おつかれ~。旅行のお土産、ロッカーに置いてあるから持ってって~」
「ありがとうございます。お疲れ様で~す!」
ぼくとマリナちゃんは、深夜番の出勤と同時にタイムカードを切った。
「マリナちゃん、クリスマスって何をするもの?」
「え~、カレシと? どこも混んでるしさ、あたしなら家がいいな、クリスマスは……」
店のBGMでもクリスマスソングが流れ続けていたので、もうすっかりと染みついてしまった。
「じゃ、柊くん、またね~」
「うん、ばいば~い」
従業員出入口から出て、表に回る。店のエントランスに続く階段の前のガードレールに凭れて、まーくんが立っている。夜のあかり。二十四時間営業の店なんてほとんどないけれど、まだどの店も営業中で、ラストオーダーまでは時間があって、数えきれないくらい通り過ぎる車のヘッドライトは眩しくて、ネオンも街灯も高速道路の音も、賑やかで仕方ないのにまーくんのことは見失わない。
まーくんはジャンパーのポケットに入れたままの手を、少し持ち上げる。ぼくが着たら絶対に似合わない服も、まーくんが着るとカッコイイ。きっと誰が見ても、まーくんはカッコイイ。
でもぼくは、まーくんのカッコイイだけじゃない、けっこうダメなところも、すごく優しいところも、けっこう怖がりな一面も知っている。自惚れたくないけど、それを知っているのが世界中でぼくだけでありますように、って思っている。
クリスマス、この人のことを誰にも取られたくないな。
そう思った時に、人は誰かと恋人同士になるのかもしれない。ぼくはそう思った。
「東京のクリスマスって、どこも混んでるかなぁ。まーくん、行きたいところある?」
ぼくがお風呂上りにみかんを剥きながらまーくんに聞く。うまく剥けなくてもたもたしていると、まーくんがみかんをすっ、と取り上げて、全部剥いて白い筋も取ってくれる。
「おれは家でもいいよ、おまえがいればさ……なんか欲しいもんないのか」
ないよ、と言おうとしたのに、ふと思いついたらたまらなく欲しくなって、「じゃあ、クリスマスツリー」と呟いた。
まーくんは嬉しそうに笑う。
「かわいーね、おまえ。いいよ、買おう。デカいやつ。これから毎年、飾れるやつにしような」
ぼくはこたつの中で遼平とビデオ通話を繋ぎながら、まーくんが買ってくれたケーキを食べている。ケンカした日、一日遅れでまーくんにケーキをあげたら、おいしいからってよく買うようになった。チョコが有名なんだけど、全部おいしい。
ビデオ通話を繋いでいるのは、まーくんから借りているタブレットである。個人情報駄々洩れで物議を醸した代物。
ぼくが近況報告を兼ねて遼平に最近のことを話すと、遼平は『ユウキおまえ騙されてんだよ、そんな男とつるむの絶対やめろ! 引っ越し代を全額その男に払わせて、引っ越せ!!』と言った。遼平の中で、まーくんはすっかり極悪人になっているようだった。
「でもまーくん、悪い人じゃないんだよ」
『それ、ヤクザはカタギの人には優しいんですみたいな理論だろ。ダメダメ』
「確かに目的のために手段は選ばないとこあるし、頭いいからウソつくのはうまいんだけど……」
『悪い人だろ!!』
いけない、ぼくの説明がよくない。
ぼくは、う〜ん、と悩み、キッチンでぼくと遼平の話を聞きながらコーヒーを飲んでいたまーくんに手招きした。
「遼平も話してみたらわかるかも。紹介するね」
『えっ』
まーくんはぼくのために淹れてくれたカフェオレを持って、ぼくの横に座った。
「遼平、こちらがまーくん」
まーくんが「どうも」と言うと、遼平は『いたの!?!? 聞いてたの!? 言いたい放題してたのに!?』と叫んだ。
ぼくはまーくんに隠すことが何もない上に、まーくんはどれほどボロカスに言われても怒らないというか、気にしないタイプなのでぼくも気にしていなかった。
「言えばよかった。ごめんね、遼平」
『いや、おれはいいけどさ、あの、はじめまして』
カフェオレ、おいし〜。自分で淹れると、こんなにおいしくならないのに。まーくんはコーヒーを淹れるのが、やっぱりうまい。
まーくんが遼平に、「……はじめまして」と言った。
『ま、まーくんイケメンじゃん、ユウキおまえ、けっこうメンクイだったんだな……こういうちょっと悪そうな……いやでもな、イケメンでもやっていいことと悪いことがあるんだぞ! 聞いてるか、まーくん!!』
「聞いてる聞いてる。おっしゃる通りで……」
『なんでそんなダルそうなんだよ!! ユウキに変なことしたら、タダじゃ済まないからな!!』
ぼくは遼平とまーくんの会話を聞きながら、あ、思ったよりふたりとも気が合いそう……と考えていた。秋良とまーくんも、ちゃんと話せば案外仲よくなれるんじゃないだろうか。
ぼくはだんだん眠くなってくる。あったかいものを飲んだせいだ。
「ねむ」
目を擦って呟くと、遼平が『ユウキ、どうしたんだ。まさかまーくんに、クスリ盛られたんじゃ……』と言った。
ぼくはまーくんの肩に凭れて、もうほとんど寝ながら遼平の話を聞いていた。
「クスリなんか盛るか。アレルギーがあるかもしれないだろ。コイツに何かあったらどうするんだ」
『いや、アレルギークリアできてたらやってるみたいな言い方じゃん!!』
ぼくは嬉しかった。遼平とまーくんが仲よくなって……。
そして寝落ち。起きると遼平とのビデオ通話は終わっていて、ベッドで寝ていた。
「……まーくん」
「ん〜」
まーくんがいる。あとなんだか、いいにおいがする。
前はぼくがご飯を作ることが多かったのに、最近はまーくんが自炊の腕をすごく上げてきて、けっこう作ってくれる。ぼくの取り柄と言えば、まーくんよりご飯を作るのがうまかったことと節約が得意なことくらいだったんだけど。
「いーにおい」
「ロールキャベツ」
「ロールキャベツ!? すご〜い」
「と、スーパーで買ったおでん、全部入れた」
「す、すっご〜い!!」
ぼくの冬休みは、こんな感じで始まった。まーくんと一緒に。実家には年末年始に帰省。クリスマスまでは、バイトしながら東京にいる。ファミレスのホールっていうのは、慣れてくるとけっこう楽しい。怖いお客さんもいるけれど、大体の人はそんなこともないし、いろんな人がいて面白い。
まーくんのお兄ちゃん、真尋さんとは普通に喋るようになった。いつ会っても、声が低くて背が高い女の人にしか見えない。
そう、世の中にはいろんな人がいて、いろんな形がある。バイトしていると、たくさんのカップルが来る。男女もいれば、同性同士もいて、それぞれに雰囲気やルールがありそうな感じがする。同じ恋人同士なんて、世界に一組もいないのだ。
「ユウキ、はんぺん食え。好きだろ」
「うん、ありがと、まーくん」
「あと大根。好きだろ」
「まーくんのぶんなくなっちゃうよ。まーくんが食べなよ」
まーくんは、「おれはいいんだよ」とか言う。
なんというかまーくんは、近頃ぼくにめちゃくちゃ気を遣う。ぼくをもう、それこそお姫さまみたいに扱う。
ぼくとまーくんが一晩かけて話し合った時、まーくんはぼくに「おまえの信頼を取り戻すために、これからなんでもするから」と言った。
信頼。別にぼくはまーくんに幻滅したとか、そういうんじゃないけど。でもまーくんは、そう思っているみたいだ。そりゃ、まぁ、普通はダメだけど、人のライン勝手に見てるとか、ダメなのはわかるんだけど、ぼくは絶対しないんだけど、なんていうか、動機があるじゃん! 世の中にはさ、個人情報を盗んで悪用するとか、人に危害を加えるためにストーカーするとか、そういう動機もあるだろうし、ダメはダメなんだけど、だけど……。
でもぼくは、まーくんに対して別に怖いとか、許せないとかないのだ。それはぼくがまーくんを好きだからなんだけど。でもこれ話すと、みんな「やめろ! そんな男!」みたいになるから、なんとも説明し難いところがある。
*
「いや、極論さ、同意ならいいっしょ」
そう言ったのは、ファミレスバイトの同僚のマリナちゃんだった。マリナちゃんは同い年で、働き始めた時期も同じなのでけっこう仲よしだ。
ぼくがぽろっと、「スマホとか同期しててさ、ラインとか全部見てくる恋人って、やっぱりやだ?」と聞いたら、前述の返答。
ぼくはびっくりした。「絶対にダメ」「倫理を履修していればそんなことはしない」「まともな男ではない、ヤバい」「逃げたほうがいい」という否定的評価ばかりを聞いていたからだ。
お客さんがぜんぜんいなくて、ガラガラな時間帯。多分もうすぐまーくんが晩ご飯を食べに来るだろう。マリナちゃんはレジカウンターに凭れて、レシートロールの残りを点検しながら、「理由によるじゃん。健全か不健全か、って聞かれたら、そりゃ不健全かもしんないけど。でもさ、恋人同士ってお互いだけのルールっていうか、法律ない? だからお互いがそれでいいなら、いいと思うけど。いや、無理強いはダメだけどさ〜そういうの嬉しい相手だったらオッケーじゃん。え、あたし変なこと言ってる?」と、カラーコンタクトレンズでうるうるの瞳でぼくを見た。
「柊くん、イヤなの? あのイケメンの彼氏に束縛されるの」
「えっ!?」
「いや、どう考えても自分の話っしょ、今の。バレバレ」
マリナちゃんは手際よく引き出しを整理している。あたし、こういうのグチャグチャなのやなんだよね、と眉を顰めながら、ぱぱぱ、と片づける。
「柊くんはどうなの。そこじゃね? だって柊くんがオッケーなら、ただの恋人同士のイチャイチャじゃん。親告罪じゃん。柊くんがイヤになれば一発逆転、訴えて慰謝料もらおう。証拠残しとこうね……あ、いらっしゃいませ~。噂をすれば」
まーくんが、店内に入ってくる。ぼくがバイトの時には、まーくんはいつもご飯を食べにくる。それはぼくを迎えに来てくれているんだ。
「マリナちゃん、まーくんはあの、ぼくのカレシってわけじゃ、」
「お好きなお席どうぞ~」
まーくんとぼくは、恋人同士ではない。でもお互いに好き同士だっていうことは、わかっていて……。
世の中には恋人同士があふれているけれど。みんな一体、どんな風にして恋人同士になったのかな。お互い好き同士になって、それから……。
ぼくは、ぼくのせいでまーくんが束縛の激しい倫理欠如のダメカレシという誤解を受けていることに心が痛んだが、そんなことは知らないまーくんは、ぼくを見て少し笑った。
「おまえ、メシ食えたの?」
「うん、今日すごくヒマだもん、時給もらうの悪いくらい」
まーくんは年末、面倒だから実家に帰らない、と言っていた。真尋さんは旅行に行くらしい。ぼくが帰省している間、まーくんは誰かと遊んだりするのかな。ぼく以外の友だちとか。
ぼくはまーくんが、ぼく以外の誰かと仲よくしているところを想像すると、なんだか心がちくちくする。それをまーくんに伝えたりはしないけれど。
「……なぁユウキ」
「うん」
「クリスマス、何しようか」
「クリスマス」
「うん。おまえ、実家帰るのクリスマスの後だろ」
「うん」
「……」
ぼくの反応を見たまーくんは少し拗ねたように、「予定ある?」と聞いた。
ぼくは首を横に振る。ない。なんにも。というか、改めて約束しなくても、ぼくは当然まーくんと過ごすものだとばかり思っていたのだ。ケーキとか買おうかな、くらいは思ったけれど、そんな特別な何かを意識していたわけじゃない。
「ないけど」
「けど、なんだよ」
「ぼく、普通にまーくんといるつもりだったから。そんなふうに改めて誘われると思ってなくて」
「…………」
まーくんが席に備えつけてある端末で注文していたハンバーグとドリアのセットが、マリナちゃんによって運ばれてきた。
「はい、お待たせしました~」
ぼくはまーくんと話し込んで、すっかり仕事をサボっていたことに気づく。
上がるまで、あと一時間。お店はその間もガラガラで、一組だけ仕事帰りらしいスーツ姿の女性客が来ただけだった。このファミレスは、深夜0時で閉店だ。ぼくは八時までで深夜番の人が出勤してきたら交代となる。
「昔は二十四時間営業が当たり前だったんだって。二時とか、三時とか、時給がよかったらしいよ。ヒマなのにね」
マリナちゃんが言う。その時代ならあたしも始発まで働いたのにな、と笑いながら。
「でも柊くんはカレシが許さないだろうね、深夜シフトなんて」
「カレシじゃないってば~」
「ホントに?」
「まだ……」
「まだ?」
ぼくはコーヒーを飲みながらあくびをしている客席のまーくんを見て、まだ、ともう一度呟いた。
まーくんが、クリスマス何しようか、って聞いてくれて、嬉しかった。すごく。ぼくは当然のようにまーくんと一緒にいるつもりだったけど、考えてみたら約束もなしにクリスマス一緒に過ごしてもらえるなんて、考えている方が甘えだったのだ。
だってもしまーくんが、別の誰かと予定があるから、ぼくとケーキ食べるのは二十六日ならいいよ、なんて言ったら……。
「……やだな、そんなの……」
ぼくは、なぜ世の中の恋人同士が恋人同士になるのか、ということが、なんとなくわかったような気がした。
「柊くん、おつかれ~。旅行のお土産、ロッカーに置いてあるから持ってって~」
「ありがとうございます。お疲れ様で~す!」
ぼくとマリナちゃんは、深夜番の出勤と同時にタイムカードを切った。
「マリナちゃん、クリスマスって何をするもの?」
「え~、カレシと? どこも混んでるしさ、あたしなら家がいいな、クリスマスは……」
店のBGMでもクリスマスソングが流れ続けていたので、もうすっかりと染みついてしまった。
「じゃ、柊くん、またね~」
「うん、ばいば~い」
従業員出入口から出て、表に回る。店のエントランスに続く階段の前のガードレールに凭れて、まーくんが立っている。夜のあかり。二十四時間営業の店なんてほとんどないけれど、まだどの店も営業中で、ラストオーダーまでは時間があって、数えきれないくらい通り過ぎる車のヘッドライトは眩しくて、ネオンも街灯も高速道路の音も、賑やかで仕方ないのにまーくんのことは見失わない。
まーくんはジャンパーのポケットに入れたままの手を、少し持ち上げる。ぼくが着たら絶対に似合わない服も、まーくんが着るとカッコイイ。きっと誰が見ても、まーくんはカッコイイ。
でもぼくは、まーくんのカッコイイだけじゃない、けっこうダメなところも、すごく優しいところも、けっこう怖がりな一面も知っている。自惚れたくないけど、それを知っているのが世界中でぼくだけでありますように、って思っている。
クリスマス、この人のことを誰にも取られたくないな。
そう思った時に、人は誰かと恋人同士になるのかもしれない。ぼくはそう思った。
「東京のクリスマスって、どこも混んでるかなぁ。まーくん、行きたいところある?」
ぼくがお風呂上りにみかんを剥きながらまーくんに聞く。うまく剥けなくてもたもたしていると、まーくんがみかんをすっ、と取り上げて、全部剥いて白い筋も取ってくれる。
「おれは家でもいいよ、おまえがいればさ……なんか欲しいもんないのか」
ないよ、と言おうとしたのに、ふと思いついたらたまらなく欲しくなって、「じゃあ、クリスマスツリー」と呟いた。
まーくんは嬉しそうに笑う。
「かわいーね、おまえ。いいよ、買おう。デカいやつ。これから毎年、飾れるやつにしような」

